Mariaの日記 -6-
朝の通勤電車。
当然だが車内は人間で溢れかえっている。
昨日までの真理子は、この中にストーカーがいるかもしれないのだと不安に震えていた。
だがブログ主は雨山に間違いないなら、もう安心なのだ。真理子は視線を動かして電車内を見回す。
――でも、もしも職場での会話を盗聴されていたとしたら?
真理子の脳裏を嫌な考えが過る。
――考え過ぎだ。
そんなこと疑い出したらキリがない……。
真理子が事務所に着くと、いつも穏やかな主任が珍しく声を荒げていた。
主任の前には雨山が大きな体を縮こませて立っていた。真理子は事務所内の掃除をしながら二人に近づいて会話を盗み聞きした。
どうやら雨山の発注ミスで取引先に迷惑を掛けただけではなく謝罪の仕方にも問題があったらしい。
主任は、足早に課長席へと歩き、直ぐに先方へ謝罪に出向く旨を報告すると雨山を引き連れて出ていった。
真理子はショボくれた雨山の後姿を見送りながら、心の中で雨山を罵った。
――今夜の「Mariaの日記」が見物だわ。
また主任に怒られた鬱憤を晴らすようなこと書くんでしょうね。
あんなにも主任に迷惑を掛けているくせに悪く書くなんて、本当に雨山って最低なヤツ!
「Mariaの日記」の恐怖から逃れた真理子は、気分晴れやかに仕事をすることが出来た。
主任と雨山は昼前に戻ってきた。雨山はショボくれた様子のままであったが、真理子と目が合うと八つ当たりの様に睨みつけて来た。
その目を見た瞬間、真理子の中に別の恐怖が生まれた。
自分を激しく嫌う男が身近にいる恐怖。
増して、その相手は嫌いな相手に成り済ましてブログを書くような精神の持ち主。
昨日の昼休みに二人きりだったことを思い出して、真理子の背筋が寒くなる。
――雨山と二人きりになってはならない。
真理子の脳内で警告音が響いた。
「雨山! 顛末書は今日中に提出しろよ」
主任は強い口調で雨山に命令を下すと、足早に営業へと出掛けて行った。
真理子は事務所の壁に掛かる時計を見た。時刻は12時近い。
真理子の心臓が高鳴る。
今、事務所内に居るのは課長と雨山と真理子だけ。課長は外食派だから出掛けてしまうだろう。
雨山が外食でなければ、真理子と二人きりになってしまう。
――外食しようかな、でもお弁当作ってきたし……外食なんてお金も勿体無いし……。
真理子が鬱々と悩んでいるうちに時刻は12時を過ぎた。
――雨山が外食に行きますように……。
真理子は念じる様に祈ったが願い届かず、雨山は机の引き出しからカップラーメンを取り出して給湯室へと行った。
そして課長は、いつもの通りに外食へ行こうと席を立つ。
真理子は咄嗟に課長へ声を掛けた。
「か、課長! ……あの」
「ん? 何ですか、大路さん」
課長は軽い調子で返事をした。
それに対し、真理子は深刻な様子で課長へと近づいていく。
「あの……」
真理子は考えあぐねた。
咄嗟に呼びとめてしまったが、はたして理由を話してしまって良いのだろうかと。
「あの、今日は私も外食なんです」
結局、真理子は呼びとめた理由を言いそびれてしまう。
「そう。でも雨山がいるから鍵は掛けなくて大丈夫かな?」
課長は雨山に声を掛けた。
「雨山!昼休みに出掛けるようなら鍵かけてってくれ!」
課長に釣られ、真理子も雨山の方を見た。
雨山は真理子と目が合うとジロリと睨みつけてくる。
その目に真理子は脅え、決心をした。
――やっぱり課長に話そう。
真理子は、出掛けていく課長の後ろを追いかけて声を掛けた。
「課長!」
真理子に呼ばれて、課長は振り返る。
その表情は中年男性独特の優しげな笑い皺に包まれていて、真理子は安堵した。
「……あの、ちょっと相談事が」
真理子の深刻そうな様子に、課長は一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべたが、直ぐに優しく声を掛けて来た。
「そう。じゃあ一緒にランチしようか」
「はい、すみません……」
真理子は軽く会釈をしてから課長の隣を並んで歩いた。
課長は、若い女性である真理子に気を使ったのか、お洒落なオープンカフェを選んだ。
各席に施されたパラソルと簾が日陰を作ってくれていて、程良く注がれる自然光が健康的な店であった。
だが真理子の表情は、明るい日差しに反して薄暗い。
課長は気遣うようにランチメニュー表を真理子の前に挿し出した。
「大路さん……日替わりランチで良いかな?」
「あ、はい!」
真理子は深呼吸してからスマートフォンを取り出した。
「相談事は……あるブログについてなんです」
Mariaの日記 -6-