鬼多見奇譚 肆 御堂姉妹の副業
本作品はエブリスタで掲載していた『鬼多見奇譚シリーズ』の4作目です。
エブリスタの大幅リニューアルに伴い、本作品のデータが一部欠損したと報告を受け、対処法がよく判らなかったためこちらで再会しております。
『鬼多見奇譚 参』はエブリスタで読めますので、ご興味のなる方はよろしくお願い致します。
なお鬼多見奇譚壱と弐はと姉妹版の『御堂刹那の副業』シリーズも星空文庫で御覧いただけます。
生田緑地帯
「はぁ……」
人っ子一人いない真夜中の帰り道、白銀美優は思わず溜息を吐いた。
大学と声優を両立させるのは難しい。
彼女は高校に入学すると同時に声優養成所にも通い始め、在学中にデビューを果たした。
デビューをしたといってもそれほど仕事があるわけではなかったので、声優を続けながら大学に進学することに決めた。
ところが幸運にも役が付き始め、今では常にアニメのレギュラー作品を三、四本は抱えている。
それ以外にもゲーム、アニメのゲスト出演はもちろん、イベント、ネット番組やラジオへの出演、そして雑誌の取材も受けなければならない。
正直、大学を中退か休学しようかと悩んだこともある。
でも、あと一年だけだし。
悩んでいるうちに三回生になってしまった、それなら最後までやり遂げよう。
明日も朝から大学のゼミで、午後からは収録が控えている。
美優は歩みを速めた。
寒い暗闇に自分の足音だけがやけに大きく聞こえる。
彼女の自宅は川崎市多摩区にある生田緑地の一角にあった。
最寄り駅の向ヶ丘遊園までは新宿から小田急線の快速急行で二十分程度だが、駅からまた二十分以上歩かなければならない。
距離があるのではなく坂が多いのだ、しかも周りは鬱蒼とした森になっている。ここが新宿からわずか一五、六㎞しか離れていないとは思えない。
一月下旬の現在、寒さが本格化している。
春になったらのんびり花見がしたいなぁ。
ふとそんな思いが頭をよぎる。だが桜が咲く頃は、四月から始まるアニメの宣伝のためにイベントやネット番組出演の予定が詰まっている。
とはいえ、せっかく大学生になったんだから思い出も作りたい。来年はみんな就職も決まって花見どころではないだろう。
プロなんだから、そこは割り切らないと……
自分を戒めていると、美優は何かの視線を感じた。
立ち止まり辺りを見回す。
誰もいない。
猫か狸だろうか、それともハクビシン? 生田緑地には野生動物が結構いる。その中には外来種もいるので、ひょっとしたらアライグマかもしれない。
何度かあったことなので気にせず美優は歩き出した。
今度は何かがついてくる気配がする。
振り向いたが何もいない。
犬か猫がついて来ているのだろうか、美優は来た道を戻り物陰を探してみることにした。
この寒い時期、子犬や子猫がついて来ているとすれば放っては置けない。
彼女は動物好きで家にも猫が二匹いる、いかにも日本の猫といったチャトラとミケのコンビだ。
もう一匹ぐらいなら何とかなるだろう。
ところがいくら塀の裏や電柱の陰、クルマの下などを探しても何もおらず逃げた気配もない。
何となく落胆して美優は再び自宅への道を歩き出した。
歩き始めて少し経つと、また何かがついてくる気配がする。
改めて振り返るが、やはり何もいない。
なに……?
ここで初めて不安を感じた。
ストーカーだろうか、美優は駆けだした。
すると気配も追ってくる。
駆けながら振り返るが誰もいない、それなのに何かが自分を追いかけてくるのをハッキリ感じる。
助けて!
あと数十メートルで自宅だ、美優は全力で走り続けた。
自宅の前まで来た。
美優はドアノブに手を伸ばしたが、その手が届くことは永遠になかった。
ファミリー居酒屋つくね
島村舞桜は今年の秋に放送を予定しているアニメ『あやかし童子』の討ち入りに参加していた。
一昨年、不祥事を起こして事務所にも周りにも迷惑をかけてしまった。しかし先輩や友人の助けもあり問題が大事になることもなく、決まっていたレギュラーを降ろされることもなかった。
そして不祥事を起こして以来、久しぶりのレギュラーがこの『あやかし童子』だ。
これで多少は事務所に償いができたかもしれない。
隣に座っている声優の柳生エレンのジョッキが空になりそうなのに舞桜は気が付いた。
「エレンさん、追加、頼みましょうか?」
彼女は物思いにふけっていたのかハッとしたように舞桜に顔を向けた。
「おッ、気が利くねぇ、ヨメに欲しいよ。じゃ、生で!」
満面の笑顔で言う。
「あんまり飲み過ぎないでくださいよ、酔っ払うと面倒くさいんですから」
向かい側に座っていたエレンと同じ事務所の森川萌華がすかさず突っ込む。舞桜と同い年ぐらいだが毒舌で人気がある変わった声優だ。
エレンは得意げな顔をする。
「なに言ってんの、ビールなんて麦茶といっしょでしょッ!」
周りから「よッ、エレン!」とか「さすが酒豪声優!」などのかけ声が上がる。
彼女はVサインで応えた。
姉御肌のエレンは後輩だけではなくスタッフからも人気がある。
舞桜は他に追加注文がないか周りに確かめた。
ふと見ると事務所の後輩で今回のヒロイン役である尾崎佳奈が、浮かない顔をして黙り込んでいるのに気付いた。
店員に注文を伝えると佳奈の隣に移動する。
「飲んでる? って未成年だから『飲んで』はいないか。オレンジジュース美味しい?」
明るく話しかけると、慌てて佳奈は笑顔を作った。
「はい……緊張してしまって……
こういう時、どうしたらいいですかね、先輩?」
佳奈は舞桜と同じ福島県出身で、それが切っ掛けで親しくなった。彼女は舞桜より二歳年下の十九歳で、昨年上京して舞桜と同じ事務所『ミケプロ』に所属した。
所属して半年も経たないうちにアニメのオーディションで主役に選ばれ、それからも連続でヒロインやレギュラーに合格している。
「ナニ言ってんの今さら! こっちが聞きたいよ、お姉さん、レギュラー久しぶりなんだからッ」
この言葉に佳奈はハッとしたように眼を見開いた。
「すみません……」
真面目な顔になりうつむいた。
「ちょッ、どうしたの? 冗談にきまっているじゃないッ?」
舞桜の方が申し訳なくなってしまったが、これでハッキリした。佳奈は悩みを抱えている、そして彼女には心当たりがあった。
「佳奈ちゃん、ひょっとして変更のことを気にしてる?」
実は佳奈は最初からこの作品のヒロインに選ばれていたわけではない、彼女はオーディションを受けてはいたが受かったのは別の脇役だった。ところがヒロイン役に決まっていた白銀美優が心不全で亡くなってしまい、急遽佳奈に白羽の矢が立った。
公表される前の段階だったため、話題になることもないままスケジュール通りに企画は進んでいる。
「まぁ、複雑だよね……」
たしかに役者が突然死した役を引き継ぐのは気が重いだろう。
「それだけじゃない……」と呟くように佳奈は言った。
「どういうこと?」
「あ、いえ、な、なんでもありません!」
舞桜が尋ねると慌てて佳奈は否定した。
「なんでもあるよね?」
舞桜は声を落とした。
「ねぇ、ワタシの噂、知ってるでしょ?」
佳奈は眼を泳がせたが観念したように頷いた。
「あの日、ワタシはみんなに迷惑をかけた。過去にやったバカを何とか取り消そうと必死になって、結局それが裏目に出て……
今思い出しても恥ずかしいし、本当に申し訳なくて土下座したい気分になる」
舞桜は佳奈の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「でね、決めたんだ。友達が困ってたら今度はワタシが力を貸そうって。
なんの役にも立たないかも知れないけど、話を聞くぐらいならできるから。
わたしも友達にあのことを話して楽になったし」
佳奈はうつむいた。
「ここじゃ話しづらいだろうから場所を変えようか、このあと空いてる?」
舞桜の言葉に佳奈は小さく首を立てに振った。
夢
暗い…………
ここはどこ…………
知らない部屋…………
ベッドで誰か寝てる…………
あの女性は…………
この間受けたオーディションにいた…………
笹川スズカだ…………
ああ、まただ……
やめて…………
お願い………………
身体が勝手に動く…………
笹川さんを見おろしてる…………
なにをするの………………?
鋭い爪を咽に食い込ませる……………………
佳奈の部屋
「いやぁああああああッ!」
尾崎佳奈は自分の悲鳴で眼を覚ました。
身体を起こし、ここが自分の部屋で今まで寝ていたことを確認する。
今度は笹川さん……
佳奈は頭を抱えた。殺そうとしているのは実在の知っている人物ばかりだ、特に怨みがあるわけではない。いや、佳奈は怨んでなどいないと思っている。
でも、みんなわたしが受けたオーディションにいた。やっぱり、父さんの言ったとおり……
佳奈は上京するため両親を説得したとき、父に言われた、
「おまえは必ず成功する。だが、それは誰かの幸運や努力を奪った結果だ」
その覚悟がお前にはあるのか、と。
当時、佳奈は本気にしていなかった。確かに自分は運が良いと思っていたが、それが『座敷童子』のせいだなんて信じたことは一度もない。
そう尾崎家には『座敷童子』が憑いている。実家にいる間は家長である父を中心に幸運が舞い込んでいたらしい。
考えてみると尾崎家は誰も働いていないのに経済が潤っていた、父がしている投資だけで豊に暮らせていたのだ。
さらに父はこう付け加えていた、一人暮らしを始めればお前が家長だ、と。
『座敷童子』は本当に憑いて来たのだ。
父の予言通り、佳奈は上京して数ヶ月で声優デビューする幸運をつかんだ。そして次々にオーディションが通り役がつき、ついにはヒロインや主人公を演じられるようになった。
ところが重要な役がつき始めたころから、嫌な夢を視るようになった。
それが先ほど視たような誰かを殺そうとしている夢だ。これはただの夢ではない、なぜなら実際に夢に出てきた人物が怪我をしたり最悪の場合は亡くなって降板するからだ。
そして降板した役が佳奈に回ってくるのだ。
もう、ムリ……
佳奈は枕元に置いていたスマートフォンに手を伸ばした。
舞桜さん、また夢をみました。
とても怖いです、やっぱり霊能者さんを紹介してください。
SNSで舞桜の助けを求める。
討ち入りの店を舞桜と共に出た後、マックで『座敷童子』のことを彼女に打ち明けた。
どうせ信じてもらえないだろうと思っていたが、独りで抱え込むのに疲れていたし、舞桜なら信じなくても笑いに変えてくれそうな気がしていた。
意外にも彼女は真剣に佳奈の話しに耳を傾け、それなら良い知り合いがいるから紹介すると言ってくれた。
紹介するのは姉妹で声優をしている御堂刹那で、妹の陰に隠れて余り目立ってはいないが副業で拝み屋をやっている。舞桜は実際に刹那が浄霊をするところを見たと言っていた。
即答すればいいのに佳奈は躊躇してしまった。言うまでもなく自分の幸運を手放すのが嫌だったのだ。
しかし事態は深刻だ、自分のせいで人が死んでいるかも知れない。
こんなこと、終わりにしなきゃ……
誰かの生命を奪って得られた成功に喜びなど存在しない。
鬼多見奇譚 肆 御堂姉妹の副業