君の声は僕の声  第三部 (第七章) ─序章─

加賀谷樹里 作

君の声は僕の声  第三部 (第七章) ─序章─

序章

 床に落ちた書類を拾い上げると、浩一は窓を閉めた。

 玖那よりも秋の深まりが早い。
 窓の外。紅朽葉色に染まった染井吉野を見て浩一は思った。

 落成式の折、祖父恭一朗の手によって植樹されたと聞く。玖那より持ち込み、当時はまだ細い苗木であったというが、今では二階の窓から見上げるほどの大樹だ。染井吉野の向こう。青空にくっきりと浮かび上がった白い稜線、その中でもひと際高く真っ白に染まった頂きを、浩一は睨むように見つめた。

 ドアがノックされる。
 浩一は机に向き直り書類を机の上に置くと、コートハンガーに掛けてあった上着を羽織った。


「どうぞ」

 小さく返事をするとドアが開かれ男が入ってきた。
 男の姿と同時に壁に掛けられた祖父の肖像画が目に入る。

 似ている。

 切れ長の瞳を持て余すように浩一は目を細めた。
 社員達がそう囁いているのを何度となく耳にしてきた。小さな頃から親族にも言われてきたことだ。自分とは似ていない弟に「久しぶりだな」と浩一は笑いかけた。

 別腹の弟。妾腹の弟。
 自分は母親似であり、父親はやはり母親、つまり我々の祖母に似ている。そしてこの弟だけが父親でも妾の母親でもない、この神楽マテリアルカンパニーの創業者である祖父に似ているのだった。

 容姿だけではなく──



 ※   ※   ※



 竜二が神楽家にやってきたのは浩一が3つの時だった。彼はまだ赤ん坊だった。乳母の腕の中ですやすやと寝ている竜二を見て、弟ができたことを浩一は素直に喜んだ。そっと手を伸ばせば、その小さな手で力強く浩一の人差し指を握ってきた。手に伝わる柔らかな感触ととも全身に沸き上がった不思議な感覚を、浩一は今でも忘れてはいない。

 ──私の後をついてくる小さな弟。

 父も母も、竜二を浩一と同じように可愛がった。
 だが、乳母は違った。いつもは大人しく控えめな彼女は、時折、まるで他の群れから子供を守る牝ライオンのような目を浩一へと向けた。
 その時は誰も知らなかった。浩一も母も竜二も。彼女が竜二の母親だということを。誰も知らされていなかった。彼女は竜二が初等部へ上がるころ、屋敷からはいなくなっていた。

 そして、あの日。ふたりは知ることになる。
 神楽家で開かれたパーティー。ふたりは従兄弟たちと屋敷の二階でかくれんぼをしていた。浩一が隠れようとした場所にすでに竜二がいた。ふたりは知っていた。ここが屋敷の中で一番見つかりにくい場所だということを。
 ふたりで息をひそめていると誰かが部屋に入ってきた。

 見つかりっこない。

 竜二は自信ありげに笑った。

「こっちよ」

 女の声に竜二が目を丸くする。「早く」そう言って誰かを部屋に入れ鍵をかけた。聞き覚えのある声。伯母だ。父の姉。一緒にいる男の声は伯父のものではない。もっと若い男のようだった。ふたりが始めた行為が何を意味するのか、まだ十歳だった竜二にもわかっただろう。浩一が、笑いそうになる竜二の口を押えじっと息を凝らしていると、ドアがガチャガチャと乱暴に音をたてた。

 慌てるふたりに竜二が吹き出す。
 伯母がドアを開ける。ドアの向こうにいるのは従兄弟の守だろう。「でも」と抵抗する守に伯母は「あっちに行きなさい」と軽くあしらった。
 部屋の中に戻った伯母は機嫌悪そうに「まったく、餓鬼どもときたら」と大きなため息とともに吐き出した。「餓鬼ども」の謗言を。そしてあの話を。どこの誰だかわからぬ男に。

 茫然と立ち尽くす竜二に浩一は何もできずにいた。声を掛けることも。その時からふたりの間は何かが欠けてしまった。いや、何かが生まれたのかもしれない。

 そして竜二の顔からは無邪気な笑いが消えた。

 母も変わった。
 いや、母はずっと無理をしてきたのだろう。華族の生まれであった母は平常心を保とうとしていたのだ。ふたりに変わらぬ愛情を注いでいた──ように見えた。少なくとも子供の浩一からしてみたら。だが、限界だったのだろう。
 母は壊れた。

 それから父は、ふたりに『差』をつけた。
 竜二には「妾の子」であると確言した。その時竜二は顔色ひとつ変えずに父の話を聞いていた。だが、握りしめた拳が震えていたのを浩一は見た。父は竜二に、神楽の跡取りである兄を助けるよう徹底して教育した。竜二も子供ながらに自分の立場をわきまえた。

 利発で聡明な弟。

 竜二の控え目な態度が浩一の自尊心を苛つかせた。屋敷の使用人からも「妾の子」と囁かれ、浩一には竜二が何か汚れたもののように思えてきた。
 浩一のそんな気持ちを竜二は敏感に感じ取る。そして更に自分を抑え込む。兄を超えぬよう、並ばぬよう……。
 そして堂々巡り。
 竜二は屋敷の中でも浩一と顔を合わせないよう気を配っていた。そして高等部を卒業すると歳秦国(さいしんこく)に渡った。
 その時は小さな工場だった。ただ、資源を採掘するだけの。

 ──それを、載秦国のこの工場をここまでにしたのは父でも自分でもない。この



 ※   ※   ※



「こんな時期に玖那を離れるなんて、兄さんも物好きだな。いつ帰れるか分かりませんよ。──今や海峡には我々の船だけではなく、遠く大陸の端から遥々やってきた船が何やら物騒な物を大量に積み込んでウロウロしている……。玖那も物騒になった。大臣が暗殺されるとはね。どうやら玖那はこの載秦国だけでは足りないようだ」

 穏やかに微笑みながら竜二が机の前に立った。

「そう言うのなら君の方こそ今のうちに帰国してはどうかね」

 浩一は静かに竜二の瞳を見つめ返した。竜二が真顔になると浩一は引き出しの中から分厚い封筒を取り出し、机の上、竜二の前に差し出した。

「今後の神楽による海外展開の企画書だ。親父は本気らしいな。──親父の力になって欲しい」

 竜二は書類に顔を落としたまま手に取らずに目だけを兄へと向けた。大きな瞳。三白眼の彼には睨むつもりはなくとも、相手にはそう取れる。浩一はいつからか弟のこの目が苦手であった。

「それは兄さんの役目でしょう。僕はここでクリーンなエネルギーを作っていく。ただそれだけだ。あなた達とは違う」

 竜二はクリーンを強調するように言うと、窓に歩み寄り外を眺めた。
 染井吉野の向こう、警備室に目をやる。

「それは、親父と私のことか? まあいい。私もここでクリーンなエネルギーを作っていく。それだけだ。その為の新しい研究だ。研究が軌道に乗るまで、しばらくは玖那に帰るつもりはないよ」

「そのうち、悠長に研究なんてやっていられなくなりますよ。『彼ら』と手を組んでいたら……。この国が今どんな状況なのか解ってるいるのか? 上っ面だけで、国民の生活を見ずしてその国の情勢など解りはしない。この国を甘く見ない方がいい。載秦国は載秦国人のものだ。ほかの誰のものにもなり得ない。平和な今のうちに帰国するのがいいでしょう。『彼ら』と一緒にね」

 竜二はちらりと窓の外を見ると、そのままドアへと向かった。

「『シュウレン』に会ったそうだね」

 浩一の言葉に竜二の足が止まった。

「それから、何ていったかな。──ああ、カイといったね。寮で最年長の少年」

 竜二は振り返り兄を見た。口にくわえた煙草に火をつけながら、挑発するような目で竜二を見ている。
 竜二は体ごと向き直った。

「彼らはこの夏休み。随分と森の奥までキャンプに行ったようだね」

「それは何よりでしたね。いつも同じ湖ばかりでは彼らだって退屈してしまう。楽しい思い出ができたでしょう」

 竜二が顔色を変えずに言うと、浩一は煙草の煙を吐き出し、瞳を動かさずにニヤリと笑った。

「そうだね。さて、来年の夏、彼らはどこにキャンプに行くつもりなのだろうね」

 そう言って机に置かれた灰皿で、煙草をもみ消した。

君の声は僕の声  第三部 (第七章) ─序章─

君の声は僕の声  第三部 (第七章) ─序章─

利発で聡明な弟。 竜二の控え目な態度が浩一の自尊心を苛つかせた。屋敷の使用人からも「妾の子」と囁かれ、浩一には竜二が何か汚れたもののように思えてきた。 浩一のそんな気持ちを竜二は敏感に感じ取る。そして更に自分を抑え込む。兄を超えぬよう、並ばぬよう……。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-04-21

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted