僕だけは愛を信じている

まどろ

僕だけは愛を信じている

1

彼女の新居は、僕がこっちに引っ越してきたときの匂いを思い出させた。遠くから風に乗ってやってきた粉ミルクのような匂いだ。確かこれは黒カビの匂いで、部屋の消毒をするときに一時的に匂いが強まるらしい。

1DKの部屋を眺める彼女が、いつものように僕の方を向いてくれることはもうない。
何か話そうかと必死に考え、家賃の話をしてみたが、微笑んでくれたその顔に、僕への気持ちはきっとなかった。

2

話は10日前に遡る。
4月1日のエイプリルフールに、僕は最愛の人に振られた。
どうしようもなく下手くそな嘘だと思った。
なんせ僕たちは結婚をまじかに控えた2人だったからね。

3

4月1日の15時頃だった。
珍しく長文のメッセージが君から届いて、中身を確認して血の気が引いた。それと同時に心のどこかから聞こえるはずのない声も漏れていた。
「あぁ、ついにこの日が来てしまったか」と。

4

僕の恋人は、すごく自由な人だった。

出会いは職場。別な職場から応援に来てくれた彼女に一目惚れして猛アタックした。
当時僕には恋人がいたけど、そんな事は考えられなかった。本能のままに君を求めた。
年明けのカウントダウンを一緒にしないか?って誘ったら、逆にいいの?なんて言った君に、逆にいいの?!と返した。
そのままの流れでしばらく同じ時間を過ごして、現在の彼女にその事を告げて別れた。
年が明けた1月10日。僕の告白が受け入れられて、君は僕の恋人になった。

5

僕が色眼鏡で見なくても、君は絶世の美女だった。一目惚れしない方がおかしい。男なら誰もが抱きたいと思うほど魅力的。それでいて行動的で大胆で、危なっかしい。目を話すとすぐにいなくなってしまうような。
それに一生振り回されて生きていくんだろうと、その頃から考えていた。でも、それでいいとも思っていた。こうして僕の胸の中で眠る君が、永遠にそこで寝てくれるのであれば、それでいいんだ。
そう思っていた。
だけど、現実は甘くなかった。結論から言うと、僕はそんなに寛大な男ではなく、クソメンタルの弱っちい奴だったんだ。

6

5月、僕は人生で初めて浮気された。

7

詳細を話したいところだが、やめておこう。無粋だ。
ざっくり書くと、僕以外の男と隠れてあってたんだ。

正直考えられなかった。好きな人と同棲しているのに、他の男に合う理由が。
もしも正当な理由があるなら聞くけど、全て話してもらってからも、その答えに納得する事は出来なかった。
あぁ、浮気した男の末路か。
一瞬の本能を愛と勘違いした結果か。
そう言う風に思うと、どうにも納得ができた。
悪いのは君ではなく、君を選んだ僕だと。

だから僕から別れを切り出した。けど、そこで別れる事を君は拒んだ。
それが僕の消えかけていた炎をまた燃え上がらせ、勘違いを続ける羽目になった。

8

20時までこのメンタルでどこまで踏ん張れるのだろうと思ったが、ぶつぶつと独り言をつぶやき、全ての負の感情を言葉にして出したら、自然と体が楽になった。それさえ意味が分からなかった。

でも、今回のこのお別れは、きっと僕を強くしてくれるだろうと言う確信があった。
いい意味でも悪い意味でも、数日後にまた一つ大人の階段を登る。
壊れるか、壊れないかの瀬戸際でそう言う事を考えていたのは僕の最後の抵抗だったのだろう。

9

家に帰ると、数年ぶりに煙草を吸った君が帰ってきた。
僕は何も言えなかった。ひとまず話を聞いて、それで、終わった。

もう書かない。

これで終わり。
これで終わりだけど、僕は…。
最後まで嫌いになれなかった君を。
僕だけは愛を信じている。

僕だけは愛を信じている

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  • 小説
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  • 青春
  • 全年齢対象
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