日々を平穏に生きるための厳かな祈り

(かなしいという気持ちが、なくなったら)
 ぼくは、どうか、神さまのシナリオ通りの、人生を、歩みたくはないと思いますが、どうでしょう。ランチタイムの、喫茶店で、丸型の、いちごのケーキの、いちごに、フォークを突き立てながら見る、窓の外の景色は、みんな、神さまの作ったものなのだと考えたときの、ちょっとした空しさは、誰しもが感じるものなのでは。ときどき、あたまがおかしくなったみたいに、存在しているもの、すべての、存在している意味を、想像している。刺さったフォークのすきまから、果汁が溢れる。きみが知っている、花のなまえを、ぼくが知らないのは、かなしい。
(ほら)
 こういう、かなしいって気持ちは、なくなってほしいし、でも、なくなってほしくない気もする。
 いつの頃からか、太陽、というものがなくなった、この街では、作りもの感が際立ち、人間、建物、植物、あらゆるものが、生気を失ったように、みずみずしさもなく、仄暗く、沈んでいる。ぼくたちは、神さまに、生かされていて、ぼくが、きみを、好きになることも、もしかしたら神さまに、そう仕向けれらているのでは、と思う。こういう思考のときは、甘いケーキを食べても、あんまり、満足できないで、あっというまに空になった、皿の上の、折りたたんだケーキのフィルムを、じっと見つめて、明日は、ちゃんとした日になりますようにと、祈る。シエスタ。きみが、アルバイトをしている、アイスクリーム屋さんの、アイスは、チョコミントが、いちばん美味しい。
 テーブルから、ケーキの皿がなくなり、ティーカップだけがぽつんと、取り残される。喫茶店には、おおきな水槽があって、水槽のなかでは、アロワナが、泳いでいる。双子と思われる、そっくりな顔の男のひとが、ふたりでやっている。ナポリタンも、ケーキも、コーヒーも、美味しいのだけれど、ぼくは、コーンポタージュが、好きだった。明日も、ここのコーンポタージュが、美味しいと思えるかどうかは、神さまのきまぐれで、変わるかもしれない、目に見えぬ怖さというのは、ふつう、そうそう表面に、あらわれないもので、ぼくは、でも、どうか、と願い、祈る。こころのなかで、跪いて。
 ティーカップのなかの、すっかり冷めたコーヒーを、ぐっと飲み干した。

日々を平穏に生きるための厳かな祈り

日々を平穏に生きるための厳かな祈り

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-05-20

CC BY-NC-ND
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