茸の冬眠
茸不思議小説です。縦書きでお読みください。
「今年は寒くなるな」
「うーん、んだ」
「あんたさんはどこに行く」
「白根山の洞窟にする、あそこは最近暖かいからな」
「噴火するかもしれないじゃないか」
「確かに、そうなったら仕方がない、おまえさんはどこにいく」
「テントウムシと一緒に、土産屋の天井裏にしようと思うよ」
「あそこは気を付けたほうがいい、時々鼠が出る、かじられちまうよ」
「そうか、あんたのいく洞窟はそういうやつはいないのか」
「蝙蝠がいるが、あいつらは虫しか食わんから大丈夫だ」
「温泉がたくさんわき出ているから、暖かいのはいいが、冬眠するにはあまりいい環境じゃないな」
「冬眠するにはすこしゃ寒くなければな、寒い中でちょうどいいねぐらがあればよく寝ることができる」
誰かわからないが二人の話し声が聞こえた。
秋になると草津の白根山麓に茸採りに来る。東京のマンション暮らしだが、退職後、ここに小さなロッジを買った。気が向くと泊まりにきている。
今回は友人二人を自分の作った茸料理を食べさせると誘った。私は準備のため一日早く来て、朝早く茸採りにいき、今採ってきたところだ。
ロッジのデッキに採ってきた茸をならべた。林で占地の仲間、花猪口など猪口の仲間、山鳥茸に似た茸、おそらく山鳥茸もどきを採った。それに木の生えてない斜面の草地で、唐傘茸や卵茸がたくさん採れた。猪口や占地の仲間はよく似た毒茸があるので要注意である。そんなことを考えてえり分けるため茸に集中していたこともあり、聞こえてきた話し声は空耳かと思ったが、内容をよく覚えている。テントウムシとか蝙蝠とか言っていたが、誰がそんな話をしているのだろうか。
何とかどれも食べられる茸のようだ。ひと段落したのでロッジの庭を見ると、庭にも卵茸が生えている。庭の茸は食べないで鑑賞用だ。
「俺は熊の穴に行く、熊の穴の中は温くてちょうどいい」
さっきの二人とは違う声だ。
「熊は茸を喰わんのか」
「食わんこともないが、俺たちのような小さいのは食わんよ、熊の穴は暖かい、とても気持ちがいい」
「いつも、熊の穴で冬眠するのかい」
「そうだよ、熊さんは冬眠中に子供を産んだりするんだ、大変なこった」
「まあ、我々はどこかいいところを探そうじゃないか、別荘もたくさんあるからな」
なんだろう、茸がなんとかと言っている。庭に人がいるわけではないから外の声だ。庭の先の林の中から聞こえるようだが、誰か茸でも採りに入っているのだろうか。
「わしは飯にする」
「おれもいく」
そのような話の後に全く声がしなくなった。音も映像と同じように屈折するので、遠くの話し声が聞こえたりしないわけじゃない。音の蜃気楼とでもいうのだろうか。そんなことがふっと頭によぎったが、それで忘れてしまった。
夕方友人がそろってやってきた。このロッジにはじめて来る。ロッジは丸太小屋ではないが、太い梁がたくさん使われている、洋風ななかなかしゃれた造りである。本格的な別荘作りではないが、天然温泉をひいた風呂もある。
「いいとこに買ったな、だけど軽井沢までは新幹線で近いけど、そこからバスでずいぶんかかるね」
軽井沢まで北陸新幹線で一時間、そこから特急バスで一時間、さらにバスターミナルから歩いて二十分ほどだ。彼らは車も運転するが、二人とも同じくらいの年で、長距離の運転は疲れると、電車で来ることにしたようだ。
「草津温泉には来たことがなかったんだ、いい機会だよ」
「白根山のスキー場もあるし、宿もたくさんあるし、ここは別荘地で、店があるから買い物は問題ない、温泉には不自由しないし、何せ周りは山だからな、楽しんで行ってくれ」
「昨年は白根山が噴火して大変だったろうね」
「そう、死傷者が出たけど、あれで収まったから今は元に戻っているよ、大きな噴火が起きるとこのあたりも大変になるだろうけどね」
彼らは大学の同級生で、一人は宇宙工学を学んだ美濃部、一人は純粋な理論物理の青島、私は安全工学である。美濃部は大手の重工業の会社に入り、今新聞をにぎわしている小型のイプシロンロケットの開発に携わってきた。青島は大学の教授である。あたらしい理論こそ作り出さなかったが、多くの現象の解決につながる理論を発表している。私は車の会社に入り、安全にかかわる自動制御の開発を行ってきた。自動停止装置などである。私も含め皆退職してからも、何らかの形で会社や大学に関わっている。だが働いているときと違って、時間がたっぷりある。奥さんたちも元気で、本人たちにかまうことなく好きなことをやっているので、ある面気楽である。
「このロッジ使わないときはどうしてるんだ」
「子供たちも孫を連れてよく来るんだ、空いているのは飛び飛び状態かな、でも空いてる時なら、使ってくれていいよ」
「それはうれしいね、その時は頼むよ」
二人は寝室に荷物を置いて、居間に入ってきた。
「茸料理をご馳走してくれるということだったので、ウヰスキーだけ買ってきた」
「ありがとう、今日は俺がとってきた茸の料理だ。牛肉を買っといたから、ステーキも作るよ、ビールは地ビールだ」
「へー、小池は料理なんかしたことがなかったろ、大学の時はずーっと母親の弁当だったじゃないか」
私は小池という。
「まあな、料理は退職してからだよ、結構面白いものだ」
「俺はだめだな、単身赴任のときは外食だったし、退職して家にもどってからは、かみさんが勇んで作ってくれるんで、手は出せないよ」
美濃部はロケット打ち上げ現場近くに単身赴任だったのだ。
「俺のところは、いまもかみさんが作ってくれるから、全く料理はわからんな、でも皿洗いはするようになった」
「そのくらいはやらなくちゃな」
「二人とも湯に入ってきたらどうだ、風呂は自慢なんだ、寝室にタオルなんか置いてあるから、使ってくれよ」
「そうさせてもらおうかな」
「パジャマになっちまえよ、俺は茸のつまみをつくっておくよ」
風呂は二階のベランダにある。家族で入れるくらい広い半露天風呂である。
二人はそろって風呂に入りに行った。
その間に、準備しておいた茸の煮しめをつくり、買っておいたジビエの干し肉などのつまみを居間のテーブルに並べておいた。
「いい風呂だねー、檜造りで、かけ流しか、高かったろう」
青島が先に上がってきた。
「いや、風呂そのものはそんなでもないのだがね、登録料と維持費がそれなりにかかるよ、だけど、東京の暖房や冷房費を考えると安いものだよ」
「東京のマンションと両方の維持では大変だろう」
「今はね、いずれ、ここに住んで、マンションは息子たちに明け渡すつもりだから」
「そうなのか」
美濃部も上がってきた。
「いい湯だね、半露天風呂か、山々が見えていいね」
「二人ともビール勝手にやってくれ」
「草津高原ビールか、しゃれた瓶だ」
三人で乾杯して、キッチンに移った。
「これから茸オムレツつくるよ」
得意なオムレツである。オムレツには採ってきた卵茸を使った。卵を五つも使って大きいのをこしらえた。
「お、見かけは立派なオムレツだな」
青島は相変わらず口が悪い。
「食ってみろよ」
「うまいねー、中に入ってるのはなんの茸だ」
「卵茸」
「どんな茸だ」
都会でも生える茸だが、真っ赤なうえに、墓に生えたりするので、あまり近寄らない人が多いな」そう言って、壁に掛けてある写真を指差した。
「こりゃ、毒茸じゃないの」
「食べられる茸の中でも旨い茸で知られているよ、シーザーが好んだ茸だ、フランス人、いやヨーロッパ人は大好きだ」
「へー」
二人は二本目のビールを開けた。
