玉虫
玉虫という、輝く緑の中に虹色をはらんだ虫が、山に近い我が家に飛んできたのは、初夏のことだったように思う。
昆虫図鑑を舐めるように読んでいた弟は、その輝きにすっかり魅了され、小さく汚れた虫カゴに大事に入れると、久しぶりに会ったおばあちゃんのように、たくさんのエサを口に運び、逃げられていた。
それは、図鑑で見るよりもずっと艶かしく、幻のような光をたたえていた。虫と名前のつくものは全て嫌いだったわたしでさえ、その姿には目を惹きつけられたのだから、茶色いコフキコガネやふわふわとしたガの模様ひとつひとつにまで感動していた彼の心は、すっかり玉虫色に染まっていただろう。
ある日、彼は部屋の窓を締め切り、その儚げな体をゆっくりとカゴから出し、机にそっと置いた。
そして分厚い図鑑をその脇に立て、見比べながら、その姿を堪能していた。
窓に遮られ、外界の音も小さく、その姿は何か神聖な儀式のようにさえ見えた。わたしはそれを邪魔してはいけないと、彼らに背を向けた、そのとき。
パタン、と音がするのと、息を飲む音が、同時に聞こえた。
振り返ると、バランスを崩した図鑑が、ずっしりと彼の目の前に倒れていた。そして目を見開いた彼が、声も出せないまま固まっていた。
そして彼はガタガタと震えだし、図鑑をゆっくり持ち上げ、さらに目を見開くと、大きな声を上げて、わんわん泣いた。
「うっ、うあああ、ああ、どうしたらいいの、ああああ」
その真っ赤な瞳がわたしに向けられる。涙で七色に光りながら叫ぶ、あれほど純粋で鋭利な苦しみをわたしはそれまで知らなかったと思う。
彼はそこで、その景色から目を離せないまま、自らに対する激しい怒りと、それから逃げようとする思考と、ただひたすら迫り来る哀しさとに圧倒されていた。それは玉虫という小さな命と、弟との間にのみ成立する葛藤であったのだ。
彼がそのことを覚えているかどうかわたしは知らないし、尋ねる気も無い。覚えていなければいいなと思う。
玉虫