雨の日は。

今日のような雨の日は、彼を思い出す。



「雨の日に出かけるの、案外好きなんですよ」

この言葉を思い出す。

外は雨。 彼は出かけているだろうか……



彼との出会いのはじまりは……
小さな雑誌の、小さな詩集のコーナーで彼の詩を見つけた。

それは、私にとって初めての経験ともいえる、溢れるほどの感動を運んでくれるものだった。

早速編集者に問い合わせ、彼にファンレターを書いた。
そして、丁寧な返事をもらった私は、浮かれ喜び、返事を返す。

こうして拙い文通が始まった。


家に帰ると、すぐにポストを覗く。
そこに届く1通の手紙。心躍る瞬間。慌てて開く封書。

彼の世界がそこにあった。

決して長い文章ではないけれど、そこはいつも暖かく、触れる度に幸せを感じた。

私の手紙はいつだって、他の人が読んだら、面白くもない退屈な話題だった。

『今日、不思議な生き物を見つけましたよ』

『そよ風が吹いて、木の葉がさわさわと揺れていました』

『書店には置かれていないけれど、素敵な本があります、大好きな作家さんです』

『こんな歌が好きです、こんな絵が好きです』


彼はいつだって真摯に受け止めてくれた。
つまらない、って切り捨てるんじゃなくて……暖かい言葉で一つ一つ丁寧に。


ーーそして彼は

「雨が好きです。雨の日に出かけるのは、案外楽しいですよ」

そう言った。



文通の中で、ときどきフレンドリーに会話が弾むことがある。

少しだけ彼に近づいたような気がして、ドキドキする。けれど、だからといって「会いたい」と思ったことはない。

そりゃ、姿や声に興味がないわけではないけれど……、そこまでを望んでしまったら何かが変わってしまうんじゃないか、って思うから。
今の幸せ以上を望んだら、きっと罰が当たると思うから。

でも、そう思う私はもしかしたら、もうすでに境界線を踏み超えてしまったのかもしれない。

ある日、突然彼から宣告を受けた。

「引っ越すことになりました。だからもう文通はおしまいです」



なぜ、引っ越すのか? なぜ文通はおしまいなのか?

わからなかった。
愛想をつかされてしまったのだと思った。

「嫌われましたか?」と訊くことができなかった。

「はい」と言われたらどうしよう。という気持ちと、何よりも、目の前で扉が閉まるのが怖かった。

温かい言葉で、ゆっくりと扉を閉めて……
「君はここまで。これ以上は、関係者以外立ち入り禁止だよ」

そう優しく言われるのが怖かった。


雨は降り続ける。

『今日は雨なので、出かけようと思うんです』

私の言葉に、少しだけ嬉しそうな返信が届いた。

「自分も雨が好きなんです。雨の中を歩くのは気持ちがいいですよね」

あぁ、同じだ。
こういう共有って、なんだか嬉しい。

それからというもの、雨が待ち遠しくなった。
雨が降ると、どこかで彼がウキウキしているんじゃないか、そんな風に思って。
意味もなく私もウキウキと出かけたくなった。


彼の詩や小説を見かけると、その小さなコーナーがとても華やいで見えた。

少しずつ少しずつ切り取って、自分だけの詩集を作りたい。
その作品を集めて、綺麗な表紙を付けて、挿絵はこれがいいかな、この写真を間に挟みたいな。
こんな風に、「いつか」の日を想像するのは楽しい。

いつの日か大きな本になる。
彼の世界で一杯の、大きな本になる日を心待ちにしたい。

彼にたくさんのファンがいることは知っている。だから、そうなったらきっとみんな喜ぶだろうなぁ、と思う。
なのに、当の本人はどこ吹く風。人気があることをあまりわかっていないみたい。

彼の世界はとても小さなものかもしれないけれど。彼の物欲くらいに小さなものかもしれないけれど。同じように物欲のない私が、とても強く望んでいる。だからね、本当に本当にあなたはすごい人だよ。 何回言ったら、自信を持ってもらえるだろうか。

何度でも言いたいな、そんな風に思っていた。


一度だけ彼に対し、しつこく意見を求めたことがある。
彼の作品についての見解だった。
私が思う主人公の環境、そしてそれにまつわる主人公の心情がどうしても理解できなかった。

「あの時の主人公は一体どうして、あのような行動をとったのでしょうか?」
私の問いかけに、明らかに戸惑いを表す返信。それは、最後まで解決は見いだせず「自分の力不足」という言葉を綴らせてしまった。

「やってしまった……」

私はひどく後悔した。
彼が自身の作品をとても大切にしていることを知っている。そして、悩みながら書き進めていることは作品に触れれば、よくわかる。

ファンだから。好きだから。その作品について話がしたい。けれど、私はただのファンであり、評論家でもなければ、編集経験があるわけでもない。
私はきっと踏み込みすぎた。その足を今すぐどかすべきなのだ、と思い知らされた。


それでもその後も、彼は変わらず私に手紙をくれた。
今まで通り、暖かく丁寧な文字たち。それを大切に箱にしまう。
時々読み返しては、口元を緩ませる。

そうした時間が過ぎたある日 件の作品が、もう一度作品コーナーに現れた。
驚いて手に取るそれは、少しだけ手を加えられたもの。
わかりやすく。ほんの少しだけど、ほのかな甘さが加わったような……、少しの変化。

彼は諦めたり、投げやりになるような作家ではない、とわかった。
私が思うよりもずっとずっと自身の作品に真摯であると。
そして、ファンである私とも同じように向き合ってくれる。

「ファンになる」とは。
才能に惚れ込む。だけじゃなくて、人間性にも惚れ込んでしまう、ということなのだな……と改めて実感した。


先ほどまでの雷雨が、しとしととした霧雨に変わった。

窓を開けると、僅かな冷気と湿っぽい空気が部屋に入り込む。
私は手紙の箱を開けて、1通取り出し、その匂いを嗅いだ。

紙とインクの匂い。
私にとっての、彼の匂い。



『もう手紙はおしまい』

そう宣言された時、私はたとえようもない喪失感に見舞われた。
あぁ。これが俗に言う「~~レス」という症状なのかな……と冷静な部分が分析する。

けれど、この抗いたくなる感情はなんだろう? 縋るような感情は?
袖をつかんで、離したくない感情は?

叩けば叩くほど、その扉はキッチリと隙間なく閉められていく、この切なさは?

そして、気づいた。

あぁ、そうか。これフラれた時の感情だ、と。

どんなに焦がれても、抗ってみても、ダメなものはダメなんだ。と、無情なほどに突きつけられる。アレだ。

過去の私は、どうやって立ち直っていたっけ?
一体どのくらいの時間を費やせば、この感情は消えてしまうのだっけ?



手紙を開けてみる。そこには几帳面な字でこう書いてあった。

「君は大丈夫。どんなときでも飄々としている君を尊敬する」

いつだったか、励ましてもらった言葉。 飄々としているかな……わたし。 

思わず苦笑いがこぼれた。でも、彼がそう思っているのなら。どんなときでも私は飄々としていよう、と思った。


まだ返事を書くには、何枚もの便箋をダメにしてしまうけれど。「私は大丈夫です」とちゃんと言おう。
言えば、きっとその通りになる。きっとすぐに。

さぁ、笑って。



こうして、私の始まりもしない淡い淡い恋は終わりを告げた。

私は笑っているよ。どんなときでも。あなたは笑っていますか?

雨の日は。

雨の日は。

  • 小説
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更新日
登録日
2019-05-05

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