「昨日茸を仕分けしてたときね、空耳が聞こえてね」
「なんだい、それ」
「いやね、茸がなんかしゃべっていた」
「おいおい、よせやい、まだ呆ける年じゃないぜ」
「うん、だけど、ほんとに聞こえたんだよな、妄想なのかな、医者に行こうかな」
「きっと、林の中でだれかしゃべっていたのが風に乗って聞こえたのじゃないかね、風向きや強さなんかで変なところの音が聞こえたりする」
美濃部は昔から親切な言い方をする。
「そうかもしれないな、俺もそう思ったんだ、その時、蜃気楼のような現象が、音の世界にもあるんじゃないかと思ったよ」
「小池だって知ってるだろう、音は水に入れば屈折する。物に当たれば反射する、ということは、そういうことはありえるんだ」
「うん、空気の温度差でも屈折する、寒いと早く音が伝わったりする、だけど、そういう音の蜃気楼なんて現象を聞いたことないよな」
「不可能じゃないよ、小池が初めてそれを経験したのさ」
「確かに、山の斜面の反射と、山とこのあたりの温度の違いなどがそんなことを起こしたのかもな」
「そうだな、よかった小池、まだ大丈夫だ」
二人は笑ってオムレツをみんな食べてしまった。
「それじゃ、飯をつくるか、グリル茸とステーキ、それに唐傘茸のフォイル焼き、茸の炊き込みご飯だよ、茸のマリネができているから、それ持って、居間でビール飲みながらテレビでも見ててくれ」
「悪いね」
二人は居間に行き、私はまたキッチンに立った。茸のご飯はできているし、フォイル焼きは用意してあるのでレンジに入れればいい。ステーキ肉は下ごしらえをしてあるのでそんなに時間はかからない。
「はやいね」、できたので呼ぶと、彼らは飲みかけのビールを持ってキッチンにやってきた。テーブルの上の料理を見て驚いている。
「本格的じゃないか」
二人ともビールを飲みながら黙々と食べ、あっという間になくなってしまった。
「うまかったよ」
そのあとは居間でウヰスキーを飲んだ。今の日本は間違った教育で後継者が育たないことを愚痴りながら、その日が終わった。
あくる日、白根山の山頂は入山禁止で行くことができないこともあり、草津の町の中をぶらぶら歩き、足湯や温泉につかったりしてすごした。その日の夕食は、ちょっとおいしい店に連れて行った。
「おかげさまで、のんびりできたよ、あのレストランもよかったが、小池の茸料理のほうが旨かったな」
お世辞を言わない青島にしては珍しい。
「いつから、世辞をいうようになった」
「俺は、本心しかいわない」
その返事に美濃部と私は笑った。
「冬になったら雪はすごいんだろ」
「ああ、それなりにすごいよ」
「そんなときに来てみたいな」
彼らは草津を満喫して帰った。もうすぐ雪が降りはじめだんだん冷え込んでいく。
年が明け、あっという間に二月になった。今年も昨年と同様にとても寒い日が続き、雪が多かった。美濃部と青島が今回は二泊の予定で泊まりに来た。その日は雪が降りそうな雲行きで、かなり冷えていた。
我家のロッジは雪の季節になるとにぎわう。二人の子供たちは入れ替わりに孫を連れて何日か利用するし、かみさんも友達を連れてスキーや温泉を楽しみに来る。私はどっちかというと東京にいることが多い。今年は二人に合わせて一緒に来た。
「すごい雪景色だな、雪かきはどうしてるんだい」
美濃部がきれいに雪かきされているロッジを見て言った。
「別荘地の管理会社に委託しているんだ、湯の権利以外に雪かき料を年間十二万払っているからね、結構安いほうだよ」
依頼すれば修理などもしてくれる。
今日の食事は鍋である。出前の鍋料理屋があって、セットで運んできてくれるので、手間はいらない。肉と魚とどちらかを選ぶと、その店でその時々に一番おいしいと思われるものを持ってきてくれる。
届いたものを開けてみると、猪鍋だった。野菜類から蒟蒻などすべてそろっている。もちろん汁もついている。
「風呂に入ってこいよ、俺はあとでいいから」
二人が風呂に浸かっている間に、つまみのオムレツを作ることにした。乾燥したポルチーニを戻したものを使った、茸オムレツだ、またかといわれるかもしれない。それに牡丹鍋をすぐ食べられる状態まで煮込んでおいた。
「雪がふってきたよ」
美濃部が先に上がってきた。
「降りそうだったからね、今夜は雪見酒だな」
青島も出てきた。
「それにしても部屋の中はあったかいね」
「うん、電気を喰うけど床暖房とエアコンだね、だけど暖炉もあるし、石油ストーブも用意してあるよ」
電気が切れたときは大変なことになるので、この地では色々な種類の暖房器具を用意しておくことが不可欠である。
「お、あのオムレツだ、この間はうまかったぞ」
彼らはちょっといい反応をした。
彼らはすぐに席に着くと、ビールを開けた。
「そういえば、ここに着いたときに、家の中が暖かかったな」
「うん、管理事務所に電話をしておくと、暖房のスイッチを入れてくれるんだ。スマートフォンなんかを使っていると、自分でもスイッチを入れられるらしいよ、息子などはそうしているけど、俺はできないから、電話で事務所に頼むんだ。事務所で暖房がついているかどうかわかるんだよ、消し忘れて家に帰っても、連絡すれば消してくれる」
「便利だね、だけど安全工学の大家が何でスマホを使わないんだ」
「コンピュータ漬けだったからね、なんとなくいやなんだ」
「わからないことはないけどね」
彼らは秋の時と同じようにあっという間に、卵五個で作ったオムレツを食べてしまった。
「それじゃ、牡丹鍋に火をいれるよ」
テーブルの携帯コンロに点火した。すぐにぐつぐつと鍋の中の野菜が動き出した。
「ほとんどできていたから、温まったら、突っついてもいいぞ」
私の声で、彼らは鍋に箸をいれた。
「猪の肉、臭みもないし、柔らかくて旨いね」
「うん、旨い、ビールが進む」
あっという間に半分ほどになった。
「この鍋屋は知り合いの鉄砲撃ちが射止めてきたものを使っているから、本当に天然なんだ、ちょっと高いけどね」
と言ったときであった。キッチンの梁の上から何かがテーブルに落ちてきた。
「なんだ」
青島がちょっとのけぞった。
落ちてきたものはテーブルの上で一度バウンドすると、またテーブルの上に落ち、私の前に転がってきた。
茶色い茸だ。
「天井で茸が生えたのか」
美濃部が箸で茸をつついた。
その拍子に、転がっていた茸がぴょこんと立った。二人とも何が起こったのか分からず、箸を止めて茸に見入っている。もちろん私も驚いて茸を見つめていた。
茸の傘から滴が一つ落ちた。
「なんだ、この茸、滴を垂らしている」
「泣いているみたいだ」
なんだかわからず茸をどけようと手をのばすと、茸がすっと私の手をよけた。茸が動いたのである。
我々は顔を見合わせた。
「おい、俺の妄想か、幻視か」
青島が言うことに、美濃部が首を振った。
「俺だって、茸が動いたのを見た」
私が言うと、二人とも頷いた。
「かわいそうに」
小さいが、はっきりと、茸から声が発せられた。
青島が「なんだ」と、箸をテーブルにおいてしまった。食べるのを一時中断だ。
「茸がしゃべっているのを聞いただろ」
美濃部が言うことに、われわれは頷いた。
「何がかわいそうなんだ」
青島が茸に向かって言った。
「花子がこんなになっちまった」
茸が答える。
「花子って誰だ」
「かわいいウリッコだったのに、ちょっと大きくなったら撃たれちまったんだな」
どうも、鍋の中の猪のことのようだ。
「去年の五月に生まれた兄弟五人の中の唯一雌で、かわいい子だった、俺たちの林の中によく遊びに来てな、かまってやったものだよ」
そこで、茸の声のトーンが変わった。茸はゆっくりと回ると、
「いいから食えよ、おいしく食ってやってくれ、邪魔して悪かった、花子はこういう運命だ、もう肉になったんだから美味く食ってやれ」
我々はまた顔を見合わせてしまった。なんだか食べづらい。
美濃部が茸に向かって言った。
「どうして、花子だとわかったんだい」
「花子の匂いは、紅天狗茸の匂いだった、茸の中で一番きれいな茸だ、それで花子と呼んでいたんだ」
茸としゃべっているのもおかしいことなのに、茸が匂いをかぎ分けるというのも不思議なことだ。
「それで、茸さん、どうしたあんたはここにいるんだ」
落ち着いてきた青島が尋ねると、「冬眠にこのロッジを借りた」と言って、茸がのけぞって上を向くようなしぐさをした。我々も上を見た。天井は吹き抜けになっており、太い梁が一本通っている。その上に何かが並んでいる。そう思ってみていると、そいつらが梁の上でぴょこんと立った。
我々は立ち上がって、梁の上を見た。
何十もの茶色い茸が梁の上にいる。
驚いたのなんのって、集団で夢を見ているのではないだろうか。
「俺たちは冬眠しにこの家に入った、一番このあたりじゃ住みやすそうだったからな、悪かったな」
茸が冬眠するとは、これまた不思議なことだ。
「ちょっと頼まれてくれんか、俺をあの梁にもどしてくれんか、われわれは赤鼠に頼んで、あの上に運んでもらったんだ」
私が頷いて、茸をつかむと、茸は手の中でもぞもぞと動いた。なんだか気味が悪い。梁の上では茸たちが成り行きを見ている。
「春になれば出ていくから、それまで寝かせてくれ」
私は椅子を持ってきて、茸を梁の上においた。茸たちは頷くと、
「よろしく、お休み」と梁の上で横になってしまった。
椅子を降りると、青島と美濃部が何も言わずに梁の上を見た。目がうつろである。きっと私の目もそう見えただろう。梁の上に横になってしまった茸は見えない。
「食ってやろうや」
美濃部の声で、もう一度コンロを点火し、花子という若い雌猪の肉を口に運んだ。
いい味なのだが、食べ終わってもだれも「おいしかった」と言えなかった。
青島が梁の上を見た。
「確かに茸だったよな」
自分に言い聞かせるように言った。
我々は頷いた。
「猪の肉に幻覚作用はないよな」
「あるわけはないだろう」
「野菜の中にそういうのが入っていなかったか、茸だとか」
「椎茸は入っていたが、それ以外の茸はなかったよ」
誰も梁の上をのぞいてみようとは言わなかった。自分の目と頭を、いや脳をこんなに疑ったことはなかった。
そのあと居間で庭を見ながらウヰスキーを飲んだ。
「茸が冬眠するわきゃないよな」
「しゃべるわきゃないよな」
だんだん、アルコールが回ってきた我々はやっと、いつもの調子に戻り、みんなべろべろになって、ベッドに入った。
次の朝、朝食の支度をしていると、最初に青島がキッチンにはいってきた。
彼は何も言わずに、椅子を動かすと上に載って梁を見た。
「茸がいない」
私も梁に乗ってみた。確かに茸らしきものは見えない。やっぱり幻覚だったのか。美濃部も入ってきて同じことをした。だが首を横に振った。
「飲みすぎたんじゃないか」
とみんなで笑った。
そんなことがあった。
四月になり、ロッジに泊まりに来たら、庭に春茸が生えている。網傘茸がいくつも顔を出している。この茸もおいしい茸である。摘んでいると、どこからか声がしてきた。
「この冬に冬眠した家はなかなかよかったな」
「ああ、ちょうどいい温まり具合だった」
「だけど、花ちゃんを喰っちまいやがった」
「そうだな、だけど食ったあの三人の人間のせいじゃないさ」
「花ちゃんかわいかったな、ウリボウの時を覚えているかい」