まねごと

mute



掃除を済ませた宝箱に蓋をする前に、私が遊んだ緑色のスーパーボールは随分と高くまで跳ね上がり、屋根を超え、空を超え、戻って来ようとしたところで通りかかった民間の飛行機の頭に当たって跳ね上がり、見えなくなったと思ったら、どうやら月にまで到達したようで、月面調査中の研究員兼作業員の方からの連絡が一週間後に届いた。達筆な字で、几帳面に連絡が遅れるであろう理由から始まり(ビーバ型ロボットがイタズラに齧った送電線の復旧には、まだまだ時間がかかるもよう)、スーパーボールの所有者が私と判断するに至った過程も手紙に記載されていた。すなわち、重力圏を超えたスーパーボールが月面に新たなクレーターを作り、その中心部で砂地に埋まっていたのを発見した。スーパーボールにはきちんと私の氏名が書かれていた。四文字から成る私の苗字は珍しく、これが手掛かりとなった。地球に在住する期間を十年単位で減らしていき、遠投げの記録保持者の条件をかけることで、データベース上の私を特定するに至った。スーパーボールはきちんと預かっている、だからご安心をとこちらの心情に配慮した言葉も最後に記されていた。スーパーボールを見失ってどうしよう、と困っていた私にはとてもありがたいことだった。感謝の気持ちをもって差出人を見ると、今度はあっと驚く私になった。カタカナで書かれたフルネーム。中丸で分割された名前に付けた「くん」付け。
月面に落ちていたスーパーボールを拾った月面勤務の研究員兼作業員であるヒロくんは、私の幼少期の友人で、私を好きだった男の子であり、私の無邪気な強肩を知る唯一の地球人だ。小学校の後半、上級生の三年間、ずっと一緒に登校し、一緒に学び、一緒に下校して、日が暮れるまで一緒に遊び続けた。おっちょこちょいで、短髪で、足が早かったヒロくんは、月に行きたいといつも言っていた。そんなにいい所かなー、と私が言うと、まん丸い目をもっと大きく開き、両手両足の身振り手振りを交えて、憧れのお月様の良いところを教えてくれた。既に知っていたことから、全く知らなかったことまで、月に関する知識はヒロくんの思い出とセットになった。お陰さまで、昼も夜も月を見る目が少しずつ変わっていった。月の表面を眺める度、ウサギの耳がぴょこんと見えることに眉を顰めてばかりだった私が、三日月の端が揺れる夜に、笑顔でキャロットジュースを一杯作って飲めるようになったのだ。ママに褒められて嬉しさ倍増な気持ちを味わえた。前歯をカチッと鳴らした。日記にして何度も読み返した、私を支える大切な記録だ。いちがつなのかのはれ、ひろくんのおかげ、つきはきれい。
丸くなくても綺麗。
思い出いっぱいの衛星から届いた連絡に対して、心身ともに大人になった私がするべき対応はヒロくんが拾った私物のスーパーボールの受け渡しをどうするか、その手段についての相談だった。月と地球の距離を踏まえた上で、双方無理なく行えるもの、瞬間転送装置なんて高くて無理。月面支店(あるいは本店?)はどこの会社も出していないので、宅配は月まで行かない。月面勤務となれば、易々と地球には帰って来れないだろうし、私もそう簡単に月には行けない。けれど、スーパーボールを取り戻さない、という訳にはいかない。私が届けた宝箱の内訳どおりの物が入っていないと、蓋をし提出した宝箱を返却されるだけで、結局、所定の提出期間の経過を待つだけになる。ペナルティは軽くない。私はセロリが好きじゃない。だからどうにかしなくちゃいけない。スーパーボールが地球に戻って来れるように、ヒロくんと相談しなくちゃいけない。
紙面に書かれていた番号をプッシュして、ヒロくんへの電話は一回だけかけることができた。ヒロくんの携帯が充電切れになるまでの三分間で伝え、伝えられた事は通話する私の名前、通話口で名乗るヒロくん本人、元気だよ、元気だね、拾ってありがとう、拾えて良かった、嬉しかった、それであとは手紙で、じゃあね。じゃあね。それと最後、
「あ、そうだ。ウサギは見えた?」
「え、ううん。見えてない。」
「あれ、お」
かしいな、と聞こえてきそうなところで通話は切れた。うん、おかしいよねと私が内心で続けたのは、本格的な月面移住計画実施の試験期間中に行われた心無い人たちの乱獲で、ただでさえ数が少なかった月面のウサギは絶滅したと聞いていたからだった。小学生の頃、私が見ていたあのウサギたちはもういない。代わって、噂は数多く生まれた。あのウサギの前歯は今や星一個は軽く買える金額で取引されているんだとか、前歯を採るために養殖された疑月面ウサギの国営ファームが地球上にはあるんだとか何だとか。調査は今も一応継続中ではあるけれど、現段階の公式見解は『もう月面にはウサギがいない』。それはもう動かない事実のはず。なので、月にはいるけど、ウサギが見えたかどうかはヒロくんの見間違いの可能性が高いと思う。思うんだけど、私の記憶の中のヒロくんは嘘をつかない。確かに私は、私と会わなくなってからのヒロくんを知らない。なら、私は私が知るヒロくんを信じて、そうじゃないヒロくんになっているのかどうかを知ればいい。ウサギが見えたかどうかはスーパーボールの返却に関係がない。でも、私には関係がある。それを知るヒロくんだ。だからそうしよう。そう決めた。うん、そうしよう。
そうと決めてから行動が早い私は、部屋の机にボールペンと紙を用意してから、椅子に座り、蓋を取ったボールペンの先をメモ用紙の隅っこにゴシゴシと動かして、インクの出を確認して数秒、思い付いた最初の言葉を文字にして文を書いていった。お互いの家があった近所から引っ越してから十年と少し、知らない余白を埋めるように、少しずつ、少しずつ。勿論、スーパーボールの事も忘れないように、少しずつ、少しずつ。
高校の頃の高跳びの記録。センチメートルまで正確に、バレンタインにあげたチョコの数。一個ずつ。
今もつけている観察記録。八月十日、月は半分、輝いて見える。ウサギは一羽も見えない。私の犬は吠えない。一番下の子は、今日初めて立って、上手に歩いたんだよ、と。
手紙によるやり取りが一ヶ月半続いて、送電線の復旧により通信が無事に回復してからは数日、本来の任務である新しい基地の建設作業のスケジュールのため、地球まで戻ることは難しいヒロくんの都合と、子供たちをお母さんに預けることができる日数、重力圏から遠く離れてはいけない私の体質(重みを上手く掴めなくなる、例えば浮かんでしまうなど)を管理できる距離を考慮して、月と地球の真ん中で待ち合わせることにした。時刻は二十四時間時計の真ん中。場所は、
「軌道ステーションの中?」
「いや、その外にしよう。『服』は僕が用意する。命綱も。」
「え、わざわざ?えーと、本命以外の用があるってこと?」
「うん、そう。」
「それが何かは教えない?」
「そう。サプライズ。」
「何かあるって教えてるよ。中途半端に。」
と、笑ってツッコむ。
「あ、まあ、だね。」
と言い、間を置いて続けるヒロくんの「あはは」という笑い方。生まれたての失敗と向き合い、早々に分かり合い、そしてともに肩を組んでこちらを見る、ヒロくんの内面の動き。勝手に浮かぶイメージをそのまま遊ばせて、私は会話を繋げた。
「楽しみにしてる。」
「うん、楽しみにしていて。」
最後にもう一度、時刻を確かめ合ってから、「じゃあね」とヒロくんと言い合った。自動で切れる回線がただの機械になって、人型の耳に何も届かない一方で、私の目は自宅の二階のベランダから見上げる点々とした明かりに赤いチェックをマークして、丸を打つ。点滅する日付に瞬きの動作を送り、視界に広がった画面を閉じた。ゴーグルを外して乱れた髪を直す手に、触れる風は流れに乗って居なくなる。
二つ向こうの道路に目をやれば、今となっては珍しい電信柱の天辺に座り、お尻を掻くお猿さん型ロボットのパトロールの姿があるいつもの景色。長い尻尾のシルエットが軽快に踊っている。私のお尻にはないもの。
私には無いものが沢山あって、気付けることも沢山ある。そう書いて褒められた感想文を入れた筒を持って旅立った夢を見て、出発の朝を迎えるまで。
素足の足で、ぴょんぴょん跳ねる夜。
月面で絶滅したと思われていたウサギが二羽、発見されたニュースが地球を席巻した日の翌日、私が向かった軌道エレベーター行きのステーション内の大画面でインタビューに答えるヒロくんは、大発見をした職員の一人として説明を聞く皆を見ていた。
短い列を待って、チケットの発給の手続を済ませた私が通り抜けたゲートの先に急遽設けられたと思われるワゴンや棚には、縫いぐるみのウサギが隙間なく並んでいた。前歯を見せない口に表れた漫画みたいな微笑み、全身もふもふの毛並み、赤いお目々。長いお耳。大人も子供も手を伸ばして、一体一体が手に取られる。私も棚の一つの前で立ち止まって、その一体のお腹を優しくさすった。どこかにあるスピーカーからアナウンスは流れ、私が乗るべきエレベーターは定刻通りに出発することを知った。ウサギのお腹から手を離した私が十八番乗り場まで向かう途中、今度は家庭用サイズのテレビに映ったヒロくんが、一羽のウサギを抱き上げて言った。
「名前は二文字以内でお願いします。」
宛先となるアドレスと一緒に表示された画面の中の募集期間には、注意を促す色が付いている。抱っこされた状態のウサギの顔が画面一杯に愛らしくアップにされて、否応なく盛り上がる演出が施される。真っ白な月面ウサギに注がれるカメラのフラッシュはヒロくんの目を眩しくさせ、私の両目を閉じさせて、開かせる。
ラブでも何でもいい。オートウォークに乗った私が口に出して呼べるものなら。
腕に身に付けた今も人気のアナログ時計が正確に刻む時間を見つめ、スポーティな格好で過ごす星。壁に並ぶ電子広告の中で、最先端の髭剃りを勧めるイケメンな男子が直ちに消えて、ピンクな紅をアピールするステキ女子に様変わりするのを見送った。
あ、と付け加えるお土産は、ヒロくんご所望のお団子一箱。
軌道エレベーター内でしか買えないから。


『服』を着た私が座るテラスから見えるのは、主に物資を運ぶ船の行き来する光景と、デブリ回収に勤しむ作業員が点から点へと移動する姿、そして月面ウサギを『散歩』させるヒロくんの姿と、遊泳に一所懸命な一羽の愛くるしい姿。私が見ていることに気付いたヒロくんが手を振ったこと、それに返した私の手を包む厚い手袋、手の甲を返して見る手の平。指先にあるタッチセンサー。動かして点滅する灯り。サウンドオンリーの表示。
「定期連絡です。今のところ、『天候』に異常はありません。予約時間は一時間になります。何か質問はありますか。」
「ありがとう。私の方では特にないよ。」
「ボクも大丈夫。ありがとう。」と、回線に割り込むヒロくん。
ブツッと切れる音がして、人工的な静寂が戻って来る。私の視線に合わせて、ヘルメットの中のサポートプログラムがカーソルを動かして指示を待つ。私が暫く月面ウサギの方を見つめ続けたから、気を利かせたようにそのカーソルが姿を消す。アップも可能な便利な機能を活かして、真っ白でくるっと遊ぶ様を撮ってみる。長い耳がぴょこっと向きを変えている。うん、可愛らしい。あと、気持ち良さそう。
予約をすれば無償で利用できる軌道ステーション外のテラスを待ち合わせ場所に選んだヒロくんの狙いは、保護した月面ウサギを遊ばせることにあった、というより、悪ガキみたいに月面ウサギを秘密裏に連れ出して、自分が一緒に遊びたかったのと、この私と一緒に『歩行』させることにあった。テラスに出る前に、そのことを直接ヒロくんに言われた。
「『歩こう』。ボクがサポートする。」
これに対して、私はすぐに首を振った。
「あはは、無理、無理。無理だよ。」
意識的に重ねて、無理、という事を伝える努力はしてみた。けれど、きらきらした目を宿して、自分のアイデアの良さを疑っていないヒロくんの意思を変えることは、やっぱり無理だった。スーパーボールをぐいっと私の手の中に返しながら、ヘルメットを被らない顔を近付けて私に言った。
「うん。ほら、キミの目もすっかりまん丸になっている。キミの身体も『歩き』たがっているんだよ。ね?」
ね、と念を押される私の心臓が勝手にどきどきを増し、耳も、足も、無いはずの尾っぽもムズムズし始める。熱くなって、きっと赤くなっている頬を上げ、はにかむ私が口にした答え。うん。うん?
それを聞いて、ヒロくんに遅れてハッとした私に、もう戻れる道はなかった。
「よし!じゃあ、『歩こう』。」
必死の説得の末、心の準備をする猶予は貰えた。それからこうして私はテラスに座っている。そして、スピーカーを通してでも、ヒロくんは『歩く』ことに関しては何も言ってこない。それをプレッシャーと感じていない。じゃあ、私の心は決まっているんだ。と自覚する。フーッと息を吐く。中古でも、ヘルメット内には一切生じないくもり。視界にある暗やみ。命綱が伸びていく先。お腹に入ったピンクのお団子。甘い味、苦いお茶。あの、あの。
ウサギの姿に倣うんだ。
テラスに立ち、ヘルメットを外して、それが可能な事を確かめるため、数回大きな深呼吸をする。フーッと吐かれるものが消える。『服』に包まれた手足の屈伸、準備運動。意を決する、なんて生まれて初めて使った言葉。
その場でぴょんぴょんと軽く跳び、イケる感触の波に乗って、私は前方の空間、ヒロくんとウサギが遊ぶそこに向かってテラスの縁を蹴り、一気に跳び上る。ぴょーんと音が聞こえてきそうな運動の力に全身が包まれて、一歩踏み、ぴょーんと着地する瞬間にもう一歩踏む。増していく勢いに跳ねる鼓動。飛び超えて行きそうな私にヒロくんが伸ばした手を捕まえて、そこを基点にぐるんと回る。勢い、ヒロくんも回り出す。緊急事態を察知した『服』が手から足からエアーを排出して、二人の周りが安定し出す。私の方でも空間を細かく蹴り、ヒロくんの両手を掴み、ヒロくんの動きを落ち着かせることに成功する。ほっとしてヒロくんを見る。ヘルメットのない私が写る、ヘルメットの中にある驚きに嬉しさを多めに混ぜた表情で、ヒロくんは私を抱きしめた。
「やった!」
そう言うヘルメット越しの唇の動き。何度も何度も繰り返される。最初、子供を宥める気持ちでいた。なのに、私の身体に残った感覚になぞられ、今も踏んでいる空間を認識して、私は、私のためにヒロくんに抱きついた。ぎゅーっとぎゅーっと抱き締めた。出来たことが嬉しかったから、変わらないものが有り難かったから、思い出したことが温かくて、目の前に広がる姿が丸くて、綺麗で、熱かったから。喜びで。
やった!って。
月面ウサギはぴょんと跳んでくる。私の胸に飛び込んでくる。その胴体をキャッチした私の目の中に映る惑星は、不思議そうに浮かんでいる。命綱の長さが足りないよーと嘆いているであろうヒロくんに手を振って、私とウサギはもっと『歩いてみる』。滞在期間が長くないんだから。あと一日後の朝、スーパーボールとあそこに帰っている私。好きで飲むキャロットジュースを容れていたコップを洗って始める、最後の宝箱の整理がもう少し手間取ると予想する。Tシャツに短パン姿で、軽々しく、細々と。
足を長くして。耳を伸ばして。
それまで一羽と一人。もう一人。ここで遊ぶ。
ボールを投げる。

まねごと

まねごと

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-04-07

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted