紐で結わえていた
「なにしてんの」
目蓋を開けると、きれいな薄い水色の空をバックにミコが僕を覗きこんでいた。
ビニール袋片手に、紺色のカーディガン、茶色の髪を透かした太陽の光が少しまぶしかった。
「天気が良くて、横になってたら寝てた」
「ふ~ん、チャーハン作るね。20分くらいしたら戻ってきて」
「わかった」
集合団地の中にポツンとある小さな公園のベンチから起き上がり、胡座をかいて、頬杖をつく。
ぼけ~っと遠くに見える、道路を走る車を眺めてた。
20分経って家に戻る。ドアの鍵はかかってなくて、開けると、奥から油と醤油の焦げた匂いがした。
カン、カン、とフライパンを叩く音が響いて、その時、お腹が空いてることに気づいた。
「おかえり」
「ただいま」
ミコがテーブルにチャーハンを2皿置いて、その後に僕はテーブルの椅子に座った。
チャーハンから湯気がのぼっている、ミコは僕のグラスに水を入れてくれた。
水ぐらい自分で入れるのに、それでもその優しさに甘えてしまう。
「いただきます」
ミコのチャーハンはおいしくて、がつがつと口いっぱいにほうりこんだ。
ミコはお昼のバラエティー番組を見ながら笑ってる。
その横顔を見て、僕はまだミコを好きなんだろう、となんとなくそう思った。
食べ終わるとミコは食器をさげてくれて、静かにその食器を洗っている。
「この後散歩でも行こうか」
「この後わたしバイトだよ」
「そっか」
キュッ、と水道の蛇口を閉める音がして、ミコは台所の電気を消した。
テレビからバラエティー番組の音がする。ミコはそれから少し、その続きを見ていた。
「いってきます」
玄関でバイトに行くミコを見送って、リビングに戻る。閉めきったカーテンから夕日のオレンジが今にも漏れだしそうだ。
ソファーに寝ころがって、天井を見た。
静かで、あまりにも静かで、そろそろ働かなきゃな、って、そう思った。
20時半頃にミコは帰ってきた。
別に疲れてる様子も見せずに、何気ない表情で。
「野菜炒めつくるね」
そう言うと台所で、すんなりと、料理を始めた。
ミコが包丁で野菜を切り、まな板を叩く音がする。
右斜め後ろでそれを見ながら僕は言った。
「そろそろ働こうかな」
「えー、どうしたの?100万まで働かないんじゃなかったの?」
「えーっと、、まあそうなんだけど、、」
「まあー、、好きにしたらいいよ」
励ますようなトーンでミコは僕にそう言った。
ジューッッ、とフライパンで野菜を炒める音がして、ミコの後ろに結んだ髪が小刻みにゆれた。
パチンコはやめたし、お酒ももう自分のお金ではしばらく飲んではいない。家で飲むのももうやめたし、それらを4年ぐらい継続している。それに関してだけは自負がある。ミコもそこだけは認めてくれていると思う。だけど、仕事だけは続かない。仕事って言ってもバイトだけど、、。
コンビニ、パチンコ屋、たこ焼き屋、カラオケ店、派遣、バー、他にもいろんなところで働いたけどどれも1ヶ月しか続かない。
主に人間関係が原因で辞めている。
ミコは薬剤師で、それなりに稼いでいる。家賃補助もでているのでこの家の家賃はかかっていない。それなのにミコはたまに知り合いの居酒屋でバイトしている。
働くのが好きなのかもしれない、、。
僕はたまに服を買ったり、ミコと飲みに行った時のワリカンの分とか携帯代とかそういうちょっとしたお金をミコに借りている。それが少しずつ積もって、今98万円借りている。
「借金が100になったら働く。借金を返すために働く。何があっても辞めない。」
「わかった」
そう、ミコに約束している。
野菜炒めを食べて、一緒にお風呂に入って、同じベッドで寝る。
僕が左で、ミコは右。
腕枕ではないけれど、僕の右胸を枕にして、軽くぎゅっと、右腕でミコを包むと、ミコは眠る。
不思議なくらい、すぅーっと。
そして僕は考えるんだ。
ミコを愛しているのか、このままでいいのか、将来のことどころか、現在を。
暗闇の中で、眠りにつくまで。
昼頃に目が覚めて、ミコのシャンプーの香りが少しして、洗面所でうがいして、目と目のまわりだけを洗う感じで顔を洗った。
スウェットのままコンビニに行って、煮たまごが入ったおにぎりを1つ買い、無料の求人情報紙を手に取った。
ミコが仕事の日は昼御飯はおにぎり1つだ。それでも僕は全然平気だ。
公園のベンチに座って、おにぎりを食べた後求人情報紙を見た。
家の近くにある喫茶店が募集をしていた。その喫茶店に電話して、後日面接をすることになった。
家に帰って、ストックしていた履歴書に顔写真を張ってテーブルに置いた。
手元に8千円くらいあったのでネカフェに行った。
読んだことあるマンガを読みなおして、3時間ぐらい。SFの有名なマンガ。
「ただいま」
「おかえり」
18時頃にミコは帰ってきた。
「明日、面接」
「え、そうなの?どこ?」
「あそこの喫茶店」
「そうなんだ。がんばって」
「がんばる」
「ご飯の前に先にシャワー浴びていい?」
「うん」
ミコはシャワーを浴びて、頭にタオルを巻いたまま、台所で鍋の準備をしている。
どこか機嫌が良さそうで、僕はソファーに座ってそれを見てた。
「ビール買ってきてよ」
ミコにそう言われ、千円渡された。
コンビニでビールを1本とノンアルビールを1本買った。
家に戻ると、テーブルの上で鍋がぐつぐつと煮えていた。
「いただきます」
「いただきます」
ミコはおいしそうにビールを飲んだ。
お笑い番組を見ながら笑ってる。
鍋を食べ終わって、僕が食器を片付けようとしたら、ミコは言った。
「あのね、別れよう」
テレビから笑い声がする。
箸がころがってテーブルから落ちた。
いずれ言われたであろう言葉が、いずれ言ったかもしれない言葉が、愛くるしい顔に付いている唇からこぼれた。
僕はそれを飲みこんで、視界の端でミコの目を見て、言った。
「わかった」
次の日、結局、あの喫茶店の面接は受けなかった。僕は実家に帰ることになったから。
「じゃあね、元気でね」
「ミコも元気で」
「はい、これ」
玄関で、ミコは僕に2万円を渡した。
「あげるんじゃないよ、貸すんだよ?」
ミコは僕にそう言った。
少し嬉しそうな、そんな表情で。
紐で結わえていた