【連載】生涯青春ラケットとジェットの物語 Book 3

万田 竜人(まんだ りゅうじん) 作

301(もも) 吾輩は猫ではない

吾輩は猫ではない、ましてや、自分は犬だとも思っていない。
公園で、同系のミニチュアダックスフンドが親し気に近づいてきても嬉しくもない。

グランパにトリミングに連れて行ってもらって、トリミングが終わると茜(あかね)
お姉さんがカズさん(グランパの奥さん)にお迎え頼むの電話をかけると決まって
吾輩の・いや・私の耳の後ろに、しっかりとリボンを取り付ける。

茜お姉さんは、このリボン選びが楽しいらしくて、私のトリミングが仕上がった顔
を見ながら、これも、茜お姉さんが考えた秘訣らしく、次のトリミングまでリボン
が外れないように、リボンの台座を作って、リボンをしっかりと取りつける。

私は、この耳の後ろに付けたピンクのリボンなどを、前脚で引っ掻いたりせずに、
いつも付けたままにしているためか? 近所の小学校に入学したばかりの学童
がグランパに次のような質問をしてきたのだと云う。

「ももちゃんは、生まれてきた時から、耳にリボンが付いていたの?」

小学校に入学したばかりの子供の発想は微笑ましい。

そして、グランパは、茜お姉さんのトリミングが完了すると、大げさに迎えに来る。
「ももちゃんカッコいいね!」と、云って両手を広げて来るので、しょうがないから、
いかにも嬉しそうに、全身で喜び表現をして、グランパの胸に跳び移る。

茜お姉さんも「やった!」と、云う顔をして、私の顔を見てくるので、感謝の気持ち
を尻尾を振ることで意思表示してみせる。

そして、グランパがお気に入りのフィールダーと云う車に乗って自宅に戻ると・・・

「お帰り!」と云って、カズさんが、出迎えてくれて、
「お腹、空いたよね!」と云って、夕食にありつく・いや・夕食をいただく。

「夕食は、鶏のむね肉を電子レンジでチンとばかりにロースト風にして、食べやすく
刻んだものと、キャベツおよびドッグフードの三種盛り」になっている。

この三種盛りは、先代のシェリー先輩から続くもので、ダイエットを考えてグランパ
とカズさんが一緒になって工夫しながら考え出したらしい。私の時代になってからは
ドッグフードに粉末牛乳を振りかける工夫が加わったと云う(この経緯は後述)。

しかして、この「三種盛りドッグフード」の工夫には、物語風のエピソードがあって、
第一話における華の話題にすることにしよう。

私は、埼玉県入間市の「入間ケ丘」で暮らしているが、先代のシェリー先輩は入間市
久保稲荷で暮らしていた、自転車で10分くらいの距離だが住環境は少し異なる。

「なんでも、その事件は、隣接する小学校の秋の運動会の時に起こった」のだと云う。
「シェリー先輩は、日中は外で暮らして、夕刻にグランパが帰宅すると屋内に入って、
翌朝、グランパが出勤するまでは、室内犬として暮らしていた」のだと云う。

「その日、隣接する小学校の校庭では、運動会で、お馴染みの小旗が風に吹かれて
棚引き、シェリー先輩が庭の木陰で通りを見渡していると、校庭で騒ぎまわっている
子供たちに向かって、母親たちが道を急いでいるときに嫌な予感がした」のだと云う。

「やがて、運動会が始まり、シェリー先輩が苦手なピストル音が鳴りだし、これは危な
いと思ったのだと云う。なんとかして逃げだすことは出来ないかと考えて庭をぐるぐる
と巡回、グランパが閉めていった鉄柵の端に鼻先が突っ込める隙間を発見した」

「ここなら、鼻先でこじ開ければ、外に出ることが出来る」と判断したのだと云う。

「外に出ると、ひたすら遠くへと思い、グランパと散歩で時折出掛けた林を抜け、さらに
公園を抜け299バイパス道路を横断して、大型パチンコ店の駐車場まで逃げた」

「このバイパス道路は、飯能市と狭山市をつなぐ道路で車も頻繁に通るが、たまたま
道路が空いていて、すんなりと渡り切ることが出来た」のだと云う。

「そこから森林までは近く、ゴルフ場の森林に繋がる広い空間が果てしなく広がって
いるので、しばらくは、そこで昼寝をしたのだ」と云う。

「昼寝をした場所も、グランパと散歩したことがあるので不安感はなかった」と云う。

いいかげん、昼寝をして気持ちも落ち着いてきたので、さて帰ろうかと考えて、大型
パチンコ店の駐車場に戻り、299バイパス道路を横切って、家に戻ろうと考えたが、
どうにも車の流れが止まず、右往左往していると・・・

若いお兄さんが側に来て「危ないよ!」と声をかけてくれた。

「どっから来たのかな?」
と云いながら、お兄さんが車に乗せてくれた。

「グランパの車は4ドアだが、お兄さんの車は若者らしく2ドアだった」

しばらくして、入間市のアウトレットにつながる道に出て、お兄さんの勘が働いたら
しくて、林の中に人家がまばらにある地域に車を止めて・・・

「この辺りの住宅で飼われていた犬が迷って大型パチンコ店に来たもの」と判断して
「この森の中に放してやれば自分で自宅に帰るに違いない」と考えたらしいと云う。

「シェリー先輩にしてみれば、まったく、見当違いの場所なので、お兄さんの車から
降りる訳に行かない、車の中で踏ん張って、車から降りなかったのだと」云う。

お兄さんも、困り果てて、近くにあった自動車の修理工場に車を止めて・・・

修理工場の簡易事務所の窓口を覗くと、修理工場の奥さんが出てきたので、
「今、バイパス道路を渡ろうとしていた犬を助けたんですが、この辺で犬の飼い主を
探すには、どうしたらいいでしょうか?」と助けを求めたのだと云う。

すると・・・

「私の処で預かってもいいわよ」と云って、お兄さんの車の処まで、来てくれて、

「あら、綺麗にブラッシングされていて大事にされているワンちゃんじゃないかしら、
とりあえず警察に届け出て、うちで預かっておくわよ」と云われて、お兄さんは安心
してシェリー先輩を無理やり車から降ろして、奥さんに抱き渡したのだと云う。

「うちならば、夜は修理工場の中に放し飼いに出来るので、飼い主さんが見つかる
までに時間がかかっても大丈夫よ」と云われて安心して預けたのだと云う。


302(もも)  食卓に流れるセミ・クラシック

我が家のグランパは、一生涯学生作家として小説家を目指しているが、最近になって
「どうも、自分は、小説家と云うよりも、散文家のほうが向いているのではないか?」
と考えるようになってきた節が見受けられる。

その根拠は・・・

最近になって放送大学のテキスト「日本文学の名作を読む」島内裕子 放送大学教授
から「名作とは長く読み継がれるもの」と云う一文に納得、そして、

「夏目漱石は小説家、森鴎外は散文家、そして、鴎外は史伝と云う独自の世界を切り
拓いた」と云う大ぐくりの解説に納得した。

そして最近では・・・

平成30年(2018年)前期の授業において「枕草子(上巻)を読む」の申し込みをして
受講が認められ島内裕子教授の楽しくて・分かりやすい授業に期待しながらカズさん
の蔵書を借りて「枕草子」秦恒平著で予習を進めている。

その予習の過程で・・・

枕草紙が執筆されていた時代に、宮廷文化には「三つの流れ的なサロン形成」が散見
されると云う記事を見付け、グランパにとっては大いなるヒントを得たようである。
(順不同で列挙すれば)

◇一つ目は、大斎院(だいさいいん)と呼ばれた選子内親王による女文化の集団で
和歌の贈答を中心に、すぐれて優雅な文芸的雰囲気を特徴としたサロンであった。

◇二つ目は、一条天皇の中宮彰子が率い、父道長が精一杯惜しまず貢献を果たし
たと云われている、紫式部を中心とした「源氏物語」づくりで、後世にいたっても大い
なる評価を得たサロンである。

◇三つ目は、皇后定子に向けた以心伝心的な女文化の集団で、清少納言を文筆の
中心に据えて「枕草子」を世に残したサロンである。

そして、三つのサロンを通じて・・・

◇一つ目は、もちろん「韻文的」な表現であり

◇二つ目は、もちろん「小説的」な表現であり

◇三つ目は、もちろん「散文的」な表現と云える。

そしてかつて「徒然草」兼好著を島内裕子教授の授業を通じて学んだことがあるが、

◇徒然なるままに、自由なテーマ設定で、深く人生の在り方を見つめ、散文的であり
ながら全編を通して読むと壮大な小説的とも云える人生観が伝わってくる。この全編
の文章の流れを称して、島内教授は、モーツアルトの楽曲のようであると云う。

そして小説的な表現に憧れながらも散文的な表現から脱しきれないグランパとしては
「吾輩は猫である」夏目漱石著には、大いなる憧れがあり、猫の視点から小説を描く
と云う着想に置いて、出発点から、グランパには小説家としての資質に欠けるのでは
ないかと思い知ることとなり、しからば「吾輩は猫ではない」と云う視点から・・・

大いに、もがいてみることで、散文家と小説家の間を行ったり来たりのカオス(混沌)
の世界を棲家にして、ハーフ&ハーフな世界を楽しんでみたいのだと云う。

そして、もう一つの憧れは、村上春樹ワールドであり、特に「1Q84」の主人公が小見
出しごとに入れ替わる表現には読み始めた瞬間から引き込まれて、グランパもいつか
は一つの表現方法として真似してみたいと云う思いを持ちながら、あの三冊シリーズ
をグランパの蔵書に加えて、時々、読み返しているのだと云う。

そこで、本稿においても、吾輩は猫ではないの私「主人公」と脇役の「グランパ」で
交互に文筆して行く形態にチャレンジしてみたいのだと云う。

そのような訳で、書き出しの部分は、私からの視点で書き綴ったので・・・

本稿では、以降を、グランパの視点から、書き綴っていただくことにする。

それでは、グランパ、どうぞ!
(以降は掛け声は省略して以心伝心とまいりましょう)


303(グランパ)  保護された太めのコリー

たまたま、私が定時退場で早目に帰宅、いつもなら庭を駆けて玄関脇まで、お迎えに
出て来るシェリーが顔を見せないので不思議に思って鉄柵のフェンスを開けて南側に
回ってみたが姿がみえないので、念のため西側も確認・・・

「どうしたんだろう?」と思って、家の近所を歩き回ってみたのだが、家の周辺にも姿
は見当たらない。

「そういえば、シェリーが我が家に来て六か月目くらいの時に近所の北さんがシェリー
を抱きかかえて、我が家まで届けて下さったことがあった!」

あの時は、カズさんが、一番目に帰宅していて・・・

「シェリーちゃんを預かっていました」と、云って駐車場で車から降りてきたカズさんに
シェリーを抱き渡してくれたと云う。

驚いた様子のカズさんに、北さんから、詳しい状況の説明があったと云う・・・

この辺では、あまり見たことのない子供たちが、子犬を縄につないで、嫌がっている
のに、無理やり引っ張り廻わしているので、子犬の顔をみたら見慣れた子犬なので、
「それ佐久間さんのところの子犬よ?」と云うと黙っていて返事がなかったと云う。

「どこから連れてきたの!」と云うと、今度は、皆、一目散に逃げて行ったと云う。

そのような訳で、経過は良くは分からないが、我が家の誰かが帰宅するまで気に留め
ながら、シェリーを預かってくれていたのだと云う。

北さんとは、以前、同じ近郊のマンションの同じ号棟に住んでいて、この一戸建住宅街
にも一緒に引っ越してきたと云う間柄で、住宅の登記の際などは同じ車に同乗して大宮
まで一緒に手続きに行ったこともあり長い付き合いである。

そのようなことを思い出しながら、北さんのお宅の脇を通り抜け、一通り町内を一周して
みたが、シェリーらしき気配はなかった。

その時に、一瞬、脳内をよぎった思いは・・・

「野犬として扱われ、保健所に届けられて処分の対象にでもなっていたらたいへん!」
と急いで車を走らせて、近郊の保健所に向かったが、保健所の入り口は時間外扱いの
ため閉鎖となっていた。

すぐに、帰宅すると、カズさんが駐車場に車を入れているところだった。

「シェリーが居ないわね~」と聞かれて・・・

「私が帰った時に、既に、シェリーが居なかったこと」を説明した。

「二人で手分けして近所の道路づたいに探してみよう」と云うことになり、小走りに
探し回ったが、どこにも姿はなかった。

道路などを横切って自動車に、はねられたと云う可能性もあるので、道路わきの
茂みなどにも念のため目を走らせた。

かなり広範囲に探し回って、家に帰ると、さすがのカズさんも疲れ切って帰ってきた。
玄関に入ろうとした時、次女のヒトさんが帰ってきた。
ただならぬ様子に「どうしたの?」と聞いてきたので状況を出来るだけ詳しく伝えた。

「それだけ探していないと云うことは、自動車にはねられて、どこかの獣医さんの処
に預けられたか、最悪、片付けられてしまった」と云う可能性も考えられるわね。

「どうしようか?」と三人で顔を見合わせる。

「こう云う場合に、一筋の手がかりとしては警察などになんらかの連絡が届いている
可能性があるかもしれない」と云うことで意見が一致して、最寄り駅の交番を訪ねて
みることにした。

最寄り駅では月極めで、カズさんが駐車場を契約しているので、駐車場に車を止めて
三人で交番に向かったものの、あまりあてにはしていなかった。

「失礼します」と三人で交番に入って行くと、ディスクで執務をしていた警官が・・・

「何事ですか?」と云う顔つきで立ち上がって対応してくれた。

「我が家の飼い犬が行方不明でして」と云うことで、話を始めると・・・

「太ったコリー犬なら、狭山警察署の方で預かっていますが?」と云う説明があって、
詳しい状況の説明から、ほぼ、我が家のシェリーに違いないと判断した。

しかし、シェリーは、シェルティ犬でコリー犬には似ているが大きさはだいぶ違う。

シェリーは、近郊のダイクマ店のペットショップで購入・・・

「この時も、私(グランパ)とカズさん、そして次女のヒトさんの三人でダイクマに買い物
に出掛けて前から飼い犬願望があったため、三人でペットショップをのぞいてみたので
あった。ショップでは、いろいろな種類の子犬たちがショーケースの中で遊んでいた」

その中で、シェルティーの子犬と私の目が合った。
可愛いなと思って私がケースの中をのぞきこんでいると、店員の方が・・・

「抱っこして見ますか?」と声をかけてきたので、
「お願いします」と云うと、ショーケースの裏側に回って、シェルティー犬を抱きか
かえてきて、膝を折って床に腰を下ろしている私の前に降ろしてくれた。

すると、すぐに、私の側に来て差し出した手を盛んにしゃぶってくるので思わず
抱き上げると、今度は顔を舐めてくる。

店員の女性の説明によれば子犬は嬉しくて、手を舐めたり、顔を舐めてきてい
るのだと云う。

私は即座に決めた。そして、カズさんとヒトさんに向かって「いいよね!」という
ことで連れて帰ることに決めた。

その直後に、後ろから、声がかかった。
「その子犬は、売れてしまいましたか?」

店員が「はい」と答えると・・・

「私たちも、先程、その子犬が気に入って、その前に買い物を済ませようということ
になって、今、戻ったところなのですが、飼い主さんが決まってしまいましたか?」
と残念そうな様子であった。

シェルティも子犬のときは、小さいので、ケーキ箱のようなケースに入って我が家に
到着、早速(躾が出来るまでは)、糞と尿との闘いに奮闘(糞闘)することになる。

歯が伸びる時期には歯が痒いらしくて、新品と入れ替えて庭に出した古い応接用
のテーブルを丸ごと噛みつくした。

名前は、シェルティ犬なので、そのまま「シェリー」と名付けた。英国にはシェリーと
云う詩人もいるので、イギリス系の風貌の子犬には相応しいと考えた。

元気な子犬で、健康そのもの、食欲も旺盛で良く食べる。
カズさんも、子犬が喜んで良く食べるので、子犬に、ついついドッグフードの他にも
人間の食べるものを与え続けた。

定期健診を兼ねた予防注射の時に、獣医さんから・・・

「ドッグフード以外の物は与えないで下さい」と、常々、云われながら、与え続けた。
結果、シェルティ犬は規格外の大きさと成りコリー犬に近づいた。

その様な経緯を脳内で反芻しながら・・・

「たぶん、その太めのコリー犬は、我が家の飼い犬に違いありません」と答えた。

「そうですか、分かりました」と笑顔の警察官から応答があった。

「それでは、その犬は、現在、自動車の修理工場で預かっていただいておりますので、
明日にでも本人確認をしていただいて、間違いなければ、狭山警察署に出向き手続き
を取るようにして下さい」と云われ、自動車の修理工場の場所を教えていただき交番で
お礼を述べて、交番を後にした。

帰宅すると、全員がリビングに集まっていた。今日は金曜日・・・

「カズさんのアイデアで、金曜日は、CDカセットで、セミクラシックを聴きながら夕食を
摂ることにしている。今日は、夕食がだいぶ遅くなった」

「夕食では、家族六人から、いろいろな情報が飛び交うことになる」

「長女は、T自動車の販売店で近郊に通っている」
「次女は、都内の商社系事務」
「三女は、H自動車の事業所で総務系の事務」

「末の長男は、都内の高校に通っており、下校後に同じ都内の予備校に通っている」
(後に、頑張り効果として、都内のM大学に合格)

「カズさんは、都内の商社系管理職」

「そして、私は、航空エンジンの事業所で管理工学の専門職として勤務」
(守備範囲の二か所の事業所からは、車で、一時間以内に帰宅できるため、なにか
あれば、あてにされることが多い)

「その後、四人の子供たちは、伴侶を得て、それぞれに結婚式を機会に、我が家から
巣立っていったが、カズさんのアイデアを踏襲して、セミクラシックを聴きながらの夕食
を家族で楽しんでいるか?」聞いたことはない。

その日は、当然、シェリーが行方不明になった話題が中心となり・・・

「はたして、太めのコリー犬は、ほんとうに、シェリーだろうか?」
と云うところで話の核心はそこに突き当たった。

しばらくの沈黙の後で「今から、その修理工場に行って、真相が分かるかどうかは分か
らないが行ってみた方が良いのでは?」と云う結論に達した。

しかし、六人も居ると風呂の順番もあり、末っ子の長男は、いつも夜中に風呂に入るの
で番外として、ヒトさんとカズさんと私の三人で、現地を確認することにして、留守役の
二人(長女と三女)には、先に風呂に入ってもらうことにした。




304(もも) 大型シャッターの向う側

自動車のナビは便利すぎると云って、グランパが驚いていたと、カズさんから聞いた。

グランパが、太めのコリー犬を預かっていると云う修理工場の住所をナビに登録して、
車を走らせると、約15分で、該当の場所に着いたのだと云う。

最近は、必要以上に個人情報に神経質になり過ぎていると云っていたグランパもこの
便利さを体験して、個人情報には「神経質になるくらいがちょうど良い」のだと、考えを
改めたと云う(今や、個人情報を取り囲む環境が便利になり過ぎているのだ)。

車から降りた三人が、修理工場の前に立つと、辺りは薄暗く、人の気配はなかった。
「この場所に間違いない!」と確信したグランパが、先頭に立って、修理工場の建物
の前に立つと、突然、非常ベルが鳴りだした。

しかし、シェリーであることを確認したいグランパにとって、非常ベルへの恐怖心は
なく「どうしたら確認することが出来るのか?」そのことに気持ちが走ったと云う。

非常ベルは、ずいぶん長い時間にわたって鳴り響いていた印象があるが誰も来る気配
はなく、やがて鳴り止んだと云う(内心では誰かが来てくれることを望んでいた)。

建物の前側からでは、内部の状況は確認のしようもなく、呆然としていると、今度は暗闇
の中で建物の周囲から犬たちがいっせいに吠え出した。犬たちが吠える声から想像して、
建物の周囲には、3匹くらいの犬たちが繋がれているようである。

一瞬、静かになったので・・・

「これじゃ確認のしようがないから帰ろうか?」
「そうね、明日、あらためて、こちらにお伺いするよりないわね!」
「私は、明日は用事があるので、グランパとカズさんにお願いするわ!」

などという会話を交わして帰ろうとすると、

目の前の大きなシャッターを内側からカリカリと引っ掻くような音が聞こえるので、

「シェリーなの?」
「シェリー?」
「シェリー!」ね、

と声をかけながら、大型シャッターの前に三人でしゃがみ込むと、シャッターの向う
側に、犬の気配を感じ取ることが出来たのだと云う。

「これは、シェリーに、間違いない」と三人で顔を見合わせた。

それからの時間は、シェリーが安心出来るように、いろいろなことを、三人で代わる
代わるに話しかけていった。そして、シェリーが安心した気配を感じ取り・・・

「明日、迎えに来るからね!」
「おやすみ、またね!」
「大丈夫だよ!」

などと、声をかけて帰って来たのだと云う。

グランパにとってはシャッター越しに、シェリーの微妙な息遣いを感じ取るに際して、
新入社員時代の感覚が呼び覚まされシェリーであることに確信を持ったのだと云う。

・・・・・・・・・・・・

グランパが、新入社員として働き始めたときには、東京都内の永福町の寮にねぐらを
構え、寮母さんの作る食事をかっこんで、朝夕を忙しく過ごしていた。

当時の新入社員教育は、大事な業務の一環として、約三か月間と云う長期間にわたり
徹底した社員教育が行われたと云う。
(それは、即戦力というよりも、中長期的な人材の育成を目指すものであった)。

当時の土光社長の意を汲んだ人事部長の講話は、まさに、中長期の指針から来るもの
であり、新入社員にとっては、職場配属後、自由闊達に活躍できるパラダイムが自ず
と形成されるように、熟慮された教育プログラムを伴うものであった。

当時の人事部長の講話は、次のような内容で始まったと云う・・・

「皆さんが、職場に配属になると必ず『〇〇長』といって、肩書に、長が付く人が存在
します。世間一般では長が付く人は偉い人と云う印象がありますが、当社では、この
長が付く人は、該当の部署をまとめる責任がある人という位置付けであり、けっして
偉い人とは思い込まず、新人として気付いたことは、ドンドン意見具申して下さい」

この講話を新入社員として脳内にすりこまれ、真に受けて定年まで、そのままに貫徹
したグランパにとっては、企業人として成功であったのか否か、本人をしていまだに
定かではないようであるが、中途半端にNHKの大河ドラマなどを世間の常識として、
また手本にして上司の考えだけに盲従しなかった点では、グランパが、定年まで走り
抜けた感覚では良かったと考えているようである。

ただし、出世が一番と、考えている人には、この人事部長の勧めは、建前として聞い
ておいたほうが安全であるとグランパは云う。

また、新入社員教育としての対象範囲も配属部署が既に航空エンジン分野に決って
いたものの、全社すべての事業部門や製品などに接触する機会が設けられた。

今にして思えば、全社的な活動において、製品群における事業部間や職位における
上下間において壁を作らず、風通しの良い社風を、新入社員約500名に浸透させて
行きたいと云う明確なポリシーの下で、人事部長の言葉は発せられたようである。


しかし、これは人間世界の話であって「吾輩は猫ではない」私たちの世界では・・・

◇飼い主の云うことは絶対であり、その習性は、DNAにすりこまれている。
◇飼い主である家長は、家族をまとめるために存在するのであって、決して、偉くは
ないなどと云う考えはけっして持っていない。

しかし、身近なところで、例外はある・・・

◇猫族においては、必ずしも飼い主の云う通りにはならない傾向があるようである。

◇また、先日は、グランパがビデオでギャング映画を観ていたので、昼寝をしながら
側で聴いていたのだが・・・

ギャング組織の一員が組織の指示を無視した行動に出たために、制裁を受けて革靴
で顔を踏みつけられて、「飼い犬なら云われたとおりにしろ」と、リンチを受ける場面が
あったが人間世界でも犬族よりも酷い扱いをうけることがあることを知った。

◇そして「飼い犬に手を噛まれた」の類の話は、人間を犬の習性に例えての話である。

そのようなことを考えて、当時の人事部長の講話を自分なりに振り返ってみると社会人
としての一歩を踏み出す時に、人事部長を経て身に付けることが出来た土光イズムは
「人生航路における羅針盤としての位置付けを決定づけたもの」と云えるかも知れない
のだと云う。

最近における至近な例をみても・・・

◇日大のアメフトにおける暴力事件においては、例え、監督やコーチと云う集団的には
長の付く立場の先輩からの暗示であってもそれが不適切なものであるなら遠慮なく、

「上司に対して自分の考えを伝えよ」と云うことであり、土光イズムとは真逆の事が
現代社会において起きていることは、それが、日本を代表するところの教育現場で
起きていることだけに・・・

