ハルを迎えに

進藤 海(K.Shindo)

 桜が舞い散る中、僕は君を自転車の後ろに乗せて立ちこぎしていた。
 高校生だったあの頃。春が駆け足で僕らを追い越そうとしていた季節。

 26歳の今。まだまだ昔を懐かしむ大人になんてなりたくないなあと思う。
 そんな気持ちとは裏腹に、残業で疲れ切った会社帰りに通るあの道は、僕を容赦なく過去へと引きずりこんでいく。


 ちっぽけな人生でも、17歳の頃の思い出は特別な輝きを放っている。

 春香。
 君の名前は一見普通に見えるけど、この季節がやってくるたび、その輝きに目を奪われた。
 高校2年に進学した時にクラス替えが行われて初めての席。君は一番窓際で、僕の隣の席だった。
 ことごとく仲の良い友人たちと別のクラスになってしまい、心細く感じていた僕の様子は、特別勘の鋭くない君にもすぐに伝わったようだった。

「あの私、斉藤春香っていいます。よろしくね」

「……道野公介です。よろしく」

 今でも鮮明に覚えている。少し高い鼻に丸みを帯びた瞳。半開きになった窓から吹きこまれる春風が君の髪をなででいく。
 僕はその長い黒髪が好きだった。

 最初の会話をしてから、僕らは少しずつ話すようになった。
 どうやら君も、仲の良い友人とは違うクラスになってしまったようだった。似た境遇もあって、僕らは春の日和に祝福されるみたいに、暖かな陽が降り注ぐ教室の片隅で言葉を重ね合った。
 学校のこと。友人のこと。徐々に楽しくなり、やがてお互いについて気になり始めた。その頃から僕らはハル、ミチと呼び合っていた。


 ハルはアコースティックギターを弾くことが好きだった。

「ギターのこと言ったの、ミチくんが初めて」

「じゃ、僕も秘密を打ち明けるよ」

 そうして小説を書くことが好きだとハルに言った。ハルは瞳を輝かせながら、それを読みたいと言った。
 恥ずかしさがありながらも、僕は誰にも見せたことのない物語が書かれたノートを手渡した。

「これ面白いよ! ほかのも読みたい!」

 そんな言葉をエネルギーに、僕は物語を書き続けた。書きたいことはいっぱいあったけど、物語の主人公はいつの間にかハルばかりになっていた。
 それを見せるたび、うつむき加減になる様子を笑いながらも喜んでくれた。

「ねえ。私の歌に歌詞つけて」

 物語を読み終えたある時、ハルは真面目な顔でそう言った。

「ミチくんの言葉なら、心から歌えそうな気がするの」

 やがて僕らは歌を作った。
 ハルのメロディに僕の言葉が乗っていく。

 ハルの歌う声はいつもとは違うように聴こえた。
 誰の懐にもすっと入りこんでしまいそうな声。僕はずっとそれを抱きしめておきたかった。


 でも、そんな関係は長くは続かなかった。
 高校3年になり、進路に悩みながらもお互いが選んだ道は全く違うものだった。
 四年制大学に進学し将来は一般企業に勤めようと決めた僕と違って、ハルは音楽の専門学校を目指す道を選んだ。

 未だに胸を締めつけるのは、なんであの時、もっと自分を信じられなかったのかという思い。小説は趣味にしようと割り切った臆病な自分。ハルはあんなにも信じてくれていたのに。
 今でもうまく言葉は見つからない。ハルの気持ちを思えば思うほど。


 年を取るにつれて、人は時間が早く過ぎていくように感じるという。
 ハルとの最後の日も、随分昔のように感じた。

「私たち終わろ。それぞれの希望に向かうために」

 ハルと見た桜が、見事な紅葉色(もみじいろ)になった頃。秋風に吹かれる短い髪を見ながら、その強い意志を尊重しなきゃならないと思った。
 ハルの別れを受け入れた静かな夜は、とても長く感じた。



 あれから9年の月日が経った。
 同窓会の便りが届いた時、僕は真っ先にハルの顔を思い出した。

 穏やかな日曜の午後。ハルは大人びた雰囲気をまといながらも、あの頃と変わらない様子で同級生たちと話していた。

「懐かしいね」

 遠目で見ていた僕のもとまで話しかけに来たハルは、心のよどみまでもすっかり洗い流してくれた。

 ハルは音楽の専門学校を卒業後、インディーズでデビューしていた。
 バンドは何度か組んでみたものの、最終的にはソロでデビューしたようだった。そして、メジャーデビューを目前に控えていると、ハルは瞳を輝かせる。
 果てしなく遠くに行ってしまったような寂しさを感じつつ、僕は祝福の言葉を送った。

「まだまだ。これからよ」

 謙遜する横顔を見るたび、僕は情けないほど脇役のように思えた。
 ハルは相変わらず、僕の物語の主人公だった。


 少し陽が傾いた頃。
 駅まで送る口実をつけて、最近買ったばかりの安い車にハルを乗せた。

「車買ったんだね」

「仕事柄、遠くに行くことが多くて。今日も出先から来たんだ」

 そんな他愛もない話の後、時間の隔たりが僕らを無口にさせた。
 いつの間にか僕は頑なになっていた。でも、ふと横を見ると、ハルはいたずらな顔を浮かべていた。

「あの場所行ってみようよ。ちょうど見頃だと思うし」


 すっかり移り変わった街並みを見て、静かに過ぎ去った時間のことを思う。
 僕もこの街のように変われただろうか。車の速さが時間の過ぎる早さのように感じて、少し気分が悪くなった。

「見えてきたよ」

 ハルが声を上げると、懐かしい桜道は何ら変わりなくそこにあった。

「せっかくだし、降りてみない?」

 そう言って僕は車を止めようとする。

「あれ、あの標識」

 助手席に座るハルが指差した先には、駐車禁止の標識があった。

「あんなのあったっけ?」

「多分、昔からあったんだろうね。今まで見えていなかっただけで」

 少し大人になった僕らの世界は、高校生の頃より自由になった分締めつけを受ける。
 あの頃は見えなかった社会のルールに、僕はとても敏感になっていた。

 でも、どうしても見ておきたかった。この景色を思い出にしないために。
 社会が引き止めても、僕はハルと一緒に桜を見たかった。


 僕は桜道を通り過ぎ、少し離れたカフェの前でハルを降ろすと、その足で実家に戻った。ある物を取りに行くために。

「お待たせ」

 口パクでそう言いながら、窓際の席でくつろぐハルに手を振る。少し古びた自転車は所々さびついていた。

「わざわざ取ってきたの?」

 小走りで外に出てきたハルに、息を切らした顔でうなずいた。

「さ、後ろに乗って」

「えっ?」

 ハルは珍しく顔を赤めている。
 心は高鳴っていた。9年前の学校帰り、ハルを初めて呼び出した日のように。

 久々に自転車にまたがる。少し低く感じるサドルと色のはげたハンドル。17の春が迎えに来てくれたようだった。

「一緒に行こう。桜を見に」

 後ろに乗っても、ハルはまだ恥ずかしさを残していた。
 顔を見なくても分かる気持ちに触れ、懐かしい思いが僕の胸を締めつけた。

「ちょっと重くなった?」

 そう冗談めかすと、ハルの手が背中に飛んできた。温かい笑い声が耳まで届いた。

「さあ、出発!」

 元気な声が響く。いつの間にか身軽になった気持ちで、僕はペダルをこぎ始めた。


 今、僕はハルを後ろに乗せて立ちこぎしている。
 そうだ。僕らはこんな風に、まだまだ夢を持って前に進めるんだ。

 汗ばんだ体で必死にこいでいると、自転車のカゴに桜の花びらが入っていた。
 暖かな陽気は誰にでも平等に降り注いでいる。

 ハルはやがて僕らの歌を口ずさんだ。
 すぐ近くに感じる体温。懐かしい確かな温もり。

 どうしてもその顔を見たくて、後ろを振り返る。
 変わらない笑顔と、すっかり伸びた黒髪が風に揺れている。

 お互いの希望に向かう春の日。
 僕らの車輪が廻るたび、世界はどうしようもなく美しさを増していく。

ハルを迎えに

ハルを迎えに

あの頃のハルを迎えに。

  • 小説
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  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-04-21

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