君の声は僕の声  第七章 1 ─青い海に沈む王国─

君の声は僕の声  第七章 1 ─青い海に沈む王国─

青い海に沈む王国

 薄く剥けたジャガイモの皮をつまみながら、聡(そう)は満足気に笑った。

 薄く剥けたジャガイモの皮をつまみながら、聡は満足気に笑った。

 我ながら上手く剥けたと思う。ここへ来た頃は、この皮むきが大の苦手であった。何度やっても聡が剥いたジャガイモは、秀蓮の剥いたジャガイモの半分くらの大きさになってしまうのだった。それが今ではこの腕前だ。聡の口もとが更に緩んだ。

 鼻歌を歌いながらジャガイモを茹でていると、台所まで冷たい空気が流れ込んできた。
 玄関の扉が開き、薪を持って秀蓮が部屋に入ってきた。

「ご苦労さま」

 薪ストーブの前に座って肉を焼いていた杏樹が立ち上がって秀蓮から薪を受け取る。秀蓮は肩に薄く積もった雪を払い落した。
 今日は午後から雪が降り出した。この冬三度目の雪だ。
 秀蓮は、ストーブ前のベンチに腰掛けると、ポケットから小さな紙を取り出した。
 あれから櫂たちは寮に戻り、瑛仁と呼鷹は都へと帰って行った。彼らとは、ルークを通して連絡している。ルークは秀蓮が育てていた鳥。聡が子供の頃に秀蓮と出会ったときに秀蓮の傍にいたあの黒い大きな鳥の名前である。といってもルークが飛ぶのは秀蓮の家と寮の間。あとは櫂と瑛仁とで手紙のやり取りをしてもらう。

「何か新しい情報?」

 薪をくべながら杏樹がメモを覗き込んだ。

 そう、『杏樹』が。

 キャンプの終わりに瑛仁が提案してくれたのだ。自分は杏樹の後見人になると。KMCへは、王立大学病院で治療するということで休学届を出した。
 だがそれは表向きである。実際には、杏樹は都の王立大学病院へは行かず、ここで暮らしている。
 夏のキャンプが終わってから、玲はよく喋るようになった。相変わらず高飛車な態度のように聡は感じていたが……。けれど、そんな玲も、杏樹の起こす時間を少しずつ増やしていってくれていた。杏樹は、陽大や玲たちとは違って、何に対しても過敏で、どこかおどおどしていたが、徐々にここでの生活に慣れていった。
 最初はおっかなびっくりだった動物の世話も今では自分から進んでやるし、森で見かけた怪我をして動けなくなっていたウサギを拾ってきて、秀蓮に教わりながら、ひとりで看病をした。ウサギを無事に森へ帰した杏樹は嬉しそうだった。

 動物や自然と触れ合いながら、自分のペースで生活することで、杏樹の心は落ち着いているように見えた。

「うん。明後日に来るよ」

 秀蓮がメモから顔を上げた。



 空が重たい灰色の雲に覆われた午後、彼らはやってきた。
 聡はストーブに薪をくべ、火を強めた。

「お疲れさま」

 秀蓮の入れた熱いお茶をすすりながら、彼らはほっと溜息を吐いた。
 瑛仁と呼鷹(こたか)。そして呼鷹の友人である古代文字の解読の専門家。キャンプの後、時々彼らはこうして秀蓮の家に集まった。
 あの日、棺の底に眠っていた石板を写し取った紙を広げ、玲(れい)と共に解読を進めてきた。
 解読できたのはほんの一割程度だった。

 わかったことは、

 伝説と同じ、彼らはあの神殿を築く前には、カルシャン山脈を超えた天空に、王国を築いていたということ。
 そしてその王国は、青い海に沈んだのだということ。
 生き残った者たちで、山を越え、あの場所に神殿を作り、新しい都を築いたのだという。
 石板に書かれた大部分は、この新しい都の様子が描かれていると思われ、これといって王国が滅んだ原因を知る手がかりにはならなかった。

 聡たちの顔に浮かんだのは、希望ではなく絶望だった。

「天空に王国」

 聡がつぶやく。

「それも海に沈む……だと?」

 呼鷹が呆れたように言った。

「天空に王国など造るはずもないし、──海なんてある訳ないだろう」

 呼鷹が両手を広げ、大袈裟に首を横に振った。

「…………」

 重い沈黙が続いた。

「この海という文字は、他に解釈はできないのか?」

 穏やかな瑛仁もさすがに苛立っていた。
 玲も呼鷹の友人も一緒に首を振る。

「いいかい。これらの文字に共通するこの記号は水を表している。──そして、泉はこれ。湖がこれ。この文字は、湖よりも大きな水のある場所を指している。そしてこの文字は、大陸を囲むこの大きな水を表す文字と同じなんだそ。そしてこちらの文字は空色や水色、そして翡翠などの鉱物の色を表す『青』だ。──海の他になにがある」

 呼鷹の友人が強い口調で言うと、みんなは黙り込んだ。
 夕食の時間も誰も口を利かない。それぞれが何か考え事をしていた。夕食の方付けを済ませ、静かにお茶を飲む中、聡がテーブルを叩くようにして立ち上がった。
 茶器を手にしたみんなの視線が、おもむろに聡に集まる。
 テーブルを叩いた手がきつく握られていく。聡は唇を噛みしめ、決意を宿した瞳で秀蓮を見つめた。

「僕は行くよ」

 大人たちが眉を寄せるなか、秀蓮はじっと聡を見つめ返していた。

「その王国に」

 きっぱりと言った聡に呼鷹が声をかける。

「何言ってるんだ、聡……」

 言い終わらぬうちに聡は呼鷹を睨みつけた。呼鷹がひるんだ。初めて見る顔。聡は本気で睨みつけていた。

「他に何ができるっていうのさ」

 聡は、睨みつけたままさらに目に力を込めて細めた。

「ここでこの姿のまま暮らすくらいなら、僕は行く」

「ま、待てよ。聡。落ち着け」

 呼鷹が立ち上がって聡の両肩に手を置いた。

「王国の場所だってわからないんだぞ。──それに、本当に王国が存在していたのか、石板に描かれていることが真実なのか。それだってわからないんだ。解読の解釈が間違っているかもしれない」

 玲のクールな眼差しが呼鷹に向けられた。その目は自分の解釈に確信を持っている。
 呼鷹の言葉に秀蓮はうつむいた。その横顔を見て聡は、肩に置かれた呼鷹の手を掴んだ。

「何が何でも原因を突き止める。王国の場所はわからなくても、王国が滅んだのは事実だよ。そうだろう?」

 聡は絞り出すようにそう言うと、呼鷹の手を肩から降ろし、炎の灯りに揺れる、ひとりひとりの顔を見回した。

「帝は何で少年の姿だったの?」

 呼鷹が目を伏せた。聡は声を落としてゆっくりと続ける。

「賢者の石は存在する。確実に。──二千年前にも僕たちのような子供がいたんだ……」

 秀蓮が顔を上げた。聡はじっと秀蓮の瞳を見つめた。その視線を呼鷹、瑛仁へと移す。

「王国は存在していたんだ」
「…………」
「だがなあ、聡」

 呼鷹が言いにくそうに口を開く。

「天空に海なんてあるわけないだろう。海に沈むなんてあり得ない」

 今度は聡が押し黙った。

「仮に海に沈んだのが本当だとして、海を見つけてどうするんだ? 遺跡が海の底に眠っているだけだぞ? どうやって海の底の遺跡を調査するんだ? 山のてっぺんでサルベージでもするのか? どうやって?」

 呼鷹の言うことはもっともだった。陵墓の遺跡に行った結果がこれだ。

 王国はさらにあの遺跡よりも時を遡る。たどり着いたところで何も残ってはいないのかもしれない。聡に追い打ちをかけるように瑛仁が言った。

「聡。勢いだけで行ける場所じゃない……。標高五千メートルを超える山だ。──場合によっては命を落とす危険すらある。遺跡を目指した森の中のキャンプとは訳が違う」

 聡は瑛仁に目をやった。瑛仁の表情は真剣だ。そのまま視線を秀蓮へと移す。うつむき加減に腕を組み、長いまつ毛を伏せた瞳は何も語らない。

「くそっ!」

 聡は吐き捨てるように言い、思い切り扉を閉めて外に出た。
 目の前に落ちていた木片を拾うと力いっぱい投げつけた。木片は木の枝を揺すり、驚いたルークがバサバサと音を立て飛び立った。
 広げられた大きな翼があっという間に遠のいていく。ルークはその自由な翼を誇るように雪が落ちてくる夜空を舞った。

 聡はその姿を見上げながら唇を噛みしめた。

 こんなところで、この姿のままで何十年も長く生きていくくらいなら、やるだけのことをやって死んだほうかました。危険を恐れていては何も生まれない。自分で限界を作っては世界は広がらない。ここで何もせずにいたのでは、未来は永遠にやってこない。自分から掴むんだ。

 秀蓮が過ごした時間を無駄にはできない。

 秀蓮を大人にする。

 雪まじりの冷たい風が聡の体に吹きつける。聡はシャツの上から、かじかむ手で赤い石を握りしめた。石に閉じ込められた神秘の力が聡の全身を熱くした。同時に心は鎮まっていく。研ぎ澄まされた耳に、足もとや森の枝葉に受け止められる雪の音が届く。何かが聡にささやきかける。聡は耳を澄ました。

 氷の欠片が、聡の血の滲んだ熱い唇に溶けていった。

君の声は僕の声  第七章 1 ─青い海に沈む王国─

君の声は僕の声  第七章 1 ─青い海に沈む王国─

仮に海に沈んだのが本当だとして、海を見つけてどうするんだ? 遺跡が海の底に眠っているだけだぞ? どうやって海の底の遺跡を調査するんだ? 山のてっぺんでサルベージでもするのか? どうやって?

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-04-22

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