カタツムリからすると階段の段差がバラバラなのは至って常識。
「あかねちゃんはカタツムリが好きなの?」
あかねちゃんはコクリと首を頷いた。
「でも、カタツムリってバッチいし、気持ち悪くない?」
あかちゃんは首をブンブンと横に振った。
「へんなの。ねぇ。雨も降っているし、私の家でハムスターでも見ていかない? 最近、ホームセンターでお父さんに買ってもらったんだ。食パンのミミに似た色でモフモフしているよ」
あかねちゃんは首を横に振った。
「まだ、カタツムリを捕まえるの?」
あかねちゃんはコクリと頭を下に動かした。
「もう! 牛乳パックにたくさんカタツムリが入っているでしょ。ほら、さっきから雨も強くなってきたしさ、それに、少し、寒いんだよね私。お家に帰ろうよ」
あかねちゃんは「うー」と小さく鳴いて、コクンと頷いた。
そうして2人の女の子は公園を出てアスファルト舗装の道路を歩いた。私は雨靴を履いていた。黄色い傘をさしていた。あかねちゃんも雨靴を履いていて赤い傘をさしていた。あかねちゃんはジィーと捕獲した牛乳パックの中に入る小さいカタツムリを見ていた。
小雨がポツポツと落ちていた。空はどんよりと暗く、スコールが何時来てもおかしくはなかった。
「カタツムリを見ながら歩いていたら危ないよ」
私があかねちゃんに注意すると彼女は私の顔をチラリと見た後、牛乳パックの中身を再び覗いた。私はあきれてため息をついた。すると、何やら、正面の方から男の子たち3人が騒いでいる。足を上げて踊っているようであったので、私はあかねちゃんを引っ張ってそこに向かう。
パチン、パチン。
割れる音が鳴っていた。男の子たちはアスファルトの上をのろのろと渡っていたカタツムリを踏ん付けていた。私はその光景から怒りがこみ上げてくる。それで「あんたたち! カタツムリが可哀想でしょ! やめなさいよ!」と言った。
私の声に3人の男の子たちはピタリと踏むことを辞めたが、3人とも同じ表情でへらへらと笑っていて気持ち悪かった。
「あかねちゃんも文句を言ってやりなさいよ。あかねちゃんが好きなカタツムリをいじめていたんだよ」
あかねちゃんはジィーと3人の男の子を見て「カタツムリ、触った?」と聞いた。
「触った。触った」
1人の男の子は答えた。
あかねちゃんは再びジィーと男の子たちを見た後に「カタツムリ、ネズミの糞とか食べる、だから、汚い。汚いから、家に帰ったら、手を洗わないとダメ」と言って牛乳パックから一匹のカタツムリを人差し指に乗せて3人の男の子にグイっと見せつけた。男の子たちは最初、へらへらと笑っていたがあかねちゃんは無言のままであった。それに大きなあかねちゃんの2つの目玉がジィーと、ジィーと、そうまるで、カタツムリの目玉のようにジィーと3人を見つめていたから、男の子たちはピタリと笑うことを辞めた。顔色が青白くなり、冷や汗がダラダラと垂れた。決して雨の滴ではなかった。私もなんだか怖くなって「あかねちゃん、もういいから行こう」と素直な声で言った。3人の男の子たちは私の声にハッとしたのか男の子の1人が「カタツムリはよう! 気持ち悪いんだあ!」そう叫ぶとあかねちゃんの指を平手打ちしてた。カタツムリは宙を舞い、アスファルトが凹んでいて泥水が溜まっている黒い水の中に沈んだ。それから男の子たちは走り去って行った。
私はとても心臓がバクバクとしていた。バクバクしていたけど、ゆっくりと、あかねちゃんの方を向いた。あかねちゃんは何故かニコニコとしていた。牛乳パックは両手で持っている。傘はいつのまにかアスファルトの上に転がっている。
「あかねちゃん。傘」
私がそう言うとあかねちゃんは赤い傘をヒョイと拾い上げた。私はあかねちゃんに何を話せばいいか分からなくなっていたから思わず、適当に考えたことを言った。
「あかねちゃん。私の家に行く? それで、そのカタツムリでレースでもしようか? 教科書で壁を作ってさ。ゴールの所に葉っぱを置くんだ」
あかねちゃんはパァアと顔を輝かせてコクリと頷いた。でも私は来た道を振り向いて声が出た。
「公園にランドセル、忘れちゃった」
「夏休みもう終わっちゃたね。宿題やってきた? 私、夏休みの研究を全然やってないんだ」
あかねちゃんはニコニコと笑っている。
「ああ! 夏休みの研究、やってきたんだ! インチキ! 1人でやらないで私も誘ってよ!」
あかねちゃんはニコニコと笑っている。
教室の扉がガラリと開いた。先生だった。先生は教壇の前に立つと「はい、みんな席について。それから、いきなりですが夏休みの研究の課題の発表を行いますよ。みなさんはもう、来年から中学3年生になるんですから気を引き締めて下さい」と言った。しかし、生徒たちは「ええ! 夏休み明けの1日目から課題の発表なんて聞いてないです!」とか「私、忘れました!」と反論を述べた。
その様子に先生も「ええ。わかりました。それじゃあ、課題の発表を来週にしますね」と言う。だが1人の少女はビシッと垂直に手を上げていた。顔はニコニコと笑っている。
「あら、杉山さん。発表したいの?」
先生はびっくりした声で質問した。
「あかねちゃん、来週にしたら?」
私もあかねちゃんに提案したが、あかねちゃんは自信満々な表情であった。そのあかねちゃんの姿に他の生徒たちは「おー」と小さな歓声を上げた。
「そうね。わかったわ。杉山さん、発表してくれる?」
先生の言葉にあかねちゃんは意気揚々と立ち上がった。それとあかねちゃんの両手には黒いビニール袋があった。
あかねちゃんは教壇に立ち、黒い袋を教壇の上に置いた。ゴトッと音が鳴った。あかねちゃんはニコニコと嬉しそうに笑っていた。
「新種のカタツムリ」
あかねちゃんがそう言うと教室の生徒たちは「新種だって!」、「もしかして新種のカタツムリを捕まえたのか」、「あの袋の中は虫かごか?」とざわめきが起こった。
あかねちゃんはニシシと笑って自慢そうに黒い袋を勢いよく捲り取った。透明の虫かごがあって、その中に1枚の葉っぱと丸い殻のないカタツムリがいた。あかねちゃんはフフンと鼻を鳴らして笑った。生徒たちは目が点となり少しの間呆然としていた。
「あれナメクジじゃね?」
1人の生徒が言った。
「ああ、あれは間違いなくナメクジだ」
「新種じゃないよ。ナメクジだよ」
生徒たちはお互いに確認しあうように言った。何故ならあかねちゃんがあまりにも自信のある表情だから自分たちの方が間違っていると思えたからだ。教室のざわめきを先生が終止符を打った。
「あかねちゃん。それナメクジよ。カタツムリじゃないわ」
あかねちゃんは先生の言葉に黙った後、虫かごを両手で持ち上げて「にせもの?」と言った。少しの間虫かごのにせものを見た後に、ポトンポトンと大きな目から大粒の涙を流して、ウエーン、ウエーンと泣き始めた。ウエーン、ウエーン。
生徒と先生は驚いてしまい、ただただ、黙って見ていた。私は仕方がないのであかねちゃんの所に行って手を引いてあかねちゃんの席に引っ張って行った。あかねちゃんは虫かごを抱きながら「にせもの、にせもの」と言い続けていた。
「私、大学に進学して公務員になろうと思うの。なんだかんだ、言ってさ、大企業に入っても大変そうじゃない? あかねちゃんはどうするの?」
私は昼の休みに弁当の鮭を食べながらあかねちゃんに聞いた。あかねちゃんは白い食パンをパクパクと食べていた。
「もしかして何も考えてないの? もう私たち受験だよ? 一応私は県内の大学に進学するつもり、それで公務員になるの。さっきも言ったけど」
あかねちゃんは食パンのミミだけを残してパクパクと食べていた。
「ねぇ、聞いてる?」
私はムッとしたので声を低くして言った。するとあかねちゃんは答えた。
「カタツムリ、になる」
私は思わず鮭を吹いた。
「なにそれ? 冗談? カタツムリにはなれないでしょ」
あかねちゃんはウーンと考えてから「カタツムリのお医者さんになる」と言う。
「いや、ないでしょ。そんな医者いないよ」
あかねちゃんはまたウーンと空を見ながら考えてから「カタツムリ、博士になる」と言った。
私はもうため息をついた。それで適当に「いいんじゃない。カタツムリ博士。でも何だか暇そうね」と言っておいた。
私の言葉にあかねちゃんはフフーンと鼻を鳴らした。意味が分からなかったが彼女的に何かを目標を得たのだろう。
「あ、ごめん。私、先生に呼ばれていたんだ。ちょっと行ってくるね」
あかねちゃんはコクンと頷いた。
私は教室から出て歩いていると数人の女生徒が近づいてきて言った。
「放課後あいてる?」
私は「どうしたの?」と聞いた。
「カラオケに行こうと思うんだ」
「ごめん。今日は予定あるんだ」
「また杉山さんと遊ぶの?」
「またって……。別にいいでしょ」
「だって杉山さん、変わってるじゃない。いつも筆箱にカタツムリを入れているし、休み時間にはカタツムリと会話しているし、休みの日には何しているの? っ聞いたら『カタツムリとお散歩』とか言うのよ。確かに、学年主席なのは凄いけど、逆に気味が悪いわ」
女生徒の言葉に数人の女生徒が相槌を打った。
「昔からああなの」
私は返答した。
「でももう、高校生でしょ? やっぱり変よ」
私は軽く笑って「カタツムリが好きなのよ彼女。カラオケはまた今度誘って」と答え、先生への元へと向かった。
「仕事辞めたい」
私は死にそうな声で言った。本当に死にそうだった。大学を卒業して公務員にはなれず、期待もしていなかった職へと就いた。給料は確かにいいが素晴らしく激務であった。今日も深夜まで残業であった。同僚の1人が私に熱いコーヒーとチョコレートを渡して「お疲れさん。早く帰りたいね」と言った。
「ええ」
「おいおい大丈夫か? 死にそうな顔だぞ?」
「大丈夫に見えますか? それにいつも死にそうな顔ですよ」
「ははは」
同僚も力のない笑い声をあげて丸めた新聞で肩を叩いた。
「まあ、有休でも取ってゆっくり休めよ」
「それができたら、もう取ってます」
同僚の発言に答えた時であった私は肩を叩かれた新聞に目をやった。そこには見覚えのある顔がデカデカと映っていた。私は反射的にその新聞を奪い取って広げた。同僚はびっくりした表情をしていた。
「あかねちゃん?」
写真の人物はあかねちゃんだった。昔からの幼馴染である。どうして? と思い新聞の見出しから全ての文章を読み進めた。
新聞の内容は『○×△大学所属の杉山あかね博士が世界的な発明をする』とあり『カタツムリの細胞から人及び動物、虫、鉱物、植物の細胞を作製の成功。これによって、人の臓器から希少価値の高い鉱物の複製の可能となり……』と続いていた。
「すごいよね! 人類最高の科学者って報道してたよこの人」と同僚は言った。
私は同僚に何も答えずあかねちゃんに電話していた。すると携帯から懐かしい声がした。
「あかねちゃん。すごいじゃない」と私は言った。
電話の向こうであかねちゃんは「ウン」と言った。
「ねぇ。お祝いに今度ごはん食べに行こうよ」
あかねちゃんは無言になる。
「どうしたの?」と私は聞いた。
「最近、わかった」
そうしてから「最近、カタツムリの細胞を脳に移植したの、それで、会話する」
私は思わず「は?」と答えた。
「あ、ああ。あ……」と声を出した後に「カタツムリからすると階段の段差がバラバラなのは至って常識。だって足はないしヌルヌルって這い上がるだけだもんね。それって人の生き方と似ているかもね。君は今まで段差があったけど。僕には無いにひとしかったもん。で、君だけには伝えておきたいんだ。僕はこの細胞をバラまいてカタツムリの国を建国するんだ。だって全部、カタツムリの細胞を移植できるようにしたもんね。僕。頭いいでしょ」
私はあんぐりと口を開けてから「貴方、本当にあかねちゃん?」と言った。
「本当のあかねちゃんって意味はわからないけど、結構昔からこんなだよ。そうだね。明確に言うと君とカタツムリレースした後にあかねちゃんが手を洗わないで晩御飯のピザを食べた辺りから、徐々にね」
携帯電話の奥からケラケラとした笑い声が続いた。
カタツムリからすると階段の段差がバラバラなのは至って常識。