連れて行かれた娘

 これはoptiの話です。
 昔、東シナ海の小島にoptiという名の娘がいました。optiが生まれたのは島に例年やって来る、激しい嵐の晩でしたが、彼女がこの世に足を踏み出した途端、雨は止み、風は治まり、雲が切れ、南十字星が種々の星々を伴って現れたということです。optiは幼い頃から愛らしい子供でした。史伝は「美しいだけならそれまでも彼女くらいの、いや、更にそれを上回る美人は存在してきた。しかし」と伝えています。「彼女ほど人を暖かく、柔和にさせる女性は未だかつていない。」彼女ほど人を和ませ、改心させ、希望を与える女性は。
 optiは厳しい寒さのないこの地域の穏やかな気性の集大成でした。彼女の傍らにいると、空気以外の何かが触媒となって心に作用する。人間に対してだけでなく、動物にも、自然にも。本当に、彼女の存命の間に、目立った災害は何一つ、起こりませんでした。まれに市井に野獣が下りてくる と、人々は微笑みかけ、彼らの居るべき所を示す、すると彼らは迷子の異邦人のように、頭を下げ ると、そちらの方へ帰って行きました。暴風雨も島民にとってはやんちゃなきかん坊でした。「今にそれらは収まる。そしたら」と彼らは言いました。「奴らのもたらした益が我々をうるおすのだから、ありがたいことだ。」嵐の後にはたっぷり真水を吸った土肥が残る、運ばれてきた種が発芽する、稀に、他島の風物が飛来したりするので、子供達は大はしゃぎで島中をかき回しました。
 島は貿易船の中継地点ともなっていたので、情報に飢えることはありませんでした。停泊する異国人とのやりとりほど魅力あるものはない! 彼らに水や食料を提供することにより、ある程度の利益を得て、島民は満足ゆく生活をしていたのでしょう。それは当時としては、かなり恵まれたものでした。だから、島には遅くまで武器というものが存在しなかった、近年の、大国による不幸な侵略までそれは必要ありませんでした。しかしこれはもっともっと昔の、optiが居たのはその中でも最も安定した、穏やかな時代でした。
 子供時代の性のない体を抜けると、optiは他の娘と同様、一人の少年を思う自分に気付きました。 彼の為に彼女達は着飾り、爪に花の紅を塗る。optiの場合は、幼い頃から一番仲の良かった島長の息子でした。そして当然に、彼もoptiを愛していました。二人は、認められる年齢になったら、一緒になろうと誓い、皆もそれを祝福しました。彼には、四人の姉と一人の妹がいました。姉達は皆、他へ嫁ぎ、二つ下の妹だけが残っていました。彼女は名をpessiといい、optiとも大の仲良しでしたが、不幸にもかたわでした。
 彼女には心の一部が欠損していました。それは、この島はもちろん、世界中で誰でも生きて行くのに必要な安定が欠いていたのです。彼女は常に不安で、触れる物全てを不幸にしてしまうのではないかと脅え、実際にそうしてしまうのです。彼女は微笑めず、他人を思いやれず、かといって自分自身を支えることもできず、びくびくしながら日々を送っていました。そんな彼女でも、optiといる時はそこに存在する自分を感じ、顔を上げて、辺りを見回す事ができました。そこは抱擁力のある、明るい、踏み出されるのを待ちわびている世界だと彼女は思いました。遠くに浅い丘があって、向こう側を見に走り出したくなるような長い道だと。しかし彼女はそうしませんでした。立ちすくんで、追い抜いてゆく人々を見送ることしかできず、それができればまだ良い方。それさえできず、顔をおおい、泣き出してしまうこともありました。そんな時optiは近付いてきて、彼女と一 緒に泣いてあげました。すると泣くという、彼女にとって逃げ場の無い、絶壁の表現が生の証という肯定的意味に変わるから不思議でした。生きて行こう、と彼女は思いました。惰性でもいいから、生きて行こう。
 pessiはoptiを慕い、愛しました。彼女のようになれたらな、と陰で素振りをまねしましたが、結局pessiはpessiでした。それでもpessiは悲しみませんでした。optiが居るから自分が居れる。そして自分は自分なんだ。
 optiの爪に何千回、何万回と花の紅が塗り重ねられた後に、今度の台風が去ってからの結婚が許されました。彼女の家族や友人は大喜びで晴れ着の準備に取り掛かり、うっとおしいはずの季節を待ちました。
 ところで、遡ること数十年、この島に厚い海を隔てて隣合う大国からの使者がやって来ました。使者は、自分に差し出された花束をなぎ払い、島民に貢ぎ物を要求しました。売買や商談に慣れている彼らにはその意味が分からず、掲げられた刀によって、これが略奪なのだと悟りました。平和を重んじる彼らはあえての抵抗を避け、富の一部を「分配」し、その年は引き上げてもらいました。しかしそれ以降、使者達は台風の来る2~3週間前に渡来し、訳もなく財物を没収すると、あわただしく帰って行くようになりました。
 optiが身仕度に勤しんでいたその年も、いつものように彼らはやって来ました。しかし、今年は勝手が違って、使者の代替りがあり、前任者の息子がその任を負ってやって来ました。使者達はいつもの通り、“歓迎の宴”の三日間に、上部の者は大いにくつろぎ、弓矢や銃で的当てをしたりして、彼らにとっての“娯楽”の少ないこの島の生活をやり過ごしました。一方、従徒達は島民を伴って、船に戦略品を運び入れました。彼らの滞在の間、本当に貴重な宝物や、若い娘達は島の裏手の洞窟に隠されました。だから、使者達が年に一度、航海での様々な危険や台風の気配に脅えてまでして取り上げに来る品々は、島民に取ってはさしさわりのない物、富の余剰だったのです。むしろ、使者達は気の毒なのだ、と島民は考えるようになっていました。
 他の若い娘達と一緒に避難していたoptiは楽しくおしゃべりしながら自分の婚礼衣装の仕上げにかかっていました。たとえ三日間でも遊び盛りの彼女達を閉じ込めておくのは難儀だろうと、たくさんのお菓子や果物、遊び道具が用意されましたが、予想に反して、楽器を奏でたりあんまりうるさくすると、付添いの老婦人達が注意する他は、日常生活とは一味違った行事が楽しみだったのです。
 洞窟に来て二日目にoptiは花嫁衣装を縫い上げました。これを今すぐ恋人に見せたい、と思いましたが、一歩たりとも外へ出るのは許されていない。見張りが居るし、恋人の家への道すがら誰かに会ってしまうだろう。しかし身に付けた姿を見せたい気持ちは高まるばかり、その夜が新月だったことが決意を固め、optiは闇に紛れて抜け出しました。
 幼い頃以来初めて見る使者達の宴のまばゆい明りをたよりに、心細い星の光の下、身をひそめて彼女は進んで行きました。どうきを抑えて恋人の家に忍び込み、眠っている彼を揺り起こす。彼の驚きようときたら! その愛らしさにoptiは道中の恐怖を忘れました。彼はとまどい、説明を求め、optiを改めて眺める。すると本当に、彼女は今まで共に過ごして来た内で一番美しい彼女でした。婚礼用に施した衣装や化粧はもちろん、冒険の興奮で上気した頬、大きく開いた瞳、染み込んだ夜の匂いが、かつてない美しさを作り上げたのです。
 二人は語らい、時を過ごし、いつの間にか空は白んできました。いけない!と呟くと、あわただしく連れ合って明け方の道を急ぎました。しかし夜中起きていた連中も疲れて眠りこけ、静まりかえり、宴は虚しい明りを放っているだけでした。だから、びくびく移動していた二人も、集落から 離れるに従ってその歩みは遅くなり、しまいに立ち止まって別れを惜しんでいました。周りにある のは海と草むら。背後は急な丘があって、誰もここまで来やしまい。
 しかし少し離れた草陰で一人の異邦人が眠っていたのです。彼は宴の騒々しさに疲れ果て、静けさを求めて、酔いにまかせて歩き回り、いつの間にかこの草むらに横たわっていました。誰かの声に眠りを削がれ、顔を上げてみると恋人同士がささやき合っている。男の方は、紹介された島長の息子だろう。そして女のほうは―――
 optiを見た途端、彼の意識は戻りました。彼女の美しさ、放つ光、ゆるやかな空気。彼女は全てだ、と思いました。彼女は宝だ。
 そしてむくっと起き上がると、ふいを打たれた恋人同士の所に駆け寄り、optiを捕まえると言いました。
「この娘は連れて行く。」

 島に衝撃が訪れました。
 optiが連れられてしまう! しかも野蛮な民族の引率者に!
 optiを見つけた男は新しくやって来た、前任の息子である使者だったのです。彼はoptiに言いました。自分には国に妻も居る。側室も居る。しかしそれ以上におまえが欲しい。自分は国では地位が高く、困らせるようなことは何一つとてない。住居も、着物も、装飾品も、召使も何でも与えてやる。だから喜んで来い。
 しかしoptiは何を聞いても泣くばかりでした。泣いて、私には許嫁が居ます。もうすぐ結婚するのです、後生ですから許して下さいと謝るばかりでした。
 知らせは、娘達の居る洞窟にも入り、同情したこれも美しい娘が何人か、替わりになろうと使者の所に行きましたが、その誰にも彼はうなずきませんでした。optiでなければだめだ。彼女には力がある。自分の中の気付いていながら、ないがしろに放って置かれた穴を一瞬にして埋めてしまう 力が。
 こんな風に言った使者も、寂しい―――それもとりわけに空虚な心の持ち主だったのでしょう。 彼の人生はうまくいっていた、しかしどことなく足りないのはゆるめること、人の目を気にせず微笑む、感情のままを口にする、張っていた肩を下ろす―――optiにはそれがあった、それを誘発する磁石のような作用が。
 果して使者達がこの島を訪れるのは、単に奉献物の回収の為だけだったのでしょうか? 彼らは自分に不足なある要素を、教典を求める僧のように捜し、さまよい、漂着したのではないでしょう か。しかし長らくそれには気付けなかった。気付けないまま、今、暴力で奪い取ろうとしている。
 自分の家に移され、泣き続けるoptiに母親は言いました。あなた達若い人は、もう慣習になって忘れているかもしれないけれど、若い娘を隠しておくのは、放っておくと、好き勝手に彼らに連れて行かれてしまうからよ。それで幸福になれるのなら、私達も文句は言わない。でも、目新しさだけで連れて行かれた彼女達は、異国で邪険にされ、野蛮な風俗に染められず、悲しみのあまり死んでしまうのです。私の母の妹も連れて行かれて、だけれど奇跡的に戻って来た。命からがら逃げだして、語った話の恐ろしかったこと! それ以来、娘達は大切に、隔離しておいたのです。あぁだけど今さら言ってももう遅い。あなたは特に安らぎを好む子だから、人一倍つらいかもしれない。 だけど希望を失わないで。いつかきっと、帰って来れるわ。
 三日目の晩は更けるばかりでした。とうとうoptiは涙を拭い、恋人に告げました。私は明日、行かねばならない。行かなければ島民は皆、あの人達の持っている道具で殺されてしまう。あぁだけど、的当てに使っていただけの弓矢や鉄砲というものが人を傷つける道具になってしまうなんて、 彼らは何でも凶器にしてしまうんだわ。私が行っても、悲しまないで。私はきっと、帰って来る。 いつかきっと、あの男は私に飽きるでしょう。そうしたらすぐに、帰って来る。絶対に帰って来るから。
 恋人もうなずきました。いつまでも待っている。いつも北の海を見て、君が帰って来るのを真っ先に見つけるよ。
 彼が体を張ってでも阻止しなかったのを臆病だと思わないで。この島の気性が、何よりも争いを好まなかった。同じように、二人が心中しなかったのも、彼ら民族にはそういう概念は存在しなかったから。
 その時、闇を押して洞窟からpessiがやって来ました。彼女はoptiに会わせてくれと告げ、恋人同士が呼ばれました。私があなたの替わりになるわ、とまずpessiは言いました。皆、周りの者は、それは有難いけれども、もう何人もの娘をあの方は拒否している。おそらく君も無理だろうと答えました。いいえ、替わりになるのではないの。私があなたの振りをするのよ。
 皆とまどい、顔を見合わせました。私とoptiは年も体格も似ている。ショールで顔を隠し、私はoptiのマネをする。そしてpessiは今まで隠れてやっていた、optiの素振りや声色を披露しました。あぁだけど、決定的な物が欠けているよ。雰囲気だ。optiの漂わす雰囲気は誰もまねることができない。それは彼らにこう言って。兄が、optiの恋人が、悲しみのあまり死んでしまった。だからoptiは七日間喪につかねばならない。この七日の間、彼女は死者の霊を慰める為、大いなる悲しみに居るだろう。そんな彼女に触れてはならない。声を掛けてはならない。もし掟を破れば、どうなるかはあなたの責任だ、と。
 pessiのかつてない自信ある口調に、島民は任せてみよう、という気になりましたがoptiは納得しませんでした。それであなたはどうするの? pessiはどうなるの? pessiは真っ直ぐにoptiの瞳を見つめて言いました。私はきっと帰って来るわ。あなたは私の存在理由だから、私が居なくなっても誰も生きて行けるけれど、あなたが居なくなったら私は生きて行けない。だから必ず帰って来るわ。
 そしてpessiの身仕度にかかりました。喪服を着込み、大きいショールをかぶる。何かできる事は? と尋ねるoptiに、pessiは爪を塗って、と答えました。年頃の娘がする異性を意識した行為。そうだ、しかしpessiは一度もやったことがなかった。そこでoptiは丁寧に厚く、花の紅を塗ってやりました。
 翌朝、島民は昨夜pessiの言ったままを使者に告げました。七日は長い、と思いましたがoptiが手に入った満足にそれは薄れました。死んだ若者の事はかけらも考えませんでした。
 しかしpessiはまさに悲しみにひたるoptiでした。その仕種、声、何もかもがoptiと同じなのに、醸し出す雰囲気だけ正反対なのです。使者は疑いもせずpessiを伴って、帰港しました。
 船上で、pessiは一人で泣くままに放って置かれました。一日目、二日目、食物を口にせず泣き続けるpessiに、使者は慰めたい衝動を抑えてばかりいました。三日目、四日目、彼女の衰弱をおもばかって食事をすすめたかったのですが、警告を思いだし、止めました。五日目、六日目、絶えず泣き続ける彼女に不安が、反対に大いなる悲しみが彼女を連れ去っていってしまうのではないかという不安が生じ、溢れ、七日目、とうとう言葉が突いて出ました。「泣くのは止しなさい。」
 その瞬間、pessiは立ち上がり、甲板に出ると、真っ逆さまに、海へ飛び込みました。そのあまりに俊敏な動作に、部下達は誰も止められなかった、海流は彼女を掬い、まばたきする間もなく連れて行ってしまった。後に残された使者は泣いて、もう過ぎ去った海面を眺めるだけでした。
 ある意味では、彼は本当にoptiを愛していたのでしょう。大分時間がたって、誰も寄せ付けぬまま、その時の姿勢で泣いていた彼は、部下に、これ以降あの島へは行かない、と告げました。又、 お前らも行ってはならない。国には、あの島は別の大国の統治下に置かれ、手を出すのは危険と報 告する、と。そして、以後誰もあの島の話はするな、あの娘の話はするな、あの島は失くなってし まった。無い方が自分達には幸せなんだ、と。
 島ではびくびくして、pessiのやった事の反応を待ちました。一年たち、いつもの季節になっても彼らは来ず、二年たち、三年・・・やがて来ないのが当り前になりました。しかし同時にpessiも帰って来なかったのです。
 optiはいつまでもpessiを待ちました。家族がもうすっかりあきらめ、墓を建てようと提案すると、それでは北の海が見える位置に、と言いました。その墓標の前で、北の海を眺めながら、optiは待ちました。母親になると、子供を伴って、その子供が子供を産むと、孫を連れて・・・そしてpessiの話をするのです。私がいなくなっても、あなた達が待ち続けてね。やがてoptiは死に、彼女を知っている人達も死に、けれどもpessiの話は引き継がれました。だけれど時の流れは話に混迷を与える。やがて、連れて行かれたのはoptiで、待ち続けたのは恋人だ、という風に伝わっていきました。そしてあの墓標は永遠に待ち続けると遺言した恋人のものなのだ、と。pessiは姿を消し、哀しい恋人同士の話として伝わっていったのです。
 しかしpessiは生きていた。

 荒い暖流に乗って、飛び込んだショックで仮死状態になったpessiは遥か北の小島まで運ばれて行きました。そこで、若い漁師に助けられ、命を取り戻しましたが、記憶をすっかり失っていました。漂着した時、既に、長い漂流のせいで身元をたぐるような物を失っていたので、誰にも彼女の生地を知ることはできませんでした。
 やがてすっかり回復したpessiは助けてくれた若者の妻となり、他の、新しい名を名乗って、かつて自分がpessiという心に安定の欠いた娘だったということも忘れて、当り前の主婦となり、母となり、幸せな一生を過ごしました。時には自分の打ち上げられた海岸で、何かを求めて佇むこともありましたが、大体においては満足ゆく生涯だったようです。
 ただ、爪にかすかに残っていた紅色をたよりにしてか、当時そんな風習の無かったその島で、彼女は花を爪にこすりつけて赤く塗っていました。それを見て、夫はおかしがり、彼女は自分でも少し笑って、でも止めませんでした。やがてそれは彼女の娘に伝わり、孫娘に伝わり、島全体に伝わっていったということです。

連れて行かれた娘

連れて行かれた娘

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-04-05

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