花とレプリカ

やひろ

花とレプリカ


   一 桜の季節
 
 
 見渡す限りの荒野だった。地平線に近いところで、落書きのような稜線の山が見えるだけで、あとは枯れ草しか生えていないような、何もない土地だった。正面の道路が、まるで世界をふたつに分けるみたいにまっすぐに伸びている。
 僕は車の後部座席に座っていて、ときどき、シートの隙間から前方の風景を盗み見る。しかし何回見ても、そこに変化はなかった。一度、運転をしている男に、景色が変わらないということを話題にしたけれど、男は短く、「そうだ」とそっけなく答えただけだった。
 男は真っ黒のスーツを着ていて、髪を整髪剤で固めていた。サングラスをしていればきっと似合うと思うのだけれど、それはしていない。おそろしく無口で、身体つきにも無駄がなく、僕は最初、彼はスタンロイドなのではないかと思った。だが、首の後ろにスタンロイドであることを示す金属プレートはついていなかったし、肌の質感も人間そのものだったから、たぶん、人間だろう。
 スタンロイドは、半導体メーカーのプレジャー社が商標登録しているロボットの商品名で、人型ロボットとしてほとんど一般名詞化している。人間のアシストを目的に開発された商用ロボットだが、自動車の運転ぐらいであれば、問題なくこなせる。僕が生まれる前の話だけれど、スタンロイドが登場してから、道交法が全面的に刷新され、スタンロイドの運転特性に合わせた形に作り変えられた。いまでは、人間が運転するよりも事故率が圧倒的に低いとされ、人間が運転する際には、人間が運転していることを示すマグネットを、ボンネットの上に貼らなければならない。
 スタンロイドは遠目から見れば人間に見えるが、ボディは特殊シリコンで出来ているので、近くで見ると、肌のテカリ具合で、人間ではないとすぐにわかる。また、首の後ろの金属プレートにシリアルナンバーが刻みこまれていて、サイバーリンクで照会すれば使用年数や所有者の氏名・連絡先がすぐにわかるようになっている。まだ人間と間違うほどのレベルではないが、意図的に『スタンロイドであること』がわかるような設計になっているらしい。
 今朝、病院を出るとき、また元のように「寮」に帰るものだとばかり思っていた。しかし、別の場所に連れていかれるのだと聞いて、内心、心が躍ったのは否定できない。少なくとも、病院では誰にも会うことが禁じられていて、できることも限られていた。治療らしい治療もなかったし、体のいい監獄のようなところだった。少なくともあそこから出られれそれでいい、そう思っていたのに、行けども行けども枯れ草しか生えていないような荒野しか広がっていないようでは、これから向かう場所での暮らしも、あまり期待がもてない。
 ふと顔をあげると、鉄のフェンスの中に車が入っていくのがわかった。荒野の中に、地平線まで続く長さでフェンスが続いていて、上には有刺鉄線までついている。車が一台やっと通れるほどのゲートがあり、車はそこをくぐって前進した。
 先ほどまでの何もない車道ではなく、そこから先は砂利道だった。鬱蒼と生い茂る林の中を車は進んでいく。
「座ってなさい」
 身を乗り出してフロントガラスを見ようとしている僕を、男は静かな声で制した。実際のところ、急にラフ・ロードに侵入したせいですごい振動があり、立ってはいられなかった。
 急に視界がひらけた。さっきまで同じ太陽の下にいたはずなのに、あまりの明るさに目を細める。横の窓から外を見て、僕は目を見開いた。
 そこは、海だった。さっきまでの荒野が嘘のように、紺碧の大海原が広がっていた。
 男の運転する車は、海に近いところで止まった。男は後ろを振り返り、目で、「降りろ」と命じた。もちろん異論はない。僕は後部座席に置いていたバッグを手にとって、外に出た。
 埃っぽい空気から一転して、海の匂いがした。僕は深呼吸をして、あたりを見渡す。海はビーチではなく磯のようなところだったが、車が止まっている少し先に、コンクリートで作られた桟橋のようなものがある。その先に、小型の船が止まっていた。
「あれに乗れ」
 僕がその船に見入っていると、男が背後から言った。僕は振り返り、男の顔を見る。
「一緒に行くの?」
「私は行かない。君をここに連れてくるまでが私の仕事だ。あれに乗って、着いた先で指示に従いなさい」
 感情のこもらない声で男は言う。船は一応屋根のついた小さな漁船のようなものだったが、大きさからみればボートに近かった。
 船尾にはすでに誰かがいた。近づくと、その人はスタンロイドだとわかった。
「ようこそ、はじめまして。ミドリと申します」
 その女性のスタンロイドは微笑んで、僕に明るく話しかけてくる。
「はじめまして。キミが運転してくれるの?」
 そう話しかけると、ミドリと名乗ったスタンロイドは微笑みを崩さずに、その通りです、どうぞお乗りください、と返事をした。
 僕は後ろを振り返り、男に行き先を聞こうとした。だが、すぐに、それは無駄だと思った。朝、『病院』で男が迎えに来たときに行き先を聞いたが、何も教えてくれなかったからだ。
 少し躊躇ったが、揺れている船に飛び乗ると、ミドリと名乗ったスタンロイドは手に持っていたリモコンのような機械を操作した。それが船の操縦桿らしい。あまり派手なエンジン音はしないが、波がかきわけられる音ですぐに何も聞こえなくなった。男はもともと立っていた場所からこちらをずっと見ていたが、やがてそれも遠く彼方へ消えて行ってしまった。
 僕は船尾の窪みになっているところに座った。ミドリと名乗ったスタンロイドは、僕の反対側に同じように座って、船の横から前方を見つめている。もうリモコンはその手に握られていない。
「操縦はしなくてもいいの?」
 僕がそう質問すると、ミドリは首をぐるんと回してこちらを見た。
「ご心配ありません。この船は、オートパイロットモードに入りました」
「あ……そうか」
 よくわからなかったが、知ったかぶりをした。本当はそんな質問はどうだってよかった。続けて、気になっていた質問をぶつけてみることにした。
「この船は、どこに向かっているの?」
「禁則事項です」
「え?」
「申し訳ございません、その質問にはお答えできません」
「どうして?」
「禁則事項だからです」
「どうして、禁則事項なわけ?」
 僕は少し意地悪な質問をしてみた。ミドリは少し困ったような顔になったあと、
「民間人に公開できる情報が制限されています」と言った。
 僕は少し角度を変えた質問をしてみることにした。
「じゃあ、目的地まではどれぐらいかかるの?」
「その質問に対する回答は可能です。あと、五十五分二十四秒で到着する見込みです」
「……そう。ありがとう。じゃあ、まだしばらくかかりそうだね」
「その通りです」
「喉が渇いたんだけど……」
「船内に、飲み物がございます。何がよろしいでしょうか」
「何があるの?」
「コーヒー、紅茶、緑茶、コカコーラのボトルがあります。いずれも冷蔵です」
「じゃあ、緑茶が飲みたいな」
「承知いたしました」
 ミドリは立ち上がると、船内に潜り込んだ。僕は水平線以外何も見えない風景を眺めていた。一分もしないうちに、ミドリが戻ってきて、「はい、どうぞ」と僕に緑茶のボトルを手渡してくれる。
 僕はボトルの蓋を開けながら、ミドリを観察した。スタンロイドは、基本的にボディはどれも共通で、女性型と男性型がある。もちろんミドリは女性型で、病院で僕の部屋を担当していたスタンロイドと基本的には同じだった。だが、ミドリの服装は迷彩柄のズボンとジャケットだ。所有者は、軍の関係なのだろうか。
 ペットボトルを持つ手が震えているのがわかった。それと同時に、喉のあたりも細かく震えている。それは船の振動のせいではなかった。ペットボトルの蓋を閉めようとしても、うまく手に力が入らなかったからだ。
 この船の先に何が待ち受けているのかわからない。しかし、良いことが待っているはずがない。僕の意思とは無関係に、この船が、目的地に向かって着実に前進しているということが、たまらなく恐怖だった。自分の意思とは全く関係なく動いているというところが!
 ミドリをこの船から突き落とし、オートパイロットモードというものを解除することを想像した。だが、うまくいくはずがない、とすぐに諦めた。スタンロイドのボディは小柄な女性型でも八十キロを超えるし、成人男性二人を抱えることができるぐらいの腕力がある。だいいち、オートパイロットモードを解除できるとは思えないし、解除したところで、操縦の技術がない。僕は仕方なく目をつぶった。カタカタと歯が小刻みに震えている。
 僕は奥歯にぎゅっと力を入れて、無理やり目をつぶった。

   *

 肩を軽く揺すられて、目を覚ました。
「あと五分で到着いたします。降りる準備をしてください」
 僕は立ち上がり、あたりを見渡す。後方は何も見えなかったが、前方に、深緑色の島が見えた。
「あれが目的地?」
「その通りです」
「着いたら何をしたらいいわけ?」
「その命令は、到着してから説明することになっています」
 ミドリはふたたびリモコンを手にすると、それを器用に操作して、島のほうに船を寄せていった。僕も、身を乗り出して、前方の島を見る。近づいてくるにつれ、とても大きい島だということがわかった。向かって左側は家や建物が見えるが、島全体は森と山に覆われている。平地と思えるところが島の左部分にしかなく、ほとんどが山だった。
 船は、思ったとおり、島の左部分にある桟橋に向けて移動している。やがて完全に桟橋に横付けした。見ると、他にも似たような形の船がたくさんある。だが、誰も乗っていない。
「こちらへどうぞ」
 ミドリが先に降りて、僕に声をかけた。ミドリが手を差し出したので、その手をつかんで、僕は桟橋のうえに立つ。
「この道をまっすぐに行ってください。突き当たりを左に曲がると、学校があります。その校舎の中に入ってください。その次の指示は、そこで受けてください」
「学校?」
「はい、学校です。みなさんはすでにお待ちです。イズミさん、あなたは最後の生徒になります」
「みなさんって?」
「行けばおわかりになります」
 ミドリは微笑んだ顔のまま動かない。一度答えなかった質問は、いくら質問をしても無駄だろう。
 僕はカバンを持って、木でできた桟橋を歩く。つい最近作られたものなのか、ずいぶんと新しいもののように感じる。桟橋は長いものではなく、じきに終わった。正面には、古い民家が並んで立っている。道路はアスファルトで舗装されてはいるが、車道はなかった。異様な雰囲気を感じた。なにせ、人が誰もいないのだ。
 短い坂をのぼる。坂の上に、野球ができるぐらいの広さの校庭があり、まわりを高いフェンスが囲っている。フェンスの向こう側には、桜が満開に咲いていて、さらにその先は海だった。高低差があるから、おそらく崖のようになっているはずだ。
 校舎はさらに高いところにあった。ずいぶんと古い鉄筋コンクリート製のものだが、窓枠が新しく、ところどころ補修した跡がある。校舎に行くためには、校庭の脇にある坂を登らなければならない。僕は重いカバンを持ったまま、さらに坂を登っていった。
 校舎の入り口はひとつしかないので、迷うことはない。入り口の下駄箱を抜けて、さらに奥へと入っていく。教室がたくさんあるが、どこに行けばいいのだろう。各教室のドアには、中の様子が覗ける窓がついているから、ひとつひとつを見ていけば、人がいる教室にたどり着くだろう。
 僕は廊下の正面の大窓からの風景を見て、思わず息をのんだ。さっき見た桜が、何本も海岸に満開に咲いているのが見え、その背後には大海原が広がっていたからだ。さっきまで船に乗っていたわけだが、少し高台から見下ろすそのコバルトブルーの風景は、まさに絶景だった。文字通り、僕は言葉を失った。
 窓を少し開けてみる。強い風が潮騒の音とともに流れこんできて、桜の花びらが幾枚か、廊下に入り込んできた。
 いつまでもここから動きたくない、と思った。何せ、これから何があるかも全くわからないのだ。風と波の音だけを聴いていれば、そのままいつまでも過ごせそうだ、と思った。
 ふと、キラリと光るものを目の端に捉えた。最初、海に反射した太陽の光かと思ったが、少し違う。窓から身を乗り出して、下を見ると、窓枠の下部分のところに人が一人乗れるぐらいの縁があり、そこに、何か機械が置いてあるのが見えた。その機械の表面に光が当たって、キラキラと光っているのだ。
 僕はそれがなんなのかわからなかった。銀色で、大きさは、カードぐらいの大きさだ。僕は自分では使ったことがないが、『寮』では、それと似たようなものを使っている人を見かけたことがある。そう、数世代前に流行った、音楽プレイヤーと呼ばれる機械だ。大昔、人々はもっと大きな、レコードと呼ばれる円盤や、CDと呼ばれる記憶ディスクを使って音楽を聴いていたらしい。その後、インターネットを介して音楽を聴く手法が主流になったが、インターネットが法律で禁止され、サイバーリンクシステムに切り替わってからは、聴ける音楽は限定されたこともあり、むしろそうした記憶媒体の需要が増した。特に、そのインターネットに切り替わる直前に流行った音楽プレイヤーは希少性が高く、さまざまな音楽が入っているプレイヤーは、天文学的な値段で取引されていると聞いたことがある。
 そこにあるものがそうだという確証はないし、なぜそんなところに落ちているのかは不明だが、とにかく見てみようと思って、僕は窓枠から外に降りようとした。そのすぐ下が崖になっていて、そこから落ちたらただではすまないだろうが、とにかく、その縁の部分に向かって、そっと降りた。下を見ないように窓枠をしっかり掴んで、バランスを崩さないようにしながら、左手で「それ」を拾い上げる。
 薄い銀色の、カードのようなものだった。ディスプレイがついているが、電源は入っていない。『寮』で誰かが持っていた音楽プレイヤーは、こんな形のものではなかった。ボタンはなく、どのように操作すればいいのかわからない。適当にそれをいじっていると、本体の背面カバーがスライドし、ワイヤレスのイヤホンが出てきた。イヤホンとはいっても、耳の穴の中に入れるものではなく、ボタンぐらいの大きさのシート状のもので、耳たぶのあたりに貼り付けると聞こえるタイプのもののようだ。色も半透明で、実際に貼り付けるとほぼ同化する。僕はこの存在は知ってはいたが、実際に目にするのははじめてだった。

     *

「なにしてるの?」
 急に頭上から誰かの声がして、僕は音楽プレイヤーを落としそうになり、バランスを崩して落下しそうになった。気を取り直して、頭上を見上げると、窓枠に肘を乗せて、身を乗り出すようにして、黒い髪の少女がこちらを見下ろしているのが見えた。本当にこの島に人間がいると思っていなかった僕は驚いて、とっさに声が出せなかったが、少ししてから小さな声で返事をした。
「え、なに? 聞こえない」
 少女は続ける。僕は下に落ちないように注意しながら、ゆっくりと立ち上がり、少女に向き直った。少女は僕が立ち上がるのを珍しそうな顔で見ているだけで、肘をついたままの姿勢を崩さなかった。
「……誰?」
 そう問いかけると、少しだけ目をまるくしたあと、小馬鹿にしたように笑った。
「誰って、こっちのセリフなんですけど。教室にもはいらないで、こんなところで何してるわけ? って聞いてるの」
 僕はとっさに拾ったばかりの銀色のカードをポケットに仕舞い、あらためて少女の方を見た。少女は黒目がちの大きな目をしていて、顔立ちは整っている。しかし、その口元は挑戦的に歪んでいた。
「なんだよ、関係ないだろ、そんなこと」
「関係あるよ。なんだかあやしいことをしてる人がいました、って報告しないと」
「なんでだよ」
「キミがテロリストで、この学校に爆弾を仕掛けた、という可能性がないとは言えないしね」
「そんなわけ……」
「キミ、いまポケットに何か隠したでしょ?」
 ぞくりとした。うまく隠したつもりだったが、見ていたのだ。何かを隠すときは、視線をそちらに動かさないのがコツで、問題なくやれたつもりだったのだが、油断していたようだ。
「何を隠したの? 見せて」
「なんの権限があって、アンタにそんなの見せなきゃいけないわけ?」
「だから、キミがテロリストで……」
「そんなわけないだろ」
 僕はそう言いながら、ズボンのポケットを引っ張り上げ、中身を引っ張り出してみせた。人差し指と中指の先に、一枚のカードを挟んでいた。
「なんのカード? それ」
 少女が身を乗り出して、こちらを見る。
「……ただの、ジュースのポイントカードだよ」
 そう言って、少女に渡す。音楽プレイヤーは、手の平のところに挟み込んで、うまく隠していた。この形状をしていて本当によかった。
 少女は、ふうん、とつまらなそうに鼻を鳴らして、「これがそこに落ちてたっていうの?」と言った。
「そう」
「あ、そう。ま、どうでもいいけど」
 急速に興味をなくしたようにそう言って、窓枠から身体を離した。僕はまた、わからないように音楽プレイヤーをポケットに戻し、窓枠に手をかけて、廊下に立った。
「キミは一人だけなの? 他に人は?」
 そう問いかけると、少女は肩をすくめる動作をした。
「あたし、たぶん数時間前からここに来てるんだけど、自分よりあとから来る人のことを、物陰からずっと観察してたの。みんな、二階の教室に行ったみたい」
「なんでそんなことを?」
「当たり前じゃない。こんな得体の知れないところに連れてこられてさ。言われたことをそのまま、なんの疑問もなく従うほうが、どうかしてるよ……」
「そうかな」
「あと何人ぐらい、来るかもわからないし」
「僕が最後だって、言ってたよ」
「誰が?」
「僕をここまで案内してくれたスタンロイドが」
 信用できない、とでも言わんばかりに、少女は腕組みをして、宙を見た。僕は、さっさと、その教室に行ってしまいたかった。僕が最後ということは、みんな、僕のことを待っているかもしれないからだ。その「みんな」というのが、どういう集団をさすのかは、現時点では何もわからないけれど。
「じゃあ、僕は行くから……」
 僕が二階の階段のほうに向かって歩き出すと、少女がすぐに制止した。「待ってよ。あたしのほうが先にここに来たんだから、あたしが先に行かなきゃでしょ」
「いや、知らないよ、そんなの」
「わかった。じゃあ、あたしが行くから、ちょっと時間を空けてから来て。……ところでさ、気になってることがあるんだけど」
「なに?」
「あんた、日本人じゃないの?」
 予想していなかった一言に、僕が本当に驚いて、絶句していると、少女はさらに続けた。「日本人じゃないの? どうなの?」
「……僕は日本人だよ」
「国籍的にはってことでしょ? 純粋日本人なの?」
「……そうだよ」
「あたしの勘違いだったら、謝るけど。ただ、目の色とか、髪とか、肌の感じで、ひょっとしたらなー、って思っただけ」
 僕の両親は日本人で、それを疑ったりしたこともない。僕は髪も黒いし、目の色も、焦げ茶色というか、日本人としておさまる範囲だ。正直、少女が何を言っているのかがよくわからなかった。
「キミ、名前は?」と少女が聞いた。僕は、自分の名前を名乗る。
「あたし、サクラっていうの。じゃ、もう行くから。ちょっとだけ時間を遅らせてきてね」
 有無を言わせない口ぶりで、少女は廊下を歩いていく。
 僕は呆気に取られたまま、サクラと名乗った少女を見送っていた。ポケットの中には、まだあの音楽プレイヤーが入っている。取り出してそれを眺めたが、ディスプレイのついたただのカードのようで、どこを押しても起動しない。ひょっとしたら壊れているのかもしれない。僕はため息をつき、ポケットにそれをしまい直すと、しばらくしてから、少女の向かった先を歩いて、階段をあがった。

