卒業

たつたつ

「――卒業証書授与」
司会の言葉で校長先生が演壇中央まで来ると、卒業生と在校生を少し眺めた。厳かな雰囲気が漂うその様子をしっかりと噛みしめるようにして。
「卒業証書授与、卒業生代表、七瀬 優佳」
校長先生は一人の女生徒の名前を読み上げる。
「はい!」
名前が呼ばれるとハッキリとした返事が体育館に響いた。
久しぶりに聞く彼女のよく通る声。かつて生徒会室でも響かせていたその声は今も変わらない。
彼女は演壇の方へ歩き出し、校長先生の前で止まる。
「――」
校長先生が朗々と読み上げる言葉は短すぎた。
そもそも、この一枚に入る言葉はどんなものだろうと三年間の思い出を表せるはずが無い。
会長はどう思っているのだろう。
ここからだと、彼女のその顔を見ることはできない。
彼女は校長先生の前に立ちその言葉を粛々と受け止めると、証書を貰い静かに自分の席に戻る。
そこからも式は滞りなく進行された。
校長先生の式辞、PTA会長の式辞、来賓紹介、祝詞・祝電の披露…。
独特の張りつめた雰囲気の中、次々と壇上でそれぞれ言葉を述べていく。
それらは、色のない演劇のように壇上で進められていき、ついに自分の番が回ってきた。
「――在校生送辞」
司会が静かに告げる。
「在校生代表、久遠 はじめ」
自分の名前が告げられた。
「はい」
思っていたより良く響く自分の声はまるで別人みたい。
卒業生達の脇を通り壇上へ進む。
舞台へあがると、この式に集まる人達の顔が見えた。
マイクの位置を調節して、手にした紙を広げる。
目をつぶり、軽く息を吸い、吐く。
ほんの数回で先ほどより物が見えるようになった。
あとは、口を開き言葉を流すだけだ。
「在校生、送辞――」
何度も練習した言葉は、手にした紙を見ずとも口から自然と出てきた。
先輩方の最初に見た大きな姿、学園を引っ張っていく姿、行事で活躍する姿、自分たちと喜びも悲しみも供に分かち合う姿、悩み苦しんでそれでも進もうとする姿、そして今この式を迎えている姿。
そのどれもに嘘はない。
けれど…。
読み上げながら一人一人に目を向ける。
目を赤く腫らし涙を我慢する女生徒、こちらをじっと見つめる男子生徒、子供のめでたい日に喜びを隠せない親、感慨深く生徒を眺める教師。
いろいろな感情が混ざるこの場所に会長の姿もあった。
澄んだ瞳でこちらを見上げる彼女にもこの声は聞こえているはずだった。
収まるはずのない気持ちは、ありきたりな文章になって、ただ読み上げられていく。
「――送辞といたします。在校生代表、久遠 はじめ」
読み終わると静寂が訪れる。
我ながら、よく読めたと思う。
あとは感情のこもらない平坦な文章である事を除けば、完璧だった。
自分の席に戻る時に会長と目が合う。
こちらを見て微笑んでくれる彼女。
そんな彼女に俺は何もすることができないまま、彼女の横を通り過ぎるしかなかった。
「――卒業生答辞」
俺が席に着くと式は何事もなかったかのように次のプログラムへと進む。
「卒業生代表、七瀬 優佳」
「はい!」
再び彼女の名前が呼ばれると、少し前と変わらない澄んだ声が響いた。
先ほどまで自分がいた位置に今度は会長が歩いて行くのが見える。
マイクの前まで来ると、その調整して位置を少し下げ、真っ白な紙を開いて俯く。
俺と同じように目をつぶり何拍かの呼吸を挿む。
その時間もほんの少しで、顔を上げると答辞の言葉を読み上げていった。
「卒業生、答辞――」
会長の答辞は感謝の言葉から始まり、母校への惜別の想いと誇りを述べ、未来への不安と希望を語る。
答辞を読み上げている間、彼女も一人一人を眺めているようだった。
型をはみ出すことが無い定型文の言葉が連なる。
その一つ一つに彼女はどんな想いを込めているんだろう。
会長は最後まで一度も言葉を詰まらせることなく明朗に答辞を読み上げた。
彼女の曇ることのない瞳に不安や迷いは見えず、感情は読み取れなかった。
「――御礼の言葉とさせていただきます。卒業生代表、七瀬 優佳」
読み終わると静かに一礼して自分の席へ戻って行った。
みんながその言葉をしっかりと受け止めたように一瞬静かになって、最後に誰かのすすり泣く声が少しだけ響いていた。
 
「――卒業生退場」
他のプログラムが終わり、拍手に包まれながら卒業生たちが体育館から退場していく。
先頭を歩く会長の姿はすでに見えなくなっていた。
それでも、みんな手が痒くなるくらいまで拍手を続けて、最後の一人まで見送る。
そうして卒業式のプログラムは全部終了となり、ざわついた体育館にこの後の予定など事務的な内容がアナウンスされる。
目の端にピンクの何かを見つけて視線を向けると、窓から一枚の桜の花びらが舞い込んでいた。
ひらひらと遊ぶように浮く花弁は卒業式の名残のようにゆっくりと床に落ちる。
それに自分以外は誰も気が付くことはなかった。


日が傾き窓から外を見ると、桜がオレンジ色に染まっていた。
先ほどまで聞こえていた声はいつの間にか聞こえなくなっている。
「ふぅ…」
思わずため息が出てしまう。
どうやら、自分でも知らないうちに張りつめていたらしい。
最近はいろいろ忙しかったけれど、それも今日でひと段落。
生徒会室で一人になるとどうしても気が緩んでしまう自分がいた。
だからかもしれない、最初にドアを開けて入ってくるその姿に俺はなにも反応ができなかった。
「おつかれさま」
そう言って会長は最初に俺を労ってくれた。
片手には証書の入った黒い筒、もう片方の手には花束を持っている。その恰好から一度も家に帰ってないことを理解した。
「か、会長…?」
俺の口からやっと出てきたのはそんな言葉だけ。
それを会長はクスクスと笑って指摘する。
「もう会長じゃないよ、今の会長はキミでしょ?」
「い、いや…」
そう言われても、と困ってしまう。
「何でもいいのよ」
呼び方なんて、と彼女は俺の悩みを見透かしたかのように言う。
「それじゃ…な、七瀬…先輩?」
初めての呼び名で呼ぶ。
「はいはい?」
少し戸惑ったが、会長――もとい先輩は気にせず反応してくれた。
「その花束は生徒会からですか?」
花束を手にした七瀬先輩に訊ねると「そうなの」と、頷いて近くの机にその花束を置いて言葉を続ける。
「生徒会のみんながね、門のところでくれたのよ」
それから、少し拗ねた表情をした。
「誰かさんは来てくれなかったみたいだけどね」
「それは…」
まだ仕事があって、と続けようとしたが言葉が詰まってしまう。
仕事があったのは本当だ。しかし、後回しにもできた上、みんなからも誘われていた。
それでも、どうしても行く気になれなかった。
「嫌…だった?」
ポツリ、と不安そうに先輩は訊ねる。
「何が、ですか?」
「…私を、見送るの」
「そ、そんな訳――」
…ないじゃないですか。
最後まで言えず、言葉が消え、俯いてしまう。
もちろん見送りたかった。
彼女の卒業を一緒に祝って見送ってあげたい、今も心からそう思っている。
けれど…。
見送りたくない――そう思う気持ちも自分の中に確かにあった。
二つの気持ちの中で揺れる心は何の答も出せなないでいる。
何も言わないままの俺に先輩は失望しただろうか。
「ここでね…」
ふわり、と彼女の香りがした。
顔を上げると、いつの間にか先輩は俺の傍にいる。
俺に寄り添うように立ち、生徒会室の中を眺める。
二人の影が、生徒会室の床に長く伸びた。
「ここで、いろんなことがあったなぁ」
彼女は目を閉じ、生徒会室で起きた事を順番に思い出しているかのように口にした。
「最初に私がここに入ったのは二年前の一年生の頃で、右も左もわからなくて、先輩たちに指示されて動くのがやっとだった」
それは誰もが通る道。立派な会長だった先輩もそんな時期があった。
「そうして、気が付いたら二年生になっていて…初めてできた後輩はかわいかったなぁ…」
先輩は昨日の事を語るように過去の事を話していく。
大きなイベントや日常の小さな事件、それらに大小の差はなくて、全てに真剣に取り組んで、時には何かを思い出して笑うこともあった。
「――そして卒業式で先輩を送って、自分たちが最上級生になった」
これからは自分たちが後輩を引っ張っていく。いつかの先輩たちのように自分たちはならなくてはいけない。
「私は…会長に推薦された。これからみんなを引っ張っていかなきゃいけないって、そんな不安がいっぱいあったよ…」
自分たちの進路も関わってますます複雑になる自分の環境。どんどん重くなる責任。それらは容赦なく彼女自身を追い詰めていく。
「悩んで…迷って…困って…それでも何とか進んで…――」
辛そうに先輩は当時を語ってゆく。
俺には分からなかった、知らなかった会長の弱さが少しだけ垣間見えた気がした。
「――そんな時に、キミがここに来てくれた」
そう言うと先輩は俺の方を見つめた。
本当に助かった、とその瞳は語りかけてくれる。
「知ってた? 二年生から生徒会に入る人ってすごく少ないんだよ」
会長の言うとおり、生徒会に自分と同期の二年生は一人もいなかった。
「たぶん、きっとすごく大変だからだと思う。一年生からやってないと勝手がわからなくて後輩に面目も立たないし」
面倒な仕事が多いしね、と先輩は苦笑する。
「正直な話、私もそう思ってキミのこと見ていたんだけど…まぁ、予想通り。大変そうだったね」
あの頃の事を思うと思わず俺も苦笑いを返すしかない。
先輩も同じく苦笑いをしていたけど、すぐに優しい笑顔に戻った。
「でもね、それでもキミはすごく頑張っていて、気が付けばそんなキミの姿にみんなも引っ張られていた…。思えば、私もずいぶん助けられたなぁ…」
しみじみと先輩は言った。
「俺はただがむしゃらに…必死でやってただけ、ですよ。先輩の言うような…俺はそんなすごい人間じゃないです」
本当に自分はただ出来る事をしていただけだ。
「そうなのかもしれないね…それでも、私は助けられたんだよ」
先輩は嬉しそうに微笑む。
「ちゃんと自分の味方がいるって…私一人で進んでいるわけじゃないって…。だからきちんと自分のやりたいことを見失わないで、生徒会長をできたの」
「俺なんかいなくても先輩は――」
「人気者って言いたいの?」
「…ええ」
俺の言いたい事を先輩は見通した。
「そうだね…自分で言うのもなんだけど、人気はあるんだと思う…。会長に推薦されたくらいだしね」
苦笑いする先輩。彼女が言った通り、それはかなりの人気と言っても過言ではない。
今、同じ場所に立って、それがわかった。
「…でも、それってすごく重いんだよ」
先輩はぽつりと呟く。
心にずっとあった不安を見せるように本当に少しだけ。
「みんなに期待されて…結果が出せなかったらみんなが悲しい思いをしてしまう…って、本当に追い詰められるの…」
期待が高ければ高いほど、自分は追い詰めてられてゆく。みんなが求める自分の理想像を押しつけられて、その圧迫感で動けなくなる。
先輩のような人は学校に限らず、この社会に出ればいろんなところにいるんだろう。
それぞれがそれぞれのキャラを押しつけられて、日常を演じていく。本当の自分を隠して、皆の思う自分を見せて生活する。そんなことが繰り返えしていくのが日常生活だ。
けど、と先輩は続ける。
「君だけは違った」
先輩は真っすぐに俺を見据えた。
「一緒に頑張ろう、一緒にいいものを作ろうって」
俺の言った言葉、それは俺にとっては何気ない一言。
「何よりも『みんなで』って言葉が私にはすごくうれしかった」
けれど、その言葉こそが先輩を救った。
「何か大きな事をするのに、私だけじゃ何もできない…って、そんな単純な事にその時の私は気がついてなかったんだ」
『みんなで』何かを成す、というのは当たり前のようでいて難しい。
「今思えばバカだなーって思うんだけどね」
先輩は苦笑いをした。
「今の私がこうしていられるのは、その事を忘れなかったからなんだよ」
「そう思うと、『みんなで』っていうのはすごいよね」と彼女は俺の『みんなで』という言葉を大切そうに言う。
だから、と先輩は言葉を続ける。
「それを教えてくれた、キミには感謝してる」
先輩は俺に感謝してくれた。
俺はただ、頑張っている先輩を少しでも助けてあげたくて…、それで生徒会に入って…、右も左もわからない俺に先輩は優しく教えてくれて…。
自分が重荷じゃないか、先輩の邪魔になっているんじゃないかと不安になった時もあった。
それでも会長はいつも笑って俺の不安を取り去ってくれる。
「大丈夫だよ、キミがいてよかった」と。
そして、今も迷っている俺を先輩は後押ししてくれている。
「今の私がこうしていられるのはその事を忘れなかったからなんだよ」と。
だから、言葉を受け取らなくてはいけない。
そして送り出さなきゃいけない。
先輩の遺してくれた大切なものを胸にしまって。
「――そんなキミなら、この生徒会を任せられるよ」
先輩を――。
「…っ…」
言うはずの言葉が掠れてしまい、先輩にはとても聞こえない。
気持ちが揺れて、また項垂れてしまう。
それでも先輩にはっきり言わなきゃいけない。
言わなきゃ――。
「…わけ、ない…」
「え?」
やっと出てきた俺の言葉は地面に落ちて、よく聴こえない。
だから次は大きな声で言ってやった。
「言えるわけないじゃないですか!」
突然の大声に先輩は戸惑った。
「久遠…キミ…」
そして、その事よりも。
なによりも。
「泣いて…いるの?」
先輩は顔を涙で濡らし、先輩を見つめる俺に驚いていた。
それは俺が先輩に初めて見せる涙。
譲れなかった一線を破ってしまった。
そこから、堰を切ったように言葉が溢れてくる。
「俺は経験が無いから…会長に教えてもらいたい事がまだまだ沢山あるんです!」
必死で先輩から会長に呼び方が戻ってしまう。
「俺はすっごく緊張する性格だから、会長みたいにうまくしゃべれない! みんなの前で話すのもすごいイヤなんだ!」
今まで心に溜めていた弱音。
「生徒会のみんな…一癖も二癖もあるから、会長の言うことじゃないと聞いてくれないよ! きっと俺の言う事なんて聞きかない!」
消えることない不安。
「後輩だってどうやって育てていけばいいんですか! 生徒会室でまともなのは会長だけだったんですよ!」
溜まっていた想いを全部、先輩にぶつけていた。
「だから…ほら…俺にはまだまだ会長が必要なんです!」
こんな事を言っても困らせてしまうだけなのに。
そんなことわかっているのに。
本当なら、先輩を笑顔で送り出さなきゃいけない、そんな日にこんなに情けないところを見せてしまう俺だから、来年から先輩の代わりなんてできるはずが無い。
「俺は…会長がいたからここに来たんです! 会長を助けたくてここに来たんです!」
俺がここに――生徒会に来たのは先輩がいたからだ。
「七瀬会長がやりたい事、全部出来てないじゃないですか!」
「…っ」
その言葉で先輩は思わず泣きそうな顔をする。
やり残した全ての事を、先輩自身も諦め切れたわけじゃない。
そんなことわかっていて、これを言うと悲しませると分かっていても、実際にその顔を見ると予想以上に自分も悲しくなってしまった。
「…なのに、なのに! なんでその会長がいなくなるんですか!」
だから尚更、素直に先輩を送ることはできない…。
さようならできない。
「…こんなことなら俺は――」
俺は――。
さらに溢れだしそうな言葉と涙。
「――大丈夫だよ」
俺が続きの言葉を言おうとした時、先輩の香りが一層強くなった。
そして、それは先輩の言葉に包まれてしまう。
気が付くと、先輩の息が耳元から聞こえる。
俺の頬から彼女の頬の熱さがわかる。
トク、トクと自分の心臓以外の鼓動がわかる。
やわらかい先輩の胸からそれは確かに聞こえた。
「…っ…」
先輩の泣く声がするけれど、ここから先輩の泣き顔は見えない。同じように俺の泣き顔も先輩には見えない。
「…だめだよ…笑ってさようならしようとしてたのに」
先輩は責めるような口調だったが、そこにはいつも見せてくれる優しさも混ざっていた。
「誰が一緒にいたくないって…言った?」
耳元で囁かれる言葉には不思議な弱さと強さがあった。
「できれば、私もずっと一緒にいたいよ…」
それが本当に望みだと言わんばかりに先輩は気持ちを伝える。
「でも、限界はあって…」
出来れば、この言葉が。
「やり残したこともあるよ…もっと教えたかった事、伝えたかった事、見せたかった物…たくさん、たくさんあって…」
この少年の心の氷を溶かして。
「それでも、やっぱりこれはお別れだから…」
ほんの一歩だけでもいいから。
「私の想い全部をキミが持っていってほしいんだ…」
彼を前に進めるようにしてくれる事を。
「それ以上は願わないから…そうすれば私は満足なんだ」
少女は祈りを込めて自分の気持ちと共に。
「ほら、キミなら出来るよ…」
一生懸命に伝える。
「だって、私が認めたんだよ…私の想いを託せるのは君だけだって」
今の私に君が残せる最後の事はこれだけしかないから。
「今はどんなに辛くて、悲しくて、地に膝付いてたとしても…」
伝える、どんなに拙く、未熟な表現だったとしても。
「私の見込み違いじゃないなら、立てるはずだよ」
少年をいつか青年にするために。
「まず目をつぶって…涙を止めて」
いつか教えた魔法をもう一度教える。
「…ほら、深呼吸して…」
それはいつもの自分を取り戻すための、そして、強さを取り戻すための魔法。
「落ち着いたら、目を開いてみて…」
成長した彼をいつか見たいから。
「ほら、見えるでしょ…?」
これから幾年、幾月の歳月が流れて。
「…それがあなたの味方」
そうしてまたキミと再会して。
「どんな時も、忘れないで…」
一緒に今日の事を笑いあえたら。
「キミは一人じゃないから…」
それはどんなに嬉しいだろう。
「…生徒会のみんなだけじゃない」
どんなに、幸せだろう。
「キミのココには…」
そうして先輩は俺の胸に手を当てた。
「私も、ちゃんと居るから」
俺はその手を握る。
「先輩の気持ちは…ちゃんと、伝わりました」
握った手は思ったよりももっと小さい。
「先輩の言葉はちゃんと、届きました…」
両手で握るとすっぽりと隠れてしまうくらい、小さかった。
「…大丈夫です、先輩」
また泣きそうになるのを何とかこらえる。
「先輩ができなかった事…がんばります」
先輩も泣きそうになりながら静かに頷いてくれた。
「きっと…きっと、やり遂げて見せます。俺はまだまだ未熟だけど…」
俺は一人きりじゃないから。
「なんとかがむしゃらにやってみます。みんなと一緒に頑張ってみます」
先輩が教えてくれた事を俺はしっかりと受け取った。
「先輩…」
俺が呼ぶと先輩は顔をあげる。
すると自然に視線が合った。
「お別れだね…」
「はい」
先輩の言葉に自然と俺は頷いた。
次こそはちゃんと見送ることができるだろう。
心にはちゃんと受け取ったものがある。
そして、みんなが、先輩がいてくれる。
「久遠くん」
先輩が俺の名前を呼ぶ。
「七瀬先輩」
俺が先輩の名前を呼ぶ。
二人してそんな事をして少し笑った。
どちらも泣いた後でひどい顔だったから、それもおかしくて二人してまた笑う。
笑いが収まると、お互い視線を交わすだけで、何も口にすることはなかった。
ただ、お互いの瞳に、お互いの姿が映るのを見て。
『そこ』にいる事を確認した。
先輩は何も言うことなく振り返り、荷物を持って出口へと向かっていく。
歩みはゆっくりとしたものだけれど、しっかりとしていた。
俺は動かずにそれを無言で見送る。
生徒会室のドアを先輩が開くと、静かな廊下に寂しく音が反響した。
先輩は再びこちらを向き、ドアを閉めようとした。
その前に一瞬だけ視線が合い、彼女は泣きそうになる。
しかし、それに堪えてすぐにドアの取っ手に視線を向けた。
そうして、先輩がドアを閉めようとした時――
「七瀬先輩!」
――俺は大きな声で彼女の名前を呼んだ。
彼女は驚いて、こちらを向く。
その目を見ると、今にも泣きそうな顔をしていた。
それでも、泣いて赤く腫れた瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいる。
俺にたくさんの物を遺してくれた先輩を泣いたまま行かせるのは嫌だった。
月並みだけれど、笑顔でさようならしたい。
それがどんなに難しいか、それは自分自身が一番よくわかっているけど…。
最後に残るのは先輩の笑顔がいい。
俺が彼女にしてあげられる事も、こんなことしかないだろう。
それでも…だからこそ、俺は彼女に最大限の笑顔でこう伝えた。
「卒業、おめでとうございます!」
先輩は、その言葉を聴いて――
「――ありがとう」
――俺一人で独占するのは勿体ないくらいの、今までで一番の笑顔を見せてくれた。

パタンと、ドアを閉じる音が教室に響く。
オレンジ色に染め上げられた桜が窓から舞い込む。
その風は少しだけ先輩の香りがした。
桜の香りがした。

卒業

卒業、というテーマで書いてみたかった。
「感動」を意識して書いたものの、やっぱりかなり難しいな…。
卒業して、いなくなる人…。
ほんとは笑顔で見送りたいけど、やっぱり、ずっといたい。
矛盾する気持ちに挟まれて、素直になれない自分。
そうやって揺れ動く心のなかで、やっぱりあの人は、いつも背中を押してくれるんだよね。
安心して巣立っていける、送り出してあげられる、読んだ後にすがすがしくなってくれればいいです。

卒業

紆余曲折を経て迎えた卒業式。 送り出したい気持ちと、やっぱりずっといたい気持ちとがぶつかって素直になれない。 そんなときあの人はいつでも「一緒」にいてくれた。 だから、安心して送り出せる。 寂しいけど最後は笑顔で「さようなら」と言えるように――。

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