無題

風太郎

美沙子の会社には名物と言うか、有名な女子社員が二人いる。
一人は、美沙子の上司で30前にして営業2課課長の内田早希。某一流大学卒で国家公務員Ⅰ種も受かったのにこの会社に入ってきた才媛で、モデルかグラビアアイドルかと言うほどの美貌。
一人でそんなに全部持っていていいのかと思うほどの完璧な女性で、入社当時は、セクハラまがいのことや、女武器に契約取ってくるとかのやっかみも多かったらしいが実力でねじ伏せて、今や社長も我社の宝だと公然と言い放つ存在である。
もう一人は、その内田の親友で研究室主任の大里環。こちらも、若くして特許を複数獲得している才媛で、容姿も内田に負けず劣らず素晴らしい。
研究室と本社は別なので、社内で二人を揃って見かけることは少ないが、二人が並んでいると壮観だと言われるぐらいである。
二人共入社以来、深い付き合いの男性もいないようで、男性社員のあこがれの的ではあるが、恐れ多くて声もかけられないのが大多数で、たまに勇気を持って声をかければ、食事や飲みには気軽に応じてくれるが、酒も強く
酔って乱れるどころか、男性陣が前後不覚になることがしばしばで、難攻不落と言われている。
美沙子の大学時代からの彼氏も、知り合いになれただけで幸せだと、とても自分では無理と言っている。
美沙子自身も、ここ数年の新人では一番可愛いと評判ではあるが、この二人にはとても太刀打ち出来ないと、早くも二人を崇拝している。
前に飲んだ時に、環は十年近く付き合っている彼氏がいるが、学者バカで結婚しても今と付き合いが変わるとは思えないから今のままでいいとカミングアウトをした。

そうなると、今注目の女子では内田早希だけがフリーなのだが、射止める男はいるのだろうかなどと、美沙子はいらぬ心配をしたりしている。

そんな美沙子が、失敗したのはあるホームセンターでのことだった。

100個の注文が、美沙子の勘違いで1000個納品されてしまったのだ。閉店間際のホームセンターヘ飛んで行って、売り場に居た店長に平謝りした。店長もいい人で、
「ミスになるからこのまま納品してしまいたいのだが10倍も売れないしなぁ」
と、困惑顔で話しているところへ後ろから声がかかった。
「店長、どうしたん?こまった顔してるじゃん」
振り向くと、20代後半らしき青年が立っていた。
店長とは顔なじみらしく、
「うん。ちょっと手違いでこれが注文の10倍も届いちゃってね」
と、問題の品物、俗にいう木工用ボンドを手にとって言った。
「10個が100個?」
と、青年。
「100個が1000個。一日5個も売れたらいいほうなのに1000個もあってもねぇ」
と、店長がため息混じりに言う。
「な~~んだ、じゃあ、一週間で100個も売れたら、そのまま納品でいいわけじゃん。」
青年がいとも簡単に言う。
「店長は一週間だけ返品を待つ。君は一週間だけしらばくれている。その間に100個売れたら、そのまま納品ってことで」
青年は、まず売り場を工具の脇と、手芸道具の脇に作って、そこにホップ貼っておけばいいと。
「そのぐらいは君でもできるよね?」
「はい。やります。」
美沙子は、思わず返事をしたが、それで倍以上も売れるの?と考えてはいたが、口には出さない。
「店長は場所決めて。1時間もかからないだろうから、今から3人でやってしまおう。」
店長も、あなたがそう言うのならって感じで協力してくれて、青年の言うとおりに陳列完了。
「ではでは、1週間後の7時にまたここで会いましょう。」
青年はそういうとさっさと帰ってしまった。あっけにとられる美沙子に、
「まあ、彼がそう言うんだから来週まで様子見よう。話はそれからだ。」
店長も帰ろうとするので
「あのう、それでいいんですか?」
美沙子はなにがなんだかわからない。
「うんうん、彼は接着剤とか使うのはプロ並みだから、あれだけ自信たっぷりに言うんだから期待してみよう」
店長はそう言って、従業員の出口まで送ってくれた。
一週間後
美沙子が店に行くと、店長がニコニコして
「100個どころか220個も売れちゃったよ。100個じゃ品切れなるところだったよ。」
と、大喜び。
「そんな売れたんですか?」
美沙子も信じられない。
「工具売り場に置いたのは、業者さんがまとめて買ってくれたし、手芸でも使うんだってね、こっちも目についたからついでにって買っていく人が多くて、あっさり目標クリアだよ」
そこへ、青年がやってきて、
「クリアできたみたいね。よかったね。でも、今の1000個売ったら、また元に戻したほうがいいよ。買うだけ買えば、また売れゆきは落ち込むだろうからね」
「そうだな。今回のを売り切ったらもとに戻すわ。返品しないってことで今回はいいとしよう」
と、店長。
「ありがとうございました。」
ホッとして、頭を下げる美沙子に
「よかったな。」
青年はそう言って、美沙子が顔をあげた時には出口を出ていくところだった。慌てて追いかけようとすると
「やめとき、彼は今頭下げられたぐらいのことしかしてないと思っているから、追いかけてなにか言ってもとり合ってくれないよ。心の中で感謝しとけばいいよ」
店長の言葉に、頷くしかない美沙子だった。

その話を、上司である早希に報告すると
「ほう、いい男もまだいるものだな。とにかく良かったじゃないか。その男に感謝だな。」
そう言って笑った。早希は顔に似合わず男言葉それも侍のような言葉遣いをするが、それが低音の声と妙にマッチしていて魅力的だった。
「解決したなら昼飯行くぞ」
「はい!」
二人でロビーに降りると、なんとあの青年が目の前を横切っていく。
「ああああ、あの人ですぅ」
美沙子は指さして叫んだ。
それじゃなくても目立っている二人なのに、いきなり美沙子が叫んだから、みんな何事かと注目する。
その青年も振り返って、美沙子と目が合う。
「先日はどうもありがとうございました。まさか同じ会社とは・・・」
目ざとく バッチを確認した 美沙子が言った。
「あはは、あの人って僕のことか。バレては仕方ない。自社の製品だしさ。新人の君が困っていたからおせっかいしちゃったよ」
青年は屈託ない笑顔でそう言った。
「部下が世話をお掛け足した。礼を言う。ありがとう。部下もお礼をしたかったが、捜しようもなく失礼した。今更だが、迷惑でなければ一献ごちそうさせてくれぬか?」
「はぁ、それほどのことはしてないけど、先輩がそうおっしゃるなら、明日の晩で良ければ」
「では、明晩よろしく頼む。美沙子なにをしておる。お名前と連絡先をお聞きして」
「あ、はい」
青年は、庶務課の佐伯だと名乗り、「では」と去っていった。
「なかなかの男だな。明晩が楽しみだな。」
なぜか、いつになく嬉しそうな早希に、美沙子もワクワクしていた。

次の日
退社時間間近、大里環が美沙子のところへ来て
「聞いたよ。早希が声かけても、微動だにしない男で、美沙子にも世話やいてもそっけないぐらい大したことじゃないって言ったって、今時、そんな男いるのかって見に来ちゃった。私も今夜付き合うからね」
早希が個室を予約しろと言ったのは、環さんも来ると予想してのことか。この二人に接待される男がいるってだけでテーブル席じゃ注目されるわね。
そこへ早希もやってきて、予約した店に向かう。こじんまりした和食の店で、いかにも早希好みって感じの店だった。部屋に案内されて、まだ時間があるなとか言っていると
「お連れ様がおみえです」と、佐伯がやってきた。
「あれ~~~~~~~~~~~~」
顔を見るなり、今度は環が叫んだ。
佐伯も、あれ?なんでここにって顔をして環を見る。
「ほらほら、何年か前に、私がどうしようもない物作ってしまって途方に暮れていて、早希にも相談したけど、どうしようもないだろって言われたのを、一発逆転で特許とったのあったじゃん。あれ、この人のお陰だったんよ」
美沙子の入社前の話だったが、要約すると
環が新しい接着剤を作ろうとして出来たのが、瓶に入っている間は液体だが、何かに塗ったりかけたりして空気に触れると1分ほどで固まる。しかし、接着力があるわけではなく、ただ固まるだけで固まっている時剥がすと綺麗に型が取れるが5分ほどで液体に戻って役に立たなくなるって品物だったらしい。せっかく開発しても何の役にも立たないと落ち込んでいたところへ、通りかかった佐伯が、「究極のクリーナーですね」と言ったのがヒントになって、改良して、塗って剥がすと綺麗にホコリが取れるってことで精密機械の掃除に使われるようになったということらしい。
「あの時、佐伯くんはなにしに来ていたの?誰もどこの誰だかわからないって言って、お礼も言えなかった」
と、環が聞くと
「さぁ?なんか用事あったんでしょうけど、忘れた」
と、これまたそっけなく言い放った。
とりあず、乾杯ってことで始まると
「僕、お酒は弱いのであんまりすすめないでくださいね」
と言っていた佐伯も、美女三人に囲まれて、彼にしてはかなり飲んだのであろう。酔っ払って
「あの、正直に言ってしまいますけど、内田さんって可愛い人ですね。可愛くて素敵な人だ」
って、呂律の回らない口調で言った。
とその時、環が美沙子の背中をバンって叩くと、耳元でささやいた。
「この青年、やったね。早希のつぼにはまったよ。これはひょっとするとひょっとするかもよ~~」
環の説明によると、早希はいい女だとか、綺麗だとかは言われ慣れているが、可愛いと言われることはない。しかし、本人は可愛いと言われるのが一番嬉しいのだと。
「ほら、見てご覧よ。なにも言えないでいる早希なんて滅多に見られないよ」
環が嬉しそうに言う。
確かに、困ったような、はにかんだような顔して、佐伯を見返している。
と、言った本人は、テーブルに突っ伏して寝てしまった。
「あらら、ほんとに弱かったんだね。早希どうする?」
「悪い事したかね?私が責任持って送っていくよ」
「うんうん、そうすべきだね。じゃ、美沙子、我々はもう一軒行こう」

「おい、佐伯くん、送っていくから帰ろう。」
佐伯は、素直に頷いてよろよろ立ち上がると出口に向かった。
「何とか帰れますから、ごちそうさまでした。」
玄関を出ると、そう言ったが、うっと口を抑えると近くの溝へ
誰かが背中をさすってくれているように感じた後、意識がなくなった。

佐伯が目を覚ますと、隣に柔らかいものがある。
何かと思って、そちらを見ると、
「おお、お目覚めか。気分はどうじゃ?」
と、声をかけられ、状況が飲み込めない。
眼の前にある形のいい足を、ぼーと眺めているうちに、記憶が蘇ってきた。
切れ切れであるが、気持ち悪くて何度も吐いたことや、誰かに連れられて帰ってきたような記憶がある。
見回すと、自分の部屋で、そこに、男物のワイシャツを着た早希がいる。
すっぴんでも、綺麗な女が、下はノーブラであろうシャツ一枚で、自分を見つめている。
どうしていいか解かららなくて、しどろもどろしていると、
「変な心配はするな。不埒なことはしておらん。意識のない者に手を出すほど落ちぶれておらん。
着るものがなかったので、このシャツは無断で拝借したが、ちゃんと洗って返すからな。」
そういう問題ではなく、どうして、早希がここにいるのかが最大の疑問であるのだが、
早希は一向に気にしてないらしい。
早希が気にしてないのに、男の自分がきにするのもなんだかなと、勝手に理屈をつけて、
立ち上がろうとしたら、慌てて早希がよってきて、肩をかそうとする。
と、足に何かついていると思いつつ、立とうとすると鈍い痛みがはしった。
「やはり痛いか。一応冷やしておいたのだが。」
見ると、左の足首辺りに氷のうがあててある。
「これも覚えておらぬか」
早希が、笑いながら言う。
「玄関先でつまずいて、支えてやれなくて、おもいっきりぶつけてしまった。申し訳ない。
腫れているようなので冷やしておいたのだが、まだ痛むか?」
痛いことは痛いが、歩けないほどではない。
「いや、大丈夫です。いろいろお手を煩わしたようで、ありがとうございました。」
「いやいや、無理に飲ませてしまった、こちらの責任だ。気にするな。」
そう言っている間にも、早希の肩を抱いていることに気がついて
「自分で歩けますから、大丈夫です。」
と、肩から腕を外して、洗面所へ歩き出す。
「そうか、シャワーでも浴びたほうが良いぞ。その間に、朝ごはんを用意しておく。」
「はい」と返事をして、言われたように、熱いシャワーを浴びて、少しシャキッとして、部屋へ戻ると、
妙に部屋が片付けられている。
「あの、掃除までしてくれたんですか?」
「おお、その足で歩くのに散らかっていては危ないと思って、片付けさせてもらった。」
「なにからなにまで、すいません。」
「よいよい。帰ったのが8時過ぎであったろう。いつも寝るのは12時頃だから、
妙に時間が余ってしまったのでな。片付けて、買い物に出るのに調度良い時間だった。」
「はぁ。。。」
「食欲はあるか?胃に優しいほうが良いと思って、おかゆにしてみたが食べられるか?」
そう言われれば、みんな出してしまったので、お腹が空いている。
「はい、お腹すいています。」
「そうか、口にあうかどうかわからんが、召し上がれ。」
テーブルには、卵入りのおかゆと、豆腐のサラダ、味噌汁が並んでいる。
今何時だと、時計を見ると7時になるところだった。
6時頃から起きて作ってくれたんだろうと思うと、ありがたくいただかなければバチが当たるなと、
思いつつ、口へ入れると、うまい。
「そんな、一気に食べないで、ゆっくり食べないと、胃が驚くぞ。」
自分もおかゆを付き合いながら、早希が笑う。
そう言われても、目の前には、目に毒な格好をした美女がいて、目を上げられないし、
黙々と食べるしかない。
「そうじゃ、その足では、電車はきついであろうから、8時にタクシーを呼んであるからな。」
「え?タクシーで会社行くんですか?」
「心配するな。なぜか、部長がタクシーチケットはたんまりくれるのじゃ。」
「一緒にですか?」
「ん?同じ会社に行くのだから、一緒で良いではないか?」
「はい・・・」

歩くのは少ないほうがいいだろうと、会社の玄関までタクシーで乗り付けて、
大丈夫だと言うのに、寄り添って歩く早希を見た受付の子が、まず、目を丸くした。
「では、帰りも送るから、仕事終わったら携帯に電話してくれ。これが番号とメルアドじゃ。」
と、いいながら、ネクタイを直されるのを突き刺さる視線の中で聞き、
「では、またな。」
さっそうと歩いて行く早希の背中を呆然と見送り。
はっと、我に返ると、視線を避けるように、自分のオフィスへと足を引きずりながら急いだ。


席について、ホッとしていると、同じ課の子がお茶を持ってきてくれ、
「どうしたんですかぁ?いきなり、注目の的ですよ~~。」
と、背中を叩く。
周りも好奇の視線を送ってくる。
「いや、なんでもないよ。」
「なんでもなくて、同伴出勤ですかぁ?ありえないでしょ。」
どう説明すればいいのか。とりあえずこの場は退散しようと、トイレに向かう。

もう、知れ渡っているらしく、みんなが見る。
なんでこんなことになったんだか、自分でもよくわからないのに、人に説明できるわけないよな。
黙って、嵐の過ぎ去るのを待とうと、心に決める。

ちょうど、その日は倉庫に用事があったので、しばらく倉庫に閉じこもることで時間を稼ごう。
佐伯が、そんな苦労をしている頃、
営業へでかけようとしている美沙子のところへ、環がやってきた。
「あれ、どうしたんですか?なにかこちらに用事でも?」
そう聞く美沙子に、環は
「もう、聞いちゃったよ。早希、昨日と同じ服で同伴出勤したんだって?」
「ああ、そうなんですよ。やりますよね~~~」
「早希らしいって言えば、らしいよね。あの子はそういうとこは、全然気にしないから、
自分がどれだけ注目されてるかと考えないのよね。」
「そうなんですね。早希さんに聞ける勇気ある人も居ないし」
「うんうん。佐伯くんの方は大変だろうにね。チョット行ってからかってくるわ。」
「あはは。なんか自分のことのように嬉しそうですねぇ。」
「それはそうでしょ。あの早希にこれだけのことさせる男が現れた。すごいことじゃん。」
「確かに。あの早希さんに尽くされる男ってだけで、佐伯さんの株天井知らずの上がりですね。」
「そうだといいけどねぇ」
「違うんですか?」
「これからの成り行きみないとなんとも言えないけどね。営業頑張っておいで」
「はい、じゃあまた。」
美沙子は、約束の時間もあるので、気にはなったが、話を切り上げて仕事に向かった。
なにかあれば、環から知らせてくれるだろうと思って。


その環が、佐伯に会う前に、佐伯は部長の呼び出しがかかって、部長室へと行っていた。
「おお、よく来てれた。まあ、掛けたまえ。」
部長室へ入ると、部長が愛想よく迎えてくれる
「ええと、失礼名前をど忘れしてしまった。」
「庶務課の佐伯です。」
「そうじゃった。佐伯くんだった。すまんすまん。
で、早速なんだが、我社の規定にはないのだが、社員同士が結婚した時には
どちらかが退職するというのが、不文律というか、暗黙の了解というか
そういうのがあるのは知っておるよね?」
「はぁ」
「いくら内田くんでも、例外は認められないんだよ。それもわかってくれるよね。」
「はぁ」
部長何が言いたいのか、さっぱりわからない佐伯は生返事をするしかなった。
「もし、そうなった時は・・・」
ああ、もうそんな心配してるのか。佐伯は可笑しくなったが、ここで笑うわけにも行かない。
「そうなるかどうかわかりませんが、なった時は僕が考えます。」
佐伯が言うと
「そうか、わかってくれたか。前から、君は見どころがあると思ってたよ」
前から思ってても、名前は覚えてないってかよと、突っ込むわけにもいかず、佐伯は曖昧に頷いた。
「今日は、君も何かとやりにくいだろうから、居る場所がないなと思った時はこの部屋にいていいからね。」
部長はご機嫌を取るように言ってくれたが
「はい。その時はそうさせて頂きます。」
佐伯はそう言って、部長室を出た。
すると、環がその前に立っていた。
「あ、ちょうどいいや。話があるんだけど大丈夫?」
「はい。すぐに戻らなくても誰も何も言わないでしょうから、屋上でも行きますか?」

2人は人気のない屋上へ上がった。
フェンスにもたれながら、環が話し始めた。
「私の高校の時の後輩で、1年の時化学オリンピックで金メダルを取り、2年では物理オリンピックで金、3年では数学でもそれに等しい成果を上げた天才が居たのを思い出したんだ。」
「中村って言いませんでしたか?」
「そうそう、それで気が付かなかったのよね。まさか、佐伯になってるって思わなかったから。」
佐伯は黙って頷いた。
「あなたの学歴だったら、庶務課に配属されるわけ無いわよね。良かったら話してくれないかな。」
「なるほど、僕が人事部長室に居るって知っていらしたわけじゃないと思いましたが、そういうわけですか。」
「あはは。さすが鋭いわね。部長に仔細を聞いて、問題ないようなら私のチームに引き抜こうかと思ったのよ。
でも、本人が居るなら、直接聞いたほうが早いと思ってね」
「隠すようなことでもないから、環先輩には話しますよ。」

そう言って、佐伯が話しだしたのは・・・

佐伯が大学2年の時、父親がある事件に巻き込まれ、母親と佐伯を守るためには離婚したほうがいいという判断で、離婚して佐伯という母方の姓を名乗ることになった。その後、事件は解決したが、心労のためか父親は帰らぬ人となってしまった。会社や迷惑をかけたと思う人達からの援助で、生活に支障はなかったが、大学4年になるとすぐ、母親が精神的な要因からか若年性のアルツハイマーになってしまった。佐伯は母親の看病をするためには、研究室などの時間が不規則なところへ回されないようにと、自分の履歴書からそういう部分は削除して試験に望んだために、希望通り今の部署に配置になったとの事だった。

「それで、あなたは満足してるの?」
「昨年、母も亡くなって、自由に時間が使えるようにはなったんですが、今更、わがままも言えませんからね。」
「そっか。わかったわ。話してくれてありがとう。」
「いいえ。気にかけてくださって、こちらこそありがとうございます。」
「早希とのことがはっきりしたら、こっちも考えようね。」
「環さんは、他の人みたいにもう決まりだって思ってないんですね。」
「うん。思ってない。あなた以上に早希の事知ってるからね。」
環はいたずらっぽく笑って言った。
「そうですよね」
肯定する佐伯に、環がかぶせるように言う。
「そして、あなたもそれに気がついてる。どうするのか、期待してるのよ。」
「まいったなぁ。なるようにしかならないと思いますけどね。今夜会って話してみますから。」
「うん。じゃあ、みんなの視線に耐えて頑張ってね。」
そう言って、佐伯の肩をポンと叩くと、環はニコニコしながら帰っていった。
佐伯は、そこで早希に今夜話がある。部屋とかではなく、どこか外で会いましょうとメールをして倉庫へとむかった。

早希が指定したのは、中華料理の店だった。酒の飲めない佐伯に気を使ったのだろう。
席につくと早速佐伯が切り出した。
「昨夜は、ありがとうございました。お世話をかけました。」
「いやいや、気にすることではない。それより、私は外に出ていたからそうでもないが、社内では大変だったらしいではないか?」
「そうですね。人事部長にまで結婚するのかって聞かれましたよ。」
「ほほう。それでなんと答えたのじゃ?」
早希が、いたずらっ子のような顔で聞く。
「まだ、わかりませんっていいました。」
佐伯が真顔で答える。
「わからないってことは、可能性があるってことだな。」
早希が意地悪く突っ込む。
佐伯はそこで背筋を伸ばすと早希をしっかり見つめた。
「早希さん。入社してあなたのことを知った時から、あなたに憧れてました。そして昨日今日のようなことになって、嬉しい限りです。このまま付き合えて結婚ってことになったら素晴らしいと思います。」
まだ続きがあるのがわかっているだろう。早希は佐伯を見つめたまま黙っている。
「きっと、早希さんも僕のことを嫌いではないとは思います。そこは間違ってないですよね?」
「嫌いではないどころか、好意がなくてできることでは無いと思ってくれぬか。」
「はい。では、早希さんも好きだと思って話を勧めさせてもらいます。」
「はい。」
「とても失礼な言い方になりますが、早希さんの中で好きは3割ではないのでしょうか?」
「どういう意味じゃ?」
「後の7割は、自分に酔っているというか、男に尽くす事に酔ってるといえばいいでしょうか。確かに僕のためにしてくれてはいますが、僕が望んだからではなく、自分がしたいから。もっと言えば、僕にだからしたのではない・・・・」
そこまで聞いて、早希は視線を逸らせた。
しばし、沈黙が支配した。
口を開いのは佐伯だった。
「生意気なこと言ってすいません。」
「どうしてそう思うのだ?」
早希が目を上げて佐伯に尋ねた。
「そう感じたとしか言いようがありません。早希さんを好きだから、どちらかが与えるとかでなく、お互いに良い方へ共鳴しあっていきたいって思うんです。」
「鋭い男じゃな。自分ではわかっておったが、面と向かって言われたのは初めてじゃ。」
「すいません。」
「謝らんでいい。で、どうするつもりじゃ。」
「待ちます。早希さんが自分の心としっかり向き合って答えが出る時まで。」
「承知した。感謝いたすぞ。」
早希がそう言った所で、携帯が鳴った。出て話していた早希が
「申し訳ない。お得意の大〇〇工業の社長からのお誘いじゃ。しばらくご無沙汰しておったからな。今から少し飲んでくる。」
「そうですか。わかりました。では、今日はこれで。」
2人はそこで別れて、早希は社長の待つショットバーへと向かった。

店の中へ入ると、カウンターの隅に社長が居た。
「こんばんは。環ですか?」
早希が隣に座りながら言う。
「さすがだね。」
社長が笑う。
「こんなタイミングよくお誘いが来るわけがありませんから。で、環なんと?」
「社長の助言を必要としてるはずですから、話聞いてやってくれと頼まれたよ。」
「そうですか。忙しいのにお手を煩わせてもうしわけない。」
「いやいや、早希くんみたいな聡明な女性に相談されるなんて光栄の極みだよ。」
そう言われて、早希は、昨日の出来事と先ほどの会話を話して聞かせた。
「そういうことか。」
しばし、考えていた社長がおもむろに口を開いた。
「うーーん。早希くんにそんなことをされた、早希くんを好きな男性だったら。普通の男なら舞い上がるだろう。
 自分に自信がある男なら、早希くんが惚れたと思うだろう。
それより上の男なら、完全に惚れてるわけでは無いことに気がついて、なんとか自分の方を向かせようとするかもしれんな。
そして、滅多にはいないが、その上のレベルの男なら、きちんと早希くんの気持ち確かめた上で、早希くんが飛び込んでくるのをまつだろうな。」
「なるほど。佐伯はトップレベルの男だということですか。」
「君だってそう思ってるんじゃないかね。今までそんな男に出会ったことなかったから、戸惑ってるんじゃないのかね。」
「そうかもしれません。あんなにはっきり言われたの初めてですし・・・」
「良い機会だと思うよ。しっかり自分の心と向き合ってみなさい。」
「はい。そうします。」
「それだけでも、成長させてもらってる。いい男だな。」
「ああ、そうですね。彼がそういう機会作ってくれてるんですね。」
「うん。後はあなた次第じゃ。」
そう言って、社長は目の前のグラスを口運んだ。
早希は、社長にお礼を言って店を出た。


2人が 付き合うことになって 一番喜んだのは環だった。
早速根回しをして 佐伯を研究室へ移動させた。
それが 新しい悲劇を生み出してしまうとも知らずに・・・


ある日 環は 美沙子から呼び出しを受けた
「環さん、早希さんがおかしいんですよ?」
「どんなふうに?」
「今までじゃ考えられないような ぽかしたり、プレセンの途中でボーとしてたり」
「あら 恋ぼけかしら?」
「もう 3ヶ月ですよ?」
「わかった。それとなく聞いてみるね。ありがとう」


次の日 研究室で
「大里主任。 ちょっといいですか?」
と 部下に話しかけられた。
「いいけど。どうしたの?」
「佐伯さんなんだけど、家帰ってないみたいなんですよ。彼、とても優秀で真面目だから 没頭してるみたいなんですけど
 ちょっと やり過ぎかなって思ったんで一応報告です」
「そう。わかったわ。早速聞いてみるね。ありがとう。」


環は その足で 佐伯のいる 研究室へ向かった。
ドアを開けても気が付かないほど、佐伯は没頭している。
鬼気迫るって感じさえ 漂わせている・・・
「佐伯くん。」
その声で 佐伯が顔をあげた。
「主任? どうしたんですか?」
「それは こっちのセリフ。何がどうなってるの?」
環は 美沙子の話と部下の話の両方を兼ねて聞いた。
さすがに佐伯は察しが良い。
「説明する気はあるのかしら?」
「こっちの件については 近いうち報告できると思います。そっちの件は 早希に聞いてもらうしか
 僕じゃ説明できかねますから・・」
「そう、では 1週間以内に 報告すること。いいわね。」
「はい。わかりました。」
佐伯は これ以上は言わないだろうと 環は判断して
早希と話すことを選んだ。


その日の夜
「あなた達、 なんかあったの。」
と 環。
「うん。あったというか、なかったというか・・・」
「もしかして、あなた達 まだとか?」
この辺の頭の回転は 並ではない環が 早速突っ込む。
「うん・・・・」
「なんでまた?処女ってわけでもないだろうに、何やってんだかね
 その胸 バレるのが嫌だとか言ってんじゃないでしょね?」
二人きりだから 言葉も容赦無い。
「もう、そういうのじゃないってば・・・」
「あれ?早希 普通に話してるね。女子と話してるみたいw」
ここにも 佐伯効果が出てるんだァっと思う 環だった。
「からかわないでよ。自分でも違和感あるんだから。」
照れるなんて感情もあったんだと 突っ込むのは遠慮する。
「それで、理由言う気はあるの?」
「わかってはいるのよ。彼が 性的な欲望で言ってるんじゃないことも
 そうなるのが 自然だってこともね」
環は黙って 先を促す。
「でも、身体が反応しないのよ。」
そこで 環は気がついた。
「ああ、あなた自分から惚れたってないもんね。求められて 半ば強引にってパターンしか経験ないんだね。
 ある意味 天然培養だからだw
大切にされたい 大事にしたい その気持ちが あるから できないのかもしれないね」
「ああ そうかもしれない、大好きなんだよ 愛してるんだけど
 まだっていうか、もう少し時間かけて、私の気持ちがMAXまでって思ってるんだと思う。」
「そうか。でも、佐伯にそれは言ったの?」
「ううん。私だって今わかったようなもんだから、うまく説明できてないと思う」
「それにしても確かに 近くで見てて 佐伯は思ったより子供のとこあるけど
 それもわからないで いじけるほどの男とは思えないけどな」
「わからない」
「二人のことだから、私があまり口も出せないし、もうすぐ 報告出すって言ってたから それまで待つ?」
「うん。仕事はがんばる。なにか 分かったら教えて」
「了解」


それから 5日後
佐伯から 上がってきた研究結果は
これで 特許申請できるだろうと思わせるほどの成果だった。
「これは・・・。短期間でこんな成果って あなたってすごすぎるわ・・・」
さすがの環も 驚いて何も言えない。
「いくら こちらに来たとはいえ 成果上げなきゃ、結婚したら 追い出ちゃうかもしれないと思って・・」
「そんなこと考えてたんだ。大丈夫 これでもう 絶対あなたのこと 会社が手放さないわ」
「よかった。」
「もう 今日はいいから、 上がって 早希と話し合いなさい」
「なんか言ってましたか?」
「なんか あったら言ってと言われるから これは報告しとくあとは 2人ではなしたほうがいいわ」
「わかりました。いろいろすいません。」


そして
2人は
「ごめんね。ちゃんと説明できなくて・・・」
と 早希。
「ううん。僕がふさわしい男になればいいだって、結婚できるに見合うもの 与えられたらいいんだって
 そう思ったから、早希が 自分のせいだって思ってるって気が付かなくて」
と 佐伯。
すれ違ってた心が
また出会った瞬間だった


環の計らいで佐伯は3日ほど休みをもらい早希も1日だけ休むことにした。
久々に 二人で出掛けることになって早希は 自分から手をつないで
そんな自分を変わったなぁって思ったりした。
二人が商店街を抜けてガード下に差し掛かると
警察や人だかりがしていて何事かと見ると
トラックが無理に侵入して屋根がガードにはまってしまっていた。
「ぎりぎり通れるとおもったんですよぉ」と
運転手であろう男が言ってる。
「こりゃ特殊班呼んでガードか 屋根きるしかないな」と
警察官同士が話してる。
と佐伯が前まで人をかき分けて出ていくと警察官に
「これならそこまでしないで大丈夫ですよ」
と言った
「どうするって言うんだめり込んでるんだぞ」と警察官
「そうだけどたぶん5センチぐらいでしょう。だったらタイヤの空気抜けばそれぐらいは車体さがるでしょう」と
佐伯
「なるほどぉ そんな簡単な方法があったか。さっそくやってみよう」
実際やってみれば佐伯の言う通り隙間が空いて トラックはバックして無事脱出に成功した。
それを見届けると
もう 佐伯は興味ないように歩き出していく。
早希は急いで追いかけながら
ほんと この人ってすごいわ なんでもないように
とんでもないことさらっとやってのける。
この人について行こうと改めて思った。
そして その晩佐伯が 食事をしていこうと
早希を連れて行ったのは 初めて環や美沙子たちと来た和食の店だった。
「ここから 始まったんだから 区切りの時はこれからもここへ来ようね」
と佐伯。
「うんいい考えね そうしましょう」
と早希
「食事しながら飲んでしまって酔っぱらった勢いだと思われたくないから 今話す」
と佐伯
「はい」
と早希
「俺偉そうに言ってたけどほんとに俺でいいのかと迷ってもいた」
早希は無言でその先を促す
「早希にふさわしい男なんだろうかって思ってた。だから 勝手にかけてみたんだ」
「早希が待っててくれてる間にある程度の結果を出せて 環さんや早希が認めてくれたら
 その時にちゃんと言おうって決めてた」
「今がその時だと思うから 言わせてもらう」
「俺は早希が好きだ 早希以外の女性は考えられない。結構前提で俺と付き合ってほしい」
「今さらって思うかもしれないけどきちんと言葉で伝えたかった」

しばしの沈黙の後早希が言った
「ありがとう嬉しい」
「私は逆にあなたを待たしてるって思ってた・・・・」
「あなたの望むんでることわかってて避けてた・・・」
「ごめんなさい」
「こんな私でいいならあなたの色に染めてほしい」
「あなたについて行くから離さないでね」

早希はじわっと
身体の奥からあふれてくるものを感じていた
こんなの初めて
早希は今はっきりと佐伯に抱かれたいと思った。
おかみを呼ぶと
「すいませんお酒はキャンセルしてもらえますか?」
と早希
入って来た時とは雰囲気が違ってるのを察したおかみは
「かしこまりました。では料理のほうもお食事まで一緒に出るよう手配しますね」
と変わらぬ笑顔で対応してくれた
佐伯がだまって 早希を見つめた
「酔った勢いだと思われたくないからね」
はにかんで早希が言った

無題

無題

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-04-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted