墓標
脚には大きなギプスがあった。机の横には松葉杖がかけてあった。彼は外を見ていた。体育館では緊急集会が行われていて、全ての生徒と教員たちは体育館に集合している。でも彼は教室に残っていた。彼が残っている理由は脚を骨折しているからだと、僕は引き戸を少し開き、教室の中を見ながら勝手に決めつけた。それから僕は彼に気づかれないように教室の中に入った。だが気づかれた。彼は大きな目を僕に向けて少し驚いていた。それから「お前は体育館に行かなくていいのかい? 担当教員に叱られるかもよ」と言った。
僕は彼の方に近づき「いいんだ。僕はカバンの中に財布を忘れてしまってね。それで取りに戻ってきたんだ。盗まれたら、それなりに困る」と答えた。
「その言い方だとまるで俺が盗むヤツみたいじゃないか」
彼は僕にそう言いってニヤリと笑う。
僕は何故彼が脚を折ったのか不思議だった。というのは、彼は僕と違って所謂『人気者』であり、サッカー部のレギュラー。クラスのムードメーカでもあった。勿論、誰だって怪我をする時はあるだろう。しかし、彼が教室にギプスを巻いて入って来たのを確認した瞬間に『彼が脚を折るわけがない』と思った。それはまるで、サファイアが錆びないように彼もまた『脚を折るような人間じゃない』と、直感的に感じたからだ。
彼は僕に話しかけた。
「ねぇ。質問していいかな」
僕は彼の近くの机に座りコクリと頷いた。
「お前だけなんだよね。俺の事を心配しなかったヤツ」
「心配されて当然だと思っているのか君は? 心配しない冷たい人間もいる。今まさに、君の前に立っているだろ」
「ふうん」
それから彼は僕の顔をジッと見てから「俺、わざと脚の骨を砕いたんだ」と言った。
僕は少し考えてから「そんな気分だったのか?」と返答した。
僕の言葉に彼は瞳孔を開いた。
「どうして驚かない? 普通なら驚いた後に何かの冗談かと言う筈だ」
「逆に納得ができた。君は脚を折るようなヘマをする人間じゃない。驚いたのは君がそう言う人間だって知った事さ」
彼はまたニヤリと笑い「ふうん。お前、意外に面白いヤツだったんだな」と言い「俺、サッカー好きじゃないんだよね」と述べた。
「飽きたとか?」
「違う、元々、運動が嫌いなんだ。それに、教室でムードメーカ的に騒いだりする事もな」
「なら辞めたらいい」
「ああだから、辞めたんだ」
僕は彼の返答に色々と言いたい事があったが舌を制した。砂丘で掃除機をかけるくらいに意味がない事だと思ったからだ。
「辞めるために脚を折る必要があるか? って、思っただろお前」
「さあ。でも、僕には分からない世界もあるって思えたね。僕が学校に登校する意味をたった今考えたが、家の部屋の空気と、教室の空気を吸うくらいしかの違いしかない。それ以下もそれ以上にない、人のカタチをした風船みたいな野郎さ」
「風船の方がずっといい。食品サンプルみないな人間よりな」
彼はそう言った。ちょっとだけ苦々しさのある声だった。それで、何か意味深な言葉だと思ったが僕は触れなかった。
「それで、辞めてどうする? サッカーとか教室のムードメーカとか本職を去って。再就職の希望はあるの?」
僕は彼に生まれて初めて質問をした。僕の問いに彼は嬉しそうに答えた。僕が今まで見た中で彼が一番輝いていた瞬間だった。
「物語を書こうと思うんだ」
「へえ。意外」
「意外に思うだろ。それに俺、今まで本を読んだ事がないんだ。でも物語を書こうと思う」
「何故?」
「俺とほど遠いだろ?」
「確かに」
そう僕は言ってから「ちなみにジャンルは?」と再び質問した。
「ジャンルは決まっていないんだ。でもどんな物語でも全部ハッピーエンドにしようと思っている」
「全部をハッピーエンドだって? あり得ないね。それに、そんな物語は面白くないと思う。個人的にだけど」
「そうか? いいだろ、ハッピーエンド」
彼の言葉に僕はため息をついた。それから僕は自分の机の方に行ってリュックサックから財布を探して出してズボンのポケットに仕舞い込んだ後、教室から出ようとした。
「何処へ?」
行く先を知っている筈なのに彼はワザワザ聞いてきた。
「ノーマルエンド。僕みたいな、ごくごく普通で一般的で凡人の人間が行く場所さ」
僕はそう言って教室から出た。自動販売機でペプシを買った後、体育館へと向かった。
墓標