娘と豆腐ハンバーグ

「何か周りに見えるものは無いかい? お店とか、看板とか…」
「んーと…」
向こうの電話口からは心細そうな声と雑踏の喧騒ばかりが伝えられる。
なんと今日は娘が一人でおつかいに出かけたのだ。
いつも行く近所のスーパーよりもう少し先、古い老舗の豆腐屋。父である私とはまだ数回しか行ったことが無かったけれど、彼女はそこの豆腐を入れて作るハンバーグが大好きだった。たまの休日、いつもしてあげられない事を娘にしてあげたいと、そんな事を思って、今年で六歳になる娘に提案した。
新しいことが大好きな娘は、おつかいを頼まれると、豆腐ハンバーグのため意気揚々と出発したのだった。

「分からないか…それじゃぁ、そうだね、誰か近くのお店の人に聞いてみようか」
今から迎えにいくのは簡単だろう、というよりも、今すぐ飛んで行ってあげたいくらいだ。しかし、これも娘のために…と、心を鬼にした。
「わかった…やってみる…」
そうして一分に満たない会話は終わる。遠くで受話器を置く時の、がちゃん、という独特の音が聞こえた気がした。
愛娘の危機に思ったより私が安心していられるのは、幸いにも、娘は公衆電話の使い方を知っていて、もしもの時のためにテレフォンカードを持たせていたからだ。それに、時代遅れとなり数を減らす公衆電話だが、この町ではまだその姿をたくさん残している。娘がそれを見つけるのも簡単だろう。
通話が終わって近くの椅子に座ろうとして、弾みで机上のコップを倒してしまう。
「ううむ」
まずい、どうやら私は思ったよりも焦っているようだ。

どれくらい時間が経ったのか、電話の前に腰かけ悶々としていると、また電話の呼び出し音が鳴った。私はすぐに受話器を取り、声をかける。
「あのね、いろいろな人に聞いてね、豆腐買えたよ!」
嬉しそうに報告する素直な娘の声に、大事そうに豆腐を抱えるその姿を思い浮かべる。
「そうか、そうか…よかった。それなら、ええと、帰り道はわかりそうかい?」
んーと…たぶん、少し不安そうに返す我が娘に私は念を押して伝えた。
「あのな、わからなくなったら、すぐ公衆電話を探すか、近くのお店の人に聞くんだよ」
「うん!」
「あ、あと、豆腐落とさないよ――」
私の心配をよそに、元気な声を残して通話は切れる。
その威勢のいい返事が逆に心配なのだ!
わが子は電話の前から離れることを許してくれないらしい。

ここからどこにいけばいい…? 周りのお店の人に聞いてごらん。
公衆電話と家の電話でそんなやりとりを何度か繰り返した。
娘の質問が単調なら、私の慣れないアドバイスもいつも同じだった。それでも、私が答える度に新しい発見をしたかのように進んでいく。誰に似たのか、他人の前では恥ずかしがるが、物怖じはしない子なので適当な大人を見つけて拙い言葉で精一杯伝えるのだろう。
そんなことを考えて、一生懸命な娘の姿を思い浮かべては少し微笑み、そしてまた心配を繰り返す。

前回の電話では、娘の声に混じってどこかで聞き覚えのある雑音が聞こえていた。
たぶん、後もう少しだろう。
そんな風に思っていると、丁度、玄関の方からなにやら騒がしい声が聞こえてくる。
娘が、無事に帰ってきたのだ。
私は少し息を弾ませて椅子から立ち上がり、またコップを倒しそうになる。あわてて、それを食い止めてから、冒険から戻った娘を出迎えた。
「ほら、外から帰ってきたら手洗い、うがい忘れないようにね」
はーい、と言いながらも、私が声を掛けるより早く行動している。妻のしつけがよかったからなのか、こういうところを見てしまうと、本当に頭が上がらない。そして、洗面で手洗いうがい、一連の動作を済ませてから、嬉々とした表情で私の前に来る。
戦利品だ、とでも言うように手作りの手提げ袋を差し出す。私が受け取り確認すると、中にはタッパーに入った木綿豆腐――少し形は崩れているが、ハンバーグにするのだから大丈夫だろう――とレシートと財布、それと…。
「ん、と…これは何?」
いろいろなものが袋の底でがさがさ、くしゃくしゃと不思議な音をたてる。それぞれに、「がんばって」や「気をつけて」という言葉が添えられた地図や飴玉、さまざまな小物が入っていて、中には「なんでやねん」と印刷されたよくわからないシールもあった。
「これね、私が『道を教えて』っていったら、みんな優しく教えてくれて、いっぱいもらったの」と、嬉しそうに語る。
「そうか…」
中に入った物を改めてじっくりと眺める。その一つ一つに頑張る娘の姿やエピソードが想像できて、娘に優しく接してくれる人々の姿も浮かんできた。これらは他人から見れば、ただのガラクタなのかもしれないけれど、私は町の人たちの優しさの塊なんだと、幸福の欠片なんだと思った。
私の愛の結晶に訊ねる。
「今日は楽しかったかい?」
「んーちょっと怖かったけど、おもしろかった! そういえばね――」
あのね、あのね、と私に道中の話を伝える。
私は興奮の冷めぬ娘の言葉からその様子を想像し、彼女が出合ったいろいろな人の話を聞いていた。
「ああ、とにかく…無事に帰ってきてくれてよかったよ…次は何したい?」
「あのね、早く、豆腐ハンバーグ食べたい!」
無事に帰ってきたことを安心していた私は、娘のその言葉の無邪気さに、思わず笑ってしまった。食い意地が張ったのも、誰に似たのか。
妻はもう帰ってこないけれど、どこかから、きっとこの子を守ってくれたのだろう。
私は彼女に感謝し、そして彼女が僕に残した私の唯一の得意料理を娘に振舞うため、私は妻のエプロンには似合わない男の腕まくりをした。

娘と豆腐ハンバーグ

NTTコミュニケーション大賞に応募した作品。
ネタ自体は1日で書いたもので、それを少し手直ししているものの、危うい部分は多い。
親子のコミカルな会話などが個人的にはお気に入り。
いい子に育つだろうなぁ、この子。

娘と豆腐ハンバーグ

初めてのお使いにでた娘。 それを家で心配する父親。 その交流を公衆電話を交えて描いた作品。 頑張る娘と、テンパる父親の様子をお楽しみください。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-16

Copyrighted
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