Tシャツ
おかしな話です。
八月にはいり、すぐの日曜日のことである。眼鏡を直しに表参道にあるいつもの眼鏡屋に行った。その帰り、青山通りに面した古着屋が目に留まった。新しい店だ。店頭にあったぼろぼろのジーンズに50%オフの札が張ってあるにもかかわらず、なんと5万円もしているのにびっくりしたからだ。しかもそのジーンズはひざに大きな穴があいている。このような古いジーンズがビンテージ物といって若者達が好むことをテレビで見たばかりなので、見てみようと言う気になった。
入り口付近の棚にある、きれいに折りたたまれた古びたジーンズの値段を見て、さらにおどろいた。45万円の札がついている。私など感覚が追いついていかない。古本屋に入ったとき、あまり知られていない漫画家の戦後の本に20万円の値段が付けられていたときの驚きと似ている。
奥を見渡すと男女両方のものがおいてある。面白いことに女性の洋服を見ると、昔のハリウッド映画の女優さんが着ているようなものや、日本の古い映画にでてきた女優さんの肩パットが入って盛り上がっているような服が飾ってある。男物も同じように古い形のものだ。古びたトレンチコートが無造作に掛けてある。刑事コロンボが着ていたようなやつだ。
手前には洗いざらしといったTシャツが折りたたまれて棚にならべてあった。さらにいくつかのTシャツがテーブルの上にひとつずつ広げておいてある。その中に茶色のTシャツがあった。退職してから夏にはTシャツを着ることが多くなった。元々茶色のものを着ていたこともあり、Tシャツも持っているものはほとんど茶色である。ところが茶色というのは嫌われている色のようで、Tシャツに限らないが数が少ない。見かけると買うことにしている。
目に入ったのは薄いコーヒー色のTシャツで、裾のところに小さな茶色の茸が刺繍してある。刺繍というのは珍しいし、ほかのものよりちょっと小さめなので私のような老人でも着られるだろうと思ったわけである。
見ていたら、だぶだぶのつなぎのジーンズを着た、でっぷり太った丸顔の店員がよってきた。
「いいTシャツでしょう」
からだの割にかわいらしい声をだした。
「色がよかったので、僕のからだに合いそうだと思ったし」
「そうね、ちょうどよさそうだ」
彼は私の全身を見てそういった。
「地味なTシャツもおいてあるのですね」
「若い人で、こういうの好きなのがいるんすよ、これイタリアの百年前のものだからね」
私は値段を見て驚いた。八千円もしている。
私が値段を見たのに気がついた彼は「安いでしょう」と言った。
自分で買うTシャツは高くて三千円くらいだからとんでもなく高い。
彼が言うには、このTシャツはイタリアの俳優が着て映画にでているという。それでその俳優の名前を聞いたのだが、古い人で日本ではなじみがなく、わからないという。だけどイタリアの信用あるところから輸入したので心配はないそうだ。
「イタリア人には小さくないですか」
「彼は小柄だったからね」
色はいいのだが八千円は高い。
彼はそのTシャツをもって広げると、私にあわせて「ほら、似合いますよ」
と言うと、おやっという顔をした。
「まずいな、これは」
彼はTシャツの裾のところを見て、どうしようかという顔をした。私もなんだろうと思って彼の視線をおうと、裾のところに黒っぽいシミのようなものがあった。
「仕入れたときは気がつかなかったな」
「どうやって仕入れるのです」
「いや、ネットで調べて写真を見てね、イタリアから直接送ってもらったんですけどね、こういうシミはいけない」
彼はかなり真剣である。
「これじゃ、四千円だな、それでよければおゆずりしますよ」
「なんのシミでしょう」
「うーん、わかんないな、こっちでは洗ったりしないんで、こっちでつけたのでは無いことは確かで、失敗しちまった」
「四千円ならいただこうかな」
私はそう言っていた。
「すみませんね、傷物を、ただ生地はいいですよ、四千円で買っていただければ、儲けはないけど助かります」
ということで、わたしは半額になったコーヒー色のTシャツのはいった紙バックをもって家に戻ったのである。
家で家内に見せて半額で買ったと自慢した。それを見ると、
「ははは、値段相応ね、なかなかうまい売りかたをするわね、古着なんてシミなんかあるのが普通よ、元々四千円のものよ、二千円くらいかもしれない、まあ茶色だからあなた満足でしょ、四千でもいいじゃない」
と言いおった。
「イタリアの俳優がきたTシャツなんだってよ」
「誰も証明できないでしょ、大昔の俳優が着たっていったって、白黒の時代じゃないの」
そういわれればそうである。
「だけどイタリアのシャツは間違いないよ」
「どうして」
「なんとなくピザの匂いがする」
「何言ってるの、あなた日本食しか食べないのに、洋食の匂なんて知らないでしょ、気に入ったらそれでいいじゃない」
全く女房という生き物は無神経なものだ、それでいて外にでると、よその人には気遣いばっかりしていて、いい奥さんですねなどと言われる。本性は外からはわからないものである。なんとかして本当にイタリア製だと証明してやらなければ。
次の朝、早速そのTシャツを着てみた。
着心地はとてもいい、身体にぴったりである。ちょっと上に何かはおれば、どこにでも着て行けそうである。
「コンビニに行ってくるよ」
「なに買うの」
「旅眼」
旅の雑誌で、マイナーなものなのだが、人が行かないようなところを紹介しているところが面白い。一つの生活道具や動物植物に着目し、地域ごとによる違いも連載されてい。興味深い記事が多いので毎月買っている。この雑誌をおいている店はあまりないのだが、駅の近くのコンビニにはある。発売日には必ず二冊置いてあって、私が買って次にいったときにはなくなっている。買いに行くのが遅れると一冊しか残っていないことがあり、私が買うとなくなってしまう。そのあと補充をしていないということは、この町では私以外にもう一人、この雑誌を愛読している者がいる程度の売れない雑誌なのだろう。
「あなた、それなら、箱猫買ってきて」
女房は数ある猫の雑誌の中で、いつも何か入れ物に入ってかわいいしぐさをしている猫の写真を集めている「箱猫」の愛読者である。自分でもスマホを持ち歩いて、友達の家や外の猫で何かに入っていると必ず写真を撮ってくる。それを写真サイトに掲載して満足している。
駅のコンビニへ行くと、通勤時間は終わっているので客は一人しかいなかった。若い女の子がレジでお金を払っているだけである。ふと見るとレジに差し出しているのは「旅眼」である。
たまたま買ったのか、いつも買っている人なのかわからないが、老人が買っているものと思い込んでいたこともあり、ちょっと新鮮な気分になった。
黒いスラックスに白いブラウスのその女性はショートカットの黒い髪の後ろ姿を見せてコンビニから出ると、駅に向かっていった。ちょっと遅い出勤である。顔を見ることができなかった。
そのあと私も「旅眼」を買った。それでそのコンビニの「旅眼」はなくなった。
家に帰り入口のところに立ったとき、家内が玄関に降りる音を聞いて大事なことを思い出した。あわててその場から離れるとコンビニに戻った。「箱猫」を買うのを忘れていたのだ。家内は「箱猫」の写真が待ち遠しくてたまらない。忘れたなんていうと、またぐちゃぐちゃと長たらしく文句を言う。たまらなくうるさい。
「箱猫」はたくさんあった。買い忘れですかと言ってさっきの店員さんが新たに袋に入れようとしたので、旅眼の入った袋に一緒にしてくれと渡した。
「旅眼はいつも決まったお二人の方が買われています」
「そうみたいですね、さっき若い女性が買っているのを見ました」
「もう中年のかたですよ、近くのマンションに住む人で、旅眼の編集をしている人なんです」
あの女性の後姿は若々しかった。働いている女性は違う。
「でも、編集部にたくさんあるでしょうに、何で買うんでしょうね」
「会社に行くまでに目を通して反省するのだそうです、それに地元で一冊も売れないのは寂しいからとおっしゃってました」
「会社に忠実な人ですね」
私がそういうと店員さんも笑った。
家に戻ると女房が首を長くして本をまっていた。
「奇妙なのよ、さっき誰か来たみたい、てっきりあなたかと思ってドアを開けたら誰もいないのよ」
「気のせいだろう」
コンビニに戻ったことは感づかれていたようだ。しらばっくれた。
「遅かったわね」
「店員さんと話していたんだ、この旅眼の編集者が近くにすんでいて、出版されると必ず買うんだって」
「どうして」
「住んでいるところで売れないと困るからだそうだ」
「えらいのね」
女房も感心しながら、私のもっていた袋をひったくった。中をあけて箱猫を引っ張り出してキッチンに行ってしまった。キッチンのテーブルでハーブティーを飲みながら「箱猫」のかわいらしい写真を見て、ふんふんと喜んでいるのだ。
私は「旅眼」を持って自分の部屋に行った。
「旅眼」を開くと今回はイタリアの小さな町を紹介していた。必ず海外の町や村が一カ所紹介されている。この雑誌が選ぶのは海外ツアーなどにははいらない小さい町ばかりで新鮮だ。行ってみたくなる、
山間の緑の中に昔ながらの煉瓦色の屋根の石造りの家が点在している。ヨーロッパにはどうしてこんなに落ち着いたきれいな町が多いのだろう。
でっぷり太ったおじさんが山羊の頭をなでている。山羊のブルーチーズはフランスのロックフォールが有名だそうだ。しかしこの小さな村のブルーチーズは海外には知られていないが、これ以上美味しいものはないと書かれている。
さらにイタリアのボルチーニはフランスのトリフュと並んで有名だが、この村のポルチーニは特に形も香りもよいという。
家族のつながりを大事にするイタリア人の性格が、このように味わいのある香しい小さな村を維持しているのであろう。
あのTシャツがイタリアのものであると証明するには、これを持ってイタリアに行くのがいいのだろう、などと現実的ではないことを考えながら「旅眼」のページをめくった。
あの店員が言っていたTシャツを着ていた俳優はどんな食事をしていのだろう。きっとポルチーニも食べていたに違いないが。
なぜかポルチーニが食べたくなってきた。
「おーい、ポルチーニはどこで売っているかな」
キッチンで「箱猫」を見ていた家内が
「なんでー」と叫んだ。
「いや、旅眼をみていたらでてきたから」
「カルディーにあるかもね」
「今日、スパゲティーにしよう」
「いいわよ、それにしてもあなたにしては珍しいわね、そのTシャツのせいかしら」
いつもは和食が多いからそう言ったのだろう。だがたまには洋食だって食べる。何を言っているんだろうと思って外にでる準備をした。
「ポルチーニ買ってくる」
私はまた家をでると、駅の中にある食材が置いてある店に行った。最近都心に向かう私鉄の駅に、こういった西洋東洋の食材店が必ずはいるようになった。
イタリアやスペインの食材が並んでいる。安くておいしいからだろう。それにしても色々な種類があるものだ。あまりこういう店に入いることがないので、目がきょろきょろするだけで焦点が定まらない。
瓶入りの白いアスパラがずいぶん安い、それでそれをまずかごに入れた。それを持ってカウンターにいき、ポルチーニがないか聞いた。
店員が案内してくれたところは乾物の棚で、さっき見たのだが気が付かなかったのだ。どうもコロンとした実物の茸のイメージが強かったせいだろう。慣れないからだ。袋入りの乾燥ポルチーニだった。イタリア製だ。かなり高い。
それを買うと家に戻った。
「買ってきたよ」
「それじゃ、夕飯はポルチーニスパゲッティーにしてあげる」
「アスパラもあるよ」
「いいわね」
ポルチーニのスパゲティーはとなかなかよかった。ポルチーニの香りというものをある意味では初めてまともに嗅いだのだが、なぜか鼻にまとわりつき、食欲が増進されたのだろう、二皿分も食べてしまった。
「どうして西洋料理を食べる気になったの、やっぱりTシャツのせいかしら」
「まさか、いや、たしかにこのTシャツがイタリア製だからかもしれないな」
「そういう意味でいったんじゃないの、あなたが思いこんでいるということ」
ポルチーニが食べたくなったのは「旅眼」を読んだせいだろう。
それから一週間経った。
その日も暑さの厳しかった。今日もイタリアの茸Tシャツを着た。
家内は友達と買い物のあと、映画を見て食事をして帰るという。夕飯は外で食べるしかないだろう。
さて、今日はどうしようか、本あさりでもするか。隣の駅の周りは開けていて、かなり大きな書店がビルを構えている。八階建てのこの地域最大の本屋である。見るだけで楽しい科学雑貨を置いてあるコーナーもある。
隣の駅までは歩いて二十五分ほどなので散歩がてら行くことがある。しかし、今日は暑い、電車で行くことにした。
本屋に行くと最初に旅の本がおいてあるところにいった。旅は会話が必要で、しゃべるのが面倒くさい自分にとって実際に出かけるのは得意じゃない。どちらかというと本の中で旅をする方が好みである。
眺めていると、いくつもある旅雑誌のなかに、調度イタリア特集をしているものがあった。大きく「ポルチーニ祭り」と書いてある。なんとも読んでみたくなって、いつもは買わない雑誌だがレジにもっていってしまった。
そのあと科学実験器具のおいてある理工系の階のエントランスに行った。鉱物、化石、貝などが並んでいる。結構面白いものにでくわすのでたまに見にくる。とてもよくできている動物のフィギュアがおいてある。ハリネズミやアルマジロ、棚にちょっとおいておきたくなる。その並びに茸のフィギュアもあった。和名学名もついている。ポルチーニがあった。二千円もするが、きっと実物大なのであろう、かなり大きい。なぜか買う気になってしまった。
袋に入れてもらって店を出るとレストラン街に行った。早お昼としようと、そば屋か和定食か、店定めをしていると、ふとサンドイッチ屋に眼がいった。ウインドウにいろいろなサンドイッチが並べられていて、ポルチーニサンドというのがあった。
それに引かれて店に入ってしまった。
ポルチーニサンドを指さすと、
「お店で食べますか」と聞かれたので、うなずいてグレープジュースもたのみ、受け取って席に着いた。
フランスパンのサンドイッチで、中をのぞいてみるとポルチーニのスライスにサラミ、トマトとレタスがはいっている。
パンの味もいいのでなかなかおいしい。
満足して家にもどり、自分の部屋の机の上にポルチーニのフィギュアを置いた。茸というのはなかなか景色がいいものだ。
初めて買い求めた旅の雑誌をソファアに寝ころびながら読んだ。
イタリアのパルマの近くにボルゴターロ村がある。そこでは九月にポルチーニ祭りが行われ、人々が林の中に入り、採ったポルチーニの量や大きさや形で競争するという。茸を売る屋台もでるとある。ポルチーニ祭りはそこだけではなく、いろいろなところで行なわれ、秋のイタリア人の楽しみになっていることが書かれている。イタリア人がいかにポルチーニが好きか解説してあった。
その記事の中で、イタリア語のポルチーニに子豚の意味があることを知った。ポルチーニの胴体がちょっとずんぐりで、かわいらしい子豚のようだから、ポルチーニと呼ばれるようになったようである。松茸は松の茸という意味しかなく、形はどちらかというと、男のものにたとえられることからすると、ポルチーニはずいぶんかわいい茸である。
ポルチーニは針葉樹林にはえる茸で、松茸のように松だけということではないらしい。ただ松茸と同じように木と共生のため栽培できず、天然のものしかないので貴重なのだそうだ。
こうしてイタリアの記事を隅から隅まで読んでしまった。なんだかイタリアが懐かしく思えるのは不思議である。イタリアのTシャツを買ってからイタリアが頭にこびりついたようだ。
夕飯は駅の商店街に行くことにした。いつもは定食や懐具合が良ければ寿司屋というところだが、と思いながらアーケードをくぐると、今まで通り過ぎるだけであった西洋炉端焼きという飲み屋に眼がとまった。ビールが安い。暑い日はビールに限る。
五時半と早いこともあり、ほとんどの席は空いているようだ。二人席に腰掛けて、メニューを見ると、ピザやサイコロステーキなど西洋おつまみがずらっと並んでいる。おつまみより夕食と思い、メニューをめくっていくと、ポルチーニリゾットというのがあった。ご飯ものだ。これはいい。それとシザースサラダ、生ビールを頼んだ。
運ばれてきたリゾットはいい匂いがした。鼻がポルチーニに敏感になっている。口に入れると、ポルチーニがいい具合に米と混ざって香ってくる。強い匂いではないが、日本の茸とは違う感覚を刺激する。イタリアにいるような気分だ。ビールがうまい。
満足して家に戻るとテレビをつけた。昔と違ってBSやケーブルテレビが加わって、たくさんのチャンネルが選べる。
よく見るのがケーブルテレビの旅のチャンネルである。いろいろな国の町を歩く番組や、その国にすむ日本人が案内する番組など、見ていて楽しい。そのときは旅チャンネルで見たいものがなかったので、BSに回すとイタリアの小さな村という番組をやっていた。気持ちをイタリアにいるような気分にさせる音楽が流れていて、いくつかの家族の歴史を中心にその町を映し出す。上手なつくりで行ってみたくなるどころか住んでみたくなる。
その日、テレビ画面にでてきたのは山間の村であった。娘四人を医師、弁護士、教師、音楽の先生に育て上げた老人の家族が中心に話が展開していった。四人が一人暮らしの老人の誕生日に集まり、みんなで、森の中に茸狩りにでかけ、めいめいバスケットに山盛りのポルチーニを採る。実際にポルチーニが生えている森の様子がよくわかり、彼女たちの手で摘まれる丸っこいポルチーニが喜んでいるようだ。
きっと食い入るように見ていたのであろう。玄関のチャイムが鳴ったのに気がつかなかった。
どんどんと戸をたたく音で、やっと誰かがきたとことに気がついた。玄関に行くと、
「わたしよ、鍵もっていかなかったのよ」と怒ったような声が聞こえた。家内だ。よく鍵を忘れて出かける。自分のせいだから怒ることはないだろうに。
「あ、ついつい、鍵かけちゃった」
戸を開けると、家内がぶすっとして入ってきた。
「あ、ポルチーニ食べたでしょ」
私がうなずくと「匂うわよ」と笑い顔にもどった。
「商店街の西洋炉端で食った。リゾットうまかったよ」
「あら珍しい、また西洋料理、どうしたの、やっぱりTシャツのせいね」
家内は着替えに二階にあがってしまった。
テレビに戻ると、四人の姉妹がポルチーニのいろいろな料理をテーブルに並べているところだった。
老人がもう赤ワインを飲んでいる。
家内が下に降りてきてテレビの画面を見るなりうなった。
「ほらまたポルチーニじゃない、あなたやっぱりTシャツにのっとられているわね」
私の前に座ると、お茶を入れて私に差し出した。
「ワインの方がいいかしら」
そういわれて、やっぱりそう思ったのでうなずいた。
「いつもは、お茶しか飲まなかったのに、おかしいわね」
冷蔵庫から飲み残しの赤ワインをもってきた。
テレビではポルチーニのはいった牛肉のシチューで赤ワインを飲んでいる。
家内はワインを味見して「あまり変わっていないから飲めるわよ」と言いながら、私のグラスにつぐと風呂に入りにいった。
ワインを口に含むとテレビの画面からポルチーニの香りが漂ってきた。
うまい。テレビの老人がワインを飲むたびに自分も飲んでいたら、あっという間に空になって、眠くなってしまった。あとは覚えていない。
目が覚めると居間のソファーに寝ていて、タオルケットが掛けられている。まだ、夜中の三時だ。どうもあのまま寝てしまったらしい。Tシャツがちょっと汗っぽい。お腹のところにワインのシミがある。どうもこぼしたようだ。
寝室にパジャマを取りに行くと、家内は自分のベッドでいびきをかいている。
風呂に入ってパジャマに着替え、居間にもどると旅の雑誌を手に取った。ポルチーニ祭りのところをもう一度開くと、その村の歴史が書かれていた。セピア色の写真が載っていて、村人たちが湖のほとりにピクニックに来ている。広げたシートの上には、ランチボックスや果物、ワインの瓶がおかれている。それを何人かが囲んでいる写真だ。女性が二人と男性が二人、二人の女性の顔が写っている。きっとどちらもブロンドか赤毛なのだろう。黒くは写っていない。彫りの深いイタリアの美女である。男性は後ろ姿が写っていて、一人は背の高い白色と思われるTシャツをきている。もう一人はイタリア人としては小柄で、しゃべっているようなジェスチャーが写っている。私はその男が着ているTシャツを見てはっとした。買ったTシャツによく似ている。セピア色の写真なので本当の色ははっきりしないが、コーヒー色だとこのような色合いになると思われる。
虫眼鏡をもってきてみるとやはり似ている。残念ながら茸の刺繍があるかどうかはわからない。
洗濯籠にいれたTシャツを取り出して広げてみた。ますますそう思うようになった。もっともTシャツはみなよく似ているから思い込みでそう見えるのかもしれない。まあそれでもいい、ともかくそう思うことにしよう。
朝になり、起きてきた家内に写真を見せた。
家内は面倒くさそうに老眼鏡をかけ、さらに虫眼鏡でのぞいた。
「似てるけど、そうだっていえないわね、よくある形だし」
と歯磨きに行ってしまった。
どうにかしてあのTシャツがイタリアの古いものだと証明したいものである。しかしその方法を思いつかない。
それにしてもポルチーニの香りが何となく鼻のあたりに漂う。今日はまた隣の駅の本屋に行ってみよう。古いイタリア映画に関する本を探すのだ。家内がキッチンで朝食の用意を始めた。
本屋では五階の美術、写真、映画の棚のところに直行した。イタリア映画に関する本がずらりと並んでいる。戦前のモノクロの写真集を探したが、それにマッチしたものはみつからない。
イタリアの映画の歴史の本があった。ブルネッタという人が書いた、イタリア映画史入門1905ー2003である。手に取ってみるとイタリアでは古くから映画が作られていて、1930年代初頭にチネチッタという世界でも有数の大きな映画村があったらしい。外国の映画もここで撮影されたものがあるという。いろいろな俳優が細かく書かれているが、なんとも自分の頭では整理できない。初めてヌードで映画にでた女優がいるというところしか分からなかった。手元におきたいような本だが、小遣いで買うにはちょっと高い。立ち読みで我慢しよう。
俳優の名前がわからなければ、どのような作品に出ているのかも分からない。当然画像だって見つけることは無理だろう。
そこはあきらめて、ポルチーニについて知りたくなった。茸の図鑑をみるために、理工医学書の階に上った。昨日ボルチーニのフィギュアを買った階である。だが難しそうな医学の本がたくさんおいてあり、こんな中まで迷い込むのは始めてである。茸のコーナーは理学かと思ったら、農学の棚にあった。ずいぶんいろいろある。
素人でもわかるような図鑑がいい。あまり厚くない本を手にとってみた。索引でポルチーニとひいてみた。のっていない。そのあと三冊ほど見たのだが、ポルチーニと引いてもない。よく考えたらイタリア語である。日本語で何という茸なのか、日本に生えているのだろうか。
和名を調べるにはイタリア語辞典で引くしかないがスペルがわからない。そこで気が付いたのは料理の本である。ポルチーニはイタリア料理では当たり前に使われている。ということで2階の料理本のコーナーに行った。これまた茸料理の本はずらりとある。どれでもいいがと思ってみていくと、細長いしゃれた本が目に留まった。
「キノコとトリュフ」でウイークエンドクッキングというシリーズの24番である。著者はハーストとラザフォードでイギリスの本だ。しかし索引にポルチーニはなかった。きれいな本なので、ページをめくると、あった乾燥したポルチーニの写真があり、干したヤマドリタケとある。それで今度は索引からヤマドリタケをひくと、イギリス、すなわち英語ではペニーパンというそうで、フランス語でセップだそうだ。食用茸の王様と書かれていて、料理の方法は数えられないほどあるとあった。
どうもポルチーニというのは一つの茸の種類の名前ではなく、ヤマドリタケの仲間のいくつかをまとめて言うものらしい。
もう一度図鑑のところに戻って、日本のきのこというタイトルの厚い本をとりだしてヤマドリタケをひいてみた。のっていた。イグチという仲間で、色々なヤマドリタケがあった。大きめのきれいな茸である。日本でも採れるなら、庭に生えても不思議はないわけである。ちょっと楽しくなってきた。ともかくヤマドリタケののっている小さな一般向けの図鑑を一つ買った。
詳しいことはわからないが、胞子が飛んでうまく菌糸が延びれば条件さえよければ山鳥茸でもなんでも、庭に生えてもいいわけだ。ふっと、乾燥した茸にも胞子はくっついているのではないかと気付いた。胞子を庭に撒けばいつかポルチーニが生えるかもしれないのである。
ともかくそう思って駅の食材屋で乾燥ポルチーニを二袋買った。今日は散財である。
家にもっていって家内に庭に乾燥したポルチーニを撒くんだというと、あんた馬鹿ね、といういつもの顔をして笑われてしまった。
「ポルチーニはどこに生える茸なの」
「松茸と同じように針葉樹木の根につく茸だそうだ、やっぱり栽培ができないとあるよ、難しい茸のようだ」
「そうでしょ、無理ね、松があるって言ったって、マツタケが生えたこともないし、万が一まちがえて生えても、木が大きくなって、菌糸が土になれてからね、私たちが生きている間はまだだめじゃない」
かみさんはまた笑いやがった。
だがそれもそうである。菌糸が伸びていい条件が整うのに何年かかるか分からない。
そのとき、家内が面白いことを言った。
「そういえばあなたのTシャツ、ワインの跡がとれなくてね、見たら茸の形の染みになっていた、ポルチーニに似ているわよ」
彼女は洗ったTシャツをもってきて広げて見せてくれた。
胸のところにポルチーニの丸っこい頭がありお腹にかけて、小太りの胴体があった。
「やっぱり、イタリアのTシャツじゃないか」
家内はまたまた笑って、
「本物のポルチーニが生えたわけじゃないし、ワインをこぼした跡がポルチーニに似ているからと言ったって、このTシャツがイタリアの古いものだっていう証拠にはならないわよ」とコーヒー色のTシャツを放ってよこした。
匂いを嗅いでみると、何となくポルチーニの香りだ。
家内はテレビをつけた。
「これからスリーナインをやるのよ」
