君の声は僕の声 第七章 7 ─載秦国民族区域自治─
載秦国民族区域自治
──トヨミシカ
陵墓の東。山脈の麓に広がる載秦国民族区域自治。古くからこの森や山麓に住む少数民族だ。このトヨミシカが一番大きな集落であり、森の奥、山の中腹には小さな集落が点在しているらしい。トヨミシカの人間でもすべての集落を把握してはいないのだ。
まずはここ、トヨミシカで得られた情報から、集落を辿り、「海に沈んだ王国」と言われる天空まで、行けるところまで行く。
無理はしない。
危険と判断したら、引き返す勇気を持つこと。
それが約束だった。
雪がまだ薄っすらと残るころに、呼鷹がひとり、このトヨミシカを訪れていた。伝説の王国について知る者はいなかった。代わりに近隣の集落の情報を教えてもらい、雪が解けて再度訪れるまでに、できる限りの情報と地図を用意しておいてもらう約束をした。そして雪が解けた今、七人の少年と呼鷹、そして瑛仁とこのトヨミシカへとやってきたのだ。
学園の春休みは半月。半月後には五人が置いてきた『外泊届け』をアリサワが目にするだろう。五人が五人そろって自宅へ帰るはずなど有り得ない。当然、五人が『行動を起こした』ことはKMCへは筒抜けになるだろう。例えアリサワとタツヒコが報告せずとも、上の連中が黙っているはずがない。
だが、載秦国からも自立をしているトヨミシカの人々は、KMCの人間を受け入れることはない。しばらくは自由に動けるはずだ。
※ ※ ※
アリサワは茶館の窓から石畳の通りを見下ろした。春休みの通りには子供達の姿があった。
この町に来るのはあれ以来だった。
あの少年。
今頃どこでどうしているのだろう。
成長の止まる子供たちが全てKMCの管理下に置かれているわけではない。
貧しい農村などでは、子供をかどわかし国外へ売買する輩もいる。そんな闇の組織に、簡単に子供を売り渡す親もいる。実際、特別クラスへの勧誘に行き「そんな子供は家にはいない」と白を切る親もいた。
闇に葬られた子供は大勢いるはずだった。
あの少年の父親は役場で働き、兄は王立大学の医学生だったはず。両親にも愛され、贅沢を許されるほどではないが、そこそこ恵まれた環境で育った少年。あの少年も品行方正で成績優秀だった。将来有望な少年。成長さえ止まらなければ……。
まあ、どんな恵まれた環境に生まれようと、突然の不幸に見舞われることなど星の数ほどもある。自分でもどうすることもできない。人間の力では変えられない、宿命だ。
言ってしまって苦笑する。
アリサワは胸ポケットから煙草を出すと、テーブルに置かれた、茶館の名前と絵柄の入ったマッチで火をつけた。その時、フロアの中央。吹き抜けの階段を男が上がってきた。灰皿で煙草をもみ消そうとするアリサワに「ああ、そのままで」と男が声をかけた。アリサワは急いで煙草を消し、椅子から立ち上がって会釈をした。
男はアリサワの前に座ると珈琲を注文してから、写真を一枚取り出し、アリサワの前に滑らせた。
「この少年が、秀蓮……」
男が黙ってうなずく。
「少年といっても、我々よりずっと年上だ。──あの皇太后と同じ年の生まれだそうだよ」
男がにやりと笑う。
アリサワは化け物でも見るような顔で写真に目を落とした。
「この少年を。私の前に連れてきてくれ。──無傷でね」
そう言って男は運ばれてきた珈琲を口にした。
「例の行方不明の少年。彼はこの秀蓮と一緒にいるそうだよ」
アリサワがパッと顔を上げた。
「気にしていたのかな」
男の言葉にアリサワは顔を赤くして「いえ」と答えた。男が笑う。
「櫂、透馬、麻柊、そして流芳。この少年たちの外泊届が出ている。揃いも揃ってこの時期におうちに帰るとはね」
男がテーブルに肘をつき、アリサワに顔を寄せた。
「杏樹は大学病院に入院しているはずだったね」
アリサワが頷く。
「念のため調べさせた。書類上は入院したことになっている。彼の病室も確かにある。だが彼の姿は病院にはない。夏休み、杏樹は櫂たちとキャンプに行っている。杏樹も彼らと一緒だろう。まあ、彼らを追いつつ、この秀蓮。彼を、頼む」
男は声を落とした。
アリサワは硝子窓を開けた。通りで遊ぶ子供たちの楽し気な声が流れ込んでくる。子供たちを見下ろすアリサワを、男はじっと見つめた。
「愛子(あいこ)ちゃんの様子は特に変わりはないよ」
男が珈琲をひとくち口にしてからおもむろに言った。カップを摘まんだ手元からアリサワへと視線を移す。アリサワの目に力がこもる。男は表情を和らげた。
「我々に任せておけば間違いはない。──ただ、このままでは……」
「あと、どのくらいですか」
「それは、私にはわからない」
「はっきりと仰ってください」
アリサワの語調はまるで商談のように抑揚がない。男はカップをテーブルに置くと窓の外に視線をやった。
「五年。──医者はそう言っている」
アリサワが「そうですか」と視線を落とした。
「なに。希望はあるさ。この少年。秀蓮を私のもとに連れてきてくれたらね」
アリサワはもう一度写真に目をやり、胸ポケットから手帳を取り出した。そして写真を手帳に挟み、胸ポケットへとしまった。
※ ※ ※
呼鷹がひとりの若い男を連れて戻ってくると、男は馬の手綱を引きながら、村の中へと案内してくれた。
家々の玄関先に置かれている小さな籠が目に留まる。植物の葉を編んだ籠に、花や果物が乗せられたものが道端にまで、そこかしこに置かれていた。花の中から細い煙が立ちのぼっている。すっきりとした線香の香りが漂う。
男の案内する道沿いは石塀が長く続いていた。石塀からは、小さな赤い花をつけた樹木が頭をのぞかせていた。木彫りの観音扉の前で男は立ち止まると、扉の脇に立つ樹に手綱を括り付けた。
門が開かれると美しい石畳の広場が、少年たちの目に飛び込んできた。
広場の中央には井戸があり、その横に立つマジャラの大樹の葉が、広場に柔らかな影を揺らしていた。広場で遊んでいる子供たちの好奇なまなざしが少年たちに向けられた。
男は広場の奥の一番大きな建物に入っていく。開け放たれた木製の扉を抜けると、爽やかな甘い香りが鼻についた。
建物は集会所の役割を果たしているのか、高い天井に、中は広々としている。正面には供物の捧げられた祭壇が祀られていた。テーブルや椅子はないが、聡の暮らしていた家とあまり変わらない。寮や都の生活とは比べものにならないが、載秦国の地方の暮らしとは、電気や水道がない他には、そう変わらない暮らしをしているように見えた。
君の声は僕の声 第七章 7 ─載秦国民族区域自治─