ネガティブで前向きな旅

周たまき

居場所がある、ということが、私にはわからない。
自宅、実家、学校、電車、友達の輪の中、会社、図書館、喫茶店、病院。心休まる場所。安心して存在していられる場所。
人間関係というあるあるな理由で会社を辞めて、新たな職探しをしているときに、居場所を見つけるというのは随分難儀なものだなぁと思った。難儀なものだなぁと思いながらパソコンの前で座っている、その部屋も居心地が悪かった。
そして無職な私には考える時間というものがたっぷりあったから、『居場所とは』とぼんやり思考した。
まずウェキペディアで調べてみる。『居場所』とは。居るところ。座るところのこと。なるほど、では私の居場所は今現在、この六畳一間の部屋の中である。自分が存在する場所。やはりこの六畳一間の空間。小さなこたつの上にあるパソコンと同じように、私の居場所はこの空間。
でも今私が考えようとしているのは精神的な居場所のこと。私はこの部屋にとってパソコンとこたつとなんら変わりない存在だろうが、感情のないパソコンやこたつと違ってここに居たいと思っていない。つらい。逃げたい。何から逃げたいかわからないがここに居るのは随分つらい。
さて、いつからだろうと己の人生を顧みて驚いたのは、私は「嗚呼、ここに居れば安心だ」「ここに居たい」「なんて心安らぐのだろう」と思ったことが無いことだ。
私の記憶は幼稚園ぐらいからしかないのだが、幼稚園が嫌いでたまらなかった。友達がいないと思っていたし、幼稚園の先生はどれもみな優しかったはずなのに嫌いだった。昼前になるとお菓子を配られたが、お菓子いらないから帰らせてくれと思っていた。
では帰る家が安心できる心休まる居場所だったのだろうと考えたが、どうやらそうでもない。
親の顔色ばかり窺っていた。親が怖かったのか。まぁ、怖かった。ドメスティックバイオレンスをされていたわけでは決してない。通常の、そこらへんにいるであろう、ただの教育熱心な両親。教育熱心だからといってスパルタ的に育てられたわけでもない。だが、私は物心ついたときからずっと両親の顔色を全力で窺いながら過ごしていた。もちろん子供だからわがままを言う。不平不満を全力でぶつけて怒られて泣く。が、泣くときに大声で泣くことはない。泣いてもすぐに泣き止む。子供だから我慢できず感情まかせになり、泣くという段階で「これはまずいことになった」と気づく。泣くと余計に親の顔が怖くなる。呆れられる。取返しのつかなくなる前に泣き止もうとした。たゆまぬ努力のおかげで、どんなに悲しくて泣いても涙があまり出ないというスキルを身に着けた。また、数秒泣いてすぐ素に戻るスキルも。
小学校のころは保健室通いをしていた。一度は教室へ入る。そして同級生とあいさつをして一限目、二限目ぐらいまで頑張って授業を受ける。嫌になって保健室へ行く。
保健室は。やはり居心地は悪かった。保健室に行っても保険医が良い顔をしないから。また来たのか、という顔をして、一時間はいさせてくれるけど、その後は家に帰るか教室へ戻るかの選択をさせられる。下校時刻でもないのに、教育熱心な母の待つ家へ帰るわけにはいかないから、しぶしぶ教室へ帰る。残りの時間を空虚な気持ちで教室で過ごし、下校時間になってやっと家に帰る。
やっと?ではやはり、家は居場所だったのだろうか。
一番マシだった。
外にいるよりマシ。
転校した先でそこから中学卒業まで、いじめられのぼっちになった。もちろん学校は居場所ではない。休憩時間に何が気に食わなかったか、突然殴られたことがあった。ぼこぼこにされているとき、目の前にはまだ教師がいた。私は幼かったため教師に救いの目を向けた。だが、気づくべきだった。目の前で殴られている時点で、その大人は何もするわけがないということに。教師はこちらをみて笑っていた。ぼこぼこに殴られていたのだが、ただじゃれていると思われたようだ。この文章は七割私の身の上の本当の出来事で、三割を作り話にしているが、残念ながらこの教師の話は事実。
中学校の頃、私がいじめられていることを知り、救えると思って勇み足を踏んだ教師がいたが、彼女の正義は「いじめっこといじめられっこを同時に一か所に集めて『いじめがあるって聞いたけど、本当?』と問いただす」ことだった。いじめっこは全員「まさかそんな」と言い、私も「まさかそんな」と言い、教師だけが「本当のことを言ってほしい」と圧をかけ、いじめっこが仕方なく「ありまぁす」と言い、教師は説教したのち満足して去っていった。ただ事態を悪化させただけであり、私にとって教師も加害者の一人となった、残念な事実だ。あの若い教師元気にしてるだろうか。大人になった今、教師に恵まれなかった自分に笑いが止まらないが、さらによくよく考えると、恵まれていなかったのではなく大抵そうなのかもしれないと思う。
そんなわけで、あまりにも悲しいニュースが多い昨今、四月になり通勤電車に揺られながら制服に着られた中高の新一年生を見ると「希望が絶望に変わることがあるかもしれないが、何があっても絶対にしぬなよ」と心の中で全力エールを送ってしまう。
話が盛大にそれてしまった。とりあえず学校は居場所ではなかった。
家に帰ると塾の宿題が大量に待っていたからやはり居場所ではなかった。サボると親が怖いのだ。
高校。いじめられはしなかったが、ぼっちのため居場所ではなかった。「いってきます」を最後に「ただいま」まで一音も発せず一日を過ごす場所は居場所ではなかった。突然教師に指さされ全クラスメイトの中で立たされ質問の答えをどもりながら発したことは何度もあったが、愉快ではない。
大学時代に盛大にやらかした。
自分を認めてくれる人間が欲しかったとか、必要とされる人間になりたかったとか、ただただ純粋に友達が欲しいとか、とにかく私は孤独に耐えられなくなった。しかし私はいじめからのぼっちで性格と思考をこじらせ、人の目を見れない、前を向けない、はっきりと物申せない、ネガティブで陰気で暗い人間になっていた。そこで脳みそをフル回転させて考えたのが「明るい人間を演じよう」というものだった。
演じるということにどうやら多少の才能があったらしく、大成功し友達が大量にできた。
しかし本当の自分ではないため、朝から晩まで無理をし続けた結果、心を病んだ。パニック障害になりうつ病になり不眠症になり、一日を終えて家に帰ると毎日自傷行為に及んだ。
これもなんて阿呆なのだろうと笑いが止まらないが、当時の私は本気であり、本気だったから病気になり、自傷行為を行い眠れない夜を過ごした家の中は一人になれるということから居場所ではあったが、やはりただマシなだけだった。
私は見事に「明るいうつ」という称号を友人から得た。しかし居場所は、残念ながら得られなかった。
そんな人間が社会人として成功するはずもなく、実家に暮らしながらパートアルバイトを転々とする日々を送り、そのうち家族の前にいられなくなって一人暮らしを始めた。
自分の存在を肯定したい願望が強まるばかりの私は、とりあえず他者を受け入れる姿勢というものを大事にした。自分がしないことには相手からもされないと思うから。こちらから大好き必要よと言えば相手も「Me Too.」と言ってくれやしないか。そんな期待を抱きつつ。今のところ、効果はない。一応、私は嘘偽りなく相手を好き必要だと思っている。手段としての上っ面な発言ではない。だからこそダメージがでかい。
彼氏ができたこともある。相手にとって私が性的に一番ということだったのだろうと思うが、彼氏がいたから私は安心することはなかった。別れたいと言われないように尽くすタイプになったり、逆に適当になってみたり、とりあえず気に入られるような努力をしたが、努力しているため疲労が重なった。そしていつも振られた。がっかり人生である。
さて、無職で時間にゆとりのある今、では私の欲しい居場所というのはどんなものだろうとさらに考えてみた。
ただいま、と笑顔で言える場所。ここに居ていいんだよ、居てほしいよ、と言ってくれる相手。欲しいなぁ。欲しいんだけどこれが一番難しいのだよなぁ。居てもいなくていいんだよなぁ。私という存在を邪魔に思わないでいてくれる相手。やはり孤独が一番つらい。
無職からなんとか新しい仕事に就いた私は、同僚に「あなたはこの仕事向いてると思う」と言われた。さらには「長く続けてほしい」と言われた。
おっと、ここでなんと、私の居場所は会社にあるのではと思う。私の理想とする相手が見つかったわけだ。多いに嬉しい。あの日、あの時、絶望に囚われ死に急がなくてよかった。正確には、何度も死に急いだが、死ななくてよかった。
が、私は会社を居場所だと思えない。今の仕事を向いていると思えないし、長くいてほしいかもしれないが、別にいなくても構わんだろうと思う。それは本当に、仕事なのだから仕方がない。オンリーワンになるにはアーティストか医者かシェフにでもならなければならぬだろうが、私はただの事務員だから常に代えがきかなければならない。
精神的な居場所を得るには自身を肯定する必要があることに気づく。他人がどんなに「あなたが必要よ」と叫んだところで、「ここがあなたの居場所よ」と説得してくれたところで、私が受け入れない限りどうやったって居場所は手に入らない。
ここでどんづまりである。
病気を克服したであろう私は、自身を肯定している気満々なのだ。今の仕事は向いていないかもしれないが、そうやって言ってくれるなら頑張ろうと思うし、実際仕事は楽しい。ずっと続けたいと思う。代えがきくけども。
なのになぜ居心地が悪いのか、もう自分でもわからないため、つまったまま出口が見えない。うんこはきばれば出てくるが、この答えは出てこない。
そういう理由でずっと居場所が無い私は、仕事同様に家も転々としている。フランスの皇帝ナポレオンが「チャンスをもたらしてくれるのは冒険である」と言っているし、ガンジーも「望む世界を見るには自身が変わっていかなくてはならない」と言っているのだから、じっとしているより何かしら行動したほうがいいだろうという考えのもと試行錯誤を繰り返している。その旅の目的が「居場所をみつけたい」というのがなんとも切ない。
一体、ほかの人間はどうなのだろう。実は皆だってそう完全なる居場所なんて持っていないのなら「なぁんだ」で済むのだが。実は皆「家も会社も店も電車も、どこも居心地が悪い」と思っていたら。それはそれで不安になるからどうぞ心休まる場所を見つけてほしいが、私一人もやもやすることもなくなる。だろうか?
「自分の居場所って、ある?もしあるとしたらどんな感じ?」と友人同僚家族にかたっぱしから聞いてみたい。が、答えが怖いので聞けないでいる。
不思議なことは、どこにいても居心地が悪くて逃げたくなるのに、時々それも楽しいよなぁと思うことだ。思考も必死に逃げ道探しているのだろう。

ネガティブで前向きな旅

ネガティブで前向きな旅

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-04-27

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