ソルト

 どうしたんですか? もしかして、泣いているんですか? 泣くというのは悲しいから泣くんですか? そうではなくて、誠に嬉しいから泣くんですか? 僕にはよく分からないですが、昔、聞いたことがあります。その、頬をつたって垂れるしずくは、ほんのりとですが、ショッパイと。
 そう言った『彼』にワタシはお願いしました。お願いの内容と言うのは古い木箱がありまして、そうです、ベッドの下に樫の木で造作された木箱で真ん中に鍵がかかっていまして、その錠を解いてから『彼』はゆっくりと丁寧に中にしまわれている本のことです。ええ。ワタシはこの本の物語がとてもすきなんです。おとぎ話と呼ばれているジャンルでございます。お姫様と王子様。お星さまと小さな男の子。きょじんとこびと。海賊とターバンを頭に巻いた女の子。まさに、ゆめ物語。それでワタシはよくこのように思っておりますの。
 『ひと』が開発した最も偉大な産物。
 ねえ。きょうはどんなお話なの? ワタシの質問に『彼』はにっこりとやさしく微笑み燃える暖炉の前にある椅子に腰かけた。それにあわせて脚を組む。続いて分厚い本を開く、本の表紙はとりのはねの模様が描かれていた。その行為は『彼』のおきまりのルーティンであって、一つの自然的な景色であった。『彼』は口を開いてから、ただ、主もお気に召します。
とだけ答えた。これもまた『彼』のおきまりだった。
 うん。とだけワタシは返答した。『彼』は静かに、燃える薪をオンプに変えて一行目を発した。
 むかし、むかし、遠い国にお姫様がいました。お姫様はある、若い王子様とけっこんをするやくそくをしておりました。お姫様と王子さまはとても好きあっていました。でも、けっこんをする二日前に王子さまは階段からあしを滑らせて死んでしまいました。お姫様はとても、とても深く悲しみました。百日百夜泣きました。家来も王様も道化師も誰もお姫様を笑顔にすることはできませんでした。そんな百一日目のことです。部下の一人が死んだ王子様と瓜二つの村人を見つけたとお姫様に報告をしました。
 お姫様はたいそう喜びました。それで、お姫様は村人をお城に呼んできゅうこんをしました。でも、村人は断りました。
 家来はびっくりして金銀の財宝をみせてから。お姫様とけっこんするなら、これをあげるといいました。でも村人は断りました。
 家来は続いて馬一万頭、ろば五千頭、羊七千頭に加えてこの国で一番よい土地をあげるといいました。でも村人は断りました。
 家来は続いてこの国の半分を渡そうといいました。
 でも村人は断りました。
 そのすべてをみていた王様がこのようにいいました。お姫様とけっこんするならこの国のすべてをおまえにやろうと。
 でも村人は断りました。
 お姫様はとても、とても、悲しくなってわんわんと泣きました。
 でも村人は断り、自分の住む村にかえっていきました。
 ですが、お姫様は諦めきれません。お姫様は夜、村人のふくに着替えてから村人の住む村へと出かけて行きました。村人の住む村はその日、宴会をしておりました。お姫様はその宴会に近づいて他の村人に内容を聞いてみました。すると、どうやら、さっき、お城にやって来ていた村人の婚約者の宴会だというのです。お姫様はとても悲しくなりました。お姫様は宴会のまんなかに楽しそうに座っているおんなの人を見てこう思いました。
 ワタシの方がきれいでお金持ちでお姫様の地位にいるというのに。どうして、百姓の娘でワタシに劣っている容姿のおんながいいというの? お姫様は、わんわんと泣いて川のほとりにいきました。おつきさまは川を照らしていました。
 お姫様は気づきませんでしたが今日は満月でした。すると、川に映ったゆがんだ月の底からシマシマの服をつけたきみょうなブリキが姿をあらわしました。ブリキはニヤニヤと笑っていていやな奴でした。お姫様はびっくりして逃げようとしました。でもブリキはお姫様にこういいました。
 私が貴方と村人をくっつけてやりましょう。
 お姫様はさいしょ、なんの戯言をいっているのかと思いました。でもお姫様は村人のことがとても、とてもだいすきでしたから、どうしたら良いのですか? と、お聞きしました。
 ブリキはまるい手鏡をお姫様にわたしました。その鏡をお城の一番高い塔から月の光を反射させて自国の国。全ての街。全ての村に光を反射させなさい。そうすれば村人はあなたをすきになるでしょう。
 お姫様は手鏡を持ってお城の一番高い塔にのぼりました。月の光を手鏡に映して自国の国。全ての街。全ての村に光を反射させました。
 実はこの手鏡は反転の鏡でした。良い心のひとを悪い心に、平和がすきなひとを戦争がすきなひとに、いちばんすきなひとをいちばんきらいなひとに。ただ、百姓の娘はだけは地下のお酒を汲みに行っていたので月の光にはあたりませんでした。
 つぎのあさ。婚約者の娘が村人にあいにいきました。でも村人は婚約者の娘にあいたくないといいました。それにくわえて、おまえのことなんかきらいだといいました。
 婚約者の娘はそのことばを聞くと悲しくなって泣いて帰りました。
 婚約者の娘が帰ったあと、お姫様は村人のおうちに行きました。お姫様は村人に金や銀。馬一万頭、ろば五千頭、羊七千頭に加えてこの国で一番よい土地をあげるといいました。またこの国の全てをあげるからワタシと結婚しなさいといいました。村人はとてもいじわるでお金がすきになっていましたから、喜びました。でも結婚はしたくないといいました。
 お姫様はとまどいました。でもそれは村人の心が変わってしまって人を愛せなくなっていたからです。
 お姫様の国はとても悪い国になりました。みんないつも戦争ばかりしていました。いつもケンカや泥棒がおきていました。でもお姫様は知らん顔でした。お姫様は村人を自分のへやにとじこめていました。とても冷たいへやでした。でも村人は苦しくも楽しくもありませんでした。冷たくもかんじませんでした。昼間はうずくまって外を見ていました。夜は暖炉の前にすわって本を読んでいました。その姿をお姫様は毎日見てたのしんでいました。

『彼』はそこまで読んで本を閉じたのです。ワタシは冷や汗をかきました。どうして『彼』がこのような物語を語るのか、怖くなりました。怖い。怖い。怖い。と、その時、窓から射す月の光が円弧を描いてワタシと『彼』の前をさえぎりました。今日は満月だったのです。
 扉はひらかれました。遠い昔ですが見覚えのある顔の女の子がつるぎを手にもってワタシの部屋に入りました。女の子は『彼』をみて涙をながしてやさしく抱きしめました。それから接吻を『彼』にしました。ワタシは怒りに満ちて立ち上がります。女の子は剣をワタシに向けて月の光と手鏡をたたき割りました。くだけちった鏡の破片はワタシの顔の皮膚、ワタシの瞳、ワタシの耳、ワタシの心にささり、ワタシの美貌は消え失え、瞳からは光が消え、耳は音が消え、心は真っすぐになりました。
 自国の国。全ての街。全ての村のひとたちの心は元通りになりました。それからみんな涙をながしました。悲しい、涙。嬉しい、涙。その涙のりゆうはきっと同じでした。
 ただ、涙はもうショッパイ塩の味ではありませんでした。砂糖のようにとても甘くなっていました。
 僕も泣きました。それから笑いました。僕の前にいる女の子は僕が一番好きなひとでした。

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  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-04-22

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