クーラーボックスを開いたら。
大学生活の或る夏の日。僕は学科の人物が企画したバーベキュー大会に出席していた。学生たちは片手に缶ビールを持ち、肉、パプリカ、焼き鳥とかをひっくり返して談笑していた。けれども、僕は夏の暑い日差しと楽しそうに笑っている彼らを見て、ぐったりしていた。基本的に僕は社交的にではない性格だし、酒は飲めない体質だし、日差しに弱いし、『外』で焼いた食い物は食えない主義だし、簡潔に言うと、もう帰りたかった。それで青いパラソルの下であぐらをかいて、楽しそうに騒いでいる彼らを鑑賞していた。
そうしているうちに、僕は非常に喉が渇いている事に気づいた。額からは汗がポタリと垂れる。周りを見渡す。すると僕が座っているブルーシートの端っこの方に白いクーラーボックスが幾つか置いてあった。ツバを飲み込んで僕はそのクーラーボックスの一つ目を開いた。しかし中にはアルコール類しか入っていない。僕は残念に思い次は隣にあるクーラーボックスを開いた。中にはバーベキューソースと醤油、塩、調味料が並んでいた。仕方がないので、その隣に或るクーラーボックスを開けた。生の肉がギッシリと入っている。彼らは水分を取らないで生きていける生命体なのかと僕は少し呆れながら頭を掻いた。
最後にごくごく一般サイズのクーラーボックスが一つだけ残った。僕はそのクーラーボックスに思いを託し、ゆっくりと蓋を開けた。
黒い箱があった。文字盤があって、デジタルの赤い数字がコチコチと動いている。明らかに『飲み物』ではなかった。嫌な気分になって僕は優しく蓋を閉じた。ああ。飲み物は自動販売機に買いに行けばいいんだ。そう考えた後、クルリと後ろを振り返った。女が座って僕をジーと見ていた。
「勝手に開けたの?」
女は苛立った声で短く言った。
「そうだね。勝手に開けた。でも飲み物を少し飲みたかったんだ。悪気はない。まさか、映画館の席でポップコーンを食べながらスクリーンで流れる爆弾のような代物がクーラーボックスの中にある筈がない。そうだね。あれはきっと音楽プレーヤーでこれから流行りの音楽とか昔の洋楽。例えば、I Need To Be In Loveとか流すんだ。だって今日は青春っぽい1日だしね。それから若い学生たちは夕日を見てロマンチック的な言葉を掛け合う。まぁ僕はその途中で帰宅するんだけどね。だって、学生寮の飯が間に合わなくなるから。メニューは鮭の茶漬け。薄めのお茶が所謂エッセンス風味で美味しいんだ。」
「残念だけど音楽プレーヤーではないわ。ほら、あすこを見て、お洒落な音楽プレーヤーが有名なチェーン店のコーヒーショップで流れているような現代チックな洋楽が流れているでしょ?」
僕は女が指した方向を見た。お洒落な音楽プレーヤーからギャンギャンと音楽が流れていた。
「ほんとだ。いまの今まで全く気づかなかった。F1の走行を録音したてテープでも流しているかと思ってたよ。それじゃあ、それって製氷機?」
「爆弾よ」
女は再び苛立ったようすで言った。
「もしかして君って怒ってる?」
僕は言った。
「そうね。楽しい気分ではないわ」
「どうして? 僕が勝手にクーラーボックスを開いたから?」
「ええ。貴方が勝手に爆弾を見つけたからよ」
「それってまずかったかな。まずい事をしたなら君謝るよ。勝手に爆弾を見つけてゴメンね」
僕は頭を下げた。
「貴方、私をバカにしているでしょ?」
「いや、これっぽっちも」
僕は反論した。それから質問した。
「質問してもいいかな?」
「私が答えられる範囲なら」
「どうしてビーチに爆弾を? すでに気温が熱いっていうのに、さらに気温を上げようと? それとも肌を焼こうと? やりすぎ感はあるよね」
「貴方、やっぱり、私の事をバカにしているでしょ?」
「ぜんぜん。少しも」
僕の反論に女はため息を吐いて「爆発させようと思って持ってきたの」と言った。
「何故?」
僕は聞いた。でも女は答えず、下を向いた。
「もしかして失恋? 失恋しちゃったから、失恋した相手と自分とそこら辺の奴も巻き込んでしまおうという算段か? まあ、若い時はそんな時もあるかもしれんが、そう言った爆発? 爆弾? っていうのは、実物である必要はないと思うね。うん。恋の爆弾とでも言うんですか。現実に爆弾として作成するのはアツアツ過ぎて本当に溶けちゃいますから止めた方が双方的にもよろしいと思います?」
「それ以上喋ったら今すぐぶっ飛ばすわよ」
女はそう言って僕の背中にあるクーラーボックスを取って持ち上げた。
「まぁまぁ、落ち着いて下さい。まさか図星かと思いませんでしたから、僕もペラペラと腹の底にもない言葉を言ってしまいましたが」
「嘘つけ」
僕は女の気をそらすために「そう言えば貴方って、相当、美人さんですよね。モデルみたい。なんのモデルかは知りませんけど。でもすっごく美人さんです。これほどまでに美しい人を失恋させるなんて、世の中には罪深い男もいるもんですね。本当にショウガナイ男です」
と褒めた。
「何それお世辞?」
「お世辞ではないです。顔は百点満点じゃないですか? でも、爆弾を作ってる点でお察しですが」
女はクーラーボックスをブルーシートの上に置いてから言った。
「私、お世辞ってすぐにわかるのよね。それに可愛いとか言われてもフーンってしか思わないの。だって言われ慣れているから。一応これでもミスコンで一位なのよ。貴方、私の事知らないの?」
「さあ?」
「貴方ムカつくわね」
「申し訳ありません。僕個人としてカブトムシにしか興味がないんです。先ほど君の事、百点満点だと言いましたがうちのハナコと比較すると十五点ですね。残念」
「は?」
「だってツノないですし」
「カブトムシと比較されたのは生まれてこのかた初めてよ。オッケー。ムカついたから今から爆発させるわ」
女はクーラーボックスの蓋を開けた。僕はその蓋を閉じた。
「何するの」
僕は紳士的な口調で言った。
「顔が全てじゃないですよ」
「貴方、なに? 人をムカつかさせる天才なの?」
女はさらに苛立っていた。
「怒らないで下さい。ですが、貴方を振るほどの男が居るとは信じられませんね。一体どんな奴なんですか?」
女は黙ってから答えた。
「完全に振られたと言うのは違うわ」
「というのは?」
「私がまだ入学した頃よ。その時の私は今とは全然違っていて惨めな奴だった。講義を終えて図書室で本を借りに行った時。あの人が私に声をかけたわ。『君ってファーブル昆虫記を読むの? 珍しいね。実は僕もその本が好きなんだ。虫って宇宙的だよね。フォルムとか存在が意味不明で』って、本当は幼い弟の為に借りた本だけど、それがきっかけで私は彼と喋るようになったわ。どうでもいい内容だけど、話しているうちに理解ができないけど『こんな私でも良いんだ』って言うふうに自分を見ることができたの。でも私は完ぺきな自信が持てなかった。それから私は色々と頑張ったわ。その所為で図書室には行けなくなったけどね。そうしてやっと彼に気持ちを伝えようと思って図書室に行った。でも彼はいなかった次のも彼は来なかったわ。毎日、待っていたけど。彼は来なくて。遂にはこう思ったわ、私って避けられているのかしら? それから私は図書室には行かなくなった」
「もしかして、それで学生が集まっている機会を探して爆発しようと思ったの?」
「それもあるわね。大学の校舎にも仕掛けたし」
「へぇ。さらりと恐ろしい事を言うね。それと、君の盛大な勘違いっぽい気もするけど」
僕はそう言ってから掛けていたメガネを服で拭いた。すると女は「あっ」と言った。
「貴方……」
「何?」
「貴方よ! 図書室で私にかけた人! どうして、今まで気づかなかったのかしら! ただメガネをかけているだけなのに」
「僕が? 何かの冗談だろ」
「嘘よ! ほら、私にファーブル昆虫日記で色々語った事を忘れたの!」
僕は唸って考えた後、ハッと思い出した。
「そう言えば、図書室にいた女とファーブル大先生について話した覚えがある」
僕の言葉を聞いて女は瞳孔を開き叫んだ。
「どうして、図書室に来なくなったのよ!」
「ああ、それはあれだ。僕が昆虫系統の本を中々返さないから立ち入り禁止になったんだ」
それから、女はとても顔を真っ赤にして口走っていた。男はポリポリと顔の皮膚を掻いた。
クーラーボックスの中身は赤いデジタル数字を勢いよく回転させていた。一種の鼓動か? 通り雨の影が辺りを涼くした。
クーラーボックスを開いたら。