二十五時のプラットホームはふたりの世界

あおい はる 作

 駅のホーム、真夜中、最終電車のあと。
 無人駅、木製のベンチ、なんだかちょっと、腐ってるっぽいね、と微笑みながら座る、あのひと。朝から着ているはずなのに、しわひとつないスーツ。まるで、ついさっき、アイロンをかけたばかりのような、ワイシャツ。ウェット感のある髪、つやめき、暗いなかでもわかる。しらない駅。しらない町。みたことのない、景色。
 水族館で、出逢った。
 あのひとは、スーツ姿でひとり、水族館にいて、くらげの水槽のまえに、いて、ぼくは、ひとりで、大水槽のところで一時間ほど、サメを、じっと見ていて、声をかけられた。くらげの水槽のまえにいたひとだ、と思いながら、ぼくは、あのひとのネクタイの、ネクタイピンを、凝視した。べつに、なんてことはない、よくあるふつうの、装飾のない、シンプルなネクタイピンだったけれど、なぜか、目が離せなかった。ぼんやり話をきいていると、どうにも、ぼくのことを、ナンパ、しているようだったので、ぼくは、水族館のレストランに行きましょうと、こちらから誘ってみた。あのひとは、一瞬、きょとんとしたあと、すぐに、人懐っこい笑みを浮かべた。きょとんとした顔は、どこか、見覚えのある顔で、こんな顔をした魚が、いたような、いなかったような、という感じだった。水族館のレストランでは、ぼくは、ミートソーススパゲッティを、あのひとは、あじフライ定食を、食べた。そのあとは閉館までずっと、大水槽のまえに、いた。ふたりで、いた。ときどき、会話をしたけれど、記憶があやふやなほど、他愛のない内容だった。サメが好きなのかときかれて、ふつう、と答えたような気がするし、くらげが好きなのかとたずねて、まあまあ、という返事をもらったような気がした。ラブホテルとか、そういうところに行くのかと思ったけれど、そんな気配はまるでなくて、水族館を出たあとは、電車を乗り継ぎ、乗り継ぎ、乗り継ぎ、とうとう、まったく、しらない土地に、来てしまった。途中で帰らなかったのは、ぼくが、おそらく、少しばかり、恋を、しかけていたからだった。あのひとの、なにかに、どこかに、ぼくは、惹かれていたのだった。
 たとえば、殺されるかもしれない、という危機感は、なかった。
 もし、ホテルに行こう、と誘われたら、行ってもいいかな、と思っていた。
 しらない町の、なまえもしらない駅の、真夜中の、駅員も、客もいない、プラットホームは、駅の外の、街灯だけが、たよりだった。ぼくたちは、古ぼけて、軋む、木製のベンチに座り、ただじっと、なにもない線路の上を、見ていた。電車の音が、ときどき、きこえるのは、まぎれもなく幻聴であることは、わかっていた。あのひとが、スーツの胸ポケットから、たばこと、ライターを取り出した。たばこ、吸うんですね。と言ったら、あのひとは、目を細めて、吸うよ、と答えた。骨ばった、指が、いいと思った。たばこをはさむ、関節の浮き出た、長く、細いけれど、力強そうな、指。
 ああ、この指に、ぼくのすべてを、暴かれたいと願ったとき。
 そのときが、恋の、はじまりであった。

二十五時のプラットホームはふたりの世界

二十五時のプラットホームはふたりの世界

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-05-14

CC BY-NC-ND
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