君の声は僕の声 第六章 16 ─賢者の石─
賢者の石
ひんやりとした空気が肌にまとわりつく。
二千年前の空気だ。
棺の周りのミイラを確認する。それはやはり少年のものと思われた。思わずみんな手を合わせた。陽大も手を合わせている。
「どう、するの」
流芳が遠慮がちにつぶやいた。
聡は流芳をちらりと見ると視線を棺に戻した。
帝を埋葬する際、人柱として一緒に埋葬された例はあるが、この少年たちがそうであるとは考えにくい。陵墓で見た少年たちの骨とは違い、みな同じような姿勢で膝を抱えるように座ってはいるが、生贄でもないだろう。
おそらくこの少年たちは、あの地下通路に転がっていた骨の持ち主から逃れ、命がけで通路を塞いだ少年たちに代わって、ここまで帝の遺体を運んだに違いない。
通路を守る仲間を残し、どんな思いでここまで運んだのだろうか。
そしてこの部屋の壁を塞いだのだ。この小さな空間を塞げば自分たちはどうなるか。少年たちが知らなかったはずはない。なぜ棺だけをこの部屋に残し、外から塞がなかったのか。
聡は思った。
少年たちは棺を守りながら、絶命した……。
棺を永久に守るために。
無言で見つめる空洞の瞳は聡に訴えかける。少年たちが屍となってもなお、必死に守っている棺を暴くのは心苦しい。棺を睨みつけたまま誰も口を開こうとしない。
小さな空間の静かな時間。
少年たちの思念が次第に重くのしかかる。
「棺を開けるに決まってるじゃないか」
聡が静寂を破った。
「ここまで来たんだ。何もしないでこのまま帰るのか?」
良心は傷む。だが、少年たちが帝を守るように、聡にも守りたいものがある。そのためにここまで来たのだ。
聡に睨まれ、流芳は首を横に振った。
棺に寄りかかった少年たちを部屋の隅にそっと横たえ、もう一度手を合わせた。そして棺にかけられた毛皮を外す。毛皮は棺に張りついており、ナイフで傷をつけないように気をつけながらゆっくりと剥がしていった。
少年たちが彫ったのだろうか……。無骨な棺が姿を現した。
そっと蓋を外す──
「あっ! あ……」
声の出ない口に手を当てる。
棺に横たわっているのは、美しい装飾品をまとった少年のミイラだった。
いくつもの宝石が埋め込まれた面を着けていて顔はわからないが、煌びやかで繊細な細工のほどこされた装飾品と、小さな体を見つめた。
「どうして……」
聡の口からつぶやきが漏れると、みんなは夢から覚めたように顔を上げた。
「どうして……帝が、こんな姿なの……。小人は国を滅ぼす悪魔のはずだ。──それとも、帝は、ただ子どもだった。そういう、ことなの?」
聡の問いに誰も応えられない。
「面を外そう」
呼鷹が面に手をかけた。少年たちは緊張の面持ちで呼鷹の手を見つめた。
「ああっ!」
聡と麻柊が合わせたように、一緒に声を上げた。
「夕べの──」
そう言ってふたりは顔を見合わせた。
呼鷹が外した面の下に、もうひとつ面が現れた。
──それは夕べの少年がつけていた面。翡翠でつくられた面だった。
では、この翡翠の面の下には……。
呼鷹が続けて翡翠の面を外すと、現れたのは、聡の想像した通りの顔だった。
腐敗を防ぐためなのだろうか、白っぽいものが厚く塗られ、皮膚や髪はほぼ原形を留めている。何かを語り掛けてきそうな形の整った唇。長いまつ毛のまぶたは今にも開きそうだ。
少年たちはため息交じりの声を上げ、その端正で美しい顔に見惚れていた。その顔を見つめたまま固まっている聡に、麻柊が血の気を失った顔をして抱きついてきた。
「『夕べ』何かあったのか?」
透馬の問いに麻柊が体を震わせた。
「 幽霊でも見たのか?」
冗談のつもりで訊ねた透馬だったが、麻柊の怯えようにそれ以上は言わなかった。
全員の視線がふたりに注がれる。
「夕べ……」棺の中の少年の顔を見つめたまま聡が語り出した。「見たんだ。なあ」
麻柊はこくりとうなずいた。ふたりとも心をどこかに置いてきてしまったかのようだ。聡は抑揚のない言葉で続けた。
「夕べ、何だか眠れなくて、水を飲みにテントから出たら、麻柊も起きていて……。ふたりで……見たんだ。広場に、少年が立っていた」
聞いていたみんなが顔を見合わせた。
「最初は顔が無いのかと思った。──その、面をつけてたんだ。面を外した顔は……」
そのまま聡は棺の少年を茫然と見つめている。
「この顔だったんだな」
櫂が言うと、聡と麻柊は操り人形のようにこくりとうなずいた。
「消えたんだ」まばたきを忘れたかのように聡がつぶやく。「広場の中央に僕たちを誘うように歩いていって、そこで……。僕たちが入ってきた、あの穴の場所で、──消えたんだ」
聡は体から力が抜けたように膝をつき、棺に両手を添えた。
「彼が……。僕たちをここへ導いたのか」
秀蓮がポツリと言ったその時、じっと棺の中を観察していた瑛仁が慎重に口を開いた。
「この骨は、年老いた者の骨だな」
言葉の意味するところが理解できず、少年たちは怪訝そうに瑛仁を見つめた。
「つまりこの骨は、少年の骨であると同時に老人の骨でもあるという事ですよ」
瑛仁の言っていることはますます矛盾していて理解できない。少年たちは棺に眠る帝と瑛仁の顔を交互に見つめた。
「ようするに、僕の骨とも違う。──そういう意味だね」
秀蓮の言葉に、瑛仁はうなずいた。
少年たちには何のことかさっぱりわからない。
「どういう意味だよ?」
麻柊が少しイライラして言った。
「見てごらん」瑛仁が帝の顔を指さした。「歯がずいぶんとすり減っている。──それからこの関節の具合などから推定すると、平均的に見て八十歳前後というところでしょう」
帝の身体を覆っていた織物をそっとめくりながら瑛仁が断言した。
「それなら小柄な老人の骨ということでは?」
透馬の質問に瑛仁は首を横に振った。
「これは大人の骨格ではありません。まだ完成されていない、成長期の少年のものですね」
「わからないよ。少年なの? 年寄りなの? どっちなんだよ」
麻柊がなげやりに言うと、秀蓮が棺の前に歩み出た。
「もしも今、僕の骨格をここで見せられたとしても、それはこんな骨格じゃあない。──僕の実際の年齢は、この骨の推定年齢に近い。でも、僕の骨はおそらく、そこに横たわっている少年たちや、君たちとほとんど変わらないと思う」
「…………」
秀蓮の言っている意味を考えようと少年たちは難しい顔をしている。その横で瑛仁がうなずいていた。
「つまり、この骨は僕たちと同じ、成長するはことない。──けれど老化してしまった骨」
「あっ」
秀蓮の言葉に透馬が小さく声を上げた。
「この帝は、もしや……」
言いながら、透馬はそんなはずはないと言いたげに首を横に振った。聡は透馬の様子を見ながらひとつの答えが浮かんだ。そして答えを求めるように秀蓮にゆっくりと顔を向けた。
秀蓮が重々しく声を落とす。
「この少年の帝は、僕の倍、いや数倍近く生きていた……。ということだよ」
「…………」
少年たちは声もなく秀蓮を見つめたまま。
厳しい顔をして、聡がつぶやく。
「『賢者の石』は、存在するってこと……」
聡の瞳を見つめて、秀蓮が静かにうなずいた。
※ ※ ※ ※ ※
翌朝、呼鷹は秀蓮と瑛仁を連れてまた帝の眠る地下へと向かった。
残った者たちで朝食の準備をしてると、言い争いが始まった。
まただ……。
聡は流芳と顔を合わせた。
麻柊と杏樹だ。
「そんなこと言ってないよ」
どうやら喧嘩の相手は『純』らしい。玲とも違ったなんとも頼りない返事に、麻柊はイライラを募らせた。
聡が純に駆け寄る。
「どうしたんだよ」
純の肩に手を置いてこちらに振り向かせると、火を起こしていた櫂と透馬もやってきた。
振り返ったのは純ではない。慌ててあたりを見回している。
みんなが自分を見ていることで、『陽大』は瞬時に何かを察知したらしい。陽大にしてみればこんなことには慣れているのかもしれない。
陽大は落ち着いた様子で「誰か何かしたのか?」と聡に小声で聞いた。
とっさに引っ込んでしまった純に代わったのが陽大だと気づいた聡は、陽大を自分の後ろに隠すように立つと、「何があったのさ」と麻柊に向かって訊ねた。
麻柊は腕を組んで勢いよくため息をつくと、瞳を閉じた。怒りを抑えているのか、考え事をしているのか、眉間にしわが寄る。思い立ったように目を開けると聡を睨みつけた。
「おまえら何隠してんだよ」
聡の顔が硬くなる。
麻柊が言った横で、流芳が慌てて麻柊の腕を掴んだ。
「離せよ!」
麻柊が手を振りほどく。
「おまえだってそう思うだろ」
麻柊にきつい目を向けられ、流芳はうつむいてしまった。
聡は何をどう話したものか言葉を探して迷っている。
その様子を黙って見ていた櫂が、聡と麻柊の間を通り抜け、火のそばに腰かけた。胸ポケットから煙草を取り出し、煙草を口にくわえると細い枝を焚き火に突っ込み、枝の先に火をつけた。櫂の行動を麻柊たちの目が追う。
櫂は枝の先の火に顔を近づけ、煙草に火をつけるとゆっくりと煙を吐き出した。
君の声は僕の声 第六章 16 ─賢者の石─