ソレとわたし 2

「薄情者」とは

5年の月日が流れた。

もう私がソレを呼び出すことは、ほとんど無くなっていた。ソレと会話するのが怖くなっていたというのもある。

ソレの意見はいちいち私の痛いところを鋭く突いてくるし、あの出来事を境にソレはキツイことばかり言うから。

良いことがあって、私が浮かれているとソレは「お前に浮かれる権利なんてあるのか?」と、戒めた。

その度に、私は悔い改めなけばならなかった。


そして、当然ながらあの年の翌年から、私は自分の誕生日が恐ろしい日になった。絶対に『おめでとう』と、言われてはいけない日になった。祝われてはいけない日になった。この日は命日だ。静かに故人の冥福を祈ろうと決めた日だった。

そして同時に、5年という歳月の間で、大事な存在が私を通り過ぎた。

大好きだったモロが死んでしまった。
外で飼っていたモロは、早朝、庭とリビングの仕切りである縁側の真下に横たわって死んでいた。

モロにとってその場所は、一番私たちに近い場所でモロのお気に入りだった。いつも縁側に座る私の膝の上に顔を乗せて、尻尾だけをフリフリしていた。私はそんなモロの頭や垂れ下がる耳を撫でるのが好きだった。リラックスして気持ち良さそうに目を閉じて、膝に顔を押し付けてグイグイ押してくる姿が容易に浮かんだ。そういう場所で最期を迎えたモロを見て、私たちは確かに家族だったよね。と、愛おしく思った。

モロの死んだ姿を見た時、静かな涙が流れた。
悲しかったけど、会えない悲しさはあったけど老犬の分野に入っていたモロは、日々老いと戦っていた。
だから「お疲れ様、安らかに眠ってね」という気持ちの方が大きかった。


そして、その翌年に祖母が亡くなった。長い長い闘病生活だった。
祖母に対しても、会えない悲しさはあったけど、「やっと病気に開放されて良かったね」という気持ちの方が大きかった。

お見舞いに行くたびに、癌にむしばまれて枝のようになっていく体を見ていたし、祖母の「痛い、痛い」と泣いている姿を毎回見ていたから。

ただ私は、モロとも祖母とも死に目に立ち会えなかった。

祖母が亡くなる時、家に連絡が入り私以外の家族は全員祖母の枕元に立ち会った。私はその日偶然遊びに出かけていて、連絡がつかなかったらしい。

家に戻ると、病院から帰った全員が家に揃っていて、お父さんやお母さんはお通夜の準備、お姉ちゃんは泣きながら私を責めた。
おばあちゃんの最期を見届けなかった薄情者! って。

お母さんやお父さんも怒っていたのかもしれない。いや少なくともお母さんは怒っていたのだろう。
お姉ちゃんが泣きながら責めている様子を、黙って見ていたから。


「死に目に立ち会わない」のは、薄情者だということを、この時知った。

君は君の望むように生きればいい。君は何がしたいの?

ある日、私はソレにこう言った。

「ねぇ、中村先輩は、私のせいで亡くなったんじゃなくて、そういう流れの中にいたんじゃないかな?」


『私のせいだ』と自分を攻める自分自身を、ソレは「悲劇のヒロイン気取りはやめろ」と冷笑する。
そう言われて「そんなんじゃない!」と言い訳する自分を見つめていくうちに、ある考えが浮かんだのだ。

「君は、今更自分の罪を逃れようとしてる? 都合よく風化させようとしてる?」

「そうじゃないの。なんかね。私のせいだなんて言うの、中村先輩に失礼なんじゃないか、って思うの。きっと、先輩言うよ。あたしなんかのせいで死ぬなんて冗談じゃないって。
私なんかが、先輩の人生変えちゃうなんて、おこがましいって。私もそう思うの。

ずっと私の誕生日が先輩の命日でいいし、その日は先輩の事祈りたいけど、私のせいで亡くなったって言うのは、違うと思う。
責任逃れじゃなくて、自分のせいだって泣いて、先輩を悪者にしたくないの。先輩は人気者だったし。私なんかが、先輩の人生を狂わせるほどの人間のわけないって思うの」

「ふーん。君がそう思うなら、そう思えばいい。ただし、責任逃れだけはやめてくれな。君は最低のことをしたのだから」
「うん。わかってるよ。
ねぇ、私はいつ死ぬんだろう? もう決まっているのかな? そうだったら、生きている間は、頑張って生きるってことが、先に死んじゃった人に対しての責任だよね?」
「はっ、つまんないこと言うね……。綺麗ごとだけど、君がそう思うなら、そうすればいい。君は君の望むように生きればいいんだから」



ソレはいつも同じことを言う。『君は君の望むように生きればいい。君は何がしたいの?』と。
だから、私は答えを探す。間違えることも多いけど、何がしたいのか、どうすればいいのか。

いつも考えるチャンスをくれるソレに、私は改めて感謝した。


そしてその時からソレは私を攻撃しなくなり、私とソレの関係は、少しずつ変わって来たような気がする。

以前のように愚痴をこぼしたり、どうしようどうしようと、話を聞いてもらうだけの存在ではなくて、もっと深くつながったような気がする。

私が進むべき道へ進む度に、ソレは私に問いかける。

どうしたいのか?何を望むのか?

私はソレに対して、なるだけ誠実であろうと心掛けた。

ソレの口の悪さや、怒った時の心に突き刺さる暴言は身に染みている。

誠実で正直であれば、もし間違った道へ行こうとしていても、ソレは、根気強く私を見守り続けた。

死ぬことが楽しみになるような気がする!


 ある時、私はフィッツジェラルド作の「ベンジャミン・バトン数奇な人生」という映画を見た。
 それは不思議な映画だった。映画だけでなく、本も読んでみた。
 時代背景は違うし、年齢も性別も違うのに、私はすごくシンパシーを感じてしまった。

 私は少し興奮してソレに話しかけた。

「ベンジャミンバトンがフィクションだということは、分かるの。
 でもね、すごく共感する箇所が多いの。
 もしかしたら、私も時間を遡って生きているんじゃないか?って思うくらいに。
 人は生まれた瞬間から、死ぬまでのカウントダウンが始まってるってことは、どうすることもできないよね?

 なら、生まれたときが死ぬ年齢だったら、あと何年生きられるのか、はっきりしていて、いろいろ楽じゃない?」

「そうだね。ひょっとしたら、君は時間を遡っているのかもしれないよ。
だとしたら、最後は赤ちゃんになって死ねる。ふふふ・・。どんな気分?」

「死ぬことが楽しみになるような気がする!
 見た目はそりゃあ、実際はお年寄りだろうけど、中身はどんどん若くなって、最後は赤ちゃんになれたら、死ぬことが怖いなんて思わないような気がするなあ」

「じゃあ、そう思うことでいいんじゃない?
 君がそうしたいなら、そうすればいい」

 その時私はソレに、私の遡り年齢って何歳なんだろう?と、質問した。
 ソレはあっさり教えてくれた。
 だから、私は残りの時間を大切にすることができた。

 その後も、私とソレの関係は、つかず離れずという感じだった。


 私は恋人が出来ると、ソレのことはすっかり忘れてしまうし、大人になるにつれて、ソレには相談しないで決めることも増えた。

 結婚した時も、子供ができたときも、ソレには報告はするけれど、子供が成長してくると、正直ソレの事を考える余裕などなく、子供の事や家庭の事で私の頭は一杯になっていた。

