すくらんぶる交差点(12)

十二 独立国見学ツアー

「さあ、みなさん、ニ列に並んで」
 ツアー客が、添乗員の旗の下に集合する。
「本日は、スクランブル交差点国見学のツアーに御参加いただき、誠にありがとうございます。私は、色物観光の添乗員、初見満足です。それでは、今から、ニュースで御存じのように、日本で初めて、交差点の中で独立した、スクランブル交差点国の観覧ツアーに出発します」
「国家なの。じゃあ、パスポートがいるの?」
「そんなの持ってないよ、聞いてないよ」
 添乗員の説明も聞かずに騒ぎ出すツアー客。
「皆さま、静かにしてください。ツアーにパスポートはいりません。勝手に、国家だとほざいている七人です。国は国でも、国じゃありません」
「じゃあ、国って何?」「囲まれたところ」
「じゃあ、家も国なの?」「国家というじゃない」
「あたし、国さんという姓のおうちかと思っていた」「馬鹿な」
「そんな難しいことはおいて、さあ、急ぎますよ。わずか二十八秒で、信号が変わります。その間に、渡り切ってしまわないと、皆さまも、交差点の真ん中で、ホームレスになってしまいますよ」
「あなた、大丈夫かしら?」
 太り過ぎを既に通り過ぎた女性が、右隣の旦那らしき男に話かけている。その男と言えば、妻とは反対に、ジャコメッテイの作品のように、他人にエネルギーの貯蔵をゆだね、必要な時だけお小遣いをあげるわと妻に言われながら、結局は、弁当持参で会社に行っていたサラリーマンの出で立ちであった。
「心配するな、お前。こう見えても、昔、小学校の徒競争で1番をとったことがあるんだぞ」
 何の自慢にもならないことを吹聴しながら、妻は妻で、とりあえず聞いただけのような顔で、ツア―コンダクターの顔を見ている。
「うん、あたし好みだわ。初見くんね。今度、サインをもらおう」
 信号が点滅しだした。長いようで短い人生のうち、数十秒の時間を待てない車が、前方五十メートルからアクセルを吹かしながら通り過ぎて行く。黄色はもちろんのこと、赤信号でも突っ込むつもりだ。歩行者は、特に欲しいわけでもないのに、バーゲンの五十パーセント引きと言うセールス文句に魅かれて、五十パーセントのお金をもらったかのように、季節はずれの衣料品セールに飛び込む客と同様に、今か、今かと、信号が変わるのを待っている。
「さあ、まいりますよ」
 ツアーコンダクターが後ろを振り返る。身構えるツアー客たち。徒競争の要領で、右手を前に、左手を後ろに構える
「私のこの旗を目印に、わき目も振らずに必ず着いて来てください。そして、決して、立ち止ることのないように。スクランブル交差点国を横切る瞬間だけ、私が笛を吹きます。その時だけ、横を向いてください。でも、一瞬ですよ。ここは、スクランブル交差点です。もし、何かの拍子で立ち止れば、別の方向からの集団に巻き込まれて、目的地に着けません」
「巻き込まれたらどうなるんです」
「最後です。全く違う場所に連れていかれて、私たちと離れ離れになります。もし、そうなったら終わりです。ひょっとしたら、三途の河に流されるかも知れません」
「そうだべ、そうだべ」
 敬老会の一員は、真剣に頷いている。
「向こう側に着いたら、番号を呼びます。呼ばれた番号の方は、必ず返事をしてください。たくさんの人ですから、名前を呼んだのでは、道行く人も返事をして、誰か確認ができません。それじゃあ、予行演習をします。前から順に番号を呼びます。一番「はい」ニ番「はい」「三番」・・・。三番。三番はいないのですか。ほら、そこの二人。あなたたちが三番ですよ。困りますねえ。みんな集団で動いているんですから、きちんとしてもらわないと、他の人に迷惑がかかります。わかりましたか?」
