ベストアルバム
「二次会には行かないの君は?」
「そんな気分じゃないの」
「僕は元々行く気はなかったんだ」
「そうなの? まあ私は楽しみにはしていたんだけど。仕方ないわ」
大広間の貸し切りの部屋には僕と彼女しか居なかった。此処は居酒屋であり、食べ散らかした食い物と器とジョッキが散々とテーブルの上に置いてあった。
「何十年ぶりの同窓会だろうか?」
「さあ。九万六千五十年ぶりとかじゃない? 私が学生だった頃が何時だったか忘れてしまったわ。すごく遠い昔」
「確かに遠い昔だ。そのせいか僕は君の名前を覚えてはいない」
「あら。素敵。私も貴方の名前を覚えていないわ。ついでに顔も」
それから少し、沈黙が流れた。他の奴らはもうボーリング場に到着したんだろうか。
「担当の教員の事、覚えてる?」
彼女は言った。
「ああ。覚えているよ」
「今日、来なかったわね」
「ああ」
「私、その教員に合う為に来たのよ」
「僕もだ」
「顔、手、腕、足の皮膚が全部緑色なの。だけど身長は高くてスラリとしていて、スーツがよく似合っていたわ」
「カエルだからな。先生は。そりゃ、緑色さ」
「そうカエルの先生よ。それでカエル先生ってみんなから呼ばれていたわ」
彼女はそう言って目の前に置いてあるグラスを取り、水を飲んだ。
「正直に言ってカエル先生が好きってわけじゃないの。はっきり言って学生の頃はムカつく存在だったわ。感謝している事なんて一つもない。何か特別な事柄を教えて貰った事もないわね。でも、学生時代を思い出すと、必ず、カエル先生が脳裏に登場するのよ。そして私の純粋だった頃の気持ちをひっかくの」
「同感。カエル先生は事あるごと理不尽な言動ばかりだったし、口は悪いし、本質を掴んでいるのか掴んでいないか分からない適当な事を言って不快な気分にさせた」
「でも、卒業した後にこう感じた。あの瞬間が意識を自由にぶん回せたって。カエル先生は大人で立場が教員のくせに自由奔放で無理やり、自分の世界に引っ張り込む。こっちの気持ちはおかまいなしにね。そう言うのって意外にないんだよ。今は」
「自由すぎる」
僕が言い終えると彼女も頷いて「そうね。フリーダムだわ」と言った。
夏が終わりかけの頃、僕は海水浴に行く事にした。学校をサボって。僕は真面目な学生だったから一度くらい反抗期になろうと思った。不良。1日だけの不良。それから学ランで家を出た。理由は不良っぽいから。駅から近い文房具屋の前を通り過ぎるとブラウン管頭の古いゲーム機が幾つか並び画面の中でドット絵のキャラクターが動いていた。なんとなしに見ていると角に置いてあるゲーム機の前にカエル先生が丸い椅子に座りカチャカチャとコントローラを動かしていた。僕は一瞬、人違いかと驚いて見たが、どう見てもカエルでカエルを間違えるわけがないと思った。
それから反射的に身体がカエル先生のもとに近づいた。
「先生。何しているんですか?」
「見てわからないのか? ゲームをしているんだ」
「学校をサボってですか?」
「うるさい。君もサボっているだろ」
僕は少し唸った後に質問した。
「でも、先生は先生でしょ? 先生が学校をサボるのはダメじゃないですか?」
「先生には有休がある。サボりではない。それに、今日は自習だ。サボテンの針の数を数える自習でな。間違えた奴らは全員単位なしという内容だ」
カエル先生はそう言いながらコントローラをカチャカチャと動かしている。
僕はため息を吐いた。
「そのゲーム面白いんですか?」
「全然、ちっとも、スペシャル、くそったれ面白くないね」
「ならどうしてやっているんです?」
「君は馬鹿かね? このゲームのビージーエムを聞きたまえ。素晴らしく心地よいではないか? うん? 私はこのビージーエムを聞くためだけにこのクソブラウン管の前に座り五十円玉をポツポツ入れてゲームをこなしている」
カエル先生はそう言ってスラックスのズボンのポケットをあさり、五十円玉を取り出して投入した。カコンと軽い音が鳴ってコンテニューをした。
「君が話しかけるから負けたじゃないか」
「僕のせいにしないで下さい」
「ふん」
カエル先生がやっているゲームは弾幕系統のシューティングゲームだった。花火が弾けるようにして敵の攻撃が飛び先生が捜査しているUFOに向かってくる。それを先生はカチャカチャとコントローラを動かして上手に避ける。画面の上には点数がグルグルと回転しポイントが加算され続けていく。ビージーエムはふるめっかしいのに何処か斬新で懐かしく思える不思議なリズムだった。カエル先生はそのビージーエムに合わせて「ふんふん」と鼻を鳴らしテンポよく調和よくステージをクリアしていく。画面はビガビガと光る。先生が操作するUFOはクルクルと回転して雷撃もピストルの弾も避けて進む。僕は何時の間にかカエル先生とブラウン管のゲームの世界に引き込まれていた。車1台も通らない通り。店主がいるのかいないのか分からない文房具屋。辺りは静かに薄暗くなる。ステージが変わるとビージーエムも変わる。
「ラララ……。ララララララ……。ラ、ラ、ラ。ララララララ……」
スピーカーからなのかカエル先生なのか、僕には知らない声のハミングが鳴り始めた。ただ、宇宙空間に広がる閃光がそこにあって、UFOは銀色に輝いていて、ああ、もうゲームはそろそろ終えるんだと思った。
「君、五十円玉はあるかい?」
「ええ」
「この先からは私も行ったことないんだ。何時も、何時も、ここで負けてしまう。しかし、今日は絶対に超えると決めている」
カエル先生は胸ポケットからチューイングガムを取り出して大きな口に放り込んでクチャクチャと噛みはじめた。ミントの匂いがした。
「この先って何があるんですか?」
「知るか。行ったことないんだ。知っている奴はこのゲームの製作者くらいだろ。だが、超えれば知っているのは私と製作者の2人になる」
「僕もその中に加わっていいですか?」
僕の問いにカエル先生は黙り、ガムを4回噛んだ後に答えた。
「五十円玉を出せばな」
「先生ってカッコいいバカですよね」
「クールなだけさ」
カエル先生はスラックスのポケットからコインを取り軽く握りしめた。それから大事そうに投入する。僕はその光景を見ながら財布から五十円玉をつまんだ。うん。この時間は僕にとってベストだ。不意にそう思った。完全に夜中になっていた。空気に湿っぽさはなかった。カエル先生と僕とブラウン管の廻りにはオレンジ色のぼんやりとした光があって、パチパチと飛ぶ羽虫が数匹いて、それから、また遊べたらいいなって思った。
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