メリーゴーランド

たつたつ

多くの人が行き交う中で、私たちは次なるアトラクションへと足を進めていた。
空は久しぶりの快晴で、太陽は長らく居座っていた梅雨の雲をはね除け、限度を知らぬ活躍ぶりを見せた。
雨よりはいいけど、外にはあまり出たくない。お世辞にも遊園地日和とは言いがたい。
強い日差しが肌を焼き、額にじっとりと汗がにじむのがわかる。
日焼け止めもっと塗っとくべきだったとか、帽子だけじゃなく日傘を持ってきたほうがよかったとか、そもそもこんな日に来るんじゃなかったとか、頭に浮かんでは消えていく。
それでも、なんとか人の濁流を掻き分けて数分、やっとその姿が見えてくる。
子供の頃のほうが早くついた気がするのは、人の多さだけではないだろう。
最後は人の流れから吐き出されるようにして目的地に着く。
周りと比べて人気がないそれは、遊園地ではメジャーではあるものの、最新のものが揃うこの遊園地では少し浮いた存在なのだろう。
見ると補修はされているものの、隠しきれない古さを感じさせる。
いったい何年動いているのだろう。
それでも、止まることを知らないそれは楽しそうな音楽を撒き散らしながら回り続けている。
メリーゴーランド。
回転木馬とも言われるそれは、メリーゴーラウンドの方が言い方として正しい。
そんなことを後から知ったけど、私にとってこれはやっぱり『メリーゴーランド』に他ならない。
そんなことを連れに言うと、わかっているのか、わかっていないのか、判断のつかない苦笑いを浮かべていた。
そんな連れを放置して、メリーゴーランドに近寄ってみる。
――あれはもう10年以上も前になるのか。
触った柵はゴツゴツしている。どうやらペンキが剥げ落ちた上から更にペンキを塗ったようだった。
柵の向こうでは電飾に彩られた馬たちが代わる代わるこちらに顔を見せる。
――子供の頃はもっと大きくて綺麗な気がしたけど。
それが昼間だからなのか、古くなったからなのか、それとも私が美化しすぎているんだろうか。
後ろから慌てて駆け寄ってくる連れが何か私に声を掛けてきたが、今しばらくは無視するとしよう。
今はただ回想に浸っていたい気分だった。
私が見つめるメリーゴーランドはまだ回り続けていた、まるで止まることを知らない壊れたオモチャみたいに───
 
 
10年以上前のあの日。
あの日は私の誕生日だった。
その頃の誕生日というと、私にとってはあまりいい思い出がない。
母と二人暮らしだった私の家庭では母も休みを取ることが難しく、いつも帰りに商店街のケーキ屋さんで苺のショートケーキを買ってきてくれるのが毎年。
友達の誕生会の話を聴いたりして羨ましく思ったこともあったけれど、大好きな母とおいしいケーキを食べられるその日が私にとって一番幸せな日だった。
そんな母が珍しく私の誕生日に休みが取れた。
その日はずっと一緒にいられる。
それだけでもうれしかったのに、母は一緒に遊園地に行ってくれると約束してくれた。
とっても楽しい一日になると期待して、その日からカレンダーを何度も見る。
遊園地なんて行ったことがほとんどなかったから、誕生日の前日はドキドキして眠れず、結局、移動中の電車の中で寝てしまった。
いつの間にか遊園地についていて、それがまるで魔法みたいで、それから私は母と一緒に初めての遊園地を楽しんだ。
人気のキャラクターと一緒に冒険をしたり、ゆっくりとした船で園内を遊覧したり、身長が足りないために乗れないジェットコースターの前で泣き出したり、お化け屋敷でキャーキャーいいながら二人で逃げ回ったり。お昼には母の作ったお弁当を食べて、その後もコーヒーカップやゴーカート、鏡の館では歪んだ私と母の二人の姿が写し出されて、二人とも笑顔になる。
あちこちがキラキラ光る遊園地は何でも叶う夢の場所みたいで、私は今までの分を取り返すように夢中で楽しんだ。
気がつけば、夜の帳が降りて辺りをライトアップし始める。
昼間の顔とは一転、幻想的な雰囲気が辺りに漂う。
それぞれ、工夫を凝らしたイルミネーションで、一度乗ったアトラクションでももう一度乗りたくなる。
どれに乗ろうか、母の手を引きつつ次の乗るアトラクションを探す。
もうあまりたくさん乗れないだろう、きっとこれが最後。
それが子供心になんとなくわかっていたから、何か特別なものを探していた。多くの人が行き交う中を母と懸命に進む。