     *

 階段をあがってすぐの教室の後ろの引き戸が開いていた。勇気を振り絞って中を覗き込むと、中に生徒が二十人ほど、座っていた。教室の黒板横の窓際にはスーツを着た成人女性が座っており、その傍らに、男性が立っているのが見えた。女性と目が合うと、女性はこちらへ手招きした。
 教室の中へと入る。さっき会話をした少女も、すでに教室の後ろのほうに座っているのが見える。頬杖をついたまま前を見ていて、こちらにはまったく視線を向けようとしない。
「何をしている。席につきなさい」
 妙に高圧的な態度で、教壇の椅子に座っていた女性は言った。僕は教室を見回したが、窓側の、さっき話した少女の席の前しか空いていない。仕方なく、そこに腰かけた。
 女性は立ち上がり、教壇の前までゆっくりと歩いてきた。
「全員揃ったな。それでは自己紹介をする。私の名前はクロサキ・ミスズと言う」
 クロサキと名乗った女性はチョークを手に取ると、黒板に、『黒崎美鈴」と書いた。
「今日から君たちの担任になる。君たちは今後一年間、この島で、共同生活を送ることになる。学校はここで、勉強は私と、そこにいる、男性のコイズミが主に担当する。その他、科目に応じて曜日ごとに別々の教員がくる。君たちは、この近くの民宿で寝泊まりをしてもらう。以上だ。何か質問はあるか?」
 教室はシーンと静まりかえった。最初から、みんな、おそらくは僕と同じように、なぜこんな島に連れてこられたのかも理解できずにいるはずだ。何か質問をしなければ、と思うのだが、突然のことで、何も言葉になって浮かんではこない。手をあげようかと悩んでいると、突然、隣に座っていた女子が手をあげた。
「はい」
「じゃあ、そこのお前」クロサキは指差す。その長身の女子は立ち上がった。
「あの……」
「先に名前を名乗れ」
「鴻島……」
「下の名前は」
「アカネです」
「この島では、下の名前だけで名乗れ。アカネ、質問はなんだ」
「あの……なぜ……私たちはここに連れてこられたんでしょうか?」
 クロサキは座れ、と短く言った。アカネと名乗った女子は、スカートのおしりの部分に手を当てて、あわてたように素早く座る。
「いい質問だ。少し抽象的だが、この状況を理解するための第一歩の質問としては悪くない。では説明する」
 クロサキはまたチョークを手に取ると、黒板に大きく、「8・22」と書いた。
「この数字の意味がわかる者は。そこのお前」
 クロサキは最前列に座っている長髪の男子にチョークを向けた。指名された男子は一瞬びくっと身体を震わせたが、すぐに立ち上がり、直立不動で、叫ぶように言った。
「タツキです」
「なんだ、この数字は?」
「『横浜ディストラクション』です」
「『横浜ディストラクション』とは?」とクロサキが畳み掛ける。
「五年前にあった、原因不明の、横浜駅を中心とした、同時多発の、大規模なガス爆発事件です」
「ガス爆発だけか?」
「は……」
 タツキは言葉に詰まる。その先を話してもいいのかどうかを迷っているようだった。いい、座れ、とクロサキは言った。
「半分正解だ。数字は『横浜ディストラクション』の日付で合っている。一般に公開されている情報も、大規模な爆発事件ということになっているから、それも正解だ。だが、さっきタツキが一瞬、迷ったように、ガス爆発事件というのはダミーだ。実際には、某国による自爆テロだった。それと同時に、爆弾には細菌による生物兵器も搭載されていて、それが飛散し、横浜市民および都民に、合計して十万人を超える死者が出た。そうだな?」
 タツキと名乗った男子は、どう答えたらいいものか、考えあぐねているような、曖昧な返事をした。
「先のとおり、テロの影響で、多数の人間が亡くなった。だが、生物兵器については、耐性があったのか、それが効かない人間も大勢いた。君たちもそのタイミングで飛散した生物兵器を浴び、生き残った『耐性のある人間』だ。その後の調べで、生物兵器の細菌に感染して死ぬか、耐性があって細菌そのものが効かないか、のふたつのパターンがあることがわかった。細菌自体の寿命は短く、散布から数週間で完全に死滅したと推察される。しかし、最近になって、感染してはいるものの、死に至ることなく、かつ体内で細菌がまだ生存しているケースの症例があることが確認された。……それが君たちだ。君たちは保護対象であると同時に、存在自体が最高レベルの国家機密となり、国防軍の管理下に入った。そこで、隔離施設で生活してもらうことになった」
 クロサキの言葉が終わらないうちに、僕は頭を抱えた。話が僕の理解を完全に超えていた。そう考えていると、また、タツキが手をあげるのが見えた。
「質問してもいいですか」
「許可する」
「僕たちは、あの、……『感染』してるんでしょうか?」
「……話を聞いていたのか? そうだと言っただろう?」
「じゃあ、明日にでも、突然死んでしまうこともあるのでしょうか?」
「それはわからない。だが、君たちの健康状態は常にモニタリングする。仮に発症したとしても、症状をやわらげるための措置は研究されているから、すぐに死に至る可能性は低い。だがもちろん、絶対という保証はない」
「わかりました」
 タツキはそう言って、席に座った。いまのでわかったのか、と僕は信じられない思いでタツキを見た。だが、だからといって、自分ではどうすることもできない。おそらく、この教室にいる全員が同じ気持ちだろう。
 『横浜ディストラクション』は、日常風景を一変させた。それまで当たり前だと思っていた日常が、一瞬にして、違う景色へと変わった。僕や、僕の家族は、直接の被害を受けてはいないが、学校にはその影響で死んだ同級生が何人かいたし、移住を余儀なくされた人もいた。そしてなにより、その日を境に、日本は非常事態に入った。戦争まで一触即発の状態になり、右傾化が加速した。全国で自衛隊の解散と、国防軍の設立を求める大規模なデモがあり、それはすぐに臨時国会で可決されてしまった。
 また手があがる。今度は、窓側に座っていたメガネをかけた細身の少女で、カエデと名乗った。
「先ほど、私たちの存在自体が国家機密だとおっしゃいました。だから、隔離施設で生活をするのだと。たとえ国家機密だとしても、こんな隔離施設に押し込む道理がありません。第一、基本的な人権が保障されていません。私たち、自分たちがたとえ『感染』していたとしても、それを誰にも言いません。いくら国防軍とはいえ、なんの権限があって……」
 カエデと名乗った少女はそこまで言って、言葉を発することを辞めた。クロサキが制止したわけではない。むしろ、クロサキは、無表情で少女を見て、じっとしているだけだった。
「ふたつ、情報として、付け加えておく」とクロサキは言った。「君たちの中には生物兵器が残存している。それは検査で確認しているから、間違いない。だから、耐性のない人間と接触すると、触れられた人間に感染することが確認されている。もちろん、耐性のある人間ならば、問題はない。たとえば私やそこのコイズミは、耐性があるので、接触しても死なない。ただ、耐性のない人間であれば、皮膚接触でも死に至るケースがある。遅効性で、すぐに死ぬことはないようだが……。それもあって、隔離する必要があった」
 クラスじゅうがどよめいた。なかには、口を手で覆っている女子もいる。まさか、身に覚えがあるのだろうか?
「それともうひとつ。国家の前には、人権だとか、権限だとかに優先順位はない。お前に罪状を着せて、合法に受刑者として取り扱うことも簡単にできる。テロ幇助、国家叛逆、罪状はなんでもいい。少しの時間があれば、お前を終身刑にできる。だから、二度とそのようなくだらない質問をするな」
 教室は今度は完全に静まりかえった。
 誰も、物音を立てなかった。
「もちろん、とはいえ、日本が法治国家である以上、人権に配慮はする。君たちの年齢に応じた高等教育も行う。ただし、君たちは本日をもって国防軍の管理下に入ること、最低でも今後一年間はこの島を出られないこと、それは決定だ」
 クロサキはそこまで言うと、信じられないことに、少しだけ微笑んだ。冷笑とか、嘲笑といった冷たい笑みではなく、かすかではあるが暖かさのこもった微笑みだった。
「細かいルールや、ここでの生活については、後ほど説明する。とりあえず、ここの生徒のチームをふたつに分ける」
 クロサキは教壇から降りると、床にかがんで、チョークを当てた。そしてそのままチョークの線を教室の後ろまで引っ張っていく。みんな呆気にとられて、その様子を見ていた。
「このチョークが境界線だ。ここでの生活においては、窓側と、廊下側のチームに分かれてもらう。成績、素行、ここでの生活すべてはポイントで管理し、成績の優劣を競う」
 また教室がざわめいた。僕は驚いたが、すぐに、僕の席の前に座っていたサクラと目があった。サクラはなぜか、真っ先にこちらを見たのだった。

     *

『……騙されるな……』
 誰かの声が聞こえた。少し低い、男性の声だ。大人の声に聞こえた。誰の声か、聞き覚えがない。
 僕はあたりを見回して、声の主を探した。
『……騙されるな……』
 また声が聞こえる。他の人間には聞こえていないようだ。声は妙に大きく聞こえたが、音に反響がないのがおかしい。まるで、頭のなかに直接、語りかけられているようだ。
『……あの女の言っていることは間違っている……君たちは、生物兵器に感染などしていない……』
 僕はとっさに耳を触った。その瞬間、仕組みがわかった。さっき拾った音楽プレイヤー、あのイヤホンから音が聞こえるのだ。装着したままだったのをすっかり忘れていた。
『君たちは一年間、サンプルとしていいように監視される……チーム分けしたのは、君たちの競争本能を刺激するためだ……明言することは決してないが、成績不良のチームは、やがて抹殺される……』
 僕はポケットから音楽プレイヤーを取り出したい衝動に駆られた。だが、不自然な動きをすれば、このプレイヤーの存在がバレてしまうかもしれない。しかし、これは通信なのか、それとも、録音がそのまま聞こえているだけなのか?
『君が拾った『これ』……この存在は、誰にも言わないほうがいい……私なら、君に適切な助言ができる……』
 僕はなるべく視線を動かさないようにして、その声を聞き続ける。
『よく来た、イズミ……私はお前の、味方だ……』
 窓の外から、潮騒の音が響き続けている。


     二   クチナシの季節


 またたく間にひと月が過ぎた。桜はとっくに散り、あっという間に葉桜へと変わっていた。毎日、少しずつ気温が高くなっていくのを感じる。外からの刺激が一切ない、この茫漠とした時間の中にいると、なんだか時間を置き忘れてしまったような、そんな感覚がした。
 はじめは冗談としか思えなかったこの状況も、日を追うごとに、まぎれもない現実だということがわかってくる。それは、元の生活を忘れて、この環境に適応していっていることを意味していた。
 島には、ふたつの民宿があった。学校のそばの海沿いに建っている民宿が『いそかぜ』、そして山側に位置するところに建っている民宿が『しまなみ』。位置的には、さほど離れてはいない。このひと月で、『いそかぜ』のことは『海』、『しまなみ』は『山』と呼ばれるようになった。
 あの日、教室に集められた最初の日に、どちらのチームがどちらの民宿を使うか、話し合いがあった。その結果、僕らは『海』のほうになったわけだが、どちらのほうがよかったかなんて、もちろんわかるわけがない。だから、異論はなかった。
 民宿は二階建てで古かったが、広さはそれなりにあった。普通は寮であれば男女別々に住むものだと思うのだが、指示があり、男女共同で住むことになった。女子は二階を使い、男子は一階を使うことになった。
 部屋はすべて和室で、ふたりでひと部屋が割り当てられた。誰が誰と同室になるかでまた話し合いがあったが、けっきょく、公平にくじ引きで決めることになった。
 僕と同室になった男は、マサキという名前だった。僕よりも長身の男だ。旅館の見取り図を見て、割り当てられた部屋の位置を確認すると、荷物を持ってさっさと廊下を歩いていった。
「おー、ここか。なんだ、いい景色じゃん」
 マサキは先に部屋に入り、窓の外を見やったまま、僕のほうを振り返らずに言った。窓際に木製の机がふたつ、箪笥がひとつ、あとは壁際に二段ベッドがあるという、簡素な部屋だった。畳の上にじかにベッドが置かれている格好になるが、その下にだけ、カーペットが敷かれている。畳の部屋に二段ベッドがあると奇妙な感じがするが、布団で寝るのには慣れていないからちょうどいい、と僕は思った。
 窓の外は、視界の半分を雑木林が覆っているが、その先に、書き割りのように薄いコバルトブルーの海が見えた。
「おれ、寝相悪いから下な。いいだろ?」
 そう言うと、マサキはどさっと荷物を下段ベッドに置いてしまった。僕はそれを黙って見ている。マサキは、僕のほうを振り返って腕組みした。
「うん、いいよ」
 僕がそう言うと、そうか、とマサキは興味なさそうに返事をした。そして、正面の窓を開けた。かすかに磯の香りをのせた風が部屋に入り込んでくる。
 僕は二段ベッドのはしごを登って、上の段に座った。天井が近くて圧迫感がある。だけど、ここからだと海がよく見えるな、と思った。
 何してんだよ、みんなのところに戻るぞ、と下からマサキの声がした。僕は顔を二段ベッドの縁から出して、マサキを見下ろした。
 僕がまた階段を降りると、マサキは言った。
「お前の名前、なんていうんだっけ?」
 僕が名前を名乗ると、そうか、よろしくな、相棒、と僕の肩を拳で小突いた。

     *

 その生活に馴染むまでには一週間もかからなかった。そして、慣れてしまえば、どうということはなかった。毎日決まった時間に起きて、決まった時間に学校に行き、勉強をする。「寮」に戻って、みんなで食事をし、決まった時間に寝る。ここに来るまでの生活と大差はなかった。
 授業は、予告通り、クロサキが中心になって教えたが、教科によっては別の教師がそのためだけにきた。クロサキは理数系の授業は問題なく行えるようだったが、国語や体育の授業は別の教師が担当していた。
 授業中は、誰も私語はしなかった。また、当たり前だが、授業の合間に、教師に個人的に話しかけようとする者もいなかった。だが、それは前の学校でも似たようなものだったから、特別な違和感はなかった。
 クロサキたちは授業が終わると、スタンロイドたちだけを残してどこかへと船に乗って帰っていった。どこかに彼らが住んでいる場所があるのだろうが、島からは水平線が見えるばかりで、他に島があることなど確認できなかった。
 土日は学校は休みで、校舎は施錠される。クロサキたちは土日は島に来ない。スタンロイドはいるものの、僕たちだけで島に取り残されたような格好になる。もちろん、そのほうが開放感があって、僕たちはリラックスできた。
 マサキは今朝は遅くまで寝ていたが、起きざまに着替えて、外に出ていった。海に行くらしい。僕も誘われたが、断った。マサキは、そうか、とだけ言って、さっさと出ていってしまった。一緒の部屋に暮らし始めて一ヶ月になるが、ふた言以上の会話を交わしたことがないな、と僕は思った。
 『海』のなかは静まりかえっている。スタンロイドのミドリもいないようだ。彼女が僕らの寮の面倒を見てくれることになったとき、僕は嬉しくなって、彼女に話しかけたのだが、ミドリの応答は淡々としたものだった。船でここまで連れてきたときのことを憶えていないのかと思ったが、質問してみると、ちゃんと記憶していた。淡々としたミドリの表情を見ていると、所詮はスタンロイドなのか、となんだか虚しくなった。
 自分の部屋は廊下の突き当たりで、玄関のほうに戻ると居間がある。テーブルの上には、ボードゲームとトランプが散乱している。僕はその先の縁側に腰掛けて、本を広げた。ちょうど木陰になっているところで、風の通りも悪くなかった。
 しばらくすると、背後に気配を感じた。振り返ると、ショートパンツにTシャツというラフな格好のカエデがそこに立っていた。
「びっくりした。起きてきたら、誰もいないんだもの。みんなどこに行ったの?」
「今まで寝てたの?」
 僕は少し意地悪な声で問い返す。カエデは少しうんざりした顔をしながら、右手で前髪をかきあげた。
「別にいいでしょ、休みなんだから……。ねえ、みんなはどこ?」
「海だと思うけど」
 僕らが行動できる範囲はそれほど広くはない。島自体はさほど小さくはないが、大部分が立ち入り禁止で、鉄条網のフェンスが張り巡らされている。海辺のあたりも例外ではない。海に入ること自体は禁じられていないが、少し危険な磯のあたりには近づかないように、クロサキから言われている。
 あ、そう、とカエデは言い、どこかへと歩いていってしまった。僕は本を縁側に置いて、そんな彼女の背中を見送った。磯の香りをのせた風が、僕の周りを吹き抜けてゆく。なんとなく、本を読む気になれなくて、僕は両手を支えにしながら仰け反って、青い空を眺めていた。
 そうだ、と僕は思った。部屋から、音楽プレイヤーを持ってこようか。ここに最初にきた時に偶然拾った音楽プレイヤーだが、僕は寝る前にマサキに勘付かれないようにこっそり聴いていた。こんな生活をしていると、こっそり音楽を聞けるような時間はそのときぐらいしかなかった。だから、もう拾って一ヶ月経つものの、まだどれだけの音楽がそこに入っているのか、正確には把握していない。
 コト、という音が聞こえて、僕は振り返った。瞬間的に、冷や汗をかいた。カエデがしゃがんで、こちらを見ているのが見えた。僕の手元に、切られたリンゴが載った小皿が置かれている。
「冷蔵庫にあったの。勝手に切っちゃった」
 カエデは爪楊枝で刺したリンゴを口に運ぶと、縁側の淵に座って、足をぶらぶらさせた。見ると、小皿にはもうひとつ爪楊枝があった。僕も食べていいのだろうか。
「ミドリさんに怒られるよ」
 僕が言うと、「……怒らないでしょ。スタンロイドなんだから」とけだるそうにカエデは言った。
 カエデと二人きりになるのははじめてで、僕は戸惑っていた。いや、別にドキドキしているとか、そういうわけではない。ただ、慣れないな、と思った。同室のマサキですら、ほとんど話さないのだ。
「キミって、不思議だね。存在が空気みたい。口をひらけば、皮肉ばっかり言うし」
「慣れてないんだよ」
「慣れてないって、何が?」
「人と話すのが」
「みんなと一緒に生活しているのに?」
「そう」
「……たしかに、キミが誰かと話してるとこ、あんまり見ないけどさ。別に、あたしには関係ないけど」
 カエデは縁側に置いてあった僕の本を手にとった。
「本、図書室から借りてきたんだ。あたしも借りてきたらよかったな」
「土日は学校自体が閉まっちゃうから、金曜日までに借りないと」
「知ってるよ。今週はなんか忘れちゃったの。なにこれ、小説?」
「見ての通り」
「『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』? ……変なタイトル。なんか、聞いたことあるような気がするけど」
「古典だからね」
「どんな話?」
 僕は宙をにらんで考えた。まだ読んでいる途中なので、完全にどういう話なのかを理解しているわけではない。
「アンドロイドが出てくる話だよ」
「アンドロイドって?」
「アンドロイドなら、この寮にもいるでしょ」
 僕は言った。もちろん、ミドリのことだ。
「あれはスタンロイドでしょ」
「スタンロイドは、ただの商品名。正式名称は『スタンドアローン・アンドロイド』だから、分類的にはアンドロイドになるんだと思う」
「それで、アンドロイドがどうなる話?」
 カエデはたいして興味なさそうに、世間話のように聞いてくる。またリンゴがひとつ減った。
「アンドロイドと人間を、見分けることができる人が主人公だよ」
「アンドロイドと人間を見分けるぅ?」
「そう」
「そんなの、わかるに決まってんじゃん」
「どうして?」
「どうしてって……。だって、明らかに違うじゃない」
「人間と見分けがつかないぐらい、アンドロイドが進歩した世界を書いてるんだよ、この小説は」
「……たぶん、そうはならないと思う」
「これはただの小説だよ。そう、ただの……」
 そう、小説とはそういうものだ。現実に起こりそうもないことだから、逆に作品になる。だが、そうした現実には手が届かないとわかってしまった現代においては、こんな作品に意味などないのかもしれない。
 身の回りの世話をし、時には話し相手になってくれるスタンロイドを、僕らは人類の家族とみなしている。しかし、人間と間違うことはない。スタンロイドは、あくまでもスタンロイドだ。秘密を打ち明けたら、必ずそれを黙っていてくれるスタンロイドだからこそ明かせることだってある。
 カエデは退屈そうに足をぶらぶらさせ、空を見上げている。僕は小さくため息をついて、もう少し会話を続けることにした。
「同室のサクラは、まだ寝てるの?」
「サクラちゃんはいまは同室じゃないよ。知らないの?」
「え?」
「ほら、先週、ちょっと話題になってたじゃない。ヤエちゃんが、あたしと部屋の交換をしてくれって言ってきて」
「知らない」
「もう、信じられない。それで先週、揉めてたのに。ヤエちゃん、サクラちゃんの家で働いてたって言ってたでしょう。それで、いま、この状況になっても、サクラお嬢様のそばにいなければって言って、部屋を変わってほしいって言われたのよ」
「へえ。それで、変えたんだ」
「もちろん、最初は、意味がわからないし、反対したわよ。でも頑として聞かないから、最終的には折れてね」
「ふうん」
 僕はそう言って、またひとつリンゴを食べた。これで全部なくなった。
「なんかさ、こういうのって、ひとつでも例外作ると乱れちゃうような気がしてさ……。ほら、ここにはあたしたちしかいないわけだし」
「それで、何か問題は起きたの?」
「別に、そういうことはないんだけど……」
「ならいいんじゃないかな」
 正直なところ、あまり興味はなかった。別に、それぐらいで問題は起きないだろう。むしろ問題は、そういうルールに例外をつくることに抵抗をもつほうではないのか、と率直に僕は思った。
「それで、サクラは部屋にいるわけ?」
「なに、気になるの、サクラちゃんが?」
「いや、そういうわけじゃないけど。海に行くようなタイプにも見えなかったから」
「たぶんいるんじゃないかな。扉も閉まってたし。休みの日は部屋にこもって本とか読んでるみたい。ヤエちゃんもたぶん一緒じゃないかな」
 サクラと話したのも、この島に上陸したばかりのときに校舎で話した、あのときだけだ。彼女も僕と同様に、ほとんど誰とも話していないようだったから、似たようなものだ、と僕は思っていた。
「さて、じゃ、行こっかな」
 カエデはそう言って、立ち上がった。「どこへ?」と僕は質問する。
「海。みんなそこにいるんでしょ」
「だと思う」
「君も来る?」
「遠慮しとく」
「どうしてよ」
「どうしてって……。馴染まないから。それに、海で遊ぶなんて、子どもっぽいし」
「子どもなのに?」
 僕はちょっと、口の端を持ち上げるようにして笑った。そうだ、確かに、僕たちはまだ子どもかもしれない。
 カエデは立って、手でひさしを作って、太陽を見ていた。
「ねえ、不思議だと思わない?」
「何が?」
「みんなが、馴染んでるのが。この生活に」
「馴染んでるの?」
「馴染んでるでしょ。だって、あたしたち、ここに来てからまだ一ヶ月しか経ってないんだよ。それなのに、誰もここに来たことに疑問なんて言わないし、先生たちに歯向いもしない。そりゃ、最初の日こそショックで、みんな不安そうな顔をしていたけれど、すぐにそんなの消し飛んじゃった。で、いまはみんなで仲良く海で遊んでる」
「それで?」結論が見えなかったので、僕は先を促した。カエデは肩をすくめた。
「……別に。なんか引っかかるな、って思っただけ。だいたい、この島って、なんなのよ? もともと住んでた人はどこに行っちゃったわけ?」
「もともと住んでいた人なんて、いるのかな」
「いるでしょ。何言ってるのよ。あの学校だって、知ってるでしょ? 確かに建物は古いけど、あちこちに補修した跡があるし、それに、この旅館だって。つい最近まで、誰かが住んでたみたいじゃない」
「なんで興奮してるの?」
「だって、誰も何も言わないんだもの。最初から、ここにいるのが当たり前みたいな顔して。あなたって、その中でも特にぼんやりしてるから、本当のところはどうなんだろうなって、ちょっと思っただけ」
「本当のところは、どうだった?」
「思った以上にボンクラだった」
 カエデはそう言い、振り返らずに歩いていった。火の玉みたいに熱い性格だ、と僕は思った。僕の立ち位置と対極に位置していると言ってもいい。
 カエデが去っていってしまうと、部屋の中は嘘みたいに静かになった。二階ではサクラとヤエがいるのだろうが、本でも読んでいるのか、物音ひとつ聞こえない。僕はカエデが残していった小皿をもって、縁側から立ち上がった。

     *

 サンダルをつっかけて外に出た。これはもともと、旅館の下駄箱に入っていたものだ。誰が誰のものという明確な区別はなく、それぞれが適当に履いていっている。
 外に出ると、強い日差しを感じた。まだ夏には少し遠いが、正午過ぎにはかなり暑くなりそうだ。寮の前の坂をくだっていくとすぐに学校が見えてくるが、その道を右に折れると、小さなビーチがある。おそらくみんなそこにいるのだろう。
 砂利道を下っていくと、だんだんみんなが騒いでいる様子が聞こえてきた。ビーチには十五人ほどがいて、中央にいるマサキがボールを持っている。
「あ、イズミ!」
 マサキはすぐにこっちを確認して、手を振る。僕が、それが自分に向けられたものなのだということを理解するのに数秒かかった。まわりの子の視線が、一斉に僕に注ぐ。それは、これまでに経験したことのないものだったから、驚きよりも戸惑いのほうが強かった。
「ちょうどいいとこにきた。人数が合わなかったんだ、お前もこっちに入れ」
 マサキは僕に近づくと、手首を引っ張りながらそう言った。僕は引きずられるような形で、みんなの中心に引っ張られる。
 僕はあたりを見渡す。地面には即席のラインが引かれていて、大きな四角がふたつ。ここにいるメンバーは、ふたつのチームに分かれて、これから何かの試合を行うようだ。
「じゃ、はじめるぞ」
 マサキはそう言うと、中央の線の上から、ボールを空高く投げた。僕はそのボールを目で追いかけたが、太陽が眩しいので、目を細めた。落下してきたボールを、マサキともう一人がジャンプして取ろうとした。ボールは、相手のチームに渡ったようだ。
 別に参加するなんて誰も言ってないのに、そう口の中で呟いたが、こうなったら、もう、仕方がない。周りを見ると、みんな裸足だった。僕は素早くサンダルを脱いでコート外に放り投げる。見ると、砂浜の果てに雑草が生い茂っていて、麦わら帽子をかぶったスタンロイドのミドリがそこに立っていた。だが、特に何かをしている様子もない。全員の安全を見守っているのだろうか。
「避けろ!」
 マサキの声が響いて、とっさに身をかがめた。僕の頭上をボールが飛んでいく。空を切る音が聞こえた。
 ヒュッと誰かが口笛を鳴らすのが聞こえた。僕はすぐに頭をあげて、ボールが飛んでいった先を見る。コートの外から、大きく振りかぶってボールを投げてくるのが見えた。
 僕はまた反射的に避けた。まだ、どういうことをやるスポーツなのかわかっていないが、どうもボールを避け続ければいいようだ。
 周りで起きていることに関係なく、僕はボールを避け続けた。たまにマサキがボールを取り、それを敵に投げつけている。敵も味方も少しずつ数が減っていった。
 まだルールが完全に把握できていないが、避けるのはそんなに難しいことではないな、と僕は思った。相手が振りかぶっているところを観察すれば、軌道を予測するのはそれほど難しいことではない。当てるためには特定の場所をめがけて投げなければならないが、避けるのは、とにかくその場所にいなければいいわけだから、別段難しいことではない。僕は淡々とボールを避け続けた。マサキはたまにボールを受け止めたりしているようだ。
「ちょっと投げてみろ」
 終盤になって、マサキはそう言いながら僕にボールを手渡してきた。いや、投げれないよ、と僕が言うと、いいから、と僕の胸に押し付けた。僕はなんだか嫌な感じがした。
 すでにこちらのコートには僕とマサキだけ、向こうのコートだって、三人しかいない。周りの連中はコートの周りからこちらを見物している。腕組みをして見ている連中すらいる。ここから見ると、敵も味方も関係ない。みんな、僕がどう出るかを観察しているのだ。
 ボールはちょっとしたスイカぐらいの大きさで、もちろん握ることもできず、明らかに人間が投げるのに適した大きさではない。手の上に置いて、そのまま投げるしかないようだ。そんなことはやったことがない。
 僕は周りの連中がやっていた動作を思い返しながら、同じように投げてみた。だが、まったく加減がわからず、ボールは手から離れると上空に飛んでいってしまった。僕はその反動で転んでしまった。
 みんなが笑っているのが見える。心からおかしいと思って笑っているというよりは、嘲笑のような、ちょっと乾いた笑いだ。僕は瞬間的にちょっと腹が立った。だが、僕が投げたボールはすぐに敵の手にわたり、一瞬で「投げ」のモーションに入ると、転んでいる僕目がけて飛んできた。僕はそのまま身体を反転させて、難なく避けた。今度は、外野から驚きのどよめきがあがる。
「ほら、立て」
 マサキは僕は声をかけた。僕は身体をひねって、素早く立ち上がった。
 なんだろう、なんだか、懐かしい感覚がした。こんな体験を、以前にも、どこかで?
 飛んでくるボールは、まるで止まっているように見えた。避けるのは本当に簡単なことだった。あまりにも遅く見えたので、僕は思い切って、飛んできたボールを手で止めてみた。すごい音がしたけれど、思ったよりも簡単に掴むことができた。手へのダメージも少ない。
 また、投げたら笑われるだろうか、そう思いながら、また投げのモーションに入る。前回よりは手に馴染んできたような気がする。ボールは明後日の方向へ飛んでいったけれど、今度は誰も笑わなかった。
 気づいたら、マサキもボールに当たり、コートに残っているのは僕ひとりだけだった。
 相手のコートにいるのは、名前はわからないが、小柄で筋肉質の男子生徒だった。僕はそのとき、ある単純なことに気が付いた。このゲームのチーム分けは、「寮」に分かれているのだ。相手の生徒は、確かにうちの「寮」の人間ではなく、教室では、確かに廊下側に座っていたはずだ。もちろん、だとすると、『山』の人間、ということになる。
 外野にいる女の子が、ナギサくん、と叫んだので、名前を思い出した。そうだ、確か、ナギサという名前だった。
 ナギサは落ちているボールを拾うと、目にも止まらないモーションでこちらに投げてきた。僕は不意を突かれ、とっさに反応できなかった。ボールは僕の胸のあたりに当たり、上空に跳ね返る。僕は手を伸ばして、それをキャッチした。外野から感嘆の声があがる。
 状況は、僕とナギサの一騎打ちになっているようだ。外野からボールを投げてナギサを倒すこともできるはずだが、観客はそうは考えていないだろう。僕はボールを持ったまま、ナギサを見た。もう、ナギサが使ったような不意打ちの攻撃はできない。だが、逆に言うと、どれだけ時間をかけて振りかぶっても、問題はない。
 僕は手のひらにボールをのせ、思い切り振りかぶった。転んでもかまわない、そんな気持ちで、思い切りナギサに向かってボールを投げた。
 先に二回投げたおかげで、ボールはまっすぐにナギサに向かって飛んでいく。
 ナギサはそこから動かず、受けの構えを見せると、すぐにボールを掴んで、身体を回転させてこちらに投げ返してきた。
 僕はそれを読んで、むしろ前方へ駆け出していた。ボールを投げ返したあとのナギサが、目を見開くのがわかった。コートの後ろに下がってボールを受けるのがセオリーなのだろうが、僕はそうしなかった。ナギサがこちらが投げたボールに対して速攻で反応して投げ返してくるのならば、むしろこちらから接近したほうが都合がいい。
 狙い通り、ボールはナギサが投げ終わるモーションが終わる前に僕の手元にきた。僕はナギサのフォームを真似て、身体を回転させて投げ返した。
 ボールは振り下ろしたナギサの肩に当たって、地面に落ちた。
 その瞬間、歓声があがり、他のメンバーがコートになだれ込んでくる。僕の肩にマサキが腕を回すのがわかった。カエデも飛び上がって喜んでいる。
「すごいじゃん、イズミ!」
 僕はどうしたらいいのかわからなかった。見ると、スタンロイドのミドリは麦わら帽子のひさしに手をやったまま、ほとんど直立不動でこちらを見ている。マサキや、他のみんながなぜそんなに喜んでいるのかがわからない。僕が勝利して、そんなに嬉しいのだろうか。もしかしたら、「寮」対抗というのが醍醐味なのかもしれないけれど、それにしたって全員が参加しているわけじゃない。
 なにげなく、『海』のほうに目をやると、二階の窓がひとつ開いているのに気が付いた。誰の部屋だろうか。よく見ると、窓際に誰かが立っている。
 黒髪の女の子。サクラだ、と気づいた。あそこがサクラの部屋なのだろうか。一瞬、目が合ったような気がするが、遠くなので、もちろん確証はない。ただ、僕が気づいたことを察知したのか、すぐに窓が閉じられた。
 僕はそのとき、サクラの胸のあたりで、キラッと一瞬何かが光るのを見逃さなかった。太陽は僕の背後にあった。サクラが持っていたなにかに、太陽の光が反射したのだろう。
 思い当たるものとして、僕はとっさに、音楽プレイヤーのことを思い出した。僕のプレイヤーをサクラが持っている? まさか。いや、他に反射するものを持っている可能性だって……。だが、そんなアクセサリーを身につけていた記憶はない。だとしたら、可能性としてはゼロではないが……。
「どこ見てんだよ、イズミ」
 マサキが僕の肩に腕を回したまま、からかうように言った。

     *

 部屋に戻ると、すぐに引き出しを開け、音楽プレイヤーが入っているかどうかを確認した。それは変わらずにそこにあった。サクラがこの部屋に入って、あれを持ち出していたのだろうか。いや、完全に自分の勘違いかもしれないが……。
 この部屋の扉は、鍵をかけられるような構造になっていない。女子の部屋は二階で、男子の部屋が一階だから、男子は女子の部屋になかなか行くことができないが、女子は普通に男子の部屋に近づくことはできる。
 いくらなんでも気のせいだろう、と思うことにした。ただし、音楽プレイヤーは机の中に仕舞うのはやめて、ベッドの、自分のシーツの下に隠すことにした。

     *

 次の日も、いつもと同じように学校に行った。クロサキは、いつも八時きっかりに教室に入ってくる。だが、その日は、廊下を歩いてくる音からして、いつもとはまるで違った。大勢の足音が、規則正しく聞こえてきたのだ。
 クロサキは教室の引き戸を開けて入ってきた。クロサキのあとから、軍服を着た男たちが四名ほど入ってきた。そして、その後ろから、軍服を着たスタンロイドが数名。
 クロサキは教壇に立ち、呆気にとられている僕たちに向かって、言った。
「本日から、通常の授業に加えて、軍事訓練も課す。毎日、午後からの授業はこれに代わることとなる」
 最初の日と同じく、教室はシーンと静まりかえっていた。誰かが、聞こえるか聞こえないかぐらいの小ささで、ため息をついた。そういう音が聞こえるぐらい、周りは静まりかえっていた。
 最終的に、誰も何も言わなかった。言っても意味がないことぐらい、この時点ではみんなが察していたからかもしれない。

花とレプリカ

花とレプリカ

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-04-28

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著作権法内での利用のみを許可します。

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