新入社員の時代に、土光イズムに触れる機会を持つことが出来たグランパにとって
の貴重な体験は得難いものであったと云う。

◇日大の暴力行為に及んでしまったアメフト選手の場合も、日大のアメフトチームの
一員としては、監督やコーチの暗示によって、暴力に及んでしまったが・・・

選手自身のそれまでの経験において正しくない行為に及んだ自分自身に気付いた
背景には、それまでの教育過程において「それが正しくない行為であること」を気付
かせる素地の積み重ねがあり・・・

結果として「自己の行為を、自ら正す」と云う考え方で、記者会見に臨んだ姿勢には、
遅ればせながらも評価に値するものがある、と、グランパは云う。

◇そして、この日大の青年の記者会見における自らの意思表示の行動は、是枝監督
による映画「万引き家族」における自我に目覚めた少年の行動につながるものがある
とグランパは云う。

万引き家族の一員として暮らしていた少年が、自ら、自我に目覚め、その葛藤の中で
行動を起こす。それは、正しくないことから脱出するための行動であり、少年の行動を
きっかけとして、社会の仕組みが少年を救い出して行く。

しかし、その描写は正義感に溢れたものではなく、少年が未来に向けて、自分の手で
確実に正しいと思われる道筋に光明を見出したところで、万引き家族の長には、自分
の意思で、警察に捕まったことをさりげなく伝えている、と、グランパは云う。

この映画評として「万引きと云う犯罪を助長する恐れがあるのではないか?」と、云う
見方や意見もあるが、一方で、少年が自我に目覚め、正しい生き方を求めて、自らの
正しくない行動を自らの意思で露見させたときには、世の中には、少年を正しい方向
に向けて、救いだす仕組みが作動開始することを示していると云う。

ただし、これも、ギラギラとした正義感を前面に打ち出したものではなく、映画鑑賞後
に脳内で映画のシーンを反芻することで、考えが、そこに到ると云う仕掛けが施して
あるので、この映画の深みは、そこにあるのかも知れないとグランパは云う。

そして、この作品の深みは、認知心理学の「対象性の認知」における図と地の分化に
通じるところがあると考えて、あの有名な「ルビンの盃」と「嫁と姑」の図柄をあらため
て見直してみたが、感覚的には、近いものがあるかもしれないと云う。

最近の映画やテレビの監督は、視聴者の眼目に問い掛けて来るような、チャレンジ
を仕掛けてくることがあり、この「万引き家族」に次いで、最近のテレビドラマにおい
ては「モンテ・クリスト伯 華麗なる復讐」のラストシーンで「主人公の生還」がビデオ
による再確認によって、辛うじて汲み取れたと云う経験をしたと云う。


新入社員教育の話が、時空を越えて、現代社会にまで飛び込んでしまったが・・・

新入社員教育が終わって、三か月後に航空エンジン事業部門に配属になったグランパ
は、ちょうど区切りも良いことから、群馬の実家に帰省することにしたのだと云う。

帰省すると、実家では、新人が家族に加わって出迎えてくれた。

それは、シェパード犬のジョン君であった・・・

グランパの入寮が決まっていた都内の永福町までは、父親が車で送ってくれたと云う。
それは、日常生活に必要な衣類などを竹細工の行李に詰め込んで蒲団類と一緒に
自動車に積み込んでの上京であった(父親とも三か月ぶりの再会)。

グランパの学生時代は、両親とグランパ・妹・弟の五人暮らしに猫が一匹居たと云う。
弟はグランパよりも七歳年下で、グランパが上京するときに、弟はグランパから自転
車乗りを教えてもらったばかりで、二人で毎日のように自転車乗りを楽しんでいたこ
ともあって、母親の目から見ても、弟の寂しさは、ひとしおのようであったと云う。

そのような折に、ご近所でシェパードの赤ちゃんが誕生、母親とは仲良し家族と云う
こともあって、井戸端会議の席上で、「シェパードの赤ちゃんを育ててみない?」と
云うことになり、寂しさいっぱいだった弟を連れて、シェパードの赤ちゃんの見学に
行ったのだと云う。

結果、一も二もなく、その足でシェパードの赤ちゃんを連れて帰ったのだと云う。

帰省したグランパにも、シェパード犬は良くなついて、帰省の度に、グランパは散歩
役をかってでた。グランパも二か月に一回は帰省をするようにしていたので、子犬も
良くなついてグランパの帰省を楽しみにしていたようであったと云う。

シェパードは家族から「ジョン」と命名され、良く食べて、良く育った。当時は、当然の
ように犬は家の外で飼われていたので、グランパが週末の仕事を終えて帰省すると
夜遅くのタイミングであったため、ジョンは暗闇の中でグランパを迎えた。

グランパの勤務先は、新入社員の三か月間は都内の豊洲地区であったが、職場配属先
は武蔵野の事業所であったため、新入社員教育が修了した三か月後は、金曜日の仕事
が終わると、東京駅まで出て高速バスで群馬の実家まで帰省する方法を取っていた。

週末の夜中に帰宅すると玄関で帰宅を知らせる前に、ジョンの犬小屋に直行して再開
を喜び合い、翌日は、農村地区の畑一面の場所まで散歩に連れて行き、首輪から紐を
外して畦道を全力疾走させるのだが、だんだん走り方が逞しくなっていったと云う。

グランパがいつも面白い表現をする。

◇最初に接した「ジョン(シェパード犬)」は、成犬になってから、他所の犬などが
グランパに近づいたときに、グランパの前面に出てガード(守る)する姿勢をとった
と云う。

◇二番目に接することになった、埼玉の初代の飼い犬「シェリー(シェルティ犬)」
は他所の犬が近づいてくると、グランパの後ろに廻り込むようにしていたと云う。

◇三番目に接することになった、「吾輩:もも(ミニチュアダックスフンド犬)」は
と云えば、他所の犬がグランパに近づいてくると、自分よりも、大きな犬であっても
吠えて威嚇して、撃退するので、グランパとしては驚いているようである。

しかし、どのワンちゃんも、グランパに対しての甘え方は同じで、特に外からの帰宅
時の甘えぶりは、お腹を見せての不用心ぶりで共通していると云う。

また、グランパとの再会の場面での息遣いも、共通しており・・・

グランパとカズさんとヒトさんが、修理工場の大型シャッターを挟んで、ご対面した時
の息遣いは「シェリー」が家族だけにみせる独特のものであったと云う。



305(グランパ)  迷い犬は落し物扱い

土曜日の朝はみんな早起きだった。

今日こそは、シェリーに会えると云う期待感から自然に、皆、早目に目が覚めたと云う。
朝食を済ませてすぐにでも、修理工場に車で出掛けられる準備は、出来ていたものの
手土産が必要と云うことになり、近所の和菓子店が開く十時頃まで待つことにした。

自動車の修理工場に着くと昨日は暗がりのため気が付かなかったが修理工場の手前
に簡易事務所があり、受付窓口の奥を覗くと、我が家のシェリーが事務所の女性から
ジャーキーをもらって食べていた。

私(グランパ)としては、シェリーの姿を確認出来たものの、複雑な心境であった。

我が家では、かかりつけの獣医さんのアドバイスもあって、ジャーキーは与えない様に
していたのである。シェリーが、一時、皮膚病にかかったことがあり、獣医さんの診断の
結果、原因として、シェリーの大好物であったジャーキーが特定され、以来、皮膚病は
完治、それからというものは、ジャーキーを与えていなかった。

獣医さんの説明によれば、ジャーキーがすべて駄目という訳ではないが、ジャーキー
は種類も多く、品質も多様で、中にはお薦めでないものも散見される。この品質判定
を一般家庭で行うことは難しく、シェリーが皮膚病にかかったことを考えると与えない
ことも安全策の一つであると云うことになった。

シェリーを救ってくれた恩人に向かって「ジャーキーは与えないで下さい」など、と
大人げないことも云えないので・・・

「この度は、お世話になりました、飼い主の佐久間です」と挨拶すると・・・

「修理工場の〇〇です。主人共々、犬好きですので、良く手入れされたワンちゃんを
見て、二人で、すぐに飼い主の方から連絡があると思っていました」と、笑顔で、奥様
からの挨拶が返ってきた。

「私たちは、これから狭山警察署に出向いて飼い犬引き取りの手続きを済ませて再度
お伺いします」と挨拶して、お礼かたがた手土産をお渡しして警察署に向かった。

狭山警察署に出向くと、落しもの係の窓口に案内されて、事情を説明・・・

「それでは、この書類にサインしていただいて、ワンちゃんの食事代を一緒に納めてい
ただければ手続きは完了ですので、後は、修理工場の現地でワンちゃんを受け取って
いただいてすべて完了となります。修理工場には、こちらから連絡しておきます」

と、いうことで、シェリーは、土曜日の昼頃に、無事に我が家に帰還となった。

夕食時に、全員が揃って、シェリーを出迎え・・・

「確かに、シェルティ犬としては、大き過ぎるわね~」
「それに、太めなことも、確か!」
と云うことになり、減量作戦が、開始されることになる。

担当は、私(グランパ)とカズさん、ということになり・・・

「ただの減量では、空腹感があって、駄目!」
「とりあえず、食事外の間食は取りやめ!」

それではと云うことで・・・

「食事の量は減らさずに、主食はドッグフードで、嗜好の楽しみには鳥の胸肉を
電子レンジでチンしてローストチキン風にして細かく刻んだものにする、量感を
保つためには、キャベツを刻んで電子レンジで蒸したものを加える」

(ただし、ワンちゃんは、どんなにたくさん食べても満腹感はないのだと云う)

このような経過を経て後輩の「もも」にもつながるシェリーフーズが完成した。




306(もも) シェリー先輩のリスク・マネージメント

シェリー先輩が帰還した翌日(日曜日)の朝食時は、皆が代わる代わるシェリー先輩
に声をかけてくるので、シェリー先輩は、その都度、尻尾を振ったり、仰向けになって
喜んだりと、感謝の気持ちを表現するのに、忙しかったと云う。

それは、具体的に、こんな具合だったと云う・・・

「シェリーちゃん、おはよう、朝ご飯を用意するね!」
「おはよう、たいへんだったね、もう落ち着いたかな?」
「シェリーおはよう、心配したよ、見つけてもらってよかったね!」
「おはよう、久しぶりという感じね!」
「あの時は、心配したよ、おはよう、もう大丈夫!」
「おはよう、思ったより元気でよかった・よかった!」


(それから半年後の日曜日)


食卓に、全員(6名)が揃って、朝食が始まると・・・

どういう訳か?

話題は「消火器の粉末拡散」事件に発展したのだと云う。
あの時は「リビングに、シェリーが居なくてよかったわね~」と次女が口火を切る。

あの時の第一発見者は、グランパだそうで、当時の実況報告が始まる・・・

グランパが「おはよう!」といって、居室(兼)寝室からリビングに顔を出すと、辺りは
白い粉が部屋中に舞っており、台所に目を移すと先に起きて台所に立っている筈の
カズさんが消火器を手に立ち尽くしていたが、落ち着いた表情ではあったと云う。

「どうしたの?」と聞くと・・・

消火器の位置を変えようと思って、消火器の取っ手を持ちあげたら、突然、白い粉末
が飛び出してきたので、咄嗟に方向を変えて台所からリビングに向けて粉末を吹き出
させたのだと云う。

リビングの南側の奧には、シェリーの小部屋があって、水を飲んだり、排尿をしたり
する開放エリアが設えてあるので、シェリーが居たらまともに粉末を被っていたこと
になる(昨夜は幸いにもグランパの部屋で一緒に寝ていたのだと云う)。

みんなが次々に起きて来て、全員がビックリであったが、幸いにも実害はなく手分け
して台所とリビングの粉末を掃除機で吸い取り、雑巾で拭き取って、少し遅い朝食と
なった(全員が揃っていたので、思ったよりも早く片付いた)のだと云う。

・・・・・・・・

今日は、全員がお休みとあって、食後は、それぞれの部屋の掃除を含めて家中の
大掃除である。

子供たちは、それぞれに個室を確保出来ているので、7LDK全体の大掃除と云う
ことになる。子供たちの部屋の確保のためのリフォームは、大規模なものとなり、
グランパの安月給で建屋の収容面積を倍増させたと云う。

当然の事として、一階の共有部分は、グランパとカズさんに、掃除の分担が回ってくる
ので、二人共に休日の朝は大忙しである。その日も一階の共有部分の掃除のために
シェリーは庭先に出すことにしたのだという。

一階の掃除も半ばに差し掛かった頃、庭にいたシェリーが、突然のように吠え出した。
南側の硝子戸を開けて、庭先を覗くと、西側に位置する隣家に向かって、猛然と吠え
ついている(それも異常な吠え方である)。

「この吠え方だとまずいな!」
「ご近所にも迷惑なことになる!」
「しかも日曜日であり、吠え付かれている隣家から、苦情が来るかもしれない」
と異常な吠え方にグランパは危機感を抱いたのだと云う。

即、行動が企業人として身についているグランパは、西側の隣家に、先ずはお詫び
に行くことにしたのだと云う。該当のお宅は、位置的に隣家とは云え自治会も異なり
通常のお付き合いがないだけに、対応は、早いほうが良いと判断したのだと云う。

隣家に行くには近道はなく、大通りをかなり遠回りして行くことになる。隣家が建つ時
には、建前のときなど、威勢の良い若い衆が高いところで声を掛け合っていたことが、
グランパには、昨日のことのように思い出されたのだと云う。

隣家は土地の造成のときに地面をかなりかさ上げして建てているので、こちらからは
見上げるような位置関係にある。

それというのも西側の空き地を分譲地として売り出したときには百坪の区画として売り
出したものの、なかなか買い手が付かず、東西に、二分割して売り出したために隣家は
土地をかさ上げしないと日当たりが確保出来ないためと云う事情があったのだと云う。

グランパが、反対側に廻って入り口に着くと、路地の入口には「瀧澤」と云う表札が目に
入ったのだと云う。グランパは路地を歩きながらお詫びの口上を頭の中で整理しながら
「瀧澤さん、申し訳ありません・・・」と繰り返しながら、すぐに建屋の前に到着、そこには、
愕然とする光景が展開されていた・・・

隣家の奥さんがバケツから柄杓で水をすくって、グランパの庭先に向けて投げ込んで
いるのであった。しかも、バケツの脇には「枯葉剤」と印刷された薬剤が並べてあって
なんとも異様な光景を目撃したのだと云う。

グランパが、後ろから奥さんに向けて「こんにちは!」と声をかけると、驚いた様子で
飛びのいたのだと云う。

しばし、両者で沈黙が続く・・・

突然、奧さんが逆切れをして、「また・・・市役所に・・・通報しますか!」と、
グランパは「また・・・」とは、どういう意味ですか? と尋ねると、

「あなた、私たちが、この土地を買って、家を建てるまでの間、期間がかかり過ぎたこと
もあって雑草がぼうぼうに生えて雑草の種子が飛んでくるからと市役所に電話をかけて、
私たちに草取りをやらせたでしょ!」と云われたのだという。

「私は市役所に電話などかけていません。それに雑草の事など気にしている暇もない
くらい忙しく、日々、過ごしていますので」と返事をしたのだと云う。

「じゃ、誰かしらね?」

「隣に住む住人です!」と市役所には、名乗ったと聞いているわよ、と、高飛車な態度
を崩す気配はなかったと云う。

グランパも、謝罪に行って遭遇した異常事態なので、適切な言葉がみつからず、

「兎に角、二度と、うちの犬に、枯葉剤など、かけないで下さい」
と云って、帰りかけると・・・

「雑草の事など、うちに、直接・話してもらいたかった!」
と疑念を解いていない様子であったと云う。

話が、まったく噛み合わない。
(先方は、長年の怨念のようなものを、抱えている様子であったと云う)

グランパが家に帰って、みんなに状況を伝えると・・・

全員が驚愕した。そして、カズさんが何年か前のことを思い出した。

「そういえば、お隣との境界に植えていた植木だけがいっせいに枯れてしまった事が
あったわね。あれは、何年前だったかしら。あの頃からシェリー目がけて枯葉剤入り
の水で攻撃していたと云うこと?」という話になり、全員が騒然としたと云う。

そこで、みんなで庭先に出て、南側の隣家との位置関係をあらためて確認・・・

西側の隣家の土地とは、グランパ側が半分ほど接しており、残り半分は、グランパの
南側のお宅が接している。南側のお宅は、ご主人がグランパとはテニス仲間で性格
は温厚、同じマンションから、同じ時期に引っ越してきた間柄である。

ここで、グランパは「黒竹」事件のことを思い出したのだと云う・・・

あれは、カズさんの実家から珍しい黒竹を戴いて、南側の庭先に植えた。

結果・・・

黒竹の根が躑躅の根の下に入り込んで、先ず、躑躅が咲かなくなり、次いで、南側の
隣家に入り込んで行き、隣家の玄関先の庭に黒竹が、その姿を現した。

これについては、隣家の奥さんから事情が伝えられて、お詫びかたがた、隣家の庭を
掘り起こしさせていただき、ついでに、グランパが自分の庭先の黒竹の根っこを辿る
とグランパとカズさんの居室の下まで黒竹の根が入り込んでいることに気付いた。

さらに、黒竹の根っこを詳しく辿ると、居室中央部まで伸びた根っこは深くグランパの
手には負えないと判断して、友人の水道業者の方に畳を上げて縁の下に潜っていた
だいて除去していただいたという経緯があったのだと云う。

そのことを思い出して、西側の隣家の雑草の件は、南側の奥さんが市役所を経由して
該当のお宅に処置をお願いしたに違いないと気付いたのだと云う。

それは、庭の花の手入れが好きな隣の奧さんにとっては、当然のことであり、当然の
市役所への通報を思い至ったにちがいないと、グランパは推測したのだと云う。

しかし、西側の奥さんにしてみれば、グランパが市役所へ通報したものと思い込んで
長年の恨みを抱えている上に、犬までが吠えて来るとなれば・・・

癪に触って攻撃を加える。犬は一度攻撃してきた人間には吠えまくる習性があるので
あのように懸命に吠えまくったものと断定したのだと云う。
(しかも、話し合う余地などまったくないほどに、逆切れしている状態である)


ということで、グランパとしては、これ以上の深追いは無用と考えて、シェリーの
日中の居場所を北側の庭に移動させて危険な枯葉剤から遠ざけたのだと云う。

その後、ワクチン注射の時期となり、かかりつけの獣医さんに、それまでの経緯を
お話しすると「その奥さんが取った行動は犯罪行為ですよ!」といってシェリーに
大いに同情して、シェリーに声をかけてくれたと云う。

・・・・・・・・・

最近になってグランパは「徒然草」と「枕草紙」の比較研究を始めてみたのだと云う。

・・・・・・・・・

「グランパが、シェリー先輩や私(吾輩の名前はもも)との生活を始めてみて思うことは、
人間を主体にした住居論のみでなく、犬や猫といったペットたちと人間の共生が本格化
してきた、今、ペットとの共生を前提とした住居論が必要ではないか?」

というのである。

そこで、次に続く稿では、今から千年前の犬や猫の暮らしを「枕草子」を思索の窓にして
時空を超えた知的な探検に出掛けてみたいのだと云う。



307(グランパ)  千年前の犬猫の暮らし

飼い犬との暮らしを振り返ったときに・・・

◇私が最初に接した実家(群馬)のシェパード犬 ジョン は屋外での生活

◇我が家における先代のシェルティ犬 シェリー は日中は屋外での生活
皆が勤め先から帰って来ると、屋内に迎え入れられて、室内での暮らし
(したがって休日は主に室内での生活)

◇ももの場合は、私(グランパ)の定年に伴い、ほとんどが室内での生活

それでは、千年も昔の先輩たち(犬猫)の暮らしぶりは、どのようなもので
あったろうか?

(そして、千年前の犬猫たちの居住環境は、どのようなものであったろうか?)

私が、放送大学の授業で「枕草紙(上巻)清少納言」島内裕子教授校訂・訳の
テキストを購入、徒然草(兼好)と照らし合わせながらの画期的な授業に参加、
その学習過程で、千年前の犬猫たちの生活のひとこまを見付けてきた。

島内裕子教授の訳文には、次のような記事が掲載されていた。


【枕草子(第七段)】 放送大学 島内裕子教授 訳より 抜粋

中宮定子様の背の君でいらっしゃる一条天皇様に、とても可愛らしい猫がいた。

この猫は生まれた時に、天皇様のお母様の東三条女院(詮子)様や左大臣(道長)様
から産養(うぶやしない)をしてもらった。

そのうえ、五位の官位を賜って、「命婦の貴婦人」と名付けられ、養育係には、乳母
も任命されるなど、たいそうなご寵愛ぶりだった。

この猫が、身分の高い女性にふさわしくなく、庭近くの部屋の端まで出てきているの
を、猫の飼育係(乳母)である馬の命婦が見つけて、「まあ、何て、お行儀が悪い」
「部屋の中にお入りなさいませ」と呼んでも聞かずに、陽射しを浴びながらうとうと
居眠りをしていたのを、脅かそうとして・・・

「翁丸(おきなまろ)や、ここえお出で、命婦の貴婦人に、食いつきなさい」と言った。

本当の命令かと思って、この愚かな老犬の翁丸が、猫に走り懸かったので、猫は
脅え惑って、天皇様の御簾(みす)の中に逃げ込んだ。

天皇様は、その時、ご朝食を召し上がる「朝餉の間」におられ、犬が猫を追い回した
騒ぎを御覧になって、たいそう驚かれた。

猫を天皇様が懐にお入れになって、男たちを召すと、蔵人の源忠隆が参上したので、
天皇様が、「この翁丸を打ち懲らしめて犬島に流しなさい。今すぐに」
と、仰せられたので大勢が集まってきて皆で騒いでいる。

馬の命婦のことも、ひどくお怒りになって、

「飼育係をすぐに取り替えよう。こんなことでは、猫の今後が不安だ」
と仰せになるので、馬の命婦は畏まって里で籠居し天皇様の前にも出てこられない。

犬はすぐに見つけ出されて、瀧口の武士などに捕縛させて、宮中から追放して、遠く
へ追い払われた。

「ああ、可哀想だったですね。翁丸は、たいそう得意げに、体を揺すりながら歩いていた
ものなのに、三月三日には、頭の弁の藤原行成様が、柳の枝で作った鬘を頭に被せて、
桃の花をそこに挿して飾りの花として、刀のように桜の木を腰に挿して翁丸を歩かせな
さったものを」

「その時は、よもやこんな憂き目に遭うとは、思いもかけなかっただろうに」と可哀想がる。

「天皇様が、お食事をなさる時は、必ず、翁丸がすぐ近くの庭に、天皇様と向かい合うよう
にして座り、お下がりを待っていたものなのに、今は、寂しくなってしまった」
などと皆が言っているうちに、三、四日が経った。

昼頃になって、犬のひどく鳴く声がするので、
「どこの犬が、こんなにも、長く鳴くのでしょう」と私が聞くと、宮中にいるすべての犬が、
走り騒いで、鳴いている犬の周りで悲しんでいる。

宮中のお掃除をする女官である御厠人が、わたしのところに走ってやって来て、
「ああ、大変です。可哀想に、蔵人が二人がかりで、犬をひどく打っておられます。
犬は死んでしまうでしょう」。

「天皇様が流罪になさった犬が戻って来たというので懲らしめなさっているのです」
と言う。なんて可哀想なことだろう。あの悲鳴は、翁丸のものだったのだ。

「忠隆様と藤原実房様が、犬を打擲しています」と言うので、止めるように言い入れ
たところ、ようやく犬も鳴き止んだ。

「死んでしまったので門の外に引きずっていって捨てました」と言うので、可哀想に、
などと、皆で言い合っていたところ、その日の夕方、ひどく腫れ上がった体で見るも
無残な犬が、苦しそうに震えながら歩いているので、

「おお、翁丸かい。可哀想に。これほど、痛めつけられた犬を、最近見たことがあり
ますか、皆さん」などと、口々に言う。

皆が「翁丸だ」、「いや、違う」などと、決めかねているので、中宮様が、

「天皇様の身の周りのお世話をしている右近の内侍ならば翁丸のことをよく知って
いるでしょうから、ここに呼びなさい」とおっしゃる。

「急ぎのことだから、すぐに」と召したところ、局に下がっていた右近がやってきた。

中宮様が「この犬は翁丸か」と、検分させると、「翁丸に、似てはいますけれども、
これは、ひどくみすぼらしい犬のようです。また普段なら「翁丸」と呼べば、喜んで
直ぐに近寄ってきますが、この犬は呼んでも、寄ってきません。ですから翁丸では
ないでしょう。

「翁丸は、既に打ち殺して、捨てました」と、蔵人が申しました。蔵人が二人がかりで
殴ったのならば、生きているはずはありませんと、右近が申し上げるので、中宮様は
とても可哀想だとお思いになる。