家内はアニメや漫画が好きで、テレビでやるとなると、その前に陣取って、動かなくなる。
「松本零士のかい」
「うん、久しぶりだから見るわよ」
とそこで、松本零士のマンガ、男おいどんを思い出した。さるまたけである。主人公が押入れに押し込んだパンツから生えた茸である。もしこのTシャツがイタリアのものならきっとポルチーニが好きだろう。乾燥したポルチーニを蒔いておくと胞子から芽が出て、Tシャツに生えてくるにちがいない。いきなり頭の中にひらめいたアイディアはすぐ実行すべし、昔からそう思っていた。それで、自分の部屋にもどって、ダンボール箱をさがしてきた。今思うと頭がポルチーニで撹乱されていたのだろう。漫画と現実がいりまじり、針葉樹林の根元にしか生えないことなどどこかにすっ飛んでいた。
乾燥ポルチーニをもみながら細かくし、ダンボールの底に広げたTシャツの上に撒いた。水も必要だろうと思い、コップの水を口に含んで霧にしてかけた。
このような実験の時には対照群というのが必要と聞いたことがある。それで、もう一つ段ボールをもってきて、ユニクロの茶色いTシャツを入れて、同じようにポルチーニを蒔いて霧をかけた。両方ともふたをすると自分の部屋の押入に入れた。
どのくらいおいておいたらいいのかわからないが、とりあえず放っておくことにした。たまに覗いてみよう。
それから不思議なことに、そのTシャツを着なくなったら、イタリア料理を食べたいと思わなくなり、もとのように日本食が中心となった。Tシャツのこともだんだん頭から離れていった。
蒸し暑い夏が終わり、秋風が吹き始めた。
その日は台風がくるというので、雨戸をすべて閉めて風雨にそなえた。
その晩予報どおり風と雨が激しくなってきた。テレビの台風状況を見ていると、なんだか子供の頃を思い出した。小学生の頃、台風というと父親が雨戸を全部閉め、板を打ちつけたりするのを見て、何か起きそうでわくわくした思いだった。台風がくると雨風の強まった外をのぞきに玄関をちょっと開けて見たものだ。木々がしないで強い雨とともに葉っぱが舞うのをすごいとあこがれの目で眺めていた。真夜中になって、雨の音と風の音で一晩中眠れずに、雨戸がギシギシいうのを聞いていたものである。怖いのではなくて何か新鮮さを感じていた。明くる朝庭を見るとザクロの木が倒れていたりして、台風のすごさを感じ、台風に畏敬の念を抱いていた。
それはこの年になってもかわらない。わくわくする。
家内は猫の雑誌を持って、そそくさとベッドに入ってしまった。
自分だけテレビで台風状況をみながらビールを飲んだ。新しい建物だと雨音はほとんど聞こえず、風の音もたいしたことはない。あまり実感がなく、唯一、テレビの中でしか台風を感じることができなくなってしまった。最も本当に被害にあったことがないので、そんなことを言っていられるのだろう。浸水、倒壊のような被害にあった人たちに、ビールを飲んで高みの見物をしている自分は怒られてしまう、などと思いながらもビールを飲んでいるのだからしょうがないものだ。
いつもは早く寝てしまうのに、その日は夜中の3時までテレビを見ていて、やっとベッドに入る気になった。
明くる朝、二階の雨戸のない寝室に明るすぎる朝日が差し込んで目が覚めた。台風一過の朝はすがすがしいものである。家内はもう起きていて、後かたづけをしているのであろう、ベッドは空である。時計を見ると八時をまわっている。五時間も寝てしまった。いつもの睡眠時間は四時間ほどである。
一階に降りると、案の定、家内が一階のすべての雨戸を開けて庭に出ていた。
「どこか壊れたところあるのか」
「何もないわよ、ほらここに茸が生えている」
家内の声で庭にでてみた。椿の木の下に小さな白い茸が生えている。
「あなた、すっかりポルチーニのことを言わなくなったわね、そういえばあのイタリアのTシャツはどうしたの、最近着ないわね」
そう言われて押入に入れたことを思い出した。
「押入に入っているよ、出してみる」
「なにしたの」
それには答えずに、二階にあがった。
押入から段ボール箱をとりだすとふたを開けてみた。
驚くどころじゃない、ヤマドリタケがTシャツの上からポコリと生えている。
「おーい、おまえ」
あまり大きな声で、驚いた家内が階段を駆け上がってきた。
「脳卒中でも起こしたかと思ったじゃない」
部屋に入ってくると、元気な自分を見てそうどなった。
「これ見ろよ」
「なにこれ、Tシャツから茸が生えているじゃない、もしかするとポルチーニなの、どこから買ってきたの」
「買ってきたのじゃないよ、いや買ってきた乾燥ポルチーニをTシャツに振りかけて押入に入れといたんだ」
「それで、ポルチーニが生えたの、もう一つの段ボールはなに」
そう言われてもう一つの箱をあけた。Tシャツの上にはカビが生えていた。
「これはユニクロのTシャツだ、日本製だぞ、ほら茸は生えていない、これでこのTシャツがイタリアのものだとはっきりしたじゃないか」
「なあに、このTシャツがイタリア製だと証明するためにやったの、変なこと考えたのね、まあ確かにポルチーニが生えるということは不思議だけどね、まあいいか、このTシャツがイタリアの古いものであることは認めようじゃないの」
やっと胸の痞(つか)えがおりて、Tシャツをとりだした。ポルチーニの底から白い糸のようなものがでていて、Tシャツの布の中に入り込んでいる。
「あら、確かに菌糸が伸びているわね、写真撮るからもう一度箱にしまって」
家内は自分のスマホもってきて撮りはじめた。
「Tシャツからポルチーニが生えているなんて、話題物よ」
写真をとった後、ポルチーニは冷蔵庫に入れTシャツは洗濯機に入れた。その時も、ポルチーニは生きた木の根元にしか生えないことを忘れていた。
その日、私はこの結果をあの古着屋に伝えてやろうと思って、表参道に行った。古着屋に入っていくと、あのTシャツを売ってくれた太った店員が寄ってきた。
「何かお探しですか」
「お宅でいただいたイタリアの俳優さんが着ていたという古いTシャツに茸がはえましてね」
そう言ったら変な顔をされてしまった。
「これですかね」
店員がTシャツのところで指差した。そこにあったものに私は目を見張った。そしてがっかりした。
あのTシャツが何枚も重ねておいてあった。
「こ、これイタリアの古い俳優さんが着たものじゃないの」
私はなんと言っていいかわからないのでそう言った。
「そうすよ、また入荷したんすよ」
「でも、こんなにあるのどうして」
「イタリアの会社で俳優さんが着ていたTシャツのレプリカを売り出したら大当たりでしてね」
「二ヶ月前に買ったときは一枚だった」
店員さんは、ちょっと困った顔をしたがすぐに、
「お客さんが買ったのは最初に作られたもので、もっと高かったかもしれないな」と言った。
値札を見ると1900円とある。
「人気なんでまた作ったということですよ、それで茸がどうしたんですか」
店員さんはクレームにきたと思ったらしい。
「いや、これぴったりだった、もう一枚もらおう」
茸の説明は面倒だったのでもう一枚買ってしまった。
それを持って家に帰ると、家内が庭に出ている。ポルチーニを手に持っている。
「なにしてるんだ」
「捨てるのよ」
「どうしてだよ」
「あなたね、科学博物館から連絡があったのよ」
「なんなんだ」
「あのね、あの茸の写真をを茸のサイトにアップしたのよ、だって、Tシャツから生えるなんて珍しいじゃない、Tシャツから生えたポルチーニってタイトルで」
「それで、何で科学博物館なんだ」
「ずいぶんアクセスがあったのよ、さるまたけの仲間なんて書いたのもあった。それでね、科学博物館の人のコメントがあってね、それは毒ヤマドリタケだから、食べないようにって」
「それはいいが、科学博物館の先生はなぜTシャツから生えたか聞かなかったか」
「そんなことどうでもいいんじゃない、毒のことしか言ってなかった、きっとただ、Tシャツの上において写真撮ったと思ったんじゃないの」
「Tシャツから生えたことは珍しくないのか」
「私はそう思うけど、洗っちゃったからもうだめよ」
証拠がなければどうしようもない。そのままとっとくべきだった。
「それでその立派な茸を捨てちゃうのか」
ちょっとしゃくにさわる。
「うん」
「でもなんで、庭にほうるんだ」
「茸としてはきれいだから、また生えてくるかもしれないじゃん」
なるほどと思った。
私は家内からTシャツから生えた毒ヤマドリタケを受け取ると、小さな松の木の下に丁寧に植えてやった。
「それで、古着屋さんはどうだった、なんて言った」
家内が聞いたので、袋の中からTシャツをだした。
「なに、それ、同じものじゃない」
「レプリカなんだってよ、でもイタリア製だ」
家内の顔が崩れ大笑いをしやがった。だけど、Tシャツから毒だろうがどうだろうがポルチーニの仲間が生えたのは確かである。さすがイタリア製である。
Tシャツ