そうして“それ”は現れた。
見つけたのは偶然だったかもしれない。
昼間まではひっそりと佇んでいた建物は急に現れたようにそこにあった。
他のどこよりも存在感のあるイルミネーションは鳴り響く楽しげな音楽と共に、見る者の心を躍らせる。
「みつけた! あれに乗りたい!」
そう私が言うと、母は少し考えていたが、乗ることを許してくれた。
「お母さんは外で見てればいい?」
「うん。」
「一人で大丈夫?」
「だいじょうぶ!」
ホントは少し不安だったけど、一つ年をとってお姉さんになったところを母に見せたかった。それをわかってくれていたのか、母はそれ以上何も言わずに私と一緒に入口へと向かう。
近くまで来るとその煌びやかな電飾は眩しすぎるくらいで、目がチカチカした。
やがて音楽が止み、メリーゴーランドはゆっくりとその回転を止める。完全に止まってしまうと、すぐに出口から今まで乗っていた子供たちやその親が出てきた。
さぁ、次は自分の番だ。
前から順に、今まで並んでいた人がメリーゴーランドの中に入っていく。いざ柵の中に入ると外で見たよりも馬の存在がずっと大きく感じた。
私は最初に目に着いた白い馬に近寄る。
「この馬にする?」
馬の傍に立っている私に母が訊ねた。
「これがいい」
返事をして、母の手を借りながらその馬に乗る。
「それじゃ、外で見てるね」
「うん」
私がきちんと乗るのを確認すると母は一足先に出口へ向かっていった。
しばらくすると、楽しげな音楽が流れ始め、一度、ガタンと大きく揺れると、それから徐にメリーゴーランドが動き出した。
馬が静かに上下を始める。
想像よりも揺れが大きかったため、私は少し怖くなり、目の前にある棒にしがみつく。
最初は周りを見る余裕なんてなかったけれど、それでも時間が経つとだんだん慣れてきた。柵の外に視線が向けられるようになると、景色が流れるように動くのがわかる。
今まで乗ったアトラクションや建物が電飾で綺麗に飾り付けられ、神秘的な風景が目の前をすぎ去っていく。そして、大きな観覧車が遠目に七色に輝くのを最後に、景色は一変し真っ黒な海になる。私は何もかも吸い込んでしまいそうなその景色に怖くなって母の姿を探した。
母は出口から少し離れたところに立っていた。
私はうれしくなり大きく手を振る。母も私と目が合うと、小さく手を振り返してくれた。
母親が見えなくなるころにはすでに海の景色から、電飾の景色へと変わっていて、再びその華やかな景色に心を奪われる。
明かりがまた見えなくなっては、母の姿を探し、母が見えなくなっては、また煌びやかな景色に心奪われる。
そういった事を何度か繰り返して、メリーゴーランドの曲も終わりが近づいてきた。
まだまだ、終わってほしくない。
ずっとこの時間が続けばいい。
そんな風に思っていた。
だから、その姿が見えた時、一気に夢から覚めた気分だった。
私の楽しい時間が終わったんだって。
詳しい事は何も分からなかったけれど、それだけは分かった。
目に入ったのは母の横にいる男の顔。
そのころの私にとっての不幸の象徴。
思い出すのは酒と煙草の匂い。
そして、私を抱えて泣く母の声、涙の味。
音楽のせいで、二人の声は私には聞こえない。
目の前を通り私が顔を向ける度に、欠かさず手を振ってくれていた母の手が、今はきつく握りしめられている。
そして、私の顔を一度も見ることなく、過ぎ去ってしまう。
さっきまでは心引きつけられていた風景も、音楽も、何一つ今の私の心を動かさない。
――早く、早く。
母が見えてくるのを待ち遠しく思う。
――早く、早く。
そして、終わらせてしまいたい。
――早く、早く。
もう魔法の時間は終わりだ。
――早く、早く。
早く、終わってしまえ。

いつの間に、メリーゴーランドから降りたんだろう。
気がついた時には、私は母に手を引かれ、遊園地の出口を目指していた。
少し早足で、メリーゴーランドから離れる。
すこし振り返えると、メリーゴーランドは再び動き出すところだった。
楽しげな音楽が微かに聴こえてくる、
沢山の幸せを載せて、止まることなく回る。
回る、回る、なんども、なんども、回る、回る。
私の幸せも、私の不幸も、なにもかもお構いなしに回り続けている。
さっきまで私の傍にもあった夢のような時間は、今はどこにも見当たらない。
そんなに、わたしが幸せじゃ、駄目だったんだろうか。
誰かが、困るのだろうか。
せっかくの楽しい一日なのに。
それがもうすこしだけ、続いてほしいと思っただけなのに。
それすらも、贅沢なのだろうか。
叶わない夢なんだろうか。
今、あの馬の上で楽しむ子供たちと、私とで、なにがちがうんだろう。
でも私は、こんな今を、怨む事さえできない。
私というすごく弱くて小さい存在は一つ年を重ねて、何が変わったんだろう。
いつも通り、家の中で過ごすのが、私に見合った幸せだった。
叶うはずもなかった今日という一日。
最初から知らなければ、感じなかったはずのこの寂しさも…。
だから、もうなにもかも無くなってよかった。
ならばせめて――
「ほら、いくよ」
母に急かされる。
私はメリーゴーランドから視線を戻し、再び出口へと向かった。
――…しまえ。
母と私の靴音が静かに響く。
――…て、しまえ…。
母にこの声は届かない。
それどころか、誰にも届くことはない。
――…れて、しまえ…。
だから、叫んだ。
――壊れて、しまえ!

その時、ふっ、と一陣の風が吹いた。
振り返ると走り去る少年の姿。
その少年が起こした風だと、振り返って初めて気がつく。
その体には大きすぎる印象を受ける黒いコートを羽織って、わき目も振らずに駆けていく。
まっすぐ向かう先にはメリーゴーランド
その姿がだんだん小さくなって夜に溶けていく。
母にまた手を引かれるが、私はその青年から目が離せなかった。
やがて、その青年がメリーゴーランドの柵の前までたどり着く。
明るい電飾と対照的な黒いコートは目立って、ここからでもその様子がよく見えた。
そのまま動き続けているメリーゴーランドの前でじっとしていたかと思うと、今度は躊躇することなく、柵をひと飛びで乗り越えた。
そこからは、まるで映画のワンシーンを見ているようだった。
すぐに大人たちの叫び声が聞こえた。
待て、お前はなんだ、こっちへ来い、危ない、捕まえろ。
青年の声も聞こえる。
こんなもの、ぶっ壊れてしまえ!
そう言ったかと思うと、手近にあった馬を蹴り飛ばす。
馬だけじゃなく、そこらにある馬車や柱、全ての物を蹴って、殴って、体当たりして。
本当に、めちゃくちゃだった。
そんな青年を何人もの大人たちが捕まえようとしていた。
青年は捕まえられそうになる度、うまくその手をくぐりぬけて、むちゃくちゃな破壊活動と、訳のわからない大声を叫ぶ。
それでも、何かに必死抗うかのような大声は、大人たちの声やメリーゴーランドの音楽より大きくて、夜の遊園地にしみこんでいく。

どうやら、母にもその騒ぎは聴こえたようだったが、興味をなくすと、再び今度は強く、母に手を引かれる。
私たちはまたゆっくり歩き出した。
あの少年はあの後どうなったのだろう。
強引に振り向けば、その様子が見られたかもしれないけど、なぜか私はそうしなかった。
それでいいと思えた。
もう振り向くことはしないけれど、きっと大丈夫。
あの青年は大人の手を逃れて今も走って逃げているに違いない。
騒然とした雰囲気を置いて私と母は遊園地を去さった。
悲しみも、幸せも、どちらもそのつないだ手にしまって。


ふっと眼の端にあの時の黒いコートが目に映ったような気がした。
周りを探すけれど、そんな服を着ている人は誰もいなかった。
――当たり前か。
だってこんなに暑いしね。
横を見ると、連れが汗を流し、息も絶え絶えにダウンしていた。
本当にだらしない。
昨日、エスコートすると言っていたのはどこの誰だろう。
「ほら、行くよ!」
そう言うと、私は連れの背中を思い切り叩いた。
パンッといういい音が、綺麗な青空に響き渡る。
必要以上に痛がる連れを放置して、先に進む。
それを見た連れはあわてて立ち上がり、ついてきた。
ひどい、という抗議を受けるが、黙殺。
音だけで、そんなに痛くないはずだ、そういう叩き方をしたのだから。
それでも、あまりにも五月蝿いので、一睨みすると、今度は何も言わなくなってしまった。
悲しい顔をして、下を向いて…本当に情けない…。
それでも、何故だろう、連れとあの時の私を少し重ねてしまう。
少しかわいそうだったかな、そんなことも思わないでもない。
だから――
「ほら行くよ」
手を差し出す。
それを見ると、さっきまでの悲しそうな顔はどこへいったのやら、途端にうれしそうな顔になる。
意地悪で手をひっこめたくなるけど、我慢、我慢。
ぎゅっと握られた手は少し汗ばんでいて気持ちいいとは言い難い。
でも――。

「楽しいですね」
連れが言った。
本当にうれしそうな顔で、幸せそうな顔で。
だから私も。
「そうだね、楽しい」
今、この時間、この瞬間を大事にしよう、と思う。
これから起こる事は何一つわからないから。
不安になるから、手をつなぐ。
きっと私たちはちっぽけだけど、繋がって大きくなれる。
そう思えるから。
「ねぇ」
連れに聞く。
「今、楽しい?」
「楽しいです!」
「うれしい?」
「うれしい!」
「面白い?」
「面白い!」
そっか。
「それじゃ――私の事、好き?」
「好き、です!」
「どれくらい?」
「わかんないくらいです!」
「私も――」
「はい!」
「私もね―」
泣きたくなるほどの幸せを、二人の手の中に収めて。
「大好き!」
全てに感謝を――。

メリーゴーランド

メリーゴーランドをモチーフに描いた作品です。
歌を聞いてて、ふっと浮かんだものをつらつら書いてみたんだけど、
なかなか難しいものがあったなぁ…。
現状への打破とかそういう気持ちがこもってたり籠ってなかったり。
一見幸せでも、一寸先は闇なんだよなぁ…。

メリーゴーランド

思い出すのは昔――母子家庭でぜいたくな生活は出来なかったけれど、ある日の誕生日、母と遊園地に行ける事に。 楽しんで、楽しんで、そうして最後にメリーゴーランドへ。 幼い自分が感じた『現実の残虐さ』に…。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
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