暗くなって、この犬に食べ物などを与えたけれども食べようとしない。その様子を見て、
皆は、やはりこの犬は翁丸ではなかったと結論して、この件は沙汰止みになった。

翌朝、中宮様が御髪を梳き、お手水も終え、鏡を御覧になっていた。わたしは、その鏡
を持つ役として、中宮様のお側に控えていたのだが、あの犬が、柱の近くに座っている
のが見えた。

わたしが思わず「ああ、可哀想に。昨日はお前も可哀想だったね。そう言えば、前にも
翁丸という犬がいて、ひどく打たれちゃったのよ。翁丸が、死んでしまったのは、とても
悲しい。あの犬は、今頃は生まれ変わって、いったい何になっているのだろう」

「どんなにか、辛い気持ちがしただろう」と、独り言のように言うと、この寝ていた犬が、
ぶるぶる体を震わせて、涙をひどく流し続けて、止まらない。

「まあ、何ということだろう。それでは、お前は、あの翁丸なのだね」

「昨夜は、正体を隠し通そうとしていたんだね」と、哀れに思い、また感動もした。

わたしが持っていた中宮様の鏡も下に置いて、「やはり翁丸なのね」と、言うと、ひれ
伏して、たいそう泣く。

中宮様も思わずにっこりなさる。人々が中宮様のところに集まってきて、右近の内侍
を召して、事の経緯を、中宮様からじきじきにお話しなさると、皆が、ほっとして明るい
笑い声が上がる。

それをお聞きになって、天皇様もこちらにおいで遊ばす。
「浅ましい犬などにも、わたしたち人間と同じような心や感情が、あるものだね」
と、微笑まれた。

天皇様付きの女房たちも、この様子を聞きに集まってきた。

今度は、誰が「翁丸」と呼んでも、呼んだ人の方に寄って行く。まだ顔などは腫れ
たままのようだが、わたしが「薬を調合して、傷口に塗ってあげましょうよ」などと
申し上げると、中宮様が、

「この犬が翁丸であることを見破って、明らかにしたのは、あなたでしたね」
と、可笑しそうにお笑いになる。

ところが忠隆がこの騒ぎを聞きつけて、女房たちの詰め所である台盤所に顔を
出して・・・

「翁丸が、生きていたというのは、本当でございましょうか。どれみてみましょう」
と聞いたりしているので、わたしが「まあ恐ろしい、そんな名前の犬は、ここには
おりませんよ」と言わせると、

「そうは言っても、最後にはみつけることもございましょう。そうそうは、隠し通す
ことはできませんでしょう」
と捨てぜりふを言ったとかいうのは、しつこくて、ほんとうに嫌な人だ。

しかし、後日、天皇様のお咎めや追放処分も許されて、翁丸はもとのように、皆に
可愛がられたのだった。それにしても私をはじめとして皆に同情され、わなないて
鳴いて出てきた時の姿と言ったら、本当に、こんなことがあるかしら、と、思うほど、
心が揺さぶられた。

今でも、皆からその時のことを言われると、つらい思い出がよみがえるのか、幸せ
を取り戻した翁丸が、鳴き出すのである。

・・・・・・・・・・・・・

次回は、一般庶民と共に暮らした犬の暮らしを覗いてみることにしよう。
(舞台は七百年前の徒然草を思考の窓にしてフォーカス)



308(もも) 七百年前の飼い犬の暮らし


それでは、今度は、一般庶民と一緒に暮らしていた彼ら(飼い犬)の暮らしぶりを覗い
てみよう。

この記事は、グランパが放送大学で学んできた「徒然草」から七百年前の犬の暮らし
をフォーカスしてみたものである。


【徒然草(第八十九段)】 放送大学 島内裕子教授 訳より 抜粋

「山の奧には、猫又という化物がいて、人間を食らうらしい」と、ある人が言うと、

「山でなくても、このあたりでも、猫が年取って猫又になって、人を襲うことがある
らしい」と言うものがあったのを、何とか阿弥陀仏という名前の、連歌をする法師で、
行願寺のあたりに住んでいた者が聞いて・・・

自分は、連歌の会の帰りなどに一人歩きをする身なので、よくよく注意しなくては、
と、思っていた、ちょうどその頃、ある所で夜遅くまで連歌をしてただ一人で、自宅
に向けて帰って来た。

自宅もほど近い小川の川端で、噂に聞いた猫又が、狙い澄まして、すうっと足元に
寄ってきて、いきなり自分の体に取り付いたと思うやいなや、頸のあたりを、がぶり
と食おうとする。

肝も心もすっかり失せて、猫又の攻撃を防ごうとするが、力が抜けてしまい、足も
しっかり立たない。

小川の中に転がり落ちて「助けてくれ、猫又だあ」と叫んだので・・・

近所の家々から松明を燈して走り寄って見てみると、このあたりで見知っている
僧である。

「これはいったい、どうしたことか」と、川の中から抱き起してみると、連歌の会の
賞品でもらった扇や小箱など懐に入れて持ってきたものも水浸しになっていた。

連歌師は、九死に一生を得たようなありさまで、ほうほうの体で自宅に入った。

実は、この連歌師の飼っていた犬が、暗いけれども、主人が帰ってきたと知って、
喜んで飛びついたのであった。

この段を踏まえて、グランパが千年も前の犬猫の暮らしぶりに思いを馳せて、現代
における犬猫の居住区の在り方について、所見を述べたいと云うので、私も、その
片棒を担いでグランパからの発信を許すことにする。


309(グランパ) 清少納言の優しさと家族愛

千年前の宮廷における犬猫の生き様が目の前に迫ってくる清少納言のフォーカスぶり
には感嘆するばかりであるが・・・

本章における訳文は、放送大学の島内裕子教授が、清少納言の「枕草子」の訳文研究
において、北村季吟の「枕草子春曙抄本」を用いて執筆にあたっており、あとがきとして
の解説文の中で、

大正時代末の研究によってクローズアップされ、現代において、本文研究の主流になり
つつある「三巻本」による訳文研究も紹介されており、本稿では三巻本を本文とした訳文
についても、比較研究してみた。
(具体的には、日本の古典 現代語訳「枕草子」秦恒平著よりの抜粋となる)

さて前置きが長くなったが・・・

千年前の宮廷における犬猫の暮らしぶりは「猫は内」「犬は外」として、その居住区は
明らかになっており、それは「当たり前」のことであったと推測される。

宮廷内における人間対動物と云う視点において、少し視野を広げて観て行った場合に、
それぞれの動物の役割の在り方が、それぞれの動物の居住区を決定づけた要素はあ
るように考える。

清少納言の「枕草子」の記述の中にも、女官たちが外出時に牛車を頻繁に活用する様
子が紹介されており、この牛たちの世話をする牛飼いの子たちのことが、

徒然草の第三十五段に記されており、
「牛飼童は大柄で髪の毛が赤みがかった白髪で顔も赤みがかって気の利く男がよい」
と記している。

また、第三十三段では、牛についても記しており、
「牛は額が狭くて、全体的に白みがかっていて、腹の下・足の下・しっぽの裾の方が白い
のがよい」などと自分の好みを具体的に述べている。

これらの記述から、多くの牛は、牛飼いたちの飼育・管理のもとで牛舎においていつでも
出動出来るよう、その居住区は整備が行き届いていたことが推測される。

それでは、馬の居住区は、どうであったろうか?

ここでも、清少納言の「枕草子」を紐解いてみると・・・
(島内裕子教授の訳から抜粋)

第三十四段には「馬は、紫色の栗毛で斑が付いているのがよい。白っぽい葦毛もよい。
また、とても黒くて、足や肩のあたりなどに、白いところがある馬は、よい。薄紅梅色の
毛で、鬣や尾などは、真っ白な馬がよい」と記されている。

「木綿のように白い鬣の馬なので、木綿鬣(ゆうがみ)と名付けるのがぴったりだ」
とある。

「凡河内躬恒に『恋すれば痩せこそすらめ物腰のゆふがみじかく思ほゆるかな』という
歌があり『木綿鬣』という言葉が織り込まれている。そのことも思い合わされて、こういう
色の馬は、なるほど、ほんとうによいなあと、わたしは思うのだ」ともある。

この時代の馬は、神や仏にもつながる存在として大切にされていたので、清少納言が
綺麗にブラッシングされた馬たちを称賛したように、馬の居住区は、馬小屋として清潔
さも保たれ、いつでも出動できる体勢が整っていたものと推測される。

それに比べると、犬猫の役割は、馬や牛に比べると、自由であったと推測され、ただ
重要視されたのは、「猫であれば鼠退治」、「犬であれば外からの侵入者への備え」
と云う役割の性格上、「猫は内」「犬は外」として、それぞれが、その存在感として猫は
屋内で可愛がられ、犬は外で可愛がられるという居住区の区分が図られて行き、

それが宮廷内において徹底されていたがゆえに、前述の「翁丸」の悲劇を招いたとも
考えられる。

・・・・・・・・・・・・・・・

本来、犬と猫の相性は良く、犬と猫が仲良く暮らす光景は、あちこちで散見されている。

時代は、千年の古から、現代に舞台を移すが・・・

我が家の飼い犬「もも」は、入間が丘の住まいにおいて、南側に位置する道路を自動車
や人間が行き来する光景を硝子戸越しに眺めるのが好きで、ももにとってはいわば趣味
の領域といえるが、見慣れないワンちゃんが通りかかると牽制して吠えまくる。

これに対して、南西に位置するご近所のお宅のワンちゃんが、応援態勢で吠えてくる。

このお宅では多頭飼いの子犬と猫が仲良く暮らしている。とても面倒見の良い奥さん
で、一時は、ご近所で飼い主が引っ越してしまい、なんらかの事情で、置いてきぼりに
なった白猫がご飯を食べに来ていた。

その後、この猫も空き家になった自分の家をねぐらにして、道路を隔てた真向いの豚
を飼っているお宅で、豚と一緒に食事にありつけるようになった様子で、時々、道路を
横断して豚小屋に向かう様子が散見される。

この豚は、黒豚で、ペットとして飼われており、時々、ロープを体に巻き付けて散歩する
場面に出くわすが散歩する姿は愛くるしい。

また、西側の隣家でも、面倒見の良い奥さんが、毎日、朝夕二度、柴犬の散歩に付き
合っているというが、ある時、その柴犬にそっくりな白黒トーンの猫が散歩帰りに着いて
きて屋内に迎え入れられて犬猫で仲良く暮らしている。

このように、最近は、ご近所の例をみても、犬猫が仲良く、一緒に室内で暮らす姿が見
てとれるが「猫は内」「犬も内」の傾向は強まってきているようである。

・・・・・・・・・・・・・

時代は、明治から大正にかけての場面に舞台を移すが・・・

私(グランパ)の父親は、明治四十二年に群馬県前橋市で生まれた。生家は、昔の地図
で前橋市萱町一丁目一番地で生糸業を営み、萱町で製糸工場を営みながら、生糸類の
輸出商も兼業していた。

父親の竹次郎は次男であったが、後継者としての就業を重ねていた時代は、飼い犬と
しての「ポインター犬」の面倒を任されて、日中は、人や車などの出入りがあったために
屋外の犬舎につなぎ、夜間は、工場内の敷地に開放していたと云う。

そんな訳で、私(グランパ)も、犬との接し方などは父親から教わった。子供たちに話す
と嫌がられるが・・・

「犬とすぐに仲良くなるコツは、自分の唾液を手の平に載せて、犬に、舐めさせるとすぐ
に友達になれると云うことで、子供の頃には、その効果が確かであることを確認したが、
最近は、子供たちの手前もあって、我が家の飼い犬たちに試したことはない」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて・さて、時代を、また、七百年前に戻して・・・

前述の「徒然草(第八十九段)」の場合は、連歌師が闇夜の中で近くの小川付近まで
迎えに来た飼い犬を猫又(化け物)と勘違いして、大慌てした訳であるが、この場合も、
日中の来客時などは、犬を小屋などにつないで、夜は、開放していたのだろうか?

いずれにしても「犬は外」が常識的であったことが推測される。

古の千年前から警護役として「犬は外」と云う状況が続き・・・

そして、いつの頃から「犬も内」の傾向が強まったのであろうか?

