スピ女からの脱却

璃子

スピ女からの脱却
  1. スピ女からの脱却
  2. スピ女からの脱却1-2

 人生で、初めて書いた小説です。
拙い部分も多いとは思います、約80ページほどの作品です、よろしくおつきあい下さい。

Twitterに感想とういただけたら嬉しいです(*^^*)
友達も募集してます。

 

スピ女からの脱却

 1           
 宅配便の荷台にギュウギュウ詰めにされて運ばれる荷物のような感覚になる。
 人々が詰め込まれた満員電車で、押しつぶされないように、よろけて誰かの足を踏んづけないように、しっかり足に力を入れて立っている。
 
 さっきから、目の前にたつ五十代だろうか、サラリーマンのポマードの臭いが鼻をつく、ギターを背中に担いだ若い女、ミルクティー色の短い髪に、鼻には光るピアスが埋め込まれている。学生だろうか、楽しそうに喋る男子たち、そして大半の人は無表情にただ揺れる電車に身を任せている。
 
 見渡す限り人、人、人、うんざりしてしまう。
 一刻も早く外の新鮮な空気を吸いたい。 
 
 自動アナウンスにより、あと数分で目的の駅に到着することを知る。
 
 それからようやく、動けなかった状態から解放された人々が、雪崩のように一斉に動き出す。
 私も雪崩の一塊の一握のように流され、ホームに降り立った。


 
 もう、すっかり冷たくなった晩秋の風が、首筋をぬけていく。やっと夕闇の空気に湿った酸素を吸えた事に少し安堵する。
 
 電車を降りたら降りたで、人々のまっすぐに伸びる線や、建物のカーブを避けるような曲線の波の中を、群魚のように、流れをぶった切らないよう進まなければならない。
 同じ波しぶきの中をスイスイかいくぐっていかなければ。
 
 「私ら日本人、どれだけ気を遣うのよ、ストレスたまる」と内心軽く毒づきながら、水野 羽瑠急ぎ足で歩き出す。
 
 駅から改札をくぐると、空はすっかり青と藍が混じり合うグラデーションが形成されている。
 
 急がなきゃと、羽瑠は人々の雑踏の中を焦りの入り交じった気持ちで歩き始めた。

 トレンチコートを着て、わざとくせ毛風の巻き髪と揺れるドロップ型のピアスできめた綺麗な女性、色香を微かに周りにふりまきながらも、一目で仕立ての良さが分かるスーツを着ている。
 いかにも仕事ができますって感じだなぁ、感心しながら歩いていると、すれ違いざま肩がぶつかってしまった。
 「すみません」、
 「チッ」
 こちらを見向きもしないで舌打ちしていった。
 さっきの一瞬カッコイイ女だと思ったことは、取り消します、とんだ性格の悪い女です、と羽瑠は心の中で呟いた。
 向こうから来る、あのスーツの2人はきっと営業職だな、これから22時まで接待コースかぁ、大変だな。
 
 今、私はこの人達からどう見えているのかなと、急いでいる筈なのに、ついついすれ違う人々を眺め、頭の片隅で考えてしまう。

 高層ビルや、5階建ての低めのビルなどが、所狭しと多様に、それでも右左に通路を開けて整然と並んでいる。
店の前では、ドラッグストアや花屋などが、〝399円〟と大きくセールを示すプレートが書かれた籠を配置させている。
道行く人に、商魂逞しく目にちらつかせているのだろう。
 あちこちの看板からは、インド料理、タイ料理、イタリアン、寿司中華、スターバックスなど、カラフルなプレートが目にも鮮やかに飛び込んでくる。
そして、いろんな異国漂う多国籍料理のにおいが通りに交ざり合う、いかにも雑多なこの界隈らしい空気を醸し出している。
 

  2
 もう15分程歩いただろうか。

 この角を曲がると、ついに会うことができる。
 期待に胸が震える。
 でも、もし知り合いや会社の誰かに見られたら?
 そう思うと別の動悸がしてくる。ついうつむき加減で早足になってしまう。
 周りに知り合いがいないか、素早く目を走らせる、左右よし、今だ。
 細道に微かな光で照らされている小さな店舗に入る。

 高めの、若い女性の声が、店内にこだまする。
 「いらっしゃいませ」
一つ違和感があるとすれば、この女の子は鼻から下に黒いレースのベールらしき物をつけていることだろうか。
 黒一色にフリルだのがついたドレスや手袋やヘットドレスを身につけている。
 いわゆる、ゴスロリというのだろうか。
 何というか、普段自分と関わることがない人なので、まじまじと見てしまう。
これはこれで意外とアリなのかも知れないと思っていると、そんな視線に慣れているのだろう彼女は、
 「ご予約はされていますか?」
と尋ねてくる。
 私は、
 「六時半から予約していた水野です。」、
「はい、先生はもう少し前の方の鑑定をしていますので、しばらくお待ちください。」
 簡単なやりとりをしてベンチで待つ事になった。
 
 暗い店内は暗幕に覆われているかのようにほの暗い。
 白檀とジャスミンと柑橘系のようなものが混じりあったお香の香りが漂っている。
 なんとなくではあるが、この店の雰囲気に合っている。
 
 豪華なガラスのシャンデリアが煌めきを放って存在感を主張している。
 廊下の突き当たりの奥では、うやうやしく台座に乗せられた水晶がスポットライトに照らし出されている。
 見つめていると玉の中に魂ごと吸い込まれそうに感じる。
 
 そう、ここは占いの店である、今年二十七歳になる女が通うべき場所なのかは、我ながら自信がない。


 会社の同僚が通うような、ヨガや英会話で自分磨きに勤しむ方が、今後の身の為にもなることも良くわかっている。
 でも、通わずにはいられない。
 私を駆り立てるがものが、心の内側に澱のようにある限り。
 先生を待つ間、店内に目を走らせていると、占いの紹介を書いたプレートには、マリア、ミラ榊原、令龍、マンドラゴラ植木など色々な鑑定士が思い思いのポーズで写真におさめられている。
 その下には、
 「悩みを抱える子羊を解放しましょう」、
 「貴方を、知りたい真実の世界に誘う」
などという、謳い文句が躍っている。

 タロット、四柱推命、占星術、数秘術、数理学、手相、などの文字が並ぶ。
時間は20分2500円、30分3500円、60分6500円。
 
 正直、OLの私の給料、月24日、会社のパソコンと睨めっこして稼ぐ者には高く感じる。
 目にコンタクトが張りつこうが、ヒリヒリしようが、肩や腰が痛くて吐きそうでも、給料は変わらず20万。
 そこからほとんど上がらない、手取りにするともっと少ない。
 月々、家賃6万5千円、携帯代、食費、電気代、2ヶ月毎に少しのプチプラの服と化粧品類と少しの貯金で、ほとんど残らないという現実が、そこにはある。
 占いが、痛い出費だというのはよくわかっている。
 
しばらく待つと、前のカーテンから中年の女性がそそくさと出てくる。
表情は見えない、が、なんとなく誰にも見られたくないのだろう、という気持ちは伝わる。

 そんな矢先、羽瑠が通された先には、いつものマリア先生がいた。
 年の頃は三十五歳くらいだろうか。
 切れ長の、何でも見透かすような色素の薄い瞳、形の良い小さな鼻が、卵形の綺麗な輪郭にのっている。
 少しカールした亜麻色の髪、白いトップスから覗く鎖骨の窪み、女の私から見てもセクシーな美人だと思う。
 マリア先生の形の良い唇から、言葉が紡ぎだされると私は魔法にかかる、何でも素直に語ってしまっている、心の奥襞に隠された秘密まで。

「それで、今日はどうしたの?」
 羽瑠は、
 「はい、最近彼に飽きられるんじゃないかというか、どんなに私が想っても、彼は、私程気持ちが寄り添ってないって感じるんです。」
 「仕事も、自分が本当にこれでいいのか、転職するにも最後のチャンスな気がするんですけど、私には何が向いているのかわかりません。」
 言葉にするとたったこれだけ、わかっている、よくある私の年頃の女性が抱える悩みであることくらい。
 私は、会社ではこんな悩みはおくびにも出さない、むしろ、こういう悩みを社会や会社で、全力で雰囲気から滲み出して、男に媚びる女を冷たい目線で見てきたし、今もその態度を貫いている。
 その自分が、まさか占いに足繁く通い、答えを求めているなんて、昔の自分からは想像もしなかった。
 何かに答えを求めないと漠然と、どうしても不安になってしまう。
誰かから、安心する言葉が欲しいと思ってしまうのだ。


 「わかりました、ではタロットに聞いてみましょう、答えはこのカードが私に語りかけてくれます。」
 そう言うと、マリアが先生はいつものようにタロットカードをきり、3つの束に分けたり、また一つの山に戻したりしている、その間シャシャシャ、パラパラパラ、パシパシパシと小気味良くカードの擦れる音がする。
 
 私は固唾を飲んでカードを見ている、やがてカードが十字架の形に展開され裏返されていく。
 
 マリア先生は落ち着き払って喋り始めた。
 「まず、彼の気持ちですが、彼はあなたに確かに好意はあります、ですが彼には忘れられない人がいるようね。」
 「わかります、彼は私に、昔の彼女が忘れられないとつきあう前から言っていましたから。」と私。
 「それと、結婚ですが、できるでしょう、ですが、人生のタイミングとでも言えば良いのかしら、人生にはお互いに時間や似たような出来事が被さるイベントというものがあって、彼とあなたは、そのタイミングがずれていて、それに伴う感性のズレもあるから、辛い想いをする可能性もあるわね。」
 
 なんだかよくわからないが、胸に薄暗いざわざわとした焦燥感が横切る。
 つまり結婚してもあまり幸せではないってこと?
 人生のタイミングって?
 連鎖的に疑問が浮かぶ。
 
 マリア先生は、どんどん先を続ける、「仕事は、転職したければ今が最適でしょう。」
 
 ここで30分が経ってしまった。
 

 
  3
 なんだかすっきりとしない気持ちのまま終わってしまった。
 こんなことなら来なきゃ良かった、後悔の念が体中を駆け巡っている。
 なんだかすっきりしない。
 
 でも、もし本当になったら、どうしよう。
 
 そんなモヤモヤとした気持ちを抱えて歩いていたら、いつの間にかカフェを併設した大型書店の中にいた、コーヒーの深い煎った豆の香りが漂っている、とりあえず今は落ち着くために琥珀色の温かい珈琲が飲みたい。


特別おいしいわけじゃない、好きな味がするわけでもないのに。こんな苦いだけの液体をいつから飲むようになったのだろう。

 忘れたくても、自然に何度も蒸し返してしまう記憶のように、珈琲には中毒性がある。
 
 それは思い出す限り、小学生の頃の記憶に起因するのかもしれない。
 私の家は、小学生の時に母子家庭になった、原因はよくある父のギャンブル癖。
 両親は、それは派手な喧嘩を毎晩繰り広げていたので、マンション中、そしてそれは翌日のクラスの噂の的になった。
 毎晩の喧嘩が離婚の瞬間になった場面をよく覚えている。
 いつもの口論がエスカレートして父が母を殴りかかろうとした時のこと。  
 私が2人の間に割り込んで止めようとした時だ。
 母が慌てて私をかばった拍子に、食器棚にぶつかり、ガラスが母の上に降り注いだ。  
 私は、どうすることもできず、ただ泣くことしかできなかった。
 
 翌朝には、
 「どちらについていくか決めなさい」
と言われ、あっけなく砂上の楼閣のような家庭は崩壊した。
 テーブルの上には、冷めた珈琲が残されていた。
 
 心としては、母と共に居て支え合いたいとは思う、けれど、本当は、どちらも選ぶ気にはなれない。
ただ1人で心穏やかに暮らしたい。
それが、両親の揉め事に気を遣いすぎて、疲れた子供の心の選択だったが、それを言うには幼すぎることも、分かっていた。
  とうとう言えなかった。
 私の不用心な一言が、どれほど母を傷つけるかを知っていたから。
 あの日以来、私は人に気を使う癖ができてしまった。
 
そして、どうして私は幸せになれないのだろう?と思いながらも、他人には気づかれたくない。
表面上、平気な振りを装う。
その癖は、年と共にどんどん増していった。
 
 
 
 
  4
 今日はなんだか気分が落ちてダメだなぁ。
 そんなことを思いながら、本を何気なくみていると、『運の良い女になる方法』、『彼が離さない女になる方法』だの、そんな本がやたらと目にとまる。  
 こういうのって、一時的には精神的に落ちつくだよね、とぼんやり思う。
 手に取ろうとした瞬間、掴んだのは、『幸せになる法則』という本だった。  
 「ん?まぁいいか。」
 パラパラめくると、そこには人生が180度変わるような衝撃的な内容が載っていた。 
 
 〝人生は良いことを考えれば良い方向へ、悪いことを考えれば悪い方向へと進む〟

〝貴方が、いろんなことに感謝すれば、現実も同じような感謝の現象がついてきて、豊かになる〟
 〝願望を繰り返し口に出し、その叶った状況を、五感をフルに使い味わうと叶う〟
 〝必死にならず、願えば後は宇宙に解き放ちリラックスしていること〟

 これだ、わたしが無意識でマイナス思考だったから不幸だったのだと納得した。
 
 早速その本を買って、むさぼるように読み耽った。
 
 本に書いてあったように、私はその日から本の内容を実践し始めた。
 夜は、寝る前にその日あった良いことに感謝をする出来事を、ノートに書き足したりする。
 〝帰る部屋がある〟、
〝気持ちよく、くるまる布団があること〟、
〝働けて食べていけるにはさして困らない状況がある〟
 落ち着けば、命の危機に瀕するような、緊急事態は周りにはなく、少しずつ今の状況でも満たされていると、感じることができた。
 とりあえず、本の通りに「ありがとう」と心の中で呟く事を続けている。


 
 効果は徐々に現れ始めた、会社で、自分の割り振られた仕事以外を振られることは、今まで怒りでしかなかった。
 なぜなら、誰かがサボったツケを、なぜ私が払わされているのか分からないという理不尽さがあったからだ。
 しかし、私の企画という仕事において、他の人のアイディアや仕事の進め方を垣間見るというのは、逆に私の仕事の削るべき部分や、足すべき部分などを含め、効率化ということへの勉強になる。
 今は、上司にコピー取りを頼まれることさえ苦にならない。
 〝ありがとう〟なんて、めったに思えるはずもないのに、無理矢理にでも〝ありがとうと〟と心の中で呟いている。
すると、不思議と心が霧雨から曇り空くらいにはなる。
満員電車やランチの行列でさえも、イライラが少なくなった気がしたきた。
 



 

スピ女からの脱却1-2


 そして、ついに効果を信じるに足る現象が起こった。

 彼はいつも忙しい人だから、大体私からメールを送っていたのに、「ありがとう」の呪文を唱えてから3日、彼からメールがあった。
 やっぱり、早速ついてることがある、効果があるんだ。と、内心喜んだ。
 
 
 ある金曜日の夜、彼氏と駅で待ち合わせをしている。
 化粧室に入り、ゆるい巻髪をシニヨン風にまとめあげ、パールのピアスを覗かせる。
 ルージュは仕事用のベージュピンクからパールピンクへと塗り替え、アイラインを少し跳ね上げて描く。
アイシャドーも地味目な茶色から少しパーリーなものをぬる。

私の顔は、パーツはそこそこ整っているらしいのだが、はっきりとした印象を与える顔立ちではない。
だからルージュも、赤よりはピンクと、淡い色彩しか似合わない。
 
 急いで会社を出ると、空はすでに陽が落ちオレンジに、濃い闇がかかりはじめている。
 
 駅へ向かう歩道橋をのぼると、まるで大型の掃除機に人が吸い込まれているように見える。
 
 
 私の、会社のある駅から待ち合わせの駅までは快速で20分ほどだ、彼の会社のある駅からちょうど距離的に半分の、この駅で待ち合わせをしている。
 
 待ち合わせの駅まで来ると、顔はテカってないか、そわそわ落ち着かない。
 そんなことを思っていると、彼が現れた、嬉しさと照れくささで顔が強ばってうまく笑えない、彼が軽く私の髪をくしゃっとする。  
 彼の名前は、石原聡、濃いめの色味のスーツを綺麗に着こなし、少し明るめの革靴を履いている。
 髪は耳にかかるくらいの長さだ。
 中肉中背の一見普通の人、顔も平均的だ。
 でも、笑うと笑顔がくしゃっとなるところが魅力的で、冷たそうでいて、よく話を聞いてくれる、面倒見の良いタイプの人だ。
 
 第一声は、
 「おなかすいた?」
 「うん」
 
 いつもお互いに素直になれず素っ気ない会話になってしまう、私より背がすこし高い彼の横で、彼を時々盗み見ながら歩調を合わせて歩く瞬間好きだ。
 適当に今日会ったことや仕事の話をしながら居酒屋を目指す。
 案内された居酒屋は、石畳の上を歩いて店内に入る大人の空間だった。
 
 少し梁の高い天井、
竹で照明を囲った薄明るい縦長の光が漏れる行灯や、蜜柑のような形の照明を繊細な飴細工で蚕のようにくるんだかのような行灯が、センス良く配置されている。
壁に掛かった一輪挿しが映える。 
 和とモダンが融合した特別おしゃれでもないけれど、細部まで気が利いた造り。彼が選びそうな店だ。

大きい一枚板のテーブルに椅子が並び、彼と横並びで座った。
 着いた早々、彼は背広をハンガーに引っかけ、メ二ュ―を開けた。
 「ぴったりの飲み物選んで良い?」といってくる。
 「どんな?」
 「スプモーニ」
 「それってどんなお酒?」
 「カンパリとグレープフルーツをトニックで割ったカクテル」
 「おまえってスプモーニみたい。」
 今、褒められたのか?
 それとも、苦い女ってこと?
 気になりながらも、彼の話に相槌を打っていると、
「お待たせしました、スプモーニとジントニックです。」
 期待を持って、カクテルを待っていたけど、見た瞬間もっとわからなくなった。

 シンプルなオレンジ色のカクテル、細長いグラスにクラッシュされた氷とオレンジと黄色の混じった液体が注がれ、端には切れ目のはいったオレンジがのっている。
香りはさっぱりとして爽やかな印象だ。

 私ってオレンジ色の印象なんだ、水色が好きなんだけどな・・・
柑橘の弾ける爽やかな香りが鼻腔をくすぐる、口に含むとほろ苦くて最後に少しだけ甘く香る、グレープフルーツそのままだ。
 私は気の利いた返しもできずにただコクコクと飲むことしかできなかったけど、彼は特に何も言わなかった。

 和食器に美しく盛られただし巻き卵、上にミョウガが飾られている、溶いた卵につけて食べるつくね、刺身の盛り合わせ、大葉と海老の春巻き、みぞれ唐揚げなどをつまみながら最近のお互いの近況を語りあった。
 「そういえば、面白いことがあった。
前に言った新婚の同僚なんだけど、そいつの嫁さんさぁ、会社一、妻にしたいランキング1位の可愛いほんわかした系の嫁で、当然愛妻弁当に期待していたらしい。」 
「へー、ハートマークとか入ったやつかな?」 と私。
「今キャラ弁とかはやってるだろ?で、いざ開けてみると、白飯に海苔でスキって文字と、ゆで玉子が一つ入っただけだったらしい、さすがに俺も泣けたわ」
「それは、泣けるねー」と冗談に笑う。
彼の少し抜けているお茶目な同僚や、文句や要求だけは凄いのに仕事をしない禿げあがった上司の話などをしていると、あっという間に10時を少しまっていた。
 
 お店を出ると、もう星が高い位置までのぼっている。
 
 一緒にいたい気持ちはあるけれど、どうしていいかわからない。
私は可愛く甘えるっていうことが、どうしていいのかわからない、緊張で固まってしまう。
 甘えようと言葉を選んでいるうちに、必要な場面は過ぎさっている。
 
 並んで駅まで歩きながらたわいもない話をした、今回のデートも何もなく終わってしまうなぁと思いながら改札まで来ると、
 「今日は一緒にいたい」
 珍しく強引な彼の瞳と手の強さを感じた、また、私は何も言えずかたまってしまう。
 彼はあきらめたように
 「じゃーな」
 といって先に電車に乗り込んでしまう。
私も反対側にきた電車に乗り込む、社内のガラス越しに、見つめ合ったままドアが閉まる。
このまま発車してしまう、胸が苦しい、どうしたら良いの?やっぱ降りなきゃ、わかっているのに。
気付いたら電車は発車していた。
〝もう遅い、でも、やっぱり戻ろう〟、
私は一駅で降りて、慌てて今来た反対方向のばばかりの反対方向へ引き返す元の電車に飛び乗った。
 
 
 駅のホームに戻った、彼がいるわけがないのに苦しい、自分のバカさ加減に涙が滲む。
 戻ってどうなるというのだろう。
 ホームには見知った後ろ姿が人混みにまぎれてみえた。
販売機からお茶を買う男の人の動きが、スローモーションになり、その背中から目が離せない。
 
 〝そんなわけない、だって帰ってしまったに決まっている。〟
思わず後ろからその人を見つめてしまう。
視線を感じたのか彼が振り返る。 
 「あれ?帰ってきたの?」静かな微笑みで、私を迎えてくれた。
 彼の微笑みを見た瞬間から彼とこうなると分かっていた。
  「嬉しい」
たったこれだけの言葉にときめいてしまう、
 これから起こることへの期待なのか、彼が純粋に好きなのかさえもう分からない、彼の体温と胸の鼓動の速さが伝わってくる、きっと私の音は彼以上に速い。
ただ頭がぼぉっとしてしまう。
これ以上、自分の心臓の音が彼に伝わる事が耐えられない。
 
  グリルパルツァーの詩が頭に浮かんでは沈んでいく・・・
 
 手の上ならば  尊敬のキッス
 額の上ならば  友情のキッス
 頬の上ならば  厚意のキッス
 唇の上ならば  愛情のキッス
 閉じた目の上ならば 情景のキッス
 手のひらの上ならば 懇願のキッス
 腕の首ならば 欲情のキッス
 さてそのほかは みんな狂気の沙汰
 
 今が最高の幸せの瞬間だとわかっている。
気付いたら口をついたのは、「寂しい」という言葉。
 どうして今こんなことを言ってしまったのだろう。
幸せとかもっと伝える事はいっぱいあるのに、どうしてこんな言葉を言ってしまったのだろう。
そんな焦りをよそに、ただ彼は、「おいで」といって強く抱きしめてくれる。

彼の温かな腕に包まれて、 「俺はおまえと結婚したい。」
 いきなり唐突に言われたので一瞬で現実に引き戻された。
 
 あまりに突然で心の準備ができてない。
 「おまえと結婚したい」という完璧なまでの意思には逃げる隙間を与えてくれない、率直な彼らしい物言いだった。
 
 私は即答することができなかった、 そして、彼から慌てるように逃げ帰ることしかできなかった。
 
 
 
 
 

  6
 彼からは、それ以来メールが来ない、もう一週間になる、あんな形で慌てて逃げた私に怒っているのかも、失望して二度と会いたくないのかもしれない、逃げておいてそんな心配だけはしてしまう狡さが嫌になる。
 
 一週間が、2週間、やがて3週間になる、私は完璧なパニックに陥っていた。
 
 部屋でシャワーを浴びていると、過去の後悔や、人を無意識に傷つけたのではないかと怖くなる時がある。
シャワーが全ての記憶を洗い流してくれたらどんなに良いだろう。
 〝やっぱり、間違ってたんだ、あの時、きちんと返事をしていれば、彼は側にいてくれたのに〟、
〝また居場所をなくしてしまう、優しい温もりを、抱きしめてくる腕を無くしてしまう〟
 少しでも、悪い気配を振り切ろうと、温度と水量を上げ、顔いっぱいに水しぶきを浴びた。
 髪をタオルで拭きながらビールを飲む。
 気づけば、ここのところ、壊れたCDのように同じところで思考が停止している。
ビールが美味しくない。
 
 すっかりと、幸せの法則とやらの存在を忘れ、また、イライラとした灰色の日常を繰り返していた。
 そんな時だった、いつもの仕事帰り、気付けばあの本屋にいた。
 また、同じ苦いホット珈琲を飲んでいる。
 苦くて、苦くて、もう二度と飲みたくないのに珈琲を飲んでしまう。
あの映像がフラッシュバックする。
 
 こんな時は、本、早く落ち着く本を買わなくちゃ、私は急いで売り場に向かった、精神世界のコーナーに最近は安らぎを感じるのだ。
 いくつかの気になるものを見つけた、とある博士の書いた催眠療法だ。
パラパラとめくるだけで疲れそうな内容だけど、なぜか手が離せない。
私が生きにくい原因のヒントが過去や無意識に隠されている気がした。
 
これを直せば、彼に向き合える?
彼が帰ってくる?そんな甘い期待を胸に、同じような本を数冊買った。
 
 
 調べると、催眠療法とは、リラックスした状態に導き潜在意識にアクセス、過去のトラウマや過去の辛い体験に原因を求め現在に及ぼす影響を取り除くとある。
 
 インナーチャイルドは自分の心に住む、満たされない小さい自分らしい。
 ここまでは理解できる、
しかし、前世?
 ハイヤーセルフ?
 ナ二ヲイッテイルノ?
 とたんに、私の中の理性が危険信号を点滅しはじめた、でも、これにかけるしかないという声も頭の片隅からきこえて来る。
 結局、インターネットを通して催眠療法の専門家の予約を取ろうと調べている。
なんだか、調べるにつけ、非現実的な内容が理解を伴う納得に変わるから不思議だ。
 禁煙やダイエットなどを自己暗示で成功させるコース
 自分自身に存在する高次元の自己との会話をするコース
 または意識の中で過去の出来事を書き換えるコース
 いろんなコースがあるらしい。
しかし、2時間で18000円?
勘弁してくださいと思うもの背に腹は代えられない。
 予約はあっさり取れてしまった。
 
 
 
  6
 日曜日の昼下がり、はやる胸を抑えて、とあるマンションを目指している。
病院などで催眠が行われているのかと思っていたが、普通のマンションの一室で行うらしい。
一抹の不安を覚えたが、今となっては、自分がどれだけ変わることができるのかという、わくわくした気持ちの方が勝っている。
 
 まだ予約までに30分以上時間がある、とりあえず落ち着こうと思っていると、目的のマンションの1階はカフェになっている様子がうかがえる。

 木製の重いドアを開けると“チリリン”と軽やかなベルの音が鳴る。
 ここは半分のスペースが雑貨を売っていて、もう半分が喫茶になっていた。
 ラテやショコラのあまい香りと店内に流れるボサノバの気怠い空気感が合わさり、とても居心地が良い。
 私は、ショコラを飲みながら、飾られていた雑誌をめくる、ふと紙をめくる手が止まる、そこにはある有名な建築家の代表作が紹介されている。
 コンクリートでできた教会の壁が十字に切り抜かれ、そこから光が漏れている。
 まるで、天然の要塞に浮かぶ十字架のようでさえある。
 黄昏時のオレンジ色の空に、天使の梯子がかかっている光景が神の創造物なら、人が創る事のできる最高の似た情景に見とれてしまう。

そんなことに思いを馳せていると時間が近くなっていた。

 思い切って、とある一室のチャイムを押してみる。
 私の緊張とは対照的な明るい女性の声が返ってくる。
部屋へ通され、その声の主を見ると四十五歳を少し超えているのだろうか、ボブに切りそろえられた髪に、薄めの化粧をしたさっぱりとした印象の女性だ。
 最も白いシャツとジーンズがそう見せているのかも知れない。
 「こんにちは、斉藤由里子です、本日はよろしくお願いします」、
「こちらこそ、水野です、よろしくお願いします」、
 意外としっかりとした声の挨拶に一歩反応が遅れ、あたふたと返す。
 
 一通り、自分に自信がないこと。
うまく感情を表現できないこと。
そして、彼との経緯を軽く話すと、彼女、私の感情が上手く表現できなくなった過去の場面まで催眠で退行してハイヤーセルフにアドバイスを貰いましょうと提案してきた。
 私は、それに、従うことにした。
 
 白いソファーに楽に寝かされ誘導が始まった。

 「今、あなたはとれもリラックスしています、だんだん体中の力が抜けてきます」
「そして目の前に綺麗な草原が見えます」
「では、そのイメージの草原で心を解放して遊んでみましょう。」

 そんなこと急に言われても何もみえない。
 やっぱり失敗だと思い始めた矢先、微かに草原らしき光景が映画のスクリーンのように広がってきた。
 
 〝え?何これ?ちょっと怖い。〟
 
 「その草原ではそよ風が吹いています。」、
 「そして小川のせせらぎが聞こえます。」
      
 自分の焦りとは裏腹に誘導はどんどん進み、風が頬をなでる感触、揚羽蝶が私の周りを飛んでいる様子や、太陽の光を浴びている感触がリアルに感じてくる。

 「では、足下を見てください。」
 「今あなたの足下には階段が見えます、この階段を降りていくことで過去へのとびらが開きます。」
 「どんどんと階段を降りながら過去へと戻っていきます」、
 「10、9、今、あなたは過去へと戻っています」、
 「7,6,5、どんどん降りていきます」、
 「4,3、さぁ、どんどん過去へと遡ります」、
 「2,1はい、今過去へと続く扉が目の前に現れました。」、
 「それはどんな扉ですか?」
 
 なんとなく朧気ながら白い木製に真鍮のノブがつている扉が見える気がする。
 「では、その扉のむこうにおりていきましょう、そして、地面を踏みしめましょう」、
 「だんだんはっきりと地面の感触や靴、周りの光景が見えてきます」、
 私は焦った、なぜなら足下は小さな靴を履いた自分だと思っていたから。
今見えているのは、かなり昔の時代のドレスの裾と大人の女性の、革でできた編み上げブーツのようなゴツい靴。

 落ちつくと、全体像が浮かび上がる。
紺色の首までかかる襟、むかし教科書で見た、鹿鳴館の1人のような後ろ腰を大きく膨らませて、装飾を施したドレスをきた女性が見える。
キリッと意志の強そうな眉をしている。
 
 「今の貴方の人生で重要な場面にいきましょう。」

 赤い劇場?王侯貴族が好みそうな金細工の豪奢な装飾の施された赤と金色の5階建て席のようなものが左右に有り、真ん中は広い舞台になっている。
 眩しい程のスポットライト、19世紀の貴婦人のようなドレスとカツラと扇子らしき物を身につけ、歌っている女性。
オペラ歌手のような気がする、これは私だ。
なんだか瞬間的に悟ってしまった。
 
 誘導はなおも続く。

 どうやら、これはわたしの前世というものらしい。
あっているのかはわからない、ただ、映画を見るように頭の中に映像が迫り、高揚した感情が伝わる。
 19世紀のフランス、どこかの劇場で私はオペラ歌手をしているのだろう、今がこの人生において一番誇らしく輝いている瞬間。
 
 誘導が進むにつれ状況と彼女の人生が見えてくる。
 オペラ歌手として生計をたててはいるものの、強力なパトロンの存在があり、支配下に置かれている事。

 〝この人、今の彼? ただそう感じる〟
 
 場面は進み、夜の帳の降りた石畳の夜道を、急いで駆ける車輪が見える。
駈け落ちをしているらしい場面、どうやらパトロンを愛していながらも、若いヴァイオリニストと二股をかけていたことが発覚し、逃げているのだろう。

 なおも誘導は進む。

 そして、後ろ盾を失い、年を取り、ヴァイオリニストに捨てられ、街で惨めにのたれ死ぬ光景が見えた。

 〝ただ、感じるのは後悔の感情、あの人を裏切らなければ良かった〟、
〝こうして死んでいくのも当然の報いだ〟と感じた。
涙が頬を伝うのが自分でも分かる。

 「では、ハイヤーセルフにこの人生の意味をたずねてみましょう」

 信じられないことに、何か明るい光が現れその光を通して、自分の口から、
「愛を知るための人生、才能を開花させ成功することを体験することを味わうことだった」と喋っていた。


  7
「他に、見る必要のある過去が、ありますか?」なおも誘導は続く。


 今度は、飛行機に乗る若いパイロットの男が見えた。
真っ暗な原っぱのような場所を飛んでいる、いや、所々に赤い炎がくすぶっている。
 
 〝ここは、ここは空襲にあった東京だ。〟私は思わず息を飲んだ。

 「では、この人生において、あなたにとって重要な場面にいきましょう。」

 立派な2階建て、茶色のお屋敷に住む小さな女の子がベッドに寝ている、いや、正確には寝たふりをしている。
緊張が伝わる、彼女は夜の暗闇に、そして乱暴な男におびえている、そう父親だ。彼女はどうやら夜ごと、父の殴る蹴る、首を絞める暴力に怯えているらしい。

 感じるだけだから、正確には、わからないが、彼女は裕福な商人の父と妾の母との間にできた子供だ。
体が元々弱く母とも死別しているようだ。
身寄りがなくなった子をしょうがなく引き取り幽閉のような生活をさせている。

 場面は進み、だんだんと成長し、庭師の男の子が唯一の話し相手で、お互いにほのかな恋心を抱いていることが手に取るように分かる。
 やはりこの男の子も、彼だと感じる。
 
 やがて、十六歳で家出をする、もちろん傍らには庭師の彼がいる。
 
 オーストラリアの都心から海の見えるコテージのような家を新居にしている。
 ごつごつとした岩肌や、切り立った崖のような所にある、海が綺麗な場所だ。

 優しくて、逞しい彼の横で、やっと安らぎと幸福を手に入れた彼女の心が伝わる。

 何年かが過ぎ、やがて彼女は妊娠する。普通ならば、喜んでいるところだろうが、同時に彼女の不安も伝わる。
 〝この子をきちんと育てられるだろうか?もし苦しめてしまったら?〟

 そんな彼女を献身的に支え幸福そうに微笑む彼、やがて男の子が産まれる。

 彼女は幸せを手にいれたにも関わらず、心の奥底で不安は消えていないようだ。
 やがて、不安は的中してしまう、子供が海難事故で死んでしまうのだ。
 彼女は、半狂乱に取り乱し自分を、そして彼を責めている。
彼は彼女の幼い頃からの苦しみを知っているせいか、責めることはせず辛抱強く彼女を支えているが限界に近いのを感じている。

  そして、第二次世界大戦が始まる。
 彼は出兵前夜、彼女をだきしめ、
 「君を許す」
 と彼女に告げる。一晩抱き合って眠ると、戦地へと赴いていった。。
 一人残された彼女は、やがて彼の戦死を知る。
 〝彼は私を残して逝ってしまった〟

 絶望の淵に彼女は自らの首を吊り人生を終わらせる光景が見えた。
 
 〝この人達は、愛し合っていたのに、まだやり直せたのに、戦争が2人の命を奪ってしまった〟。
悔しい感情、せつない感情、一気にいろんな気持ちが溢れた。

 なによりも、この人生が今の私に影響を与えていることがストンと腑に落ちた。初めて彼を見た瞬間から抗えない程惹かれた自分、粗野な男の人が苦手な自分、ピタリと符合するのだ。 
 やがて、誘導も終盤を迎える。
 「今から10数えると、あなたは元気にすっきりと帰ってきます。」
 という暗示と共にすっきりと目がさめた。
                       
 「お疲れ様でした。」と先生。
 「初めての催眠療法はどうでしたか。」
 「ずいぶんといろんな過去生をみて、気づきがあったでしょう。」
 斉藤さんは優しく語りかけてくる。
 今の催眠について詳しい説明があったようだが、あまり頭には入ってこなかった。
 
 私は、ただ頷き、こんなにイメージや感情がつたわること、
瞬時に彼らの生きている様子が手に取るように分かることは、私の妄想が広がっているだけではないかと質問をしたいという衝動に駆られた。
 しかし、一方で、やっと今までの人生の疑問の答えを見つけたのに、冷や水を浴びせられるような言葉をかけられないかという恐れが出てきていた。
 
 結局、私はあいまいな反応とお礼を述べて
呆けたように家路につく。
 

 
  8
 まるで、とても濃い昔の4時間ものの映画を観た後のような、なんとも言えない興奮と虚無感が私を襲う。
 
 調べると、第二次世界大戦において、日本とオーストラリアが戦っていたらしいことがわかった。
 催眠中に見たビーチらしき光景が、Googleを通して現れた、特別驚きはしなかった、なんだかこの光景を知っている気がしたからだ。
 
 
 「そうだ、この事を彼に伝えよう、そうすれば分かってもらえるはずだ」、
甘い期待と共に彼にメールを送ることにした。

 【お元気ですか? この間のことはごめんなさい、いきなりでびっくりしてしまいました、話があるので会ってください】
 こったこれだけを打つのに、指が震えてスマートフォンが揺れる。
 数時間後、彼から
 【分かった、金曜午後19時、いつもの改札で】
 と返事があった。
たったこれだけにも関わらず、ここれほど安堵した事はなかった。

 仕事もそぞろに私は改札に向かった、話したいことが山ほどある。
 彼は信じてくれるだろうか?
 きっと大丈夫。
 結婚の話も受けよう、
 もう一回彼とやり直すのだ。
 期待に胸を膨らました。
 やがて、彼が現れる。
 「行こう」
 いつも会った時は髪をくしゃっとしてくれるはずなのに、少し気になった。
 けれど、彼の歩調に合わせてくことに集中したため、そのサインを忘れてしまった。
 
 あのお店に案内される。
 いざ、彼を前にすると、どうこの不思議な話を切り出して良いか分からない。
 長い沈黙が続く。
 
 その沈黙を破るように、彼が切り出した。
 「話って何?」
 「うん、あのね、こないだの事が気になっていて、私今まであまり素直な対応できなかったけど理由が会ったの。」
 「ふーん、それで、どうしたの?」

 彼の熱のない反応と、声色が気にかかったけれど、先を話さなければ。
 
 「実は、私、前世療法っていうのをしたの、怪しいものじゃなくてね」
 
 彼の顔が引きつったのが分かる。
 
 けれど、話し始めたのだから、一通り話して分かって貰わなければ。
 
 焦れば焦るほど、おかしな説明になる。
 だんだん、自分でもあれは自分がみた幻覚で、自分の人生に対する良い訳が欲しいあまり、願望が見せた幻ではないかとさえ感じてさえいた。
 さっきまで、あんなに信じていたのに自分にさえ愕然としてしまう。
 
 彼は、とうとう訝しんだ視線を隠そうともしないよう、鋭い顔つきになって私を見ていた。
 
 そして、ひとしきり説明を終えると、そこには、いつもの彼のくしゃっとした笑顔はなかった。
 彼は呆れたような、困ったような顔をしている。
 
 「俺はそんな話、信じない。」
 「実は、もうおまえじゃない彼女ができた、ずっと前からいるセフレもいるし。
 あぁ、おまえと付き合う男は、相当大変だと思うよ。」
 目の前で彼はにべもなくそう言い放った。

 後のことは覚えていない、たぶん、強ばった顔を貼り付けたまま、適当に切り上げたのだろう。

 

 9
  気付けば家のベッドにいて、布団にくるまっていた。
涙さえ出ないあっけない結末。
  
 今まではなんだったのだろう、もうどんなに泣いても彼は帰ってこない。
 この感情でさえ、彼に作られた偽物なのだろうか。

そもそも、彼はどういう人間だったのだろう、今となっては分からない。
 
 たぶん、私は一見まじめで優しそうな、軽い男に引っかかっただけなのだろう。
 そこに、甘い独りよがりな夢を見ていたに過ぎないのだ。
 
 私があの時、すぐに返事をしていたら結婚していたのだろうか。
 私が、浮ついた話をしたから、彼は適当な作り話をして逃げたのではないだろうか。
 時々、そんな考えがよぎることもある。
 そんな、くだらない妄想をする夜が何年か続いた。
 
 ただ、もうスピリチュアルなこと、これによる痛手からようやく目が醒めた。
 
 過去は過去なのだ、過去を知ったからといって、現実がどうなるということでもない。
 心の傷などに甘えていられるほど、人生は長くはないのだから。
 
 感謝をすることで、良い現実が引き寄せられるのか?
 単に気の持ちようだと今では気づかされた。
 
 浮ついた気分と、現実の落差に躍らされるには、私の心はあまりに弱いからだ。
 
 地に足をつけるため本棚いっぱいの引き寄せだの、前世だの、幸せの法則だのの本を売り飛ばすことにした。
 「片っ端から売ってしまおう。」
 みかん箱サイズの段ボール4箱分にもなる本だ。
 宅配サービスが部屋にやってきた、その場で換算してもらうシステムらしい。
 本をパラパラと見て、縦や横に傷がないかを確かめているようだ。
 そして、なにやら、電気式の機械のようなものにあてている。
 査定は20分程で終わり、長い長いレシートには10円だの、30円だのの長い羅列が続く、たまに500円などがついていたりすると胸が高鳴った。
 
 たったの7860円。
 私の頭を占める大半だった物はたったの7860円の値打ちしかないのだ。
 私は惨めさを噛みしめて泣きたい気持ちでいっぱいだった、が、同時に笑い出してしまいたいような複雑な顔の筋肉の揺れを感じてていた。
やっと、解放されるのだと、どこか爽快でもあったからだ。
 ここで泣いたら、人生負ける気がする。
 根拠のない強がりは、今や私の最大の武器であると思う。
 
 このお金で、おいしい物を食べに行こう。
 パスタかな?
ラーメンかな?
 やっぱ、近所のラーメン屋で、半チャンセットにしよう。



  10
 私は、数ヶ月に一日、仕事をやすむ日がある。
本当に動けなくなるのだ。

単調な毎日、満員電車、街の雑踏、会社での足の引っ張り合い、噂話、こうしたしがらみが時に重すぎて、もう一歩も動けなくなってしまうのだ。
そうした日は、頭の中でワーーと叫び出したい衝動に駆られる。
そして、ガチガチに凝った体を労りに、芝生で日光浴を楽しむ。
 
 淡々と過ぎさる毎日の中で、私だけが取り残されたような世界からやり過ごすため、どうしても必要だった。
そして、これで、なんとか呼吸することができていた。

 しかし、最近はやりたくもない仕事に身を置き、一日の大半を費やす意味が見いだせなくなってしまっていた。


 ある惨めな夜、私は夢を見た、私の中にあるどす黒い執着が、私の死と共に消滅する光景を、私は光となり何も残さないのだ。
 
 なんだか、とても怖かったのだ、何もしていないうちから、私という存在は何も残さず消えてしまう。
目覚めた瞬間の早鐘のような鼓動だけが私に生きている実感をあたえてくれた。
 
 そう、生きているのだ。
 
 私が私として、再び生きていくためには、一度死んだような状態になり、生き直さなければならないと思った。
 せめて、家族くらいには、私のことを理解して欲しいと強く願った。
 あのフラッシュバックの根底にあるのは、母や父への憎悪などではない、母の無償の愛そのもので、私の生への執着そのものだったのだ。
 
 そう気づいたとき、初めて涙が溢れた。
 
 私はどんなに喋ることが遅くても、自分の感じている事を話そうと決めた、甘えている時間など人生の時間においては、もはや少ないのだから。

 あれから、3年、私は相変わらず独身で、社会の片隅で歯車のような仕事をしながら生きている。

 ただ、変わったことがある、今は自分の意思で自分の好きな仕事をしている。
 自由に好きなだけ本と触れあえる、翻訳の仕事だ。
 
 星の王子様を書いた、サン・テグジュペリの言葉を借りるなら、
 【人間であるとは、手にした石を据える事で、自分が世界の構築に携わっていると感じる事である。】。
 これを、読んだとき、いつかみた、あの教会を思い出した。
 そして誓った。
 自分の手で石を積み上げるのだ、人生が形になるまで。



11、
 ある日のこと、携帯電話のアプリを探していた。
 
 単に退屈だったのもあるが、一日部屋にこもって、誰とも喋らないという状況に、寂しさを覚えたからだ。


インターネット上で、お友達を作り、チャット形式に喋れるというアプリをダウンロードしてみる。

 「こんにちは、だれかいますか?」、
特に反応がない、このアプリはダメ。
 アンインストール。
 
 次、類似品から似たようなアプリを探す。
 
 「こんにちは、だれかお話ししませんか」すぐに、3人からの返事。
 「どこに住んでいるの?」、「何歳?」、「今夜合える?」だのという内容になる。
 
 私の話術が下手なのか、下心しかない連中が集まるのかは疑問だが、とりあえず、アンインストール。
 
 こんなことを、数回繰り返す。
 
 そして、趣味でつながることができるアプリを見つけた。
 ここでなら、まともな話し相手が見つかるかも知れない。

 私の名前は羽瑠だが、一応ミミという名前を使うことにした。
 趣味は、映画鑑賞、読書、食べ歩きで登録
と。
 すぐに、何人かとのやりとりが始まる。
 高校生の女の子、同い年の男性、四十五の中年男性だ。
 私は、わくわくしていた。人の悩みや考えていることを聞くのは割と好きだからだ。

 高校生の女の子は、食べ歩きと、ヒップホップに夢中らしい。
 主には、ヒップホップの話題や、体を鍛えたり、部活だけでは飽き足らず地元の駅のロータリーでチームを組んで練習している事などを話した。
 
 だが、3日もすると、この女の子とは連絡が途絶えてしまった。

 四十五の男性とは、結構続いた。
 基本、奥さんがスナックで働いている為、奥さんが帰ってくるまでの間や、仕事の休憩の合間の暇つぶしのようだと窺い知れた。
 まぁ、それも良いだろう。
 そう思って続けていると、彼は意外と博識なのではないかと疑惑をもった。
例えば、お金の動かし方や、政治の動静ついて、とても詳しい。
 彼と話すと、自分の知識の浅さが分かってしまう恐れがある、自ら逃亡し、終わりを迎えた。
 後に、彼とメールした内容が、雑誌の社長対談特集のような記事に載っていた。
 彼が結構大きな会社を経営している社長だったのか、それとも丸暗記した情報を書いていたのかは分からない。
 ただ、大社長と会話していたのだと思う方が、密かな愉しみのようで夢がある。
 
 お次は、同い年の男性、レオンさん。
 まずお決まりの「こんにちは」の挨拶から始まる、彼は、感じが良く話しやすい雰囲気の文章を送ってくる、また、彼にとっても私はそうらしいことが伝わる。


 お互いに、年が三十に近づこうという頃合いだ、誕生日の兼ね合いで三十路がどういったものかが気にかかるという話題に入った。
 やはり、三十というのは、二十代とは違う重みがある、環境や体の変化、そして周りに評価されはじめる年齢なのだと思う。
 
 彼の方が、私より3日、誕生日が早いことが判明し、誕生日がもうあと2ヶ月後に迫っている事に気づく。
 せっかくなので、お互いの誕生日までは、やりとりを続けるのが自然の流れなのだろうと思い、近況を語り合うことにした。
 
 翌日は、仕事の話をした。
 男の人は三十にもなると、社会での責任も増え、部下もでき始めるらしい。
 
 企画書を出しプレゼンをしたり、出世を競って、夜は昇格試験を受けるための勉強をしているらしい。
そして、今日の出来事とし、て、隣の席のおばさんが、休み時間の後、胸元が乱れていたらしい、「誰と?どこで?何を?」、
そんな笑いが溢れる話をした。

 彼との話は気取らず、人間的に温かいものが通っている話題が多く、あっという間に2ヶ月が過ぎた。
 
 私たちは、誕生日の記念に、初めてお互いの過去の恋愛話をした。
 それこそ、直近から初めての相手の話まで打ち明け合った。

 顔が見えないというのは、人を開放的にして何でも話させてしまう効果があるらしい。
 気づけば、私はスピリチュアルにはまり、彼氏をどん引きさせた上、浮気をされていたことに気づいてもいなかった痛い話を披露していたのだ。
 どんなに笑われるだろう、と思っていたのに、彼の返答は至極真面目なものだった。
 〝傷ついた心は、無理に隠さなくてもいい、〟、
〝そこまで人を想えた事は、素敵な事だと思う〟と返事があり、
私の体験した催眠療法の話を熱心にきいてくれた。
 そして、彼もバイク事故により、瀕死の重傷を負った時にみた不思議な体験を語ってくれた。
 
 不思議な体験というのは、実際にあるのかも知れない、ある時期、私たちに必要な出来事として人生にプログラミングされているのかも知れない。
 どう捉え、生かしていくのかは、自分次第なのだろう。

 今まで誰にも喋れなかった事が、そして想いが、昇華されていくことを感じ、涙が流れた。
  
 そして、打ち明け話は、彼の話題となり、今でも忘れられない女性がいると言う。
 あぁ、まただとは思ったものの、私は今や
彼とは強い友情で結ばれているような気がしていた。


〝今でも、その彼女をとても愛している〝
 そう文章には、綴られていた。
 なかなか言えることではないと感心しながらも、チクリと胸が痛んだのは内緒にした。
 
 それからは、話したくなったら、電話をかける間柄となっていた、彼との話題は屈託なく楽しいものが多かった。

 気付けば、もう3年が経とうとしている、その間に彼に会ったことは一度もない。

 3年という時間が過去の傷を癒やし、自分を成熟させる期間になった。
 そして、さらに彼とのやりとりを始めた3年間が明るく自然体な自分を取り戻したのかも知れない。
  春夏秋冬があるように、私の中にも喜怒哀楽の感情がゆっくりと芽生えたようだ。
 
 彼には強烈な焦燥感も、独特なこの人を知っている気がするという感覚もない、背伸びをする必要もない。
 あるのはただ自然と笑顔が溢れる感覚。
 
 家族の心配をすること、力になる事、当たり前でいて、なかなか出来ない基本を彼はやってのける、大切な人を失うという辛い体験や時期までが被さり、多くの悩みを共有してきた。
 3年の間に随分といろんな感情を分かち合い成長してきたのだと思う。
 明日は、そんな彼と、デートをする、三十三になったけれど、不思議と焦りのようなものはない、ただ彼を受け止めようと思う、ありのままで。
 
 「愛とはなんぞや」、「わからん」
 いつか真剣に話した。
 
 今、私は思う、一緒にいて存在を認めあっていくこと、これが、愛の形になっていくのではないのかと。
 そう思うことで、心はあの頃より、ずっと自由で楽になった。
 
 いつかみた教会のように、そして、サン・テグジュペリの言葉のように、私は、手で積み上げたものを、形にできているだろうか。
 これからの人生で証明していくことを楽しみにしている。

スピ女からの脱却

読んで頂いて、ありがとうございます。
これからも文体の練習と、感性を磨いてさらに書いてゆきたいと思っています。

ありがとうございました。

スピ女からの脱却

水野羽瑠は、あるトラウマから自分に自信が持てずにいる。 それは、特に恋愛に顕著に表れ、誰かに肯定して貰わなければ前に進めない。 ある理由から、このトラウマを克服しようと前世療法に通うことにする。 これが羽瑠の人生に大きな波紋を呼び起こしていく。 ゆらゆらと不安定な羽瑠が、スピリチュアルから脱却し、等身大に生きていける までの心の動きを書いています。

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