「はい」
「それじゃあ。行きますよ」
 信号が変わった。一斉に飛び出す人々。それぞれ、会社や買い物、など、目的があろうか、あるまいか、わからないが。兎に角、信号が変わった。兎も飛び出す、亀も飛び出す。一斉にスタートだ。向こう岸まで渡ってしまえ。そこのけ、そこのけ、オイラが通る。そこのけ、そこのけ、アタシが通る。人にぶつからないよう、体を横に向け、いつか見た水族館の鯛の群れを、見よう見まねで真似しながら、あの時の、水族館の入館料二千円は高かったなと思い出し、いつかはこうして役に立つ時もあるんだ、と、わずかばかりの元手は取り戻せたことを喜びながら、渡りきるサラリーマン。いやいや、世界は自分を中心に回っているんだ、だから、誰にも気兼ねすることなく、正々堂々と歩いていけばいいんだとばかりに、何故か、両手に袋をぶら下げて、縦の成長が止まった後は、地球の重力にはかなわないと、横に進出を始めた体を持て余しながらも、後ろ指は差されることなく、時には、急ぐ人に背中を突き飛ばされようが、ガニ股の足をしっかりと地面に付け、持ち上がらない足を滑りだしながら歩く中年のおばはん。
 こうした人々の中を観光客ツアーが通るのだから、何事も起こらない方が嬉しい、いや、可笑しい。案の上だ。「あーれー」ツアーの参加者のおばあさんが、反対方向から流れてきた集団に押し流されていく。「待ってくれ、ばあさん」おじいさんが手を伸ばす。しわしわの手、しわしわの指、しわしわの皮膚が一瞬、張りを持つ。ばあさんの手も、指も、皮膚も同じだ。
 そう、今から、五十年前。じいさんが、まだ、二十歳。ばあさんが、十八歳。じいさんの出身は、九州の南のある田舎。ばあさんの出身は、東北のある寒村。二人とも、家からは口減らしのため、本人たちは自立のため、都会に飛び出した。出会ったのが、近畿地方のある工場。そこで、ロマンスが生まれた。うーん、なんて、いい響きだ。そのロマンスが二人の一生を変えた。そこでは、当然、二人の手も繋がれた。何回繋がれたことだろう。だが、子どもが生まれ、仕事が忙しくなり、残業が続く毎日。妻もパートだ。疲れて帰ると、ビールと野球中継。その繰り返しの中で、夫がスーパーの買い出しの袋を持つことはあっても、妻の手を握ることはなかった。
 あれから五十年。ローンで買った建売住宅も自分たちと同じように歳より、子どもたちは広い世界に飛び出し、再び、二人だけの生活になった。誰も見ていない。だが、手を握り合うことはなかった。そんな生活の中で、再び、旧婚旅行を兼ねたツアー参加。旅行中も手を握り合うことはなかった。だが、今は違う。ばあさんが人の波に飲み込まれていく。なんとか、助け出さねば。恥ずかしがっている場合ではない。じいさんは手を伸ばす。ばあさんも手を伸ばす。五十年ぶりの手の触れ合い。
「ばあさんも歳とったね」
「じいさんこそ」
 そんな会話も交わすことなく、ばあさんは出発した地点に戻されていく。
「ばあさん!」
「じいさん!」
 二人の叫び声も、スクランブル交差点の行き交う群集の足音、世紀末まで後何秒かを告げる信号機の音、一秒たりとも無駄にできないように、だが、ガソリン代は無駄にしてもいいように、カラ吹きのエンジンを吹かす信号待ちの車の音に、かき消された。一刻の猶予もない。流されるばあさん。意を決したじいさん。ばあさんを助けるため、ツアーを離れ、荒波の人波に飛び込む。だが、そこに斜め方向から、なんとなく塊っている意思なき集団がやってくる。ばあさんが流されるのとは四十五度異なる方角。泳ぐ、泳ぐ、じいさん。六十年前に海で鍛えた立ち泳ぎや犬かきだが、この寄る歳波に人波の海は泳ぎきれない。「ばあさんや」「じいさんや」これが二人の最後の声であった。
「隊長。大変です」
「誰が隊長ですか。私は添乗員です」
「ナンバー七のじいさんとばあさんが流されていっています」
「だから言ったじゃないですか。ちゃんと、この電車ごっこの紐から出たら危ないと
「どうするんですか」
「どうしようもありません。全ては流れに任せるしかありません。でも、心配しなくても大丈夫です。後、十秒もすれば信号が変わります。そうしたら向こう岸で倒れているのが発見できるでしょう」
「そんなもんのですか」
「そんなものです。さあ、みなさん、先を急ぎますよ。何かを成し遂げるためには、犠牲が必要なのです。何かを得たら、何かを失う。そう、みなさんも、これまでの人生経験から当然、知っていることだと思います」
 思い思いに唇を噛みしめながらうなずくツアー客。
「さあ、急ぎましょう」
 残り時間は三秒。交差点の信号が点滅しだした。ぴーぽー、ぴーぽー、ぴーぽー。点滅しだすと、何故か、気持ちが落ち着かない。特に、一部が黒ずみ、切れかかった蛍光灯がそうだ。切れるのなら切れろ。へびの生殺しみたいに、中途半端に点いたり消えたりするな。蛍光灯の真下で、新品の電球を持ったまま立ち往生したことが、あなたにもあるでしょう。そう、そんな気分なのです。
「あっ、何かいる。あれ、何ですか。添乗員さん」
 ナンバー八の定年退職者カップルが声を出す。
「あっ、すいません。笛を吹くのを忘れていました。あの人たちが、今、テレビで話題になっているスクランブル交差点国の住民です」
「国家って言ったって、何にもないじゃない。赤い工事用のコーンを置いているだけじゃない」
「寂しいね」「寂しいよ」「それに、あれ、何?」「何って」
「若い奴から年寄りまで。まるで、お祭りが終わった後に一斉に出される、空き缶やお好み焼きなど、分別されていないごみと一緒ね」
「人間生ごみ?」「いあや、何か、匂ってきそう」
 ツアー客たちは、指をさしたり、聞こえるような大声で悪口を言ったりしながら、ようやく、対岸まで到着した。
「いやあ、すごかったなあ」「ほんと、すごかったね」
「でも。楽しかった」「そう、楽しかった」
「旅って、いいね」「旅って、いいよ」
 スクランブル交差点国のことは少しも話題にのぼらない。旅することが彼らの目的なのだ。目的地は、おまけでしかない。
 到着するや否や、添乗員が叫ぶ。「号令!いち」「ハイ」「にー」はい」「さん」「はあい」「よん」「おっととっと、はい」「ごー」一秒の空白の後、「ふわい」「ろく」「はいっ」「なな」沈黙、「はち」「ははははい」「きゅう」「はい」「じゅう」「ハイ」
「返事がないのは、ラッキー七ンだけですね。はい、わかりました」
 添乗員は携帯電話で時間を確認する。
「それじゃあ、みなさん、ここで、三十分間のフリータイムです。喫茶店で休憩するのもよし、散策するのもよし、あの交差点で陣取っている方々をここから眺めるのもいいですし、記念写真を撮影するのもいいです。そうですね。今が、一時二十五分ですから、三十分後の、一時五十五分までに、ここに戻って来てください。私はラッキーセブンのお客様を救出に行ってきます。はい、解散です」
 添乗員はそう言い終わると点滅しだした交差点に飛び込んで行った。

すくらんぶる交差点(12)

すくらんぶる交差点(12)

交差点に取り残された人々が、取り残されたことを逆手に取って、独立運動を行う物語。十二 独立国見学ツアー

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted