文明と効用

じゅんじゅん

 ねこちゃんちに赤ちゃんがやってきました。真っ白な綿毛は所々茶が混じっていてお父さんゆずり。空気に触れる経験の浅い未熟な鼻をお母さんねこは時折ぺろりと舐めてあげています。ねこちゃんも、ねこちゃんのお兄ちゃんもそれを見ると競って赤ちゃんねこの鼻を舐めてあげるので、たちまち赤ちゃんの鼻はずぶぬれになります。でも、いいんです。
「あんた達、お兄ちゃんとお姉ちゃんなんだから、赤ちゃんには優しくね」
 お母さんは笑って声を掛けます。
「うん、もちろんだよ。そうしたげるよ、ねえお兄ちゃん」
「うん。そうだよ」
 お兄ちゃんねこは赤ちゃんを笑わせようと、向き合っておかしな顔をしてみせます。けれど赤ちゃんはぴくりとも反応しません。代わりに吹き出したのがねこちゃんです。
「笑うなよ」
 とお兄ちゃんねこは顔を真っ赤にさせてねこちゃんの頭を叩きます。泣いたからすの反対で、ねこちゃんは途端に頬をどしゃぶりにさせます。
「こら。赤ちゃんの前でケンカしちゃだめだろ」
 お父さんねこが慌てて仲裁に入ります。
「ケンカなんかしてないよ。こいつがボクのこと笑うんだもん」
「だって変な顔するんだもん」
 お母さんねこはほうっと溜息を吐いて呟きます。
「私にこの子達3人の面倒が見れるのかしら・・・」
 かすかな独り言を聞きつけて、お父さんは赤ちゃんを抱っこしたままお母さんの側に駆け寄ります。
「大丈夫だよ、二人共もう大きいんだからちゃんとお手伝いできるよ。それに」
 お父さんが兄妹になあ、と声掛けると二人は上下に大きく首を振り、顔を見合わせてにっこりしました。
「僕も今以上に家のことを手伝うから」
「でも・・・あなたは会社の方が忙しいんだから」
 お母さんは少し神経過敏になっているようです。赤ちゃんがお腹にいる間はそりゃあ元気で、兄妹を両手に従え魚屋さんに毎日買物に出掛けたものでした。けれどお母さんに手は2本しかありません。そして子供は3人になってしまったのです。どうしたらいいのかしら。そう思うと涙が出てたまらないのです。
 案の定、赤ちゃんを交えた生活が始まると、兄妹はさっぱり役に立ちません。立たないどころかけんかしたり、迷子になって犬のおまわりさんに連行されてきたりと問題ばかり起こします。夜遅く、お父さんが残業を終えて帰ってくると兄妹を寝かしつけたお母さんはぐったりしています。
「ごめん。早く帰れなくて」
「いいのよ。だってあなたは今、一番仕事が忙しいんじゃない。あなたが働いてくれないと私達だって暮らしていけないんだし」
「けど・・・」
「私こそ、あなたが帰ってきてゆっくりさせてあげたいのに。ごめんなさい」
 お母さんはお父さんのご飯の支度を終えると側に座って話しをする代わりに、赤ちゃんの世話で後回しになってしまった子供達の食器の後片付けを始めました。流しに向かって、こちらに背を向けるお母さんの後姿を横目にお父さんはぼんやり考え込みました。水仕事ばかりで、お母さんの手はぼろぼろに荒れてしまった。結婚当初はあんなになめらかな肉球だったのに・・・。
「そうだ!」
 お父さんは突然声を上げ、お母さんはびっくりして振り返りました。
「食器洗い機を買おう」
 ねこちゃんちに食器洗い機がやってきました。器械が、お母さんに代わって食器を洗ってくれるのです。
「とっても便利」
 お母さんはにこにこです。兄妹は石鹸水が箱の中でダンスするのが楽しくてたまりません。これでお母さんの時間も増えるし、水仕事の負担も軽くなるぞ、とお父さんも満足でした。
 けれどもお母さんはまだ疲れが消えない様子。休日に兄妹を公園へ連れ出してお父さんは聞きました。
「洗濯が大変なんじゃないかな。ボク達の汚したものを合わせた以上に赤ちゃんのおしめとか洗物が出るんだよ」
 とお兄ちゃん。全自動洗濯機はもうあるから乾燥機だな、とお父さんは胸の中で呟きました。
「お掃除よ。お部屋全部に掃除機をかけるのは大変だし、アタシ達の毛はじゅうたんにしつこくからみついて取れにくいの。音が大きいと赤ちゃんはびっくりしちゃうし」
 低音でより強力な掃除機、さらに新発売の自動屋内巡回方式採用の機種ならぴったりだ。
 家電メーカー勤務のお父さんはそれらのものを翌週には用意しました。お母さんは大喜び。兄妹も、時々どこか遠くを見て笑うようになった赤ちゃんも、お母さんが家事に割く時間が減って自分達の相手をより多くしてくれるので大歓迎です。そんな昼間の様子を知らないお父さんは、夜遅くに帰ってきて、やはりぐったりしたお母さんを見ると頭を悩ませました。まだ他に、お母さんの負担となる家事はなんだろうか。
「乾燥機から出てきた洗濯物をたたむのが大変みたいだよ」
 やはり休日の公園で、こっそり兄妹に問いただしました。
「お風呂掃除が大変みたい」
 翌週は、自動衣類収納機と自動浴槽洗浄機が届きました。
「ボク達をお風呂に入れるのにも一苦労みたい」
「アタシ達にご飯を食べさせるのも大変みたい」
 翌週は、自動子供風呂誘導機と自動子供食事促進機が届きました。
「ボク達を寝かしつけるのが・・・」
「アタシ達を朝起こすのが・・・」
 数ヶ月の内に、おうちは自動なんとか機とそのリモコンでいっぱいになりました。お母さんの時間は格段に増えたのですが、空いた時間は兄妹と赤ちゃんが思う存分相手してもらおうと離さないので、やっぱり夜にお父さんが見るお母さんは相変わらず疲れているのです。
 兄妹に聞いてもらちがあかないと悟ったお父さんは、休日、じっくり家族を観察してとうとう真相に到ったようでした。
 ある夜、お父さんはこれまでにない晴れ晴れとした表情で大きな箱を抱え帰ってきました。お母さんは毎度のことと思ったのですが、これ以上必要とされる器械は何なんだろうと好奇心にかられいそいそと質問しました。
「なあに、それ?」
「これかい? これはね・・・」
 お父さんはクスクス笑って、明らかに嬉しそうです。
「僕のアイデアで開発されたんだ。他社はもちろん、これまでないアイデアだよ。皆、売れるぞ! って大騒ぎしてたさ。試作品第一号を持って帰ってきたんだ」
 お父さんの出世作と聞き、お母さんもわくわくしてきました。
「なんなの? ねえ、じらさないで開けてよ」
 催促されるまでもなく、お父さんは箱を開け始めました。と、現れたのは、例によってプラスチックに覆われたボタンの幾つかついた何かの器械です。
「なに、これ?」
「これはね・・・」
 お父さんは秘密めかした表情を固くすると、大声で告げました。
「自動毛づくろい器だ!」
「自動毛づくろい器・・・」
「うんそうだ。君の一日から考察した結果、君の時間の70%は子供達と赤ちゃんの毛づくろいに費やされると判明した。社で、皆に統計を取ったところ同様の傾向が殆どと思われたので、会議にかけたんだ。一般的に子供や赤ちゃんというものは、成人猫より格段に多くの毛づくろいを必要をする。子供が一人の場合はなんとか時間の融通がつけられるが、複数になると母親にとって過度な負担だ。そういうことで・・・」
「私は、ちっとも負担じゃないわ」
 震える声でお母さんはお父さんの演説をさえぎりました。お父さんはきょとんとし、お母さんの表情を伺うと、真っ青でしかも涙を浮かべているではないですか。
「私は、子供達とのスキンシップが楽しかったのよ。どんなに時間を取られようとも。それは、あなたから見ると面倒な作業にしかすぎなかったのね」
 お母さんの瞳から、ついに大粒の涙がこぼれ、次へ次へと続きました。狼狽するお父さんの前からお母さんは立ち去り、しばらくしてお父さんが我に返ると、家中どこを捜してもその姿は見当たりませんでした。玄関の、お母さんのいつものサンダルがなくなっているのを見つけると、お父さんはよろよろした足取りで居間の赤ちゃんの眠っている側に座り込みました。
 お母さんは、いなくなってしまったのです。つまり、離婚です。どうしたらいいのでしょう。いや、それより緊急事態は子供達です。子供達の世話はどうしたらいいのでしょう。新しい奥さんをもらうのでしょうか。新しい奥さんがそう簡単に見つかるのでしょうか。いや、見つからなくても大丈夫。家中の自動なんとか機と唯一残された仕事を担う自動毛づくろい器があるのですから。子供達はお母さんならぬ、自動毛づくろい器に毛づくろいをし返してくれるのでしょうか。自動毛づくろい器は毛づくろいされる必要がないし、つるつるのプラスチックなのでそういう用途は備えていません。自分は、新しい奥さんならぬ自動毛づくろい器にに毛づくろいができるのだろうか・・・。
 お父さんは、赤ちゃんを抱いて立ち上がると、兄妹の眠っている部屋に行って二人に言いました。
「起きろ。お母さんを捜しに行くぞ」
 夜道に入ったところ、家を出てすぐの角のゴミ捨て場にお母さんは立っていました。兄妹は夢の続きのように泣き出すと、お母さんの足元に駆け寄りました。
 お父さんがそれに追いついた時、目を赤くしたお母さんが口早に言いました。
「ごめんなさい。私、興奮してしまって、ひどいことを」
「僕のほうこそ。全く見当違いをしてしまっていた」
「いいえ、私、子供のことばかり考えて・・・子供が3人になってどうしよう。もう両手で2人確保することができなくなってどうしようってそればかりで頭が一杯になってしまって・・・あなたがいるってことを忘れてしまっていたわ」
「僕のことはいいんだよ」
「ううん、それもあるんだけど。あなたに迷惑かけたくなくって、私一人でどうにかしようとばかり考えていた」
「僕も、君の力になりたい割に、おかしな方向へ暴走してしまっていた」
「これだけお互い、お互いのことを考えているんだもの。方向さえ合えば最強になるわね」
「たった少し、余計に話し合うだけで上手くいくんだよ」
「ボク達だって役に立つよ」
 お兄ちゃんが口を挟みました。
「そうよ。お母さんの手が2本しかないのなら、片方は赤ちゃんを抱っこすればいいわ。もう片方はお兄ちゃんが握って」
「ボクのもう片方の手はねこちゃんの手を握るから。これで、どこでも行けるね」
 お母さんのまぶたがまた熱くなりました。そうだ、この子達はこんなにも大きくなっているんだから。
「じゃあもうこれは要らないね」
 お父さんが、持ったまま出てきてしまっていた“自動毛づくろい器”を取り出しました。
「明日は燃えないゴミの日だからここに捨てていこう」
 そして5人で家路へ向かおうと背を向けた時「もしもし」と暗闇から声がしました。犬のおまわりさんです。
「あ、おまわりさん。こんばんわ」
「こんばんわ。でもねこさん。これは、いけませんねぇ。ゴミは朝の6時から8時の間に出して下さい」
「あ、すいません」
「それ、何です?」
「近日うちの会社から発売される“自動毛づくろい器”です」
「“自動毛づくろい器”・・・」
「ええ。育児に忙しい主婦向けに発売するんですが、ダメでしょうねぇ。これだけは器械まかせにできないって、親はみんなそう思うでしょうから」
「それ、ゆずっていただけませんか」
「え? おまわりさん、小さいお子さんがいらしたんですか」
「いや、いないどころか独り身なんですが」
 若いおまわりさんは顔を赤らめながら続けました。
「一人暮らしなものですからね。どうも毛づくろいが大変な負担で仕様がないんですよ。仕事も忙しいですし・・・」
 ねこちゃん一家は顔を見合わせました。なるほど、そういう需要があったのか。そして皆でにっこり笑うと
「どうぞどうぞ。お使い下さい」
「いや、恐縮です」
 おまわりさんは敬礼すると、“自動毛づくろい器”を受け取り、もう一回礼をして帰っていきました。
 ねこちゃん一家もおうちに帰りました。寝入りばなをお父さんに起こされたので、ねこちゃんは眠くてたまりません。ねこちゃんちに赤ちゃんと、たくさんの器械がやってきました。今日は、そのせいでお母さんとお父さんがケンカしたようですが、これからも色んなものがうちに来たら楽しいのにな、とお布団の中でねこちゃんは思いました。

文明と効用

文明と効用

ねこちゃん一家の文明化に伴う騒動のお話。どちらかと言うと、子供向けです。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 児童向け
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