これについては、我が家のももが好んで日課にしている彩の森入間公園における散歩
仲間の話なども聞いて、その経緯と、今後の未来予測などにも、チャレンジしてみたい
ものである。

「犬は外か?」「犬も内か?」その違いは、人間と犬の居住区の在り方に直接的な影響
を与えて来るものと考える。

例えば「犬も内」の居住区として考えた場合に、屋内のフローリングは人間にとっては
掃除などが快適だが、飼い犬が上手く走れず脚を脱臼しやすいなどの問題が生じて
きている。




310(グランパ) 清少納言の永遠の覚悟


放送大学における学びは、私(グランパ)が、一生涯学生作家を継続させて行く上で
プラットフォーム的な存在であるが、特に茗荷谷にある文京学習センターは筑波大学
との合同学舎になっており、講義室など、良く整備されていて学びには最適である。

私(グランパ)の場合は、ビジネスマンとしての現役時代に、管理職に任用されたとたん
企業内研修の機会は激減するために、自前で、研修の機会を創出しないと時代遅れに
なる懸念もあり、当時、放送大学の「心理学」を専攻して学び続ける形態をとった。

当然、文部省認定の学習である以上、一定以上の単位を修得すれば「卒業」となる。

そこで、次の選択肢として「人間学」を専攻した。そこで、出会ったのが「徒然草」の
授業を通じての放送大学の島内裕子教授との出会いであった。

ところで、放送大学の話題に関して、こんなことがあった・・・

カズさんの実家に行ったときに、放送大学で学生証を受領するために、私(グランパ)
だけが少し遅れて実家に到着「放送大学に寄ってから来ました」と説明すると・・・

「今の会社で、管理工学の専門職として活躍出来ているのに、今度はアナウンサーを
目指すのですか?」と云う質問があって、ビックリした。

「一般的な社会においては、放送大学の認知度は、まだまだ低いな~」と痛感した。

「そういえば、外国人の来訪者が多いと云うことで、明治神宮に出掛けて、英会話の
実践研修にチャレンジした時も、放送大学の認知度は皆無であったな~」などと遠い
昔の体験談を思い出した。

しかし、放送大学の学習カリキュラムは、約200科目も揃っており、私(グランパ)が、
現在、専攻している人間学は勿論のこと、心理学・情報管理学・社会と産業学そして
外国語など専攻コースは充実しており、テキスト並びに、教授陣も秀逸である。

ちなみに、平成30年度第一学期に選択した、島内裕子教授による「枕草子」の授業
は、かつての「徒然草を読み通す」授業に比較しても相変わらずの好授業であった。

質疑応答も活発で休憩時間や昼休みにも質問が溢れるほどであった。

私(グランパ)も、昼休みの時間帯に、二項目、質問させていただき、一つ目の質問
は、次の様な内容であった。

Q1:枕草子の執筆についての質問

「枕草子に書かれている内容は、中宮(後に皇后)定子のサロンにおいて交流を重ね
清少納言が見聞きしたことを(勿論、自分の思考過程も含めて)書記的と云うよりも
編集長的な立ち場で書き留めたものなのでしょうか?」と云う問いに対して、

Q2:島内裕子教授からの回答

「清少納言自身が、漢学や和歌などの才能にも恵まれ、文才にも秀でていましたから、
編集長的と云うよりも、全文を通して清少納言の才覚によるものと考えたほうが適切
かもしれませんね。清少納言には高次のポテンシャルがあったのだと考えられます」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで、私(グランパ)が連想したことは、かつて、カズさんの実家にお邪魔した時に、
隣家に住む義弟から「イギリス文学」の文献をお借りしたことがある。
(彼は上智大学を卒業後、イギリスに留学していて、イギリス文学に詳しい)

その時に、帰宅後の読書三昧で知り得たことは・・・

「シェークスピアが、あれだけの名作を多作出来た秘密は、シェークスピアなる人物
が複数人・存在していての合作であったのではないか」という仮説が建てられ、著名
な作家などが、作風や文脈などの検証を経て、

「やはり、シェークスピア本人による執筆であり、あの名作・多作はシェークスピア
の内に秘められたポテンシャルが、常人よりも、格段に高く・優れたものであった」
と、結論付けていた。

・・・・・・・・・・

そのような、外国(イギリス)の作家の事例を踏まえて考察すると、

「枕草子も、サロン内の結論を清少納言が編集長的なセンスで書き留めた執筆と云う
性格的なものではなく、島内裕子教授が解説されたように、枕草子は清少納言による
オリジナル作品と理解したほうが的確な判断と云えそうである」

・・・・・・・・・・

さらに、もう一つの検証としては(自分自身の経験を対比することになるが)・・・

「身近なところで、自分自身の未熟な経験に照らしたときに、自分自身が現役の時代
に管理工学の専門職としてビデオIE(IEは:管理工学の略称)という独自の動作解析
技法を開発、日本IE協会で事例発表を行い、それが機会となって異業種とのIE実践
交流会に参加する機会を得ることとなり、企業内においてもその交流会の意義と有効
性が認知されるに到った」

「交流会では、芝浦工業大学の津村豊治教授が座長となり、管理工学(IE)と云う堅苦
しい表現を『上手な困り方』と云う捉え方で管理工学の基本に学び・それぞれの企業に
おける実践例を質疑を交えて交換、自社に反映するとしたら・どのような展開を図るかを
考え、時には、先進的な事例を実在の優良企業に出掛けて学ぶ、また、問題を抱えた
企業を訪問先に選んで、具体的な生きた事例から現場主義で実態を解析して、問題点
を明確化、改善策を練る」などのアクティブな活動を繰り返してきた。

これを16年間に及んで実践研究的に継続させていただいた。
(津村教授の大学ゼミを 4年 × 4サイクル 繰り返させていただいたことになる)

「まさに、これは、大学におけるゼミを越える存在価値であり、時には大学に出掛けて
研究会にも参加させていただいた」

結果、どのような成果が得られたか・・・

管理工学(IE)と云う、社内にあっては少数派で、ややもすれば、企業内にあっては
埋没しがちなミッション(機能)が全社的な中長期を見通して、リーダーシップを発揮
できる存在感として、常に、活躍が期待される部署にまで発展した。

この時、それぞれの管理工学(IE)の担当者は、単に、従来の他社の事例を紹介する
だけの報告者から、実践的な社内コンサルタントとして、自分たちの考え方で、企業内
の各部署を診断して・的確な指針を共に打ち出せる・頼りになる存在に脱皮した。

結果「あらゆる分野で、頼りにされる存在となり」一人の管理工学の専門職が、複数の
管理工学の専門職が存在するような効果をもたらすことが出来たと云える。

これらの実企業での経験を踏まえて、あらためて枕草子の存在を考察してみると・・・

「中宮(後の皇后)定子と清少納言と云う抜群の相性の良さを内包したサロンにおいて
相互の知的ポテンシャルは共々に高まって行き、清少納言のオリジナリティー溢れる
作品が脳内から溢れ出たとしても、それは当然の帰結であった」と云える。

・・・・・・・・・・・・

一方、双璧のサロンで、源氏物語を執筆した紫式部が「紫式部日記」の中で・・・

「清少納言ときたら、得意顔も、はなはだしい人だったといいますよ」。

「あれだけ利巧ぶって、漢字を書き散らしていますところも、よく見たらまだまだ未熟な
点が多い。こんな風に、他人とは際立って見せようとむきになっている人は、きまって
見劣りがするし、将来碌なことはありませんよ」

「気取る癖のついてしまった人は、ひどく、殺風景なつまらない時も、やたらに気分を
出して情趣をさえ見逃すまいとするうちに、自然と・常識はずれの軽薄な人柄になる
にきまってます。その軽薄になってしまった人の終末が、どうしてよいはずがあるも
のですか」

と、述べているが、これは、かつて、紫式部の夫の宣孝や従兄弟の信経に関して批評
的な記事が、枕草子に掲載されたことへの怨み骨髄の思いが、書き上げたことと推測
されている・・・

清少納言の卓越した学識と和漢の才に長けた機智によって、軽妙なやりとりを切り返
されていた宮廷の男性たちからは、この紫式部の記事に、こころ・すく・思いをもったで
あろうことも推測される。

清少納言は父親の清原元輔が五十九歳(数え歳)の晩年に生まれており男親にとって
は、溺愛しても足りないほどの存在であったと思われ、元輔は、後撰和歌集の編集や
万葉集の訓解にも従事した実力のある歌人であり、父親の持つ豊かな和歌の知識は、
幼い時の清少納言にとっては、乾いた砂が水を吸い込むように吸収されていったこと
に疑いの余地はない。

また、わが国最古の辞書「和名類聚抄」の著者として漢詩文にも博識な源順が、叔父
の元真と親しかったことから、少女期の清少納言に大きな感化を及ぼしたことも考え
られる。

当時、一般的に、女性の教養は、和歌や書道・音楽などに限られて、漢学とかかわる
ことは少なかったので、茶目っ気の多い父親の元輔や漢詩文に博識な源順が、才気
煥発な少女であった清少納言に、漢詩文の教養を仕込もうとした悪戯っ気は、十分に
察することが出来る。

同時に、晩年の父の影響を受けて、清少納言が、お説教や法華八講などにも熱心に
通うようになり、年配の婦人たちからは、「年頃の娘が、熱心に通う場所ではない」と
心配されたと云うことも記録に残されている。

この様な少女期から蓄積を重ねた漢詩文への素養が、宮廷内の男性貴族との交流の
なかで際立ってくることは、当然の成り行きであり、そのような交流に対応できる宮廷内
の男子が限られて来ると、まさに清少納言が晩年期に到った時に、今までは気後れして
いた宮廷内の男性から、前述のような紫式部日記の記述に、同調するものが、現れても
不思議ではないと云える。
(上記の記述は、日本の古典 現代語訳「枕草子」秦恒平著によるところが多い)

しかし、考えてみれば、紫式部日記による前述の記事も精査して拝読すれば・・・

「清少納言の漢詩文への際立った理解を認めた上での論評であり、宮廷内の交流にお
ける清少納言の機微に溢れた感性の高さを認めた上での、感動屋さんである清少納言
への応援歌ではなかったか?」と、さえ思えて来るから不思議である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし、清少納言にしてみれば、清少納言が「枕草子」を世に出してから、三百年後に、
最大の理解者となる「兼好」が登場して「徒然草」の著書のなかで称賛の嵐を巻き起こ
したことは、日本文学の水脈が限りなくつながっていることの証とも云うことができ、

それが、やがて、樋口一葉などの文学世界にも影響を及ぼしていったことは、その文学
の水脈が、現代における文学界にも限りなくつながっていることを示していると云える。

ここまで、書き出してみると・・・

前述の島内裕子教授との昼休みにおける質疑において、島内教授から、

「清少納言自身が、漢学や和歌などの才能にも恵まれ、文才にも秀でていましたから、
編集長的と云うよりも、全文を通して清少納言の才覚によるものと考えたほうが適切
かもしれません。清少納言には高次のポテンシャルがあったのだと考えられます」

と云う見方には、大いに説得力を感じることになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、ここでも前述の繰り返しになるので、前述の文章を再掲するが・・・

「千年も古の宮廷における犬猫の生き様が目の前に迫ってくる清少納言のフォーカス
ぶり」には感嘆するばかりであるが、本章における訳文は放送大学の島内裕子教授が、
清少納言の「枕草子」の訳文研究において、北村季吟の「枕草子春曙抄本」を用いて
執筆にあたっており、あとがきとしての解説文の中で・・・

大正時代末の研究によってクローズアップされ、現代において、本文研究の主流にな
りつつある「三巻本」による訳文研究も紹介されており、ここでは、三巻本を本文とした
訳文についても、併記して、比較研究してみた。
(具体的には、日本の古典 現代語訳「枕草子」秦恒平著よりの抜粋となる)

・・・・・・・

【帝のお傍近くの猫】 秦恒平著 三巻本の訳より抜粋

帝のお傍近く飼われた猫は、五位まで頂戴して、お召名も、命婦さんなどと、とても
かわいいので慈しんでおいでだった。

ある日も端近に出て寝そべっていたのを、お世話申す馬の命婦は、
「まあお行儀の悪い。奥へお入りなさい」と呼びかけるのだが、日差し暖かに心地も
よく、どうやら眠っているらしい。ちょっとおどしてみようと、

「翁丸、どこなの。お行儀の悪い命婦さんを噛んでおやり」とけしかけた。真に受けて
大きな犬の翁丸が一散に飛びかかったから、猫の命婦は脅えきって悲鳴をあげ御簾
の内へ逃げ込んだ。

朝餉の間の御食膳から、折も折、帝はこの様子をぜんぶ御覧になってことのほか吃驚
なさって、御猫はふところにお抱上げきあそばし、六位蔵人などをお呼び立てになる。

すぐさま忠隆となりなかが馳せ参じたところで・・・

「この翁丸、打ち懲らして淀の中州の犬島へ流罪に行え。今すぐ」と、厳しい仰せに
諸衆や滝口の男どもを集めて、罪せられた翁丸をさんざん追いまわす。馬の命婦へ
も、お譴は厳しく、

