君の声は僕の声 第六章 19 ─天帝─
天帝
神殿の真下へ続く通路への縦穴は、人ひとりがやっと通れるほど狭い穴だ。そんな場所に女の子を連れて行くわけにはいかないと考えた呼鷹は、聡にマリアとここへ残るように頼んだ。が、マリアはそれを遮った。
「私なら大丈夫よ。せっかく来たんだもの。私もその少年の帝に会ってみたいわ」
微笑みながらも毅然と呼鷹を見据えたマリアに、呼鷹は固まってしまった。その顔は、赤い。
「おい、おっさん。いい歳してなに赤くなってんだよ。大丈夫か? あんたの前にいるのは、マリアであって杜雪じゃねぇぞ」
櫂が呼鷹を肘でつついた。
呼鷹がはっとなる。絡みつく、少年たちの微妙な視線。
「い、いや、ま、参ったな。そんな女の子らしくされると、まるで杜雪がそこにいるようだよ」
呼鷹は頭を掻きながら「はっはっはっは」と大袈裟に笑う。そして、そそくさとその場を離れた。
マリアは言った通り、ロープにしがみつきながら縦穴を苦にせず降りていった。体が細いぶん、呼鷹よりも楽に降りていくように思えた。暗い通路の中も臆せずに歩いている。だが、棺のある部屋の前までくると足を止めた。
少年たちのミイラを確認したマリアが顔を青くして思わず口に手を当てる。
「大丈夫?」
マリアの肩に触れようとして差し出した手を聡は止めた。杏樹の顔つきが変わった。
呼鷹と少年たちも、杏樹の変化を感じとって様子をうかがう。
『玲』が黙って棺に歩み寄る。
玲が少年の姿をした帝のミイラを見つめるのを、少年たちはじっと見守った。目の前で起こった杏樹の変化に少年たちは動揺していた。それもあの取っ付きにくい高慢な『玲』という少年らしい。そしてまた、あのつぶやきが始まった。うつむき加減に瞳を左右に動かし、唇が微かに動いている。人格が分裂しているからだと言われても、やはり奇妙な行動に映ってしまう。
つぶやきが終わると、いつもの調子で口を開いた。
「陽大から昨日の話を聞いた……。【賢者の石】は本当に存在するらしいね」
『玲』の言葉に少年たちは混乱した。『陽大』から聞いたとは? つぶやいて見えたのは『陽大』と会話していたということなのだろうか。少年たちの表情がくもるのを気にすることなく、玲は棺に手を入れた。玲の眉間が神経質に寄せられる。
「──それから、これ」
玲はそう言って棺の底に敷かれた、動物の毛で編まれたような織物に手を当てた。少年たちの視線が玲の手に注がれる。
「あ……」
誰かが声を漏らした。
食い入るように玲の手を見つめる。
うなずきながら玲が織物を軽くめくると、そこに現れたのは、棺の木の底ではなく黒っぽい板のようなもの。
「石板だ!」
呼鷹が声上げた。
呼鷹は持っていた懐中電灯を隣にいた透馬に渡し、すぐさま棺の前にしゃがみ込み、そっと帝のミイラを棺から抱き起すと、瑛仁の差し出した腕に委ねた。
布は石板に張り付いており、みんなで布を丁寧に剥がしていく。
現れた石板には、あの古代文字がびっしりと隙間なく彫られていた。
※ ※ ※ ※ ※
「はい」
テントから少し離れた神殿の正面。転がった石に腰かけていた秀蓮の目の前に、湯気の立ったカップが差し出された。
ぼんやりとしていた秀蓮の顔がほころぶ。
「ありがとう」
秀蓮がカップを受け取ると、「君が入れたお茶ほどには美味しくないけどね」と言って、聡は秀蓮の隣に腰掛けた。ふたりは揃ってお茶をすする。
「うん、美味しい。──聡は何でも飲み込みが早いな。コツを掴むのが上手いよ」
笑顔を向ける秀蓮に、聡はちょっとだけ肩をすくめた。
「そんなこと言っても、お茶以外は何も出ないよ」
ふたりは顔を見合わせて笑うと、秀蓮は神殿の頂上を見上げた。つられて聡も見上げる。
「北極星だ」
秀蓮が神殿の頂上の辺りを指さした。星がひときわ輝いている。
「北極星?」
「ああ」
秀蓮はカップを手にしたまま立ち上がった。そして、神殿の真正面へと歩いて行く。聡も後を追った。
「この神殿は正確に真南を向いて建てられているね」
秀蓮がコンパスを取り出した。針はぴったりと階段の中央を指していた。その針を真っ直ぐに辿ると、頂上には北極星が輝いている。
「この神殿は星の観測所としての役割も持っていたんだろうね。書物の中にもカレンダーのようなものが描かれていたし……。きっと、星を読みながら作物を育てていたんだろうな」
秀蓮が広場の先の森を見渡して言った。
「そんな高度な文明を持っていたの?」
聡の質問に秀蓮はうなずいた。聡はもう一度神殿を仰ぎ見た。
あの少年の姿をした帝を中心にして、この神殿を築いたのだろうか。
いつから帝位についていたのか、ここへ来る前からなのか、それともこの都が造られてからなのか。
なぜ少年の姿をした者が帝位についていたのだろう。小人は国を滅ぼすと言われていたのではないのか。そしてなぜ陵墓はなく、ここに眠っているのだろう。
あの地下通路に転がっていたおびただしい人骨。彼らから逃れるために、少年たちがここへ隠したのだろうか。
──なぜ
それは、KMCが秀蓮を探していることと同じ理由なのだろうか……。
「聡」
ぼんやりしていた聡は、不意に名前を呼ばれ、はっとして秀蓮へと顔を向けた。
「何?」
「さっき陽大が言っていたんだ。──この神殿を真っ直ぐに南へ向かうと、都の中心。城へと繋がるそうだよ」
カップを持つ手が緩みそうになり、慌ててカップをしっかりと握った。秀蓮の言った話は、ふたつのことで聡を驚かせた。
ひとつは、神殿から真っ直ぐに城が建てられたということ。もうひとつは陽大にそれが解るということだ。
「陽大が?」
聡が目を丸くしたままつぶやいた。
秀蓮はうなずきながら続けた。
「不動の星である北極星は宇宙を司る天帝なんだ。天帝の意に従って国を治めるのが帝だ。この神殿を北にして今の都があるということは、この神殿を……もしくは、ここに眠る帝を守り神として、今の都が造られたのかもしれない」
聡は神殿の頂上を見上げ、その真上に輝く北極星を見つめた。
「不動の星……天帝……」
聡はあの少年の姿の帝が、北極星を頭上にして、神殿の頂上に立つ姿を思い浮かべた。
長いまつ毛の切れ長の目。鼻筋の通った気品ある顔。そして月の夜に見た凛とした立ち姿。それから広場へと瞳を巡らせた。
少年の帝を見たあの夜と同じ清麗な空気を感じる。
聡は首に掛けた皮ひもを引っ張り、赤い石を手に取った。手のひらを広げる。
月明かりに石が静かに輝いた。
秀蓮がその姿を見つめている。
聡は秀蓮から赤い石をもらった時のことを思い出していた。あの頃と変わらない姿の秀蓮。彼は帝の姿を見て何を想っているのだろう。聡は何も訊ねることが出来ずにいた。聞いたところで意味がないようにも思えた。
秀蓮は物や物事に執着することがない。父親の大切な形見であるこの石も、迷うことなく自分にくれた。石が大切な物に変わりはないが、石に託した父親の想いはすでに自分の中にあるのだろう。石は想いを解りやすく形にした物にすぎない。
秀蓮は大人になる、ということにも執着していないように思える。
見た目には少年でも、やはりどこか自分とは違う。そしてあの少年王も……。
秀蓮は何か違うものを追っている気がする。いつも遠くを見ているような秀蓮。自分が見ているずっと先。未来とも違う。何を見ているのだろう。
秀蓮を見つめた聡の目と秀蓮の目が合った。秀蓮が笑う。その目は確かに自分を見ている。見ているけれど……。
秀蓮は月の光を受けた琥珀色の瞳を北極星へと向けた。
そうか、秀蓮は北極星を見ているのかもしれない。
何となく聡は思った。
今ここに存在するのは、遠い過去の人々が暮らし、今では忘れ去られ、ひっそりと森に抱かれて眠る広場と神殿。そして遮るもののない宇宙
そして僕たち──
北の空を見上げるふたりの頭上にひとすじの星が流れた。
第二部 完
君の声は僕の声 第六章 19 ─天帝─