ソレとは、時々季節のごあいさつをする程度の関係に落ち着いていた。

 気が付けば、子供はそろそろ親離れの年になっており、私自身も中年どころか、下手したらおばあちゃんの年になろうとしていた。

人は私の事を〝本能”と呼ぶかな……

久しぶりにソレを呼び出したのは、ある出来事のせいだった。

子供が独立してしまい、手持無沙汰になってしまった私は、仔犬を飼い始めた。名前をララという。今度は子供が名付け親だ。理由はよくわからない。女の子だから?と、思う。  

私とララは、まるで親子のように仲良しになった。ララは特別に甘えん坊で、私の傍をいつもクルクルと回っていた。

最初のうちこそ、子供もララを可愛がっていたが、ララが大人になるにつれて、散歩などは私と出かけるようになったから、ララはますます私にべったりになった。

そして出来事とは、このララに関係することだ。

ララが5歳の時だった。急に食欲がなくなって、すっかりふさぎ込んでしまった。
何度か病院へ行こうとララを誘うけれど、ララは病院は大嫌いだった。

様子を見ても、体調は良くならない。
嫌がるララを宥めすかして、やっとのことで病院へ連れて行った。  



ララは癌だった。

医者は、手術は可能だけど、かなり難しいだろうと言っていた。
私はララと二人、縁側で途方に暮れていた。

「ララ、どうする?ララはどうしたい?何を望む?」

ララの好きにすればいんんだよ。
ララの望むようにするよ。

ララは、私の膝の上に頭を乗せて、上目づかいで私を見ていた。
頭をなでてやると、尻尾がゆさゆさと揺れた。


その夜、私は縁側に布団を敷いた。
こうすれば、庭にいるララを眺めながら寝ることができた。


布団に包まりながら、私はソレを呼んだ。

「ねぇ、私はどうしたらいいの?どうしたら、ララを助けられるのかな?」

毛布の中の私は涙を流していて、ララとお別れするのが怖くて怖くてたまらなかった。

「ねぇ、ララを助けて。どうしたらいいか、教えて!」

ソレは、少し呆れ声で答えた。

「いい大人になったっていうのに、君はちっとも変ってないね。
 ララはどうしたいって言ってる?」

「わからない。だって、ララは自分が癌だって知らないもの」

「そんなことないよ。ララにだって私の様な存在がいるんだよ。
 生き物全てに、私の様な存在がいるんだよ。

人は私の事を〝本能”と呼ぶかな……

どうして動物たちは、誰にも教わってないのに生きる能力が備わっていると思う?
どうして死ぬことを予感して姿を消したり、渡り鳥や魚は長い旅ができるんだと思う?」

そっか。動物にもソレがいるんだ。
本能か…。うまいこと命名したなあ。私なんていつまでたっても「ソレ」なのに……
ララにも「ソレ」がいるんだね。ララはさみしくない?ひとりじゃない?

「じゃあ、今頃ララとララの「ソレ」は、これからどうしようか、話し合ってるのかな?」

ララの顔を覗いてみたら、ララは穏やかな顔で眠っていた。
そんなララを見ていたら、私も眠くなってきた。



結局、ララは手術はしないことにした。

手術したら病院で何日も寝たきりになってしまう。
体を切るってすごく痛いだろうし、ララは今のままで私達と一緒に暮らすのがいいと思ったからだ。

だってララがそうしたい、って言っているような気がした。すっと私のそばで自由に動き回りたいって。

それにもし私だったら? と思った。大好きな家族と一緒に散歩にも行きたいし、今のままでいたいって。


それを決めたころから、ララは元気になってきた。
病院でもらった薬が良かったのかもしれない。

ララの癌はしこりとなって、目に見えるようになってきたけれど、見た目に反してララは元気だった。
年を取っているから癌の進行が遅れているらしい。老犬バンザイだ。


私達の生活はなんの変わりもなく、ゆっくりとした時間が流れていた。
だから、私は忘れていた。

犬の寿命の方が人のそれより短いのはわかっているはずなのに、今目の前で楽しそうに暮らしているララと死が結びつかなかったから。

ソレとわたし 2

ソレとわたし 2

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-04-28

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  1. 「薄情者」とは
  2. 君は君の望むように生きればいい。君は何がしたいの?
  3. 死ぬことが楽しみになるような気がする!
  4. 人は私の事を〝本能”と呼ぶかな……