ありがとう夏の日、1985年から

原口光陽

ありがとう夏の日、1985年から

有名作家さんに刺激を受けて書いた創作で、飛行機事故の話。
掌編です。同人誌で秋に発表予定です。

夏の九十九里浜で遊ぶ私たちは、仲良しの男同士。

 千葉の九十九里浜の海はどこまでも砂浜が伸び、終わりのないように見えました。私の青春の日々も海や砂浜と同じく、時は豊富で、好きなことに何時間でも打ち込める自由な日々がありました。男同士、真夏の海でヨットに乗り、真っ黒に焼けた肌を太陽が煌めくように照り返していました。
 私の友だちは飛行機事故で亡くなりました。その年の八月の暑い夏、彼が父上と二人で神戸の私の家に向かう途中の、夜に起きた突然の事故でした。中学から同じクラスで仲のよかった私たちは、同じ高校に進み、いつも一緒でした。高二の春、彼の父の仕事の都合で、彼は千葉に越しました。私は神戸に暮らし、夏休みを利用して千葉の彼の家に遊びに行きました。神戸に帰るとき、彼は、親父が神戸に用があるから一緒に行くよ、と言って嬉しそうな顔を浮かべていました。
 友だちの家はオレンジ色の屋根瓦に白い壁の木造の家です。しばらくぶりの突然の訪問に、人気のない家の門と扉は開いていました。勝手に玄関を上がると懐かしさがこみ上げます。ふざけて西瓜の早食い競争をしたテーブルは、白いテーブルクロスが掛かったままで、掃除をしないのか、グレーの埃が滓になっていました。
次第に私は不安に駆られました。薄緑のカーテンを閉めたままの部屋に私だけがぽつんと取り残された気がしたからです。そもそも彼の家を三十年ぶりに訪ねる理由すらも思い出せません。強い力に引き寄せられるようにして私は彼の家を訪れ、リビングにある赤いソファーにふらふらと座りました。ソファーには無造作に新聞が置いてありました。何気なく黄ばんだ新聞を繰っていると、後頭部を叩かれる思いがしました。
 私はどうしていままで誰も私に話しかけてくれないのか、そのとき一瞬で悟りました。どうして、いつも、何をしても虚ろな気分だったのか。すべてはその事実、動かしようのない現実にあったのです。言葉にならない獣の雄叫びのような自分でもびっくりするほど大きな声で、全人類が火山の赤々と燃えたぎるマグマへ落ちていくときの断末魔のような轟音で、絶望と悲しみのあまり溢れだした涙が逆さになって目に入るのではないかと疑うほど、烈しく驚いて助けを呼ぼうと、狂った幼児のように泣き叫びつづけました。
 ソファーに置かれた古くて黄ばんだ新聞記事の中に、墜落機の乗客名簿から私の名前を発見したのです。昔は個人情報の保護や管理などなかった時代でしたから、死亡した人間の名前や年齢や住所や勤務先が一字一句誤りなく二面の記事に載せられていました。名前や年齢、住所。私本人に間違いはありません。どうして私の名前をすぐに見つけられたのかは分かりません、とにかく、即座に、骸骨の眼窩に宿った青白い光は一点に注がれたのでした。
 私も日航ジャンボ機の墜落事故で亡くなっていたのです。あの忌まわしい飛行機事故で亡くなり、黒焦げの遺体となって急斜面の山腹の土の肥やしになり、地球の薄皮になり果てたのです。そのときやっと真実に気づきました。どうりで誰も知らない機内のパニック状態を鮮明に頭に描けるはずです。助かると思って酸素マスクをつけたら墜落し、山に激突した衝撃の波が体中を駆け巡って突き破ったのと、体験不能な熱さが体を包み、肉をバーナーで炙られた感覚が極限に達して記憶も脈拍も飛んだのとは同時でした。
 なにもかもが説明のつかぬまま終わったのです。まさに瞬時の出来事でしたから、心の準備も感情の発露もありません。私は死んだという自覚のないままこの世に存在して、大阪で仕事をし、家に帰って家族と語らっていたのです。千葉の友だちやジョン・レノンを身近に感じることもあるし、線香の匂いがいつも体にまとわりついている気もします。ようするに成仏しないままの霊魂で生きつづけ、会社で働き、家族と過ごした思い出だけを無形の幻に蓄えただけなのでした。
 諸説あるけれど、ある偉い学者いわく、脳や心臓は別で、ひとの細胞は三か月で死滅し、新陳代謝でできた新細胞が三か月の記憶を引き継いでいるだけ、とのことらしいです。私の場合はどうなるのでしょう。細胞は死滅し新細胞はこれっぽっちもないにもかかわらず、あとの日常の記憶ができているのです。不思議ですよね。脳すら破壊されてない状態なのに。きっと同僚や妻たちが、無になった私に語りかけてくれたから、ありがたいことにこうして体を持たなくてもみんなとの記憶を持ってこられたのです。
 だんだん、私も意識がおぼろげになってきました。夏に降り注ぐ紫外線に体が反応し、ビリビリと刺激を感じています。一方で、南の海で発生した台風の流れに乗って上空をさまよったり、雷雲から稲妻となって田舎の木に落ちたりしています。
 私は盆に故郷に帰り、盆明けにどこへ戻るのでしょうか。
 とにかく、私が死んでいることを知らせてくれた誰かにありがとうございましたと言いたいです。
                                    〈了〉

ありがとう夏の日、1985年から

ありがとう夏の日、1985年から

僕は高校生。千葉県に引っ越した友人を訪ねて、夏休みに遊びに来ていた。

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • 青年向け
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