君の声は僕の声  第六章 18 ─如是─

加賀谷樹里

君の声は僕の声  第六章 18 ─如是─

如是

 夕食になっても杏樹はテントから出てこない。食事をしながら瑛仁が杏樹の症状について語った。
 話を聞きながら櫂は片手で頭を抱えた。麻柊と流芳は顔を見合わせた。

「そんな小説や映画の中のような出来事が現実にあるのか? ──だけど……」

 透馬がそこまで言って口をつぐんだ。だけど……。そのあとに透馬が何を言いたかったのか、少年たちはわかっていた。みんな思っていたことだ。
 それが事実なら、杏樹の奇妙な行動のつじつまが合う。杏樹が気分屋なのではなく、約束を破るわけではないことも。杏樹はただ、記憶を失っていただけなのだ。

 ──だが

考え込んでいる少年たちに瑛仁が言った。

「頭で理解しようとしないことだ」

 少年たちが眉根を寄せた顔をそのまま瑛仁へ向けた。

「難しく考えずに、杏樹の中の『彼ら』とそのまま向き合えばいい。玲には玲と。陽大には陽大として。そうすれば自然と彼らを受け入れることができるはずだ。──聡のようにね」

 いきなり瑛仁に振られて、聡はとっさに応えられなかった。自分は杏樹を受け入れているという自覚はない。ころころ変わる人格に戸惑うことも多い。突然人格が入れ替わり、話が食い違ったり、まるで知らないふりをされているようで頭にくることもある。
 顔を上げたまま何も言えずにいる聡に向かって秀蓮が微笑んだ。聡は言葉にできないかわりに、頭を縦に振った。
 少年たちが、完全には納得できないものの、瑛仁の言っているこを何となく理解し、和やかな空気が戻りつつある中、ひとり難しい顔で炎を睨みつけていたのは呼鷹だった。

「ちょっと、神殿に行ってくる」

 そう言って呼鷹は食事もそこそこに立ち上がり、食器を桶の水で軽くすすぐと、そのまま神殿の方へと歩いて行ってしまった。
 今夜は厚い雲が月を隠してしまっている。

 聡は闇の中に消えていく呼鷹の背中を見つめていた。


「眠れないのかい?」

 少年たちが寝静まる中、ひとり火にあたっていた聡に声をかけてきたのは瑛仁だった。水を汲んだ鍋を火にかけると、聡の斜め横に腰かけた。

「呼鷹が、まだ帰ってこないんだ」
「彼なら心配ないよ」
「うん。もちろん、そうだけど……ねえ、瑛仁」
「ん?」

 優し気な顔を向けた瑛仁に、聡はその後の言葉を続けるか迷った。

「あの……」

 口をつぐんでうつむいている聡に瑛仁が訊ねる。

「杏樹のこと、か」

 うつむいたまま聡はゆっくりと話し始めた。

「瑛仁は、杏樹があんな症状になったのは、小さなころに受けた心の傷が原因だと言ったよね」

 聡が顔を上げて瑛仁に目を向けると、瑛仁は「そうだと思うよ」と落ち着いた声で返事をした。

「呼鷹が……。呼鷹が」

 瑛仁が小さく首を傾ける。聡はためらっている。瑛仁は立ち上がるとカップを二つ持ってきて、火の上で沸騰しているお湯でお茶を入れ、聡に手渡した。

「ありがとう」

 瑛仁は微笑すると腰をおろし、お茶をすすった。
 聡もひとくち口にすると、両手で抱えたカップの中をぼんやりと見つめながら言葉を続けた。

「杏樹の両親は優しい人達だったって……」

 瑛仁が眉を寄せ「何だって?」と聡に顔を向けた。呼鷹が杏樹の両親について話した時には瑛仁はその場にいなかった。だから呼鷹が杏樹の両親と同じ村の出身だとは知らない。

 聡は呼鷹から聞いた杏樹の両親の話を簡単に話した。

「そうか……」

 今度はその顔を火に向け、瑛仁が黙ってしまった。


 聡がテントへ戻ると杏樹は何事もなかったような顔で寝ていた。聡は杏樹を起こさないよう、そっと寝袋にもぐり込んだ。次の朝、目を覚ましたのはマリアだった。

 聡と秀蓮が「おはよう」と声をかけると、マリアは困惑した顔でうつむいた。

「玲は呼びかけても返事もしないの。──陽大は玲の勝手な行動に腹を立てているし……」

 マリアはうつむいたまま顔を上げることができない。

「とにかく食事をしよう。夕べも食べていないんだ。お腹、空いただろう?」

 秀蓮がマリアに笑いかけると、マリアはさらに困った顔をした。

「私、みんなと顔を合わせたことがないの。寮では泉へ行くときか、部屋の中でしか……」
「僕がみんなに話してくるよ」

 マリアの気持ちを察して、聡がテントから出ていった。

「夕べ瑛仁がみんなには話をしてくれた。みんなに理解しろというのは、今はまだ無理かもしれないけど、みんな君を信じてる。ゆっくりやっていこう。大丈夫。聡と、僕もついてるから」

 そう言って秀蓮がマリアに手を差しのべた。手を取れずにいるマリアのお腹が音を立てた。マリアの顔が赤く染まり、恥ずかしそうにお腹に手を当てる。

「さあ」

 秀蓮はにっこり笑ってマリアの手を取った。



 少年たちが口を開けたまま聡を見つめていた。
 聡の話によると、テントから出てくるのは女の子だという。それも穏やかで優しい少女だと。
 宮廷で主治医を務めるほどの瑛仁の言葉が嘘だとは思っていない。聡が嘘を言っているとも思っていない。頭はキレそうだが偉そうな態度の『玲』という少年と、やたら陽気で話し好きの『陽大』という少年、それから昨日足を怪我したくらいで泣いていた『心』という子供が『別の人格』だというのは何となくわかる。

 わかる、が……。

 もともと華奢で中性的な顔立ちの杏樹ではあるが、ずっと男として接してきた奴が女の子になるとは……。
 秀蓮がテントから顔を出した。少年たちの顔が固くなる。
 秀蓮に手を引かれて歩いてくる杏樹に、少年たちは意識しすぎないように、と思っても、自然と目がいってしまう。秀蓮の後ろに隠れるようにしてうつむきながら歩いてくる杏樹は、あの高慢な杏樹でも、おしゃべりな杏樹でもなかった。その歩き方や仕草は女の子にしか見えない。杏樹と顔を合わせることに戸惑いを感じていた呼鷹は、ぎこちなく杏樹に顔を向け、あまりの驚きに手に持っていたパンを火の中へ落としてしまった。聡と秀蓮の間に座った杏樹を呼鷹は懐かしそうに見つめた。思い出の中の杜雪と、あまりにも似ていたからだ。

 秀蓮に手を引かれたまま遠慮がちにうつむいている『少女』に向かって、誰も「女の子のふりなんてするな」とも「嘘つくな」とも言えなかった。そこに座っているのは、杏樹の顔はしていても『少女』でしかなかった。

 みんなの視線を感じて顔を上げることができないでいたマリアの前に流芳が立った。

「僕の名前は流芳だよ。えっと、マリア?」

 ゆっくりと顔を上げたマリアに流芳は微笑んだ。

「君の隣の部屋なんだ。よろしく」

 流芳の差し出した手に、マリアは恐る恐る手を伸ばした。流芳はにっこり笑ってマリアの手を握りしめた。マリアの表情が柔らかくなる。
 聡の隣でふたりのやり取りを聞いていた麻柊は意を決したように勢いよく立ち上がった。そして流芳の後ろで二回咳払いをする。流芳が慌てて避けた。

「俺は麻柊。こいつと同じ部屋だから、俺も君の隣の部屋だ。──よろしく」

 麻柊も顔が引きつってはいるが、笑顔を作って手を差し出した。ふたりが握りしめた手を見つめて流芳が笑った。
 櫂と透馬も自己紹介すると、瑛仁と呼鷹も挨拶をした。
 安心したマリアはみんなに向かって「よろしく」と微笑んだ。マリアの見せた天使の笑みに、少年たちはそろって顔を赤らめた。
 少年たちはまだ納得できずにいたが、はにかむように笑っている杏樹が、おしゃべりな杏樹でも、すました杏樹でもないことは理解できた。何より目の前で笑っているのは少年ではない。どう見ても女の子だった。杏樹は嘘つきで物まねが上手いが、物まねではない、それは、とても自然だった。

 少年たちは、杏樹の症状を理解できなくても、目の前の杏樹を女の子として受け入れていた。

君の声は僕の声  第六章 18 ─如是─

君の声は僕の声  第六章 18 ─如是─

難しく考えずに、杏樹の中の『彼ら』とそのまま向き合えばいい。玲には玲と。陽大には陽大として。そうすれば自然と彼らを受け入れることができるはずだ。──聡のようにね

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