シロヒメの姉妹なかよし大作戦なんだしっ❤
Ⅰ
「ふたりをー、ぷーりゅやみが~♪ ぷーりゅりゅー、こーのまどべに~♪」
「白姫(しろひめ)……」
いつも以上に絶句させられる。
それでも、アリス・クリーヴランドは自分をふるい立たせ、
「なんですか『ぷりゅ闇』って……」
「大人の恋は暗くなってからなんだし。ムードだしー」
「大人って……白姫、三歳じゃないですか」
と言っても、白馬の白姫にとってそれは人間と同じような年齢であることを意味しない。けれども、大人と言い切るにはまだ微妙なところなのだが。
「それと……」
意味不明な歌詞に加えて、さらにアリスをあぜんとさせたのは、
「なんなんですか、その格好は……」
「ぷりゅー?」
わからないのか、という目で白姫がアリスを見る。
「ギターだし」
「ギターはわかりますけど……」
そう、ギターはわかる。
わからないのは『なんでそれを背負っているのか』ということだ。
「ギターを持った渡り馬なんだし」
「いや、白姫、渡ってないですよ。いつも自分たちと一緒にいますよ」
「いいから、そういうことにしとくし。じゃないと歌とファッションが合わないんだし」
「はあ……」
ファッション――
なぜかまぶたの上に張りつけられている分厚い付け眉毛も、その〝ファッション〟ということになるのだろうか。
「ぷりゅぷりゅだなあ」
「……は?」
「白馬のぷりゅ大将なんだし」
いろいろごちゃ混ぜになっているように思うが、早くもツッコむ気力が起きない。
「それで……」
アリスはあらためて根本的なその〝疑問〟を口にする。
「なんでですか」
「ぷりゅー?」
「だからその……白姫がそんな格好をしているのがどうしてかと」
本人――というか本〝馬〟が言った通り、ただ単に歌に合わせていうことなのだろうか。それだけでここまで……? と普通なら思うが、白姫はいろいろな意味で普通からはかけ離れている。
すると、白姫は思いがけないことを口にした。
「ユイフォンのためだし」
「えっ」
ユイフォン――共に屋敷で暮らす少女・何玉鳳(ホー・ユイフォン)の名前が出てきたことにアリスは軽く目を見開く。
「なんでですか?」
「だから、ユイフォンのためだし」
「そういうことじゃなくて、どうしてユイフォンのためかと」
「アリス、アホだしー」
「えぇぇ~」
一方的な言われように、アリスは情けなく顔をしかめる。
「本当にアホなんだし。何もわからないんだし」
「わ、わかるわけないですよ。無茶を言わないでください」
「まー、仕方ないから教えてあげるし」
白姫はやれやれとわざとらしくため息をつき、
「ユイフォンもアホなんだし」
「やめてください、そういう言い方は」
「だから教えないといけないんだし」
「えっ」
教える? いったい何を――
「というわけで行くし」
「えっ? えっ?」
戸惑うアリスを置いて、
「あっ、ちょっ……どこへ行くんですか? 白姫―――っ!」
Ⅱ
「さあ、ユイフォン!」
屋敷の裏手にいたユイフォンに白姫は言った。
「かわいがるんだし!」
「う?」
「シロヒメを! さあ、かわいがるんだし!」
「って、なんでですか!」
思わず大声でツッコんでしまうアリス。
ユイフォンも困惑したように、
「う? う?」
目をぱちぱちさせている。
と、白姫は早くもいらだったように、
「かわいがるし! ほら!」
「う……」
「だから、なんでですか! ユイフォンも戸惑ってますよ!」
こくこく。うなずくユイフォン。
すると、
「うるせーし!」
パカーーーン!
「きゃあっ」
突然の後ろ蹴りをくらい、アリスは勢いよく吹き飛ぶ。
「なっ、何をするんですか!」
「蹴りを入れたし」
「事実確認ではなくて、なぜそんなことをしたのかということです!」
「そこにアリスがいたからだし」
「そんな抽象的なことも聞いてないですよ!」
顔にくっきりヒヅメの跡をつけたアリスは涙目で絶叫する。
「もー、うるせーしー。アリスが邪魔するからだしー」
「いや、そもそもなんの邪魔をしたのかも……」
「だから、ユイフォンにシロヒメをかわいがらせる特訓だし。馬っかわいがりしてもらうんだし」
「馬かわいがり……猫かわいがりみたいなものですか」
またものオリジナルな言葉に脱力する。
「でも、なぜユイフォンに」
「ユイフォンがマキオの娘だからだし」
マキオ――鬼堂院真緒(きどういん・まきお)はユイフォンの〝母〟である。
といっても実際は真緒が六歳で十三歳のユイフォンよりはるかに年下だ。しかし、歳に似合わず頼りがいがあり面倒見のいい真緒が〝媽媽(マーマ)〟と呼ばれる姿には、驚くほど違和感がなかった。
「マキオは馬のかわいがり方をわかってるんだし」
白姫が言葉を続ける。
「だから、シロヒメ、ユイフォンを指導してるんだし」
「はあ……」
わかるような、わからないような。
「でも、白姫……」
アリスはおそるおそる、
「その格好のままでですか?」
「そうだし」
うなずく白姫。白姫は先ほど歌っていたときと同じ――ギターを背負って太い付け眉毛という姿だった。
「白馬のぷりゅ大将だし」
「言ってること違うじゃないですか、さっきと!」
またも声を張り上げてしまう。
「ぷーりゅとー、いーつまーでも~♪」
「いきなり歌い出さないでください。なんなんですか『ぷりゅといつまでも』って」
アリスはなんとか気力をふりしぼり、
「だいたい、その格好をかわいがるって無理がありますよ」
「無理?」
「そうですよ……」
「問題ないし。シロヒメ、かわいいから」
「いくらかわいくても……」
「そういうところもふくめての特訓なんだし」
「はあ……」
強弁されてしまうとアリスとしても言い返しようがない。
「だいたい、ユイフォンからお願いしてきたんだし」
「えっ」
「かわいがれるようになりたいって。シロヒメに」
「そうなんですか?」
驚いてユイフォンを見る。
「ち、違う」
ユイフォンの首がふるふると横にふられる。
「嘘つくんじゃねーし!」
パカーーーン!
「あうっ」
蹴られたユイフォンは涙を浮かべ、
「い、痛い……」
「やめてください、暴力は!」
アリスはあわててユイフォンをかばい、
「ユイフォンは嘘をついたりしませんよ!」
「う。しない」
「えー、するしー。ユイフォン、悪者だからー」
「それは……」
口ごもってしまう。
ユイフォンとアリスたちとの出会いはかなり剣呑なものだった。多くの者たちが傷ついたりもした。
でも真緒と出会ってユイフォンは変わった。
だから、アリスは断言できた。
「ユイフォンはいい子になったんですよ!」
「う。いい子になった」
ユイフォンもうなずく。
「えー、信じられないしー。どうせ悪者だしー」
「どうせ悪者……」
「やめてください、ひどいことを言うのは!」
またも目をうるませるユイフォンを見て、アリスは必死に声を張り上げる。
「とにかく、ユイフォンは嘘をつきません! だいたい、白姫に『かわいがれるようになりたい』なんて言うわけないですよ!」
「言わない」
ユイフォンもうなずく。
「『かわいがられるようになりたい』って言った」
「そうです『かわいがられるように』って……えっ?」
はっとなりユイフォンを見るアリス。
「えーと……『かわいが〝ら〟れるように』?」
「う」
「『かわいがれるように』じゃなくて?」
こくこく。うなずく。
「えー……と……」
続ける言葉を見失うアリスだったが、
「……どういうことです?」
「………………」
ユイフォンは、
「……見た」
「えっ」
「ユイフォン……見た」
そして――
ユイフォンは自分が〝見た〟ことを話し始めた。
Ⅲ
「お姉ちゃーん」
「あっ、柚子(ゆこ)」
それは――
ユイフォンが通う森羅(しんら)学園での放課後のことだった。
そのとき、ユイフォンは同じクラスの五十嵐柚子と一緒に教室のゴミ出しをしていた。正確にはゴミの係はユイフォン一人だったのだが、学校のことにいろいろ不慣れな彼女のことを気にかけて柚子が手伝ってくれていたのだ。
このことに限らず柚子はいつでも親切にしてくれた。そんな彼女のことをユイフォンも慕っていた。
「お姉ちゃんもゴミ係?」
「うん。柚子も?」
「わたしじゃなくて、ユイフォンちゃんが」
そして、
「う……」
視線を向けられ、戸惑うユイフォン。
五十嵐冴(いがらし・さえ)。柚子の姉である彼女が同じ森羅学園の高等部に通っていることは知っていた。
ちなみに、ユイフォンたちは中等部に所属している。
「そう……ユイフォンちゃんが」
かすかにゆれる冴の瞳。
その理由をユイフォンは知っている。
二人の初対面はあまり良いものとは言えなかった。そのことをまだ彼女は引きずっているのだろう。
しかし、冴は笑顔を見せ、
「どう、学校は慣れた?」
「う……」
ユイフォンはおどおどと目を伏せる。もともと人見知りする性格ではあるのだ。
すると、
「これからだよね、ユイフォンちゃん」
「う……?」
「もー、だめだよ、お姉ちゃん。そんな風にせかすみたいな聞き方したら」
「わたしはそんな……ただ心配して」
「だーめ。お姉ちゃんはただでさえ委員長なところがあるんだから」
「な、なによ『ただでさえ委員長』って」
「おせっかい焼き過ぎ。花房先輩もそれで迷惑したって」
「そうなの!? 花房君がそんな……」
とたんにうろたえる冴を見て、柚子がくすっと笑う。
冴ははっとなり、
「もうっ! やめなさい、柚子!」
「えー、何をやめるのー」
「だから花房君を……その……そんな……」
「ふふっ」
「ゆ、柚子!」
冴の顔が真っ赤になり、柚子はますます楽しそうに笑う。
そんな仲の良い姉妹の姿を見て、
「………………」
ユイフォンは、
「……うー」
ちょっぴりさびしそうに目を伏せた。
「だから」
「えーと……」
ユイフォンの話を聞き終えたアリスは、
「なにが……『だから』なんです?」
「………………」
「えー……と……」
言葉に詰まってしまう。
すると、
「しょーがないし。アリス、アホなんだし」
「う。アホ」
「アホじゃないです」
そこはかたくなに否定して、
「だって、いまのだけじゃわかりませんよ、普通。そこでどうして『かわいがられるようになりたい』なんて」
そこまで言ってアリスははっとなる。
「ひょっとして……」
「………………」
「ユイフォンも柚子みたいに……かわいがられてみたい?」
こくこく。ユイフォンがうなずいた。
「もー、ぷりゅ騒がせなんだしー」
「なんですか『ぷりゅ騒がせ』って。そもそも白姫はわかってたんじゃないんですか?」
そんなアリスの指摘をきれいに無視して、
「なんで、かわいがられるようになりたいんだし? マキオがいるのに」
「あっ、そうですよ」
アリスもそのことに気づき、
「真緒ちゃん、とってもユイフォンのことをかわいがってるじゃないですか。十分かわいがられてるじゃないですか」
「………………」
ユイフォンは、
「媽媽は……媽媽」
「はあ……」
「姐々(ジェジェ)じゃ……ない」
「……!」
またもはっとさせられるアリス。
確かに――
母が娘をかわいがるのと、姉が妹をかわいがるのとは微妙に違うのかもしれない。
アリスに兄弟姉妹はいないのだが、こちらを妹同然にかわいがってくれた相手がいたことから、その感じはなんとなく察することができた。
「ぜいたくだしー」
「う……」
白姫の言葉に縮こまるユイフォン。自分でもそうは思っているのかもしれない。
アリスはあわてて、
「い、いいじゃないですか、ユイフォンにお姉ちゃんがいても」
「アリス……」
「ユイフォン」
うれしそうにこちらを見る彼女に笑顔を見せ、
「自分でよかったらユイフォンのお姉ちゃんに……」
「やだ」
即座に首を横にふられ、がくっとなる。
そこへ白姫も、
「わけわかんないしー、アリスがお姉ちゃんとかー」
「な、なんでですか! 自分だって、その、もし妹がいたら……」
「その妹がかわいそうなんだしー」
「う、かわいそう」
「なんでですか!」
「普通そうだしー。アリスがお姉ちゃんなんていう時点で生きていけないしー」
「う、生きていけない」
「どういうことですか!」
たまらず涙目で絶叫してしまう。
「じゃあ、誰がお姉ちゃんならいいんですか!」
「もちろんシロヒメだし」
「ええっ!?」
「だってそうだしー。シロヒメが一番頼りになるからー」
「頼りに……?」
「う……?」
「なんだし、その不満そうな目は」
「い、いえ……」
「そ、そんな目してない……」
「だったら決まりだしー。シロヒメがお姉ちゃんでみんなそろって『ぷりゅぷりゅ娘』なんだしー」
「ぷりゅぷりゅ娘!?」
「な、なに?」
「ぷりゅぷりゅ娘はぷりゅぷりゅ娘だし。シロヒメとアリスとユイフォンで歌とお笑いのトリオを組むんだし。それで日本中まわるんだし」
「なんで、そんなことをするんですか!」
「ぷりゅぷりゅ娘だからだし」
「説明になってませんよ!」
声を張り上げてしまう。
「とにかく……」
アリスは本題に戻ろうと、
「ユイフォンはお姉ちゃんがほしいんですよね」
「う」
「だったら……」
アリスは自分たちの暮らす屋敷に誰より〝姉〟と呼ぶのにふさわしい人がいることを思い出す。
「ユイファさんですよ」
劉羽花(リュウ・ユイファ)――
アリスたちがこの屋敷に来る以前から使用人として働いている女性で、年下の子をこの上なく慈しんでくれる人だ。
「ユイファさんなら、きっとユイフォンのこともかわいがってくれて……」
その瞬間、
「えっ?」
ユイフォンはぷい、と背を向け、小走りに去っていった。
「え? え? あ、あの……」
取り残された形のアリスはあたふたと声を失う。
そこへ、
「アホだしー」
「えええっ!?」
容赦ない指摘にアリスはうろたえる。
「な、なんでですか!」
「わからないところがやっぱりアホなんだしー」
「アホじゃないです!」
それでも必死で言い返す。
「自分、間違ってないですよ! ユイファさんならきっとユイフォンをかわいがってくれて……」
「それができないからユイフォンは行っちゃったんだし」
「えっ」
アリスはとっさに続ける言葉を失うも、
「ど……どうしてですか?」
「アホだしー」
「アホじゃないです」
そう言いつつもアリスは考えていた。何か……二人の間にあるのだろうかと。
Ⅳ
「アリスちゃん」
「あ……は、はいっ」
物思いにふけっていたところに声をかけられ、アリスはあたふたとふり返った。
「あ……」
「?」
おかしな反応に首をかしげる使用人服姿に眼鏡の女性――ユイファ。
アリスはあわてふためき、
「な、なんでしょうか、ユイファさん!」
「用はないんだけど……なんだかぼーっとしてたから」
どきっ。アリスの胸がはねる。
「な、なんでも……」
なくはない。事実、考えごとをしていたのだから。
アリスに嘘はつけない。
騎士には至誠が求められる。まだ見習いの従騎士であるアリスだが、むしろだからこそ騎士以上にその教えは守るべきと心に決めている。
「アリスちゃん……」
ユイファの表情が険しくなり、
「言って!」
「えっ!?」
不意に詰め寄られて驚くアリス。ユイファは真剣そのものの顔で、
「わたしに言って! 一人でかかえこまないで!」
「え? え?」
「わたし、アリスちゃんより年上だから! お姉ちゃんだから! だからなんでも言って!」
「えぇぇ~……」
あぜんと言葉を失う。
ユイファには〝こういうところ〟がある。年下の子に何かあると放っておけないというか面倒を見すぎてしまうというか。
本人いわく『お姉ちゃん体質』とのことらしい。
「あ、あの……」
一瞬ユイフォンのことを言おうか迷うが、彼女の見せた態度が頭をよぎり、
「その……ユイファさんは……」
目をそらしつつ遠回しに、
「かわいがってほしい子がいたら……どうしますか?」
「えっ」
唐突な問いかけに、眼鏡の奥の目が丸くなる。
が、すぐに、
「アリスちゃん!」
「きゃあっ」
いきなり抱きしめられ、驚きの声をあげてしまう。
「ななっ、なんですか!?」
「ごめんね、アリスちゃん!」
「ええっ!?」
「さびしかったんだね! ごめんね、気がつかなくて!」
「え? え? え?」
どうやら――ユイファは『アリスがかわいがってもらいたがってる』とカン違いしてしまっているらしい。
「いえ、その……ち、違いますから!」
「いいんだよ、アリスちゃん」
「えっ」
「わたし、知ってるから。アリスちゃんがいい子だって。だからそんなふうに無理して平気なふりしちゃうんだよね」
「いやいやいやいや……」
止まらない。こうなってしまうと、もうユイファは。
「ほら、アリスちゃん! お姉ちゃんに思いっきり甘えて!」
「いや、自分がそうしたいわけじゃなくて、その……ほ、本当に違いますからーーーーーーーーーっ!」
「……はぁ」
屋敷の片隅でアリスはぐったりと息をついた。
あの後、なんとか逃げることができたが、結局ユイフォンがどうしてユイファに甘えられないのかはわからないままだった。
(すぐにでもかわいがってくれそうなんですけど……)
こちらが引いてしまうほどの過保護ぶりを自らの身で体験したアリスは、どうしてユイフォンが彼女を避けるのかがわからなかった。
(まあ、逆に、かわいがられすぎるのがイヤというのはあるのかもしれませんが……)
そのとき、
「いいよなー。どこかの誰かさんはマヌケ顔でぼーっとしてられて」
「ええっ!?」
突然のひどい言葉にふり返ると、そこには、
「ユ、ユイエン! そういうことを言うのはやめてください!」
「ハンッ」
先ほどのユイファと同じ使用人服姿をした劉羽炎(リュウ・ユイエン)は、アリスを馬鹿にするように笑ってみせ、
「オイラ、ほんとのこと言っただけだけどー」
「そんなっ……自分は」
確かに『ぼーっと』していたことは否定できない。
「うう……」
「ほーら、やっぱり」
フフン、と鼻で笑うユイエン。いつものことながらアリスのことをまったく年上と思っていないような態度だ。
「どうしようかなー。メイドのオバサンに言ってやろうかなー」
「えええっ!?」
メイドのオバサン――ユイエンがそう呼ぶのは、屋敷の家事を取り仕切っている女性・朱藤依子(すどう・よりこ)のことだ。家事だけでなく実力においても並ぶ者がいない彼女には誰も逆らえず、悪口を言っているユイエンも実際にその前に出ればふるえあがるしかない。使用人服姿を強制されているのも『教育のため』という依子の一言によるものだった。
「や、やめてください! 自分、何もしてませんよ!」
「何もしてないから悪いんじゃないのー」
「ええっ!?」
「オイラなんか、オバサンにこき使われてるってのにさ。これって絶対に虐待だよね」
「そうじゃなくて、ユイエンがいい子になるようにって……」
「ハンッ!」
ユイエンが不機嫌そうに横を向く。
依子が屋敷の仕事を強制しているのは確かだ。しかし、それはやはり教育という意図のもとにであって、そのことはユイエンの〝父〟も了承している。
それに〝姉〟であるユイファも一緒なのだから、虐待などということは――
「あっ」
そこでアリスははっとなる。
「あ、あの……」
ユイエンに、
「すこし……聞きたいことがあるんですけど」
「は?」
不意の言葉にユイエンはけげんそうな顔になる。
が、すぐに悪そうな笑みを見せ、
「いいけどさー。代わりに何してくれるの」
「えっ? 何って……」
「ただで人に頼み事しようってゆーのー。それってあり得なくなーい」
「そんな……自分にできることなんて」
思わず乗せられそうになるが、我に返って頭をふり、
「こ、これは人助けなんですよ! 一緒に暮らす家族のためになることなんです!」
「はあー? オイラの家族はオヤビンたちだけだしー」
「そんなこと言わないでください! この屋敷のみんなが家族ですよ!」
そこはゆずれないと大きな声で主張する。
「だから、ユイエンも協力してください!」
「えー、めんどくさーい」
「めんどくさくありません! 家族のことです! ユイフォンのことです!」
とたんに、
「え?」
ユイエンの表情がこわばるのを見て、アリスは驚き息をのむ。
「あの……ど、どうしたんですか」
「別にー」
不愛想に言い捨て、ユイエンは背を向けた。
「じゃあねー」
「あ、ちょっ……」
立ち去ろうとするユイエンにアリスは思わず、
「待ってくださーーーい!」
ドンッ!
「うおっ!?」
突然足に組みつかれてユイエンは倒れこんだ。
「な、何すんだよ! アンタにいじめられたって、マジでオバサンに言いつけるからね!」
「いじめたわけでは……ご、ごめんなさい!」
本当に言いつけられてはたまらない。アリスはあたふたと頭を下げる。
が、すぐに顔を上げ、
「どうして逃げたりするんですか!」
「逃げたとかじゃないけど」
「だって、おかしいじゃないですか。ユイフォンのことを聞いたらいきなり……」
「おい」
顔を近づけられ、ぎろりとにらまれる。
「アンタに関係ないだろ。よけいなことに口つっこんでくるなよ」
年下と思えないするどい目つきにひるむアリスだったが、ぐっと見つめ返し、
「関係はあります。ユイフォンは友だちですから」
「フン」
またも馬鹿にしたようにユイエンの唇がつりあがる。
「なんにも知らないくせに」
「それは……」
確かにアリスがユイフォンについて知っていることは多くない。
ユイファやユイエンと同じくある犯罪組織に所属させられていた過去があること、亡くなった剣の師匠に重ね合わせて仮面の騎士ナイトランサーを〝父〟と慕っていること、そして行き違いからナイトランサーを傷つけてしまい悲しんでいたところを真緒に屋敷につれてこられたということくらいだ。
「あいつはさ……ヤバいんだよ」
ユイエンが重い口を開く。
「そんな……」
反論しようとするアリスだったが、ユイエンの真剣な空気に飲まれてそれ以上の言葉が出ない。
「人をどうこうするとかさ、どうとも思ってないんだよ」
「そ、そんなことありません!」
「そんなことあるんだよ!」
ユイエンの口調が激しくなる。
「実際そうだったんだよ! あいつはさ……」
愛らしい顔から血の気が引いていく。
「もめてるやつらが乗りこんできたときだよ。あいつは……そいつらをみんな」
「ちょっ、ま、待ってください!」
あわててそれ以上の言葉を止める。ユイエンの表情から何があったのかを予感――いや確信できてしまったために。
「け、けど、それってユイエンたちを守ろうとしてなんじゃないですか?」
「っ……」
「ですよね!? ねっ!」
ユイエンの身体がふるえる。そんな自分の動揺を吹き飛ばそうとするように、
「関係ない! あいつは……」
「関係あります! ユイフォンはみんなを……」
「うるさい、うるさい、うるさい! 何もわからないやつがよけいなこと言うな!」
頭をふりながら言い捨て、ユイエンは逃げるように走り去っていった。
「………………」
アリスは思った。
ユイエンはわかっているのだ。ユイフォンは悪くないと。
それでも、気持ちがついていかないのだ。
(ユイファさんも……ひょっとして)
彼女がユイエンと同じような想いをかかえているなら、そのせいでユイフォンに対して普通に接することができないのかもしれない。
そして、ユイフォンもそれを感じ取っているのだろう。
(そうなんですね……だから……)
アリスは唇をかむ。そして、
(なんとかしないと)
思った。
自分たちは家族なのだ。
家族にこんな〝壁〟があってはいけない。
アリスは、思った。
Ⅴ
「というわけで」
自分の気づいたことを白姫に報告し終えたアリスは、
「どうしましょう、白姫」
「アホなんだしー」
「ア、アホじゃないです!」
そこは何があっても否定する。
「なんでですか! 自分、真剣に考えてるんですよ!」
「真剣に考えないとわかんないところがアホなんだしー。シロヒメ、とっくに気づいてたんだしー」
「うう……」
確かに、にぶいと言われても反論できないのかもしれない。
「しょーがないし」
白姫はやれやれとため息をつき、
「やっぱりシロヒメがやるし」
「えっ」
「指導だし。ユイフォンの」
「あ、あの……」
アリスは言葉につまるも、
「それは……もうやめましょうよ」
「ぷりゅー?」
「だって、うまくいかなかったですし……」
「ぷりゅーっ!」
パカーーーーン!
「きゃあっ」
問答無用に蹴り飛ばされアリスは吹き飛ぶ。
「なんて失礼なアリスだし」
「失礼なことなんてしてないですよ!」
「するまでもなく、アリスの存在そのものが失礼なんだし」
「どういうことですか!」
絶叫してしまう。
「とにかく、このままじゃだめですよ! 家族が仲良くできないなんて!」
「その通りだし」
「えっ」
不意にうなずかれ、アリスは言葉に詰まる。
「それはその通り……ですよね?」
「その通りだし」
白姫がうなずく。
と、アリスは思い出す。白姫は家族――母親と離れて暮らしているのだと。
「シロヒメにまかせるし」
力強く。白姫が言う。
「ま……まかせて大丈夫ですよね」
「当たり前だし」
ぷりゅ。白姫はあらためてうなずいてみせた。
「ぷりゅーっ!」
パカーーーーン!
「あうっ」
「って、白姫ぇ!」
アリスは驚いてユイフォンをかばいに入る。
「何をしてるんですか!」
「鍛えてんだし」
「なんでですか! なんの関係もないですよ!」
「関係あるし」
白姫は胸を張り、
「これは新妻指導だし!」
「え?」
あまりに唐突な言葉にアリスの思考が止まる。
「に……新妻?」
「そうだし」
「新妻って、その、結婚したばかりの女の人のことを言う……新妻?」
「他にどの新妻があるんだし」
「いえ……ないですけど」
口ごもるアリス。が、すぐに頭をふり、
「なんでここで新妻が出てくるんですか! もっとなんの関係もないですよ!」
「関係あるんだし」
白姫は自信たっぷりのまま、
「結婚すると新しい家族ができるんだし」
「それは……そうですよ」
戸惑いつつもその言葉にうなずく。
「けど、それとこれとなんの関係が……」
「だから関係あるって言ってるし。結婚すると相手の家族も自分の家族になるんだし」
「それはわかって……」
「もー、アリス、アホだしー」
「アホじゃないです」
「つまり結婚相手にお姉ちゃんがいれば、それが自分のお姉ちゃんにもなるんだし」
「あ……」
白姫の言いたいことがなんとなく見えてくる。
「つまり、こういうことですか? ユイフォンが結婚すれば、何もしなくても自然とお姉ちゃんができると」
「そうだし」
「いやいやいや……」
あまりに飛びすぎている発想に首を横にふるしかない。
「なにが『いやいや』なんだし」
「だって、無理がありすぎますよ。そんな、いきなり結婚なんて」
「ユイフォンに結婚は無理だって言ってるし? ユイフォン、どう思うし」
「ムカつく」
「ち、違いますよ! そういうことじゃなくて……早すぎるじゃないですか!」
「ぷりゅ?」
「だって、そうじゃないですか! ユイフォンはまだ十三歳ですよ!」
「問題ないし。馬ならもうとっくに結婚してるし」
「それは馬の話じゃないですか!」
「なんだし? 馬をバカにしてんだし? アリスのくせに」
「アリスのくせに」
「って、なんでユイフォンまで言うんですか! バカにするとかそういうことではなくて、いまはユイフォンの話ですよ! ユイフォンには早すぎるって言ってるんです!」
「とにかく、やっといて損はないんだし」
「そんな……」
損とかそういう問題なのか?
すると、
「やる」
「ユイフォン!?」
アリスが驚く中、ユイフォンは真剣な表情で、
「ユイフォン、やる」
その真剣な想いにふれ、アリスは何も言えなくなる。
白姫は満足そうにうなずき、
「よく言ったし、ユイフォン」
「う」
「じゃあ、さっそくやるし」
「やる」
「う……」
一抹――どころではない不安を感じつつ、それでもアリスは彼女たちを見守ることしかできなかった。
「ぷりゅーっ!」
パカーーーーン!
「あうっ」
「って、やっぱり暴力じゃないですか!」
あわてて止めに入るアリスだったが、
「ヨメシュートメに暴力はつきものなんだし」
「つかないですよ!」
そこは必死に否定する。
「それに『嫁姑』って……まあ、たしかに義理のお姉さんのことを『小姑』なんて言ったりしますけど」
「するし」
「とにかく、もっとおだやかにやってください」
「ぷりゅー?」
白姫はよくわからないという顔で、
「おだやかな嫁姑ってなんだし。意味ふめーだし」
「白姫の言ってることが意味不明ですよ」
早くもがっくりと来る自分を感じながら、
「とにかく、もうすこし優しくやってください。いいですね」
「確かにシュートメにもすこしくらい優しさがあっていいかもなんだし。すこしくらいは」
「なんて言い方ですか……いいお姑さんだってたくさんいますよ」
偏見の入りすぎている言葉にアリスはあきれるしかない。
――が、
「やる」
「ユイフォン……!」
顔にヒヅメ跡をつけながらも、ユイフォンの目から情熱は失われていなかった。
そうなるとアリスとしても何も言えない。
「優しくですよ。いいですね」
念を押すように言って、再びやりとりを見守り始める。
白姫はわざとらしくツンとした口調で、
「ユイフォンさん」
「う」
「『う』? 『う』なんて返事があるんですの? まあ、若い人の言葉はあたくしたちには難しすぎますわ。ぷりゅほほほほほ……」
(なんてイヤミなお姑さんなんですか)
それを喜々として演じる白姫にもあぜんとなってしまう。
「うー……」
「『うー』以外のことが言えませんの? まったく」
「い……言える」
「では、言ってくださる?」
ユイフォンはためらうように目をそらしつつ、白姫に向かって、
「おねえ……ちゃん」
「ぷりゅーっ!」
パカーーーーン!
「あうっ」
アリスはあわてて、
「優しくって言ったじゃないですか!」
「大丈夫だし。ソフトに蹴ったし」
「蹴ること自体をやめてください!」
「嫁姑には厳しさも必要なんだし。ユイフォン、なれなれしいし」
「ううう……」
「じゃあ、なんて言えばいいんですか?」
「すくなくとも『おねえちゃん』は近すぎるんだし」
「じゃあ……」
「おねえ……さん?」
「おまえに『おねえさん』呼ばわりされるおぼえはねーしーっ!」
パカーーーーン!
「あうっ」
「なんでですか!」
あまりの理不尽さに絶叫してしまう。
「とにかくだめですよ、これじゃ!」
「うるせーしー。アリスにダメ出しされるとか意味わかんねーし。誰よりもダメなアリスに」
「う、誰よりもダメ」
「やめてください、ユイフォンまで! とにかく他のことにしてください!」
「ぷりゅー」
白姫は考えこむように眉間にしわを寄せ、
「じゃあ、ハードなほうにするし?」
「ハ、ハード? だから、その、暴力的なことは……」
「それは仕方ないし」
「仕方なくないですよ!」
「仕方ないんだし。渡世は厳しいんだし」
「渡世って……」
「厳しいし」
白姫は重々しい表情で、
「任侠の世界は厳しいんだし」
「任侠ぉ!?」
「そーだし」
ぷりゅ。当然だと言うようにうなずく。
「ほら、任侠の世界には『アネさん』っているんだし」
「いますけど……」
「義兄弟の契りを結ぶんだし。血の掟だし。まー、正確には義〝姉妹〟だけど」
「やめてください、そういう特殊過ぎる関係は!」
やっぱりだめだ! 白姫にまかせていてはとんでもないことになってしまう。
「ユイフォン!」
「う?」
名前を呼ばれて、ユイフォンがこちらを向く。
「自分にまかせてください」
「うー?」
露骨にいやそうな顔をするユイフォン。
くじけそうになるも、アリスは自分をふるい立たせ、
「自分はユイフォンの友だちです。だから力になりたいんです」
「友だち……」
ユイフォンの頬がほんのり赤らむ。
と、横から、
「アリスが友だちとかわけわかんないしー。恥ずかしくて誰にも言えないしー」
「う、言えない」
「なんでですか!」
たまらずツッコんでしまうも、アリスは真剣な表情に戻り、
「とにかく、ユイフォン! 自分にまかせてください!」
Ⅵ
「というわけで、どうしたらいいでしょう」
森羅学園中等部・校舎裏――
「えー……と……」
突然、アリスに話をふられた柚子が戸惑うように瞳をゆらす。
そこに、
「うー……」
「な、なんですか、ユイフォン、そのあきれたような目は? 自分はユイフォンのためにと思って……」
「違う」
「えっ」
「アリス、『自分にまかせて』って言った。なのに、柚子に頼んでる」
「そ、それは……」
ひるむアリスだったが、ぐっと踏みとどまり、
「けど、これが一番いいと思いますよ? ユイフォンは柚子みたいになりたいんですから」
「えっ」
柚子が驚きの声をあげる。
「そうなの、ユイフォンちゃん?」
「う」
「柚子みたいな素敵な妹になりたいんです」
「素敵って……」
ユイフォンが深々と頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「えぇぇ~……?」
「柚子先生」
「先生って……」
助けを求めるようにアリスを見る柚子だったが、
「自分からもお願いします!」
「アリスちゃん……」
頭を下げ続ける二人を前に――柚子は、
「……わかった」
「柚子!」
「う!」
顔を上げ、共に目を輝かせるアリスとユイフォン。
そんな二人に、柚子も笑みを返した。
「どうかな、こういうの?」
「おー」
アリスはぱちぱちと手を叩く。
「かわいいですよ、ユイフォン。とってもいいです」
「う……」
惜しみない賛辞にユイフォンが目を伏せる。
あの後――
放課後を待って、アリスとユイフォンは五十嵐家に連れてこられた。駅近くの住宅街にある二階建て家屋。その二階の南向きの一室が柚子の部屋だった。
そして、ユイフォンは、柚子の取り出した彼女の私服に着替えさせられた。
髪型も柚子にまねて、いつも左右でたばねているのを下ろしていた。
「うー……」
慣れない服に戸惑ってか、もじもじと身をよじるユイフォン。そんなしぐさも清楚な白の服とあいまって彼女をより愛らしく見せた。
「いいですよ。本当にいいです」
「うー」
「ただ……」
アリスはちらりと彼女が身に帯びている――日本刀に目を向ける。
「刀はどうにかならなかったんでしょうか……」
「う?」
とたんにユイフォンの目が険しくなる。
「どうにか?」
「うっ……」
かすかに殺気まで感じさせるユイフォンにひるみつつ、それでもアリスは、
「その、とても大切なものだってことはわかってますけど、やっぱり、怖がられてしまうというか」
「う……」
とたんにユイフォンはうつむき、
「こわがられる……」
「いえ、あの、自分たちは平気ですよ? ユイフォンがそういう子って知ってますし」
「そういう子……」
「あっ、そ、その、変な意味じゃなくて」
どんどん落ちこんでいく彼女にアリスはあせる一方だ。
と、柚子が、
「ユイフォンちゃんはいい子だもんね」
「柚子……」
「だから、そのままのユイフォンちゃんでもいいと思うよ。アリスちゃんもおうちのみんなもいい人ばっかりなんでしょ? だったら大丈夫だよ」
心からの優しさをにじませて柚子が言う。
しかし、
「………………」
ふるふる。
「えっ」
「だめ……。そのままじゃ……だめ」
「ユイフォンちゃん……」
「みんないい人……。だから……だめ」
「えっ」
アリスもけげんな顔を見せる。
「どういうことですか、ユイフォン」
「………………」
ユイフォンは、
「みんないい人……だから……」
「はい」
「ユイフォンが……壊しちゃだめ」
「えっ」
「………………」
そして――
ユイフォンはぽつりぽつりと語り出した。
自分は、いま住んでいる屋敷のことが大好きだ。
優しく自分を包んでくれる〝母〟――真緒を始めとしてみんな仲良く暮らしている。そのあたたかさに自分も安らいでいる。
けど、そんなあたたかさを自分が壊してしまうかもしれない。
そんなことは、絶対にイヤだ。
いまのあたたかさがなくなるくらいなら――自分がいなくなったほうがずっといい。
「このままのユイフォンなら……ユイフォン……どこか違うところに……」
「ユイフォンちゃん!」
アリスに先んじて涙ながらに飛びついたのは柚子だった。
「ユイフォンちゃん、いい子なんだね! ホント、いい子なんだね!」
「う……う?」
「ごめんね! わたし、真剣にユイフォンちゃんの力になろうとしてなくて!」
「う……うう……」
そんなことない。そう言いたそうに首をふるユイフォンだったが、
「ちょっと待ってて!」
止める間もなく柚子が部屋から飛び出していき、ユイフォンだけでなくアリスもあぜんとなる。
「ゆ、柚子?」
「うう?」
そして、
「お待たせ!」
バン!
「ええっ!?」
「うう!?」
そこにいたのは、
「あ、あの……」
瞳をゆらしながらその場に立つ――冴。学校から帰ってきたばかりなのか、その手にはカバンが握られたままだった。
「お姉ちゃん!」
そこに柚子が熱っぽく、
「かわいがって!」
「え? え?」
「ユイフォンちゃんを! ほら!」
前に押し出された冴は、
「あの、えーと、な、なんなの、帰ってきたとたんに……」
「ほら!」
「ゆ、柚子……」
「ほら!」
「ちょっと……」
「かわいがりたくないの!? こんなにかわいいユイフォンちゃんを!」
そしてユイフォンも、
「よろしくお願いします」
「いや、あの、お願いされても……というか、なんなの、この状況はーーーーっ!」
「ううう……」
屋敷への道程の間、ユイフォンはずっと涙目だった。
「ユイフォン……やっぱり嫌われた……」
「ち、違うよ、ユイフォンちゃん!」
柚子があたふたと、
「わ、わたしが強引にしちゃったから! だから、お姉ちゃんもあんな……」
「柚子のお姉ちゃん、悪くない」
「そうそう! 悪いのは……」
「悪いのは……ユイフォン」
「そうじゃなくて!」
「とにかく、ほら! みんなにいまのユイフォンを見てもらいましょうよ!」
アリスも懸命にフォローする。
「ううう……」
「ほら!」
「ユイフォンちゃん!」
アリスと柚子はなかば押しこむようにしてユイフォンと一緒に屋敷に入った。
そこに、
「あっ、お帰りなさい」
「……!」
玄関の掃除をしていたらしいユイファが一同に笑顔を見せた。さっそくの『ターゲット』の登場に柚子の表情が引き締まる。
「ユイファさん」
「えっ」
不意に柚子に詰め寄られてユイファが目を見張る。
「いいえ……」
柚子はさらに前に出て、
「ユイファ〝お姉ちゃん〟と呼ばせてください」
「!」
次の瞬間、
「柚子……ちゃん……」
ユイファの声がふるえ、
「柚子ちゃぁん!」
「きゃっ」
突然抱きつかれて悲鳴をあげる柚子。
ユイファは構わず、
「うれしい! 柚子ちゃんがお姉ちゃんって言ってくれて!」
「いやっ、あ、あの……」
「いつもアリスちゃんと仲良くしてくれてありがとう! 柚子ちゃんも妹みたいにかわいいってずっと思ってたの! アリスちゃんと同じで!」
「えぇぇ~……」
ユイファに抱きしめられたまま、弱りきった顔になるしかない柚子。
そばで見ていたアリスも、周りの目をまったく気にしないユイファのかわいがりっぷりに完全に引いてしまう。
と、そのとき、
「……あっ」
はっとするもすでに遅く、ユイフォンは外に駆け出していた。
「ま、待ってください!」
あわてて追うアリスの中で後悔が渦巻く。
原因は――柚子だ。
もちろん柚子には何の悪意もない。しかし、彼女がユイファにかわいがられる光景は、かわいがられない自分との対比となってユイフォンを傷つけたのだ。
「ユイフォン……!」
だめだ――
このままではユイフォンとみんなとの溝がますます深く――
「ぷりゅーっ!」
パカーーーーン!
「あうっ」
「って……白姫ぇ!?」
容赦なくユイフォンを蹴り飛ばした白姫は、倒れた彼女を見下ろし鼻を鳴らした。
「な、なんてことをしてるんですか!」
我に返ったアリスはあわててユイフォンに駆け寄った。
「ぷりゅふんっ!」
「『ぷりゅふんっ』じゃないですよ!」
「ぷりゅふんっだし!」
白姫は鼻息荒く、
「何してんだし、ユイフォン!」
「『何してんだし』は白姫のほうです!」
「口はさむんじゃねーし!」
パカーーーン!
「きゃあっ」
強烈な蹴りでユイフォンのそばから吹き飛ばされてしまうアリス。まさに暴れ馬というような荒々しさを見せた白姫は、
「ユイフォン!」
ぐぐっとユイフォンに顔を近づけ、
「何してんだし」
「う……」
「グズグズもたもたしてんじゃねーし!」
おびえるユイフォンを無理やり立たせ、
「う!?」
押し出した。アリスの後から柚子と共に追いかけてきた――
ユイファの前に。
「う……うう……」
おろおろと瞳をゆらし、逃げようとするそぶりを見せるユイフォン。しかし、後ろには白姫のヒヅメが待っている。
「な……何?」
突然のことにユイファも動揺を隠せない。
そこに、
「ユイファさん」
柚子が真剣な顔で、
「かわいがってください。ユイフォンちゃんを」
「えっ……」
「ユイフォンちゃん、そのためにずっと努力してたんです」
「!」
レンズの向こうの瞳がゆれる。
「ほら、ユイフォンも」
「ううう……」
白姫にうながされるもユイフォンは前に踏み出せない。
すると、
「シロヒメにも兄弟はいないんだし」
「……!」
「けど、ちっともさびしくないし。みんながいるから」
「………………」
「兄弟とか姉妹とか関係ないんだし。ユイフォンはユイフォンなんだし」
「ユイフォンは……ユイフォン」
「そうだし」
ぷりゅ。白姫がうなずく。
「ユイフォンがどうしたいかなんだし」
「ユイフォンが……どうしたいか」
それでも、
「うううう……」
やはり踏み出すことができない。
と――そのとき、
「レディ」
「!」
すずやかな声にユイフォンの顔が跳ね上がる。
「爸爸(パーパ)!」
あふれるよろこびに瞳が輝く。
その視線の先にいたのは、マントをつけた白い仮面の青年だった。
「ナイトランサー!?」
柚子が驚きの声をあげる。
そんな彼女に、アリスははっとなる。
そうだ……柚子は知らないのだ。
仮面の騎士ナイトランサー。その正体が彼女の姉のクラスメイトである『花房先輩』――アリスにとって仕えるべき騎士である花房葉太郎(はなぶさ・ようたろう)だということを。
(どうして……)
なぜここに葉太郎――ナイトランサーがいるのかと一瞬思うアリスだったが、その疑問はすぐにとけた。
いて、当然なのだ。
ユイファが『お姉ちゃん体質』であるのと同じで葉太郎は――『騎士道体質』。
頭で考えるより先に騎士としてふるまってしまう体質の持ち主。そして、レディの危機に馳せ参じるのは騎士の責務である。
「爸爸! 爸爸!」
歓声をあげながらナイトランサーに抱きつくユイフォン。
真緒が〝母〟であるように、彼女にとってナイトランサーは〝父〟なのだ。
「レディ」
ナイトランサーはユイフォンの頭を優しくなで、
「できるはずです」
「う?」
「あなたならできるはず。わたしにこのように甘えられるあなたなら」
ユイフォンがはっと身体をこわばらせる。
わかったのだ――ナイトランサーが何を「できる」と言っているのか。
「さあ、レディ」
そっと肩に手を置き、ユイフォンを自分から離す。
「う……」
おそるおそる……ユイフォンはユイファのほうに目を――
「……!?」
いた。
ユイフォンのすぐそばにユイファは立っていた。
「……ユイフォン」
そして、
「……!」
抱きしめた。
その腕をかすかにふるわせながら。
「う……」
無理しないで。そう言いたそうにユイフォンの唇がふるえる。
ユイファは頭をふり、
「ごめんね」
「っ……」
「ごめんね……ユイフォン」
ユイファが語り出す。
「わたし、ずっと、だめだった」
「う?」
「ユイフォンはいい子だってわかってたのに。……なのに」
ふるふる。ユイフォンが首を横にふる。
「いい子じゃ……ない」
「いい子だよ!」
声を張る。
「いい子だよ! いい子なの! わかってたの! わかってたのに……なのに……」
眼鏡の向こうで涙が飛び散る。
「だめなのはわたしなの!」
「う……?」
「だめなの! だめだったの! こんなにいいユイフォンを……かわいいユイフォンを」
そして、ユイファは言う。
「わたし……お姉ちゃん失格だよね」
「う!」
ユイフォンは激しく首を横にふり、
「失格じゃない! ユイファ、失格じゃない!」
「失格だよ……」
「お姉ちゃんだから!」
「……!」
ユイフォンはユイファと目を合わせ、
「お姉ちゃんだから。だから失格じゃない」
「ユイフォン……」
そして、あらためてユイフォンは言った。
「お姉ちゃん」
「っ」
ユイファの腕のふるえが止まる。
「く……う……」
言葉にならない。その想いをこめるようにして。
抱きしめた。
力強く。
「お姉……ちゃん……」
おそるおそる――抱きしめ返しながらユイフォンは、
「う」
笑った。
Ⅶ
「というわけで、ぜーんぶシロヒメのおかげなんだしー」
「ぜ、全部……?」
後日――
屋敷の中庭で、アリスは白姫の言うことにあぜんとなっていた。
「なんか文句あんだし?」
「い、いえ、ないですけど……」
あわてて首をふるアリス。
「それにしても、ユイフォンとユイファさんが仲良くなってくれてよかったですね」
「ぷりゅ」
「それでいまユイフォンはどこに……」
そのとき、
「こっち来るなよーっ!」
「ん?」
「ぷりゅ?」
聞こえてきた悲鳴まじりの声に首をひねるアリスと白姫。
そこへ、
「うわーーーーっ!」
「ユイエン!?」
ドンッ!
「おわっ!」
「きゃっ!」
前も見ずに走ってきたユイエンにぶつかられ、アリスは一緒に倒れこんだ。
「痛てててて……」
「何をするんですか、ユイエン……」
「何してんのかはそっちだろ! 邪魔なとこに立ってるなよ!」
「そんな……! ぶつかってきたのはユイエンで……」
そこに、
「うー!」
「来た!」
「えっ」
アリスが見たそこにいたのは、
「ユイフォン!」
そして、
「うーーーっ!」
「うわーーーーっ!」
駆けこんでくると同時にあざやかなジャンプ。そのまま、アリスのそばにいたユイエンに飛びつく。
「ユ、ユイフォン……!?」
何が起こっているのかまったくわからない。
そんなアリスの目の前で、
「うー」
「放せっ! 放せよっ!」
ユイフォンに抱きつかれたユイエンがじたばたと暴れる。
「あ、あの……ユイフォン」
「う?」
「その……何をして……」
「かわいがってる」
「ええっ!?」
かわいがる――そんな言葉をユイフォンから聞くとは。しかし『かわいがられている』ユイエンのほうは、
「放せよ! 放せって言ってるだろ!」
「あの……ユイエンは嫌がっているような」
「違う」
ふるふる。ユイフォンは首を横にふり、
「照れてる」
「はあ……」
「ユイファ、言ってた。ユイエン、照れ屋だって」
「そんなんじゃなーーい! いいから、はーなーせーーーーっ!」
全力で逃げようとするユイエンだったが、どうしてもユイフォンの腕をふりほどくことができない。確かにユイフォンのほうが年上ではあるが、それでも暴れるユイエンを抑えられるほどの腕力はないはずだ。
技――
あるいは獲物を逃さない戦闘者の本能とでも言おうか。
俊敏さではユイエンもかなりのものだが、ユイフォンはそれを上回る反射神経で完全に動きを封じてしまっていた。
そしてそのまま、
「うー」
「なでなでするなーーっ!」
「いい子、いい子」
「するなーーっ!」
「あの……」
またも止めようとするアリスだったが、その手は引っこめられた。
(まあ、いいですよね。ユイフォン、うれしそうですし)
そして、
「よかったですね、白ひ――」
脇を見たアリスの表情が固まった。
「し……白姫?」
「ぷりゅー」
不機嫌そうに鼻息を荒くしている白姫にアリスは目を見張る。
「どうしたんですか? 白姫だってユイフォンがみんなと仲良くなってよかったって……」
「なんでだし」
「えっ?」
「だから、なんでなんだし!」
白姫はぷんぷんと怒りをあらわにし、
「なんでシロヒメをかわいがらないんだし!」
「えっ……え?」
「だってそうだし! シロヒメはかわいいんだし! だったらまずシロヒメをかわいがろうとするべきだし!」
「白姫……」
あきれ顔で肩を落とす。
「対抗心をむき出しにしてどうするんですか……」
「むき出すし。かわいいから」
白姫はユイフォンの前に進み出ると、
「ユイフォン!」
「う?」
「さあ! シロヒメをかわいがるし!」
ユイフォンは、
「や……やだ」
おどおどと目をそらし、
「白姫、いじめる」
「ぷりゅーっ!」
パカーーーーン!
「あうっ」
「そういうことをするからいやがられるんですよ!」
「うるせーし!」
パカーーーーン!
「きゃあっ」
もう見境なくというように暴れまわる白姫。ユイエンはユイフォンが蹴り飛ばされた隙をついて早々に退散していた。
「いいから、シロヒメをかわいがるし! かわいがらないといじめるし!」
「かわいがれませんよ、こんな白姫を!」
「ぷりゅーっ!」
パカーーーーン!
「きゃあっ」
それからしばらくの間、中庭にヒヅメ音とアリスたちの悲鳴がこだましたのだった。
シロヒメの姉妹なかよし大作戦なんだしっ❤