「命婦の世話はほかのものに替えよ。安心がならぬ」と痛く御不快の御容子に、恐懼
して、お前へも出られない。犬はとうとう狩り出され、滝口の武士らの手で禁中を追い
放たれて行った。

「かわいそうに、あんなにいつもノシノシと歩き回っていたのに」

「三月三日、頭の弁がわざわざ翁丸のために柳の輪飾りに桃の花をその挿頭にさせ、
咲いた桜の枝まで腰帯に刺させたりして、練り歩かせなさったあの時は、よもやこんな
目に遭おうとあの犬も思わなかったでしょう」と、口々に哀れがった。

「宮がお食事の折など、きまってお庭先からこっちを見て、畏まっていたのに、寂しく
なってしまった」と顔が寄れば言い合っていたあれから三、四日後の昼時分だった。
けたたましく啼く犬の声がするもので、

「どの犬がこういつまでも啼くの」と人に、訊くうちにも、御所中の犬たちがそっちへ
駆けて行く。御厠人の女が走り寄って来て、

「まあたいへん。犬を蔵人が二人がかりで打ちのめしておいでです。あれでは死んで
しまいます。お流しになったあの犬が帰って参ったとそれで懲らしめなさるのですよ」
と泣き顔になっている。あれは気がかりな翁丸に違いない。

忠隆や実房が折檻するという話なのでその女を止めに走らせやっと啼き声が止んだ。

「死んだので、御門外に棄ててしまいました」との報せで、しきりとかわいそうがってい
たその夕方になって、無残に脹れて目も当てられない犬が、さも・辛そうに胴顫いしな
がらよたよたあるくので、

「翁丸かしら。近ごろ、こんな犬がうろつくことなかったわね」と言う下から、誰かが、
「翁丸」と呼んでみるのだが、見向きもしない。
「翁丸よ」と言う者もあり、
「違う」とも、みなまちまちなので、宮が、
「右近なら見分けよう。お呼び」と召されて、やがて、お傍へ参った。

「これは翁丸か」と右近にお見せになる。

「似ておりますけれども、これはあんまり容子がひど過ぎますようでございます」

「それに翁丸と呼んでやりさえ致しますときっと喜んで寄って来ますものを、この犬
は参りません。やはり違うのでございましょう。先ほどの翁丸なら、打ち捨てて死骸
は棄てましてございますなどと蔵人も申しておりました」

「男が二人がかりで打ったのでは、まさか、あのまま生きていまいかと存じますが」
と自信なげな御返辞に、宮はすっかり眉をひそめておいでだった。

暗くなる時分に物を食べさせてみたが食べない。やはり違うようだということで、もう
犬の話はおやめと決めた翌る朝、宮が、お髪をおすきになりまたお手水を使われる
など、例の御仕度ごとの間にも、お持ち申し上げた御鏡を、覗いていらっしゃる所へ、
まぎれない昨日の犬が、お庭先の縁の柱したまで来て、座り込む。

つい、その方を見やりながら・・・

「まあ、昨日は、翁丸のことを手ひどくいじめたこと。死んだと聞けばほんとうにかわい
そうに今度は何に生まれ変わったやら、あれでは、死ぬまぎわにはどんなに辛かった
でしょう」と、問わず語りに口をついて出た。

するとこの座っていた犬がにわかにぶるぶる総身を震わせ、涙まであとからあとから
流すのには魂消た(たまげた)。

さてこそ翁丸だった。ゆうべはこれでもひた隠しに己が素性を忍ばせていたかと分か
れば、ひとしおの物の哀れにもまた優って、事の次第のおもしろさは、ちょっと言い尽
せそうにない。思わずお鏡を下に置いて、

「では、翁丸なのね」と念を押してやると、ひれ伏して盛んに啼く。

宮もほっとされた御容子でお笑いになった。

右近内侍を呼びにやられてこれこれであったと仰せになる、と、居合わせた女房もみな
で大笑いになった騒ぎは、畏れ多くも帝のお耳にまで届いてしまい、宮の方へお出まし
になった。

「驚いたね。犬にもそんな分別があるものとは」と、やはりお笑いあそばす。

聞き知った帝の女房がたもみなこちらへ集まって、口々に呼んだりすると、もうそれへも、
翁丸は、身を起こしてしきりに動きまわる。

「とにもかくにも翁丸その顔やどこもかしこも脹れ上がったのを、手当てしてほしいわね」
と呟いていると、朋輩がみなで、

「あなた、とうとう、犬の正体を見露してしまったのね」など言い囃す。

ちょうどそんな時に、蔵人忠隆がどう耳にしたか台盤所の方から、

「あの犬めが戻りましたとか。そんなことございますものか。ご検分致しましょう」
と呼ばわるものだから、

「おお縁起でもない。けっしてそんな一度死んだようなものはここには入れません
からね」と取り次がせたが、うるさい忠隆は、

「どうお隠しになっても見つけ出す日がきっと参りますよ。お隠しになりとおせます
ものか、ね」と、にくいことをうそぶく。

その後は、翁丸への御勘気も解けて、もとの身の上にかえった。

それにしても、

「かわいそうに」と、いう言葉ひとつに、身を顫わせ声を立てたあの容子というもの、
ちょっとよそにためしが無いほどおもしろく、また心打たれたことであった。

他人に同情の声をかけられて啼き出したりするのは、同じ人間同士だけ、と、つい思
い込んではいたが(第六段)。

(翁丸の身上に、定子の悲運の兄、あの内大臣伊周、世に時めき一転にして無残にも
流罪にされ、かろうじて、また、都に入ることを許された伊周への清少納言の深い思い
入れが加わっていると読み解ける。これは、長保二年、西暦にして1000年の三月の
ことと思われる。定子は、この年十二月十三日に、二十五歳の若さで亡くなっている。
そして、その後の清少納言について知る人はない)。

この記事は、日本の古典 現代語訳「枕草子」秦恒平著から抜粋している。

同じ記事が、島内裕子教授による枕草子春曙抄本を本文とする訳文では、第七段に
配置され、秦恒平著の三巻本を本文とする訳文では第六段に位置している。

私(グランパ)は、現在、「枕草子(清少納言)」を学ぶ上で、二つの教本を手元に
置いて学習を進めている。

さらに、詳しい説明を加えれば・・・

◇一つ目は、放送大学の島内裕子教授著による「枕草子(上)」と「枕草子(下)」 の
二巻により構成されているテキストを愛読書としている。

この著書の特徴は、モバイル本とも云える存在であり、小型のカバンに入れて持って
歩けるので、時間の隙間を見付けて読み通すには最適である。
 
(島内教授も読み通すことを狙いにして編集しているので、理にかなっている)。

◇事実、既に受講した「徒然草」のモバイル本も、出掛ける際には小型のカバンの中
 に入れて、歯医者の時間待ちのときなどに、繰り返し読み返している。

◇二つ目は、前述の日本の古典 現代語訳「枕草子」奏恒平著の大判本で、カズさん
 の蔵書からの借用本である。豪華版らしくカラーの絵などによる解説や著者である。
 (清少納言の生い立ちや時代背景・人物評など説明が詳しい)

大判本の枕草子については、放送大学において、六月下旬に茗荷谷の文京センターで
島内裕子教授の授業を受ける前に、予習のために読みこんだ。

結 果・・・

受講時の昼休みにおいて、前述のような質問に到った(下記に再掲)。

「枕草子に書かれている内容は、中宮(後に皇后)定子のサロンにおいて交流を重ね
清少納言が見聞きしたことを、勿論、自分の思考過程も含めて、書記的と云うよりも
編集長的な立ち場で書きとめたものなのでしょうか?」と云う問いに対して、

教授「清少納言自身が文学の才能に恵まれ、文才にも秀でていましたから、編集長的
と云うよりも、全文を通して、清少納言の才覚によるものと考えたほうが適切かもしれ
ません。清少納言には、それだけのポテンシャルがあったのだと考えられます」。

この島内裕子教授の捉まえ方については、島内教授のモバイル本を上巻・下巻ともに
読み通すことで納得がいった(その経緯は前述の通りである)。

昼休み時の二つ目の質問は・・・

既に、島内裕子教授とは、徒然草(兼好)を読み通すと云う画期的な授業に参画して、
コミュニケーション論でいうところの「コンテクスト(文脈的な暗黙知)」を共有している
ところから、かなり、高次と思われる質問を投げかけさせていただいた。

【コンテクスト(文脈的な暗黙知)共有の経緯】

◇最初のステップでは、徒然草のテキストを予習する段階で・・・

徒然草のテキストの「はじめに」の記述の中で「兼好は、決して最初から人生の達人
ではなかった。徒然草を執筆することによって、成熟していった人間である」
と云う表現をされていた。

しからばと・・・

「徒然草の最終段である第二百四十三段から逆読みをして該当の第四十一段に達して、
兼好が脱皮したと思われる章段を見付け、実際の授業の際に全員で序段から読み始め
て該当の第四十一段で兼好が脱皮したことを共通理解として確認した」

「具体的に、兼好が、徒然草を書き進める過程において、第四十一段に書かれている
ところの兼好が民衆の中に飛び込んで、自らが発した言葉をきっかけにして兼好自身
が人間として脱皮したこと」を人間学的な見方からも確認出来た。

このようなコミュニケーション上の「コンテクスト(文脈的な暗黙知)」を踏まえて、

私(グランパ)は、二つ目の質問させていただいた。

Q2:枕草子の執筆について人間学の面からの質問

私(グランパ)から「徒然草の兼好の場合は、第四十一段が兼好をして脱皮して人間
として成熟行った分岐点でしたよね(コンテクストを踏まえて)」

島内教授「その通りでしたね」

私「清少納言の場合は、全文を読み通しても人間として成長したと云う段章は見当た
りませんと、島内先生は仰ってましたよね」

島内教授「そうですね。そこが、兼好とは違いますね」

私「私も枕草子の現代語訳で予習をしてきたのですが、予習の段階で感じ取ったこと
は清少納言が中宮定子の居る宮廷から、一時、里帰りをしたときに書いたと云われる
狭本としての枕草子は、自己実現的な範疇の執筆であり・・・

その後、世に出た広本としての枕草子は、中宮(後の皇后)定子に向けた他己実現の
ための枕草子であり、この狭本から広本に発展させたときに、人間学的に清少納言と
しての脱皮なり人間形成があったと考えても良いのではないでしょうか?」
と自分なりの考えを述べた。

これに対して島内教授は・・・

島内教授「あなたのように自分の考えを持って自分の考え方を明確にしながら枕草子
を学ぶことは、とても、良いことだと思います」と云うコメントをいただいた。

・・・・・・・・・・・・

その後、私は、平成30年10月に予定されている、「枕草子」下巻の受講に向けて受講
申し込みが当選して受講できる場合を想定して枕草子の上巻と下巻を第一段から最終
の第三百二十五段まで読み通し、合わせて、大型版の跋文にも目を通した。

結果・・・

これは、偶然なのか、必然なのか、島内裕子教授著の枕草子(第七段)および秦恒平著の
枕草子(第六段)の同じ内容である「帝のお傍近くの猫」で描いている翁丸の情況描写に
こそ、清少納言の「素の気性」が露出しており、全文を読み通した上でも清少納言の覚悟
と潔さが読み取れた。


深層心理的な話題となるが・・・

◇枕草子には、末尾に跋文の掲載があり、枕草子の誕生の秘話が紹介されている。

【跋文から抜粋】

「この草紙は、目に見え、心に思う事を、よもや人は見まいと思い所在ない里住みの
間に書き集めておいたの」を筆の勢いで、人によって不都合な言い過ごしと言う事に
なりかねぬ箇所もいくらかあり、ちゃんと隠しておいたつもりでいたのに、まったく
思いがけなく世間に洩れ伝わってしまった。

宮様に、内の大臣(伊周)がりっぱな紙を献上なさった際、
「これに何を書けばよいか、上の方では、史記という書物をお写しになられたが」
と仰せであったので、

「それなら鞍褥(しき)に負けない馬鞍(まくら)にも、ということでございましょうか」
と申し上げると、

「それなら、取らせよう」と御下賜になったので、その任ではないが、これも、あれ
もと、たくさんあった紙を(枕ごとで)書き尽くそうとしたものだから、まるで、筋の
通らぬ言い草ばかりがいっぱいになってしまった。

もともと(はじめ心がけたとおり)この草紙に、当代評判の名言秀句、人がすばらし
いと思うに違いない物の名をよく選んで、和歌にせよ、木、草、鳥、虫のことでも書
き留めてもおこうならば、思ったほどではない、心の浅さも見えた、と、我が身一つ
でふせぎかねる悪口を言われよう。

それで(強って、途中から)自分一人の心に自然に思い浮かんだことも、たわむれに
幾らも書きつけていったから、まともな書物に、立ちまじって、人並みに扱われるよう
な評判など期待はしていなかったのに・・・

たいしたものなどとも読んだ人はおっしゃるようだからほんとうに妙な気がしてしまう。

ま、それも道理で、人のきらうものをいいと言い、人のほめるものを、よくないと言う
人は、心のほどが知れるというもの、ただ、この草紙が人目にふれてしまったことが
残念だ。

佐中将(源経房)が、まだ伊勢の守と申し上げていた時分、里の方へおいでになった
ことがあって端の方にあった畳を縁側までさし出したところ、置いてあった、この草紙
も一緒に外に出してしまった。

あわてて取り込もうとしたけどそのまま持ち去られてだいぶたってから、返ってきた。
その時から世間には知られ初めたらしい。

・・・・・・・・・・・・

しかし、この跋文は、狭本として「枕草子」が思いがけず、世に出てしまったときの思い
であって、広本としての枕草子の意味合いは、隠されているものと推測する。

何故か? 

清少納言が、老犬「翁丸」の記事を書いたのが、長保二年(西暦1000年)三月のことと
思われ、この年の十二月十二日に、二十五歳の若さで皇后(仕えたときには中宮)定子
が亡くなっている。

話題は変わるが、江戸時代に、松尾芭蕉も、若くして仕官して二歳年上の若君「良忠」
と共に、枕草子春曙抄本の著者である北村季吟に、俳諧の世界を学んでいる。

しかし、その四年後に、若君が他界、芭蕉は失意の中、若君のお骨を背負って高野山
に登っている。

一方、清少納言は、皇后定子が他界した時に、背負っていたものは、皇后定子を取り
巻く境遇の中において「なんとしても、お守りする必要があったのは、皇后定子の子供
たちのことであった。

当時の権力者は、道長であり、その権力の圏外に置かれた皇后定子の子供たちを守り
抜くためには、なんとしても、清少納言の「枕草子」という作品の中で・・・

皇后定子のこの上ない素晴らしさを精一杯語り尽して皇后の遺児三人の将来を中宮彰子
をはじめ、道長、斉信・行成・経房たちに、託して、その幸福を祈るより他なかった。

その結論が、広本としての枕草子を、世に出すことであり、中宮(後の皇后)定子について
の膨大な章段の存在が、狭本における、枕草子の跋文を越えた存在になっているものと
私(グランパ)は推測する。

そして、道長を中心とする権力の中枢にあるものへの怨みごとの記述がいっさいないこと
とともに、自らが「一人静かに隠棲生活に籠ったこと」も、翁丸を守り切ったときの覚悟にも
通じるところがあり、狭本の枕草子における自己実現を越えて、広本としての枕草子には
「他己実現」という高次の意識に己の身を置いたということのように思われるが・・・

「私(グランパ)の思い込みであろうか?」

  ~ その清少納言の永遠の覚悟は、遥か、千年の古において飛ぶが如く ~



311(もも)  兼好の前世は清少納言その人であったのだろうか


最近、私(吾輩の名はもも)は、グランパの冗談が妙に気になっている・・・

「徒然草を書いた兼好の前世は、枕草子を書いた清少納言ではないか?」
などと云う冗談を真顔で言い出しているのである。

辞書には・・・

「前世(ぜんせ)とは、仏教用語で、三世(さんぜ)の一つ。この世に生まれ出る前の
世(過去世)であり『前世の報い』などと云う云い方をする」

「三世(さんぜ)とは、前世・現世・来世から成る」

兼好は、徒然草の執筆の中で、常に、死を意識して暮らしていた節があるが、来世に
ついては語っていない(一説によれば、兼好は、七十歳過ぎまで生存したとある)。

一方で、徒然草の第七十一段には、兼好によるものとして、次のような記述がある。
(放送大学 島内裕子教授の訳から抜粋)

「人の名前を聞くと、すぐにその人の容貌が推測される気がするが、実際にその人の
顔を見ると、また、会う以前に自分が思った通りの顔をしている人は、いないものだ」

「昔の物語を聞いても、この頃の人の家の、そのあたりが舞台だろうと思ったり、登場
人物なども、今、見る人の中から、おそらくこんな人だったのだろうと、重ね合わせて
理解されるのは、誰でもこのように思うのだろうか」

「また、どのような時であったか、たった今、人が言うことも、目に見えるものも、自分
の心の中も、このようなことが過去にあったように思われ、それが、いつだったかは
思い出せないのだけれども確かにあった気がするのは、自分だけがこのように思う
のだろうか」

この現象について島内裕子教授も「既視感(デジャ・ヴェ)」として捉えており・・・

「既視感は、それまでに一度も経験したことがないのに、かつて経験したことがある
ように感じる既視体験を指しており、前世というところまで、グランパは、発想を飛躍
させて、ファンタジックに、兼好の前世は、清少納言その人であったのだろうか?」
と発想を膨らませてみたのだと云う。

話を元に戻すが・・・

グランパの冗談は、学習の経緯を経て、生真面目な顔で語るので始末が悪い。

◇グランパが、徒然草を読み通すと云う講座を島内裕子教授から受けて感動、
続けて枕草子の授業を、茗荷谷の放送大学(文京センター)で受講したことは
前述した。

枕草子(上)の受講後の印象として・・・

「島内教授が、枕草子(上巻)の最終段にあたる、第百二十八段で島内教授自身
が清少納言に成り切っていること」に気付いたのだと云う。
(まさか、島内裕子教授の前世が、清少納言ということはないだろうが?)

◇そこで、グランパが発想したことは・・・

「自分としては、徒然草を書いた兼好の視点で、清少納言の枕草子を読み通してみる」

「そのためには島内裕子教授による『徒然草の訳文』を、再度、読み返すことで、あらため
て兼好の視点をもう一度、身に付け、再度、枕草子を第一段から最終段の三百二十五段
まで読み通してみる」

「それにしても、島内裕子教授は、毎年、元旦の午前中に、徒然草の第十九段を読み上げ、
過ぎし一年のくさぐさと、これから始まる新しい一年に思いを馳せ、清新な気分に包まれる
ことにしている」のだと云う。

◇グランパが、再度、徒然草を読み始めて感じたことは・・・

徒然草の序段にある、
「徒然なるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく書き
付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」は・・・

兼好が、徒然草の執筆を進める過程で、途中、意識が高揚して、後から、付け加えたもの
にちがいない、と、グランパは推測しているのだと云う。

それは、枕草子の第一段の

「春は、曙。漸う白く成り行く、山際、少し明かりて、紫立ちたる雲の、細く棚引きたる。
夏は、夜。月の頃は、更なり。闇も猶、蛍、飛び違ひたる。雨など降るさえ、をかし。
秋は夕暮。夕陽、華やかに差して(以下、略)」
の名文を、強く意識しての序段としての後付けではなかったか、と、グランパは想像
しているのだと云う。

そして、グランパは、徒然草の「第一段の記述に、いきなり宮廷における帝の話題が
登場して、文中で清少納言のことを取りあげている」
ことの唐突さに違和感を覚えたと云う。

しかし、この違和感に、こそ、兼好と清少納言の関係性が如実に表れており・・・

「枕草子においては、中宮(後に皇后)定子に仕える清少納言が、中宮を介して宮廷
内における帝のお姿などを紹介しており、これと『対』を成すようにして兼好は蔵人の
立場から、宮廷内で起こる様々な光景や帝のお姿を紹介すると云うコンセプト(概念)
に到ったのではないか?」

「しかも、清少納言にとって宮廷内の蔵人の立場はお気に入りのポジションであった」
(もし、生まれ変わるとしたら、今度は蔵人に? という思いはあったかもしれない)

「ゆえに前世において、清少納言であった兼好が無意識のレベルにおいて、対の概念
を脳内で想定した」と云うのが・・・

◇冗談であろうとは思うが、真顔で熱く語るグランパの仮説であると云う。

また、グランパが徒然草をあらためて読み返した印象では、第一段からの続きにおいて
兼好が脱皮したと推測される第四十一段までの間に、大いなる紆余曲折を感じ取ること
が出来ると云う。

仮に、兼好の前世が、清少納言ではないとしても、第一段から、第三十段あたりまでは
既に現役の蔵人の時代に兼好自身が書き留めていたと云う印象が強く、第三十一段
あたりから第四十段にかけては、読書人であった兼好が、読書の世界観の中で名文を
したためようとして、やがて、行き詰まった印象がある。

そして、第四十一段に到って群衆に接して、自らの殻を破り脱皮することが出来た。

その記念に値する段章を書き出してみることにしよう。

【徒然草 第四十一段】 放送大学 島内裕子教授 訳 より抜粋

「五月五日、上賀茂神社の競べ馬を見物に行ったところ、牛車の前に、身分の低い者
たちがぎっしり立ち並んで、馬を走らせる馬場がよく見えないので、私たちは牛車から
降りて、柵の近くまで近寄ったが、そのあたりはとりわけ人々が混雑していて、どうにも
分け入る隙間がない。

ちょうどその時、向かい側の楝の木に、法師が登って、木の股に座って、見物している
ではないか。彼は木にしっかりとしがみつきながら、ひどく居眠りして、木から落ちそう
になると目を醒ます、と、いうことを繰り返しているのである。

これを見た人が、嘲って軽蔑して『なんて愚か者なのだろう。あんなに危ない木の枝の
上で、よくもまあ安心して眠れるものだ』と言うので、自分の心にふと思ったままに、

『われわれの死の到来だって、今この瞬間かもしれない。それを忘れて見物などして
貴重な今日という日を過ごすのは、愚かしさの点で、あの法師以上ではないか』
と言うと、自分の目の前にいた人々が、

『まことに、ごもっともなことでございます』
『われわれこそもっとも愚かでございます』と言って皆が後ろを振り返って私を見て、
『ここに、お入り下さい』と、場所を空けて、呼びいれてくれたのだった。

これくらいの道理は、誰だって思い付かないことではあるまいが、折からのこととて、
思いがけない気がして、強く胸を打たれたのであろうか。人間というものは、木石の
ように非人情なものではないから、場合によってはこんな程度の発言にも感動する
ことがあるのだ」

ただし、この段章だけを読んでみても、兼好自身が「生まれ変わった瞬間」を感じ取る
ことは難しいかもしれない。

島内裕子教授は、盛んに、兼好の徒然草を読み通すことの重要性を、唱えているが、
我々がオーケストラを聞いていて、感動の瞬間を感じ取ることがあるように、

ここは、「徒然草(兼好)」島内裕子教授・校訂・訳を読み通す醍醐味を味わってこその
感動なのかもしれない。

それゆえに(前述の話題の繰り返しになるが)・・・

グランパの心境としては、再度、兼好の徒然草を序段から、最終段の第二百四十三段
まで読み通した上で、徒然草の窓から、兼好の視点で、枕草子の第一段から上巻下巻
を通して、最終段の第三百二十五段まで読み通してみたのだと云う。

そのように考えてみると、徒然草の序段から、そして枕草子の第一段から、それぞれの
最終段まで、我々が読みやすいように訳文と評を書き貫いた島内裕子教授の熱心さと
バイタリティーには脱帽するばかりである。

そして、千年前の清少納言の枕草子をより読みやすくするために、今から七百年前に、
枕草子春曙抄本を筆で書き綴った北村季吟にも驚嘆の思いである。

ちなみに島内裕子教授は枕草子の訳文に連なる評の記述において(第七段)・・・

「島内教授が、枕草子の訳文研究において底本とした枕草子春曙抄本の著者である
北村季吟は、幕府歌学方として『犬公方』と称された 徳川綱吉 に仕えており、

枕草子第七段の翁丸についての段章について、将軍 綱吉はどんな気持ちで読んだ
だろうか、と、問うているところも、興味深いと、グランパは感想を述べている。

ここでも、話題は犬つながりで「お犬様の話」に戻ってきた点は、奇遇か? 偶然か?
興味深い経緯である、と、グランパが話を締め括ってくれた。

(続 く)

【連載】生涯青春ラケットとジェットの物語 Book 3

【連載】生涯青春ラケットとジェットの物語 Book 3

我が家の飼い犬「もも」を主人公にした物語の始まりです・・・

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-05-13

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