君の声は僕の声 第六章 17 ─告白─
告白
「なあ杏樹。おまえ、黄雲て村、知ってるか?」
櫂は煙が消えるのを待っていたように間を置いてからそう言うと、視線を煙草の煙から勢いの増した焚火へ移し、それから杏樹へと向けた。
唐突な話に陽大は慌てて首を横に振った。櫂は何を話そうとしているのだろうか──
櫂はまた煙草を口に持っていった。少年たちは黙って、櫂の次の言葉を待った。
櫂は煙草を吐き切ると、鼻であしらうように少し笑ってみせ、誰にともなく話し始めた。
「俺の生まれ育った村さ。──知らねぇよな、そんな村。都から遠く離れた東北、載秦国の内陸の村で、冬は大地が凍りつき、夏は日照りで作物もろくに育たないちっぽけな村さ」
煙草の煙をぼんやりと目で追う少年たちの口元が固く結ばれていく。
櫂は陽大を見上げると、自分の隣に視線を落とした。
陽大は黙って櫂の隣に座った。聡たちも、ふたりから少しだけ距離を置いて腰をおろした。
「俺が生まれた頃は、西恒川の支流が流れていて、森に囲まれた豊かな暮らしをしていたらしいんだが……。川の流れが変わっちまって。──村人はどんどん減っていった。だけど親父は、いつか川が戻ると信じて、村を離れなかった。そんな痩せこけた土地でも親父は家族が食っていけるだけの作物を育てて、何とか暮らしてきたんだ。──だけど……その年は異常だった。春が来ても大地は凍りついたまま、夏でも震えるような寒さだった。村では餓死者もでた。俺は十五だった。俺は体がでかかったから、その頃まで気づかなかったんだ。成長が止まっていたのを。だけど、ふたつ年下の弟に背を越されて……。村の誰かが言ったんだ。俺を悪魔だと。村の奴らは、その年に起こった出来事をすべて俺たち家族のせいにした。そして俺の親父に言ったんだ。村から出て行けと──」
少年たちは、櫂から目をそらし、吸い寄せられるように炎に視線を移していた。少年たちの心を静めるかのように、勢いのあった炎が安定して燃え始めた。
「そんな時さ、あいつらがやってきたのは。お袋は体をこわして寝込んでいた。親父があいつらと話しをした。親父は考え込んでいた。親父の性格からして、子どもを売るようなことはできないと考えたんだろう。だが、このまま俺を家に置いておけば、村八分になりかねない。そんなことになれば、ちっぽけな村で生きていくことはできない。家族全員を犠牲にしてしまう。親父は悩んでいた。だから俺は親父に内緒であいつらに言ったんだ。支払われる金を前払にしてくれと。それを全部、親父に渡してくれと──それなら行くってな。俺は家族が寝静まったその夜に、そっと家を出た──」
櫂は空へ煙を吐き出すように煙草を持つ指にあごを載せ、煙が上っていくのを見つめた。
「櫂……」
透馬が思わず口にした。
「それで、秀蓮に誘われても寮を出て行かなかったの?」
流芳の質問に櫂は小さく笑っただけだった。
「誰にも話したことはない。杏樹、今、初めておまえに話した」
櫂に真っ直ぐに見つめられて陽大は顔をそらした。陽大は視線を泳がせながら唇を軽く噛みしめた。
秀蓮や透馬にすら話したことのない過去を櫂は話してくれた。櫂の性格からして、おそらくこれからも誰にも話そうとはしなかっただろう。それを話してくれた。みんなの聞いている前で……。
その意味が陽大には十分にわかった。
だが──
陽大が黙っていると、
「俺はさ、梁江って海辺の町の生まれなんだ」
麻柊が頭の後ろで指を組み、空を見上げるようにして明るい声で突然言った。
「おまえ、海見たことある?」
麻柊がちらりと陽大を見る。陽大は首を横に振った。
「ふうん、ないのか。それは残念だな。海はすげぇぞ」
麻柊は目を輝かせた。それからちょっと笑って「でもおっかねぇ」そう言って組んでいた指を顔の前で組み、その上にあごを乗せて麻柊が話し始めた。
「俺の親父は漁師でさ。俺が小さい頃は漁にもよく連れてってくれた。暗いうちに海に出て──。まだ布団にくるまっていたいところを無理矢理起こされてさ、でも、海に出ると眠気も寒気も吹っ飛んだ。海は気持ち良かった。風と潮の流れを読んで、海と格闘する親父はかっこよかった。だけど……」
麻柊は言葉を詰まらせた。陽大と琉芳が心配そうに見つめる。麻柊は何度か口を開こうとするものの、唇を固く閉じて黙って炎を見つめていた。誰も何も言わない。黙って麻柊の言葉を待った。薪はパチパチと優しい音を立てて燃えている。
麻柊は小さく笑うと再び話始めた。
「俺の親父は櫂の親父とは違う。いつも飲んだくれて、ろくに仕事もしなくて、うちはいつも夫婦喧嘩が絶えなくてさ」
麻柊が肩をすぼめて笑った。
「俺はいつも親父に殴られてた。『おまえのせいだ』って。──ま、確かに俺のせいで親父は漁師仲間からつまはじきにされて、ろくに仕事が出来なくなっていたんだ。初めは親父から庇ってくれたお袋も、そのうちため息ばかりつくようになって、姉貴はそんな家に帰らなくなった。だから、俺はせいせいしたよ。あいつらが迎えに来てさ。親父は喜んで俺をKMCに引き渡したよ。俺も喜んで家を出たさ」
麻柊が陽大に向かって笑いかける。その笑顔は明るいが、無理して吹っ切っているようにも見えた。
陽大は考え込んだ。自分がどうしてここへやってきたのか──。それだけなら話すことはできる。だが、櫂たちが聞きたいのはそれだけではない。みんな薄々気づいていることは、陽大にもわかっていた。
「なあ杏樹。おまえが人に言えない秘密を抱えていることは、みんな気付いてる。──無理に聞き出そうとは思わないよ。だけどさ……」
そこまで言って櫂はいったん口をつぐんだ。
「俺たちが信用できないか?」
櫂に真っ直ぐに見つめられて陽大は顔をそらした。
言えない。
言えるわけがない。
櫂は信頼できる奴だ。でも、信頼できる人間が信じてくれるとは限らない。自分だけが違うんだ。親ですら理解しないことを誰が理解してくれる。
「杏樹」聡が陽大に声をかけた。「みんな、わかってくれるよ」
聡が言うと、陽大はぱっと顔を上げて聡を睨んだ。
「おまえだってすぐには信じなかったじゃないか!」
陽大はそう言って立ち上がると、森へ向かって走り出した。
「陽大。陽大!」
少年たちは驚いて聡を見上げた。
聡は陽大の名前を大声で叫んで後を追った。残った少年たちは、杏樹を『陽大』と呼ぶ聡の小さくなる背中を狐につままれたような顔で見つめていた。
「陽大、待てよ!」
聡がいくら呼んでも陽大は振り向きもせずに森の中に入っていった。
「ひとりで森に入るのは危険だ!」
聡が叫んでも陽大は森の奥へと行ってしまう。
方向感覚がすば抜けている陽大なら心配することもないだろうか……。
そう思った聡は、踵を返そうとして思いとどまった。
もしも、子供たちが森で迷ったら……。
聡はため息をつくと、森へと入っていった。
朝食が出来上がるころ、聡が杏樹を背負って帰ってきた。杏樹の膝からは血が流れていた。
聡が杏樹を火のそばに座らせると、流芳が水を湿らせた布を聡に差し出した。聡が「ありがとう」と受け取ると流芳は照れくさそうに小さく笑った。聡はしゃがみ込んで杏樹の足を拭いた。杏樹はしゃくりあげて泣いている。その様子を少年たちは唖然と見ていた。それはどう見ても小さな子どもでしかなかった。
「おい杏樹」
麻柊が杏樹の前に立った。
「うそ泣きなんかしてんじゃねえよ。おまえがそんなことくらいで泣くような奴かよ」
杏樹の肩が震え、涙の浮かんだ目で麻柊を見上げた。
麻柊の顔がこわばる。その目はどこかで見た
──よかったね。
そう、麻柊が指を切ったときに見せたあの目だった。
聡が立ち上がろうとすると「おまえ……誰だよ」と、麻柊がつぶやいた。「おまえ、本当に杏樹なのかよ」
麻柊のうしろで櫂たちも疑いを含んだ目で杏樹を見ている。
──すると、杏樹がすっくと立ち上がった。
頬を濡らした涙に気付いて手を当てると、指についた涙を見つめた。そして、何もなかったかのようにその涙をぬぐうと、杏樹は涼しい目で少年たちひとりひとりを見つめた。
「僕は杏樹じゃない。僕の名前は『玲』」
いきなり名乗った玲を、聡は驚いて見上げた。玲は自分たちのことを語ろうとしているのだろうか。「みんなわかってくれる」と口にはしたが、陽大の言う通り、自分だってすぐには信じられなかったのだ。この場で信じてもらうのは難しい。
これ以上隠し通すことも無理だが、時間も必要だと思った。
玲はまるで他人事のように淡々と話し続けた。
「今泣いていたのは『心』──心は小さな子どもだ。──そして、森の中に逃げて行ったのは『陽大』だ。僕も彼らも、杏樹ではない。僕は杏樹でもないし、陽大でもない」
玲は少年たちを冷ややかな目で見つめている。
少年たちは何も口にできず、玲の言葉を理解しようとしていた。だが、どういう意味なのかわからない。少年たちの眉間に少しずつ皺が寄せられていった。
それを見て玲は口もとをゆがませた。
「見ろ。誰も信じやしないじゃないか」
玲が聡に向かって言葉を投げた。何か言おうとしていた聡から顔をそらし「食事はいらない」と静かに言って、玲はテントに入っていった。
誰も何も言わずに杏樹の後ろ姿を目で追った。杏樹がテントへ姿を消してもそのまま突っ立っていた。杏樹の残像を掴もうとするかのように……。
気配を感じて振り返った聡の前に、心配そうに佇む、秀蓮と瑛仁と呼鷹が立っていた。
君の声は僕の声 第六章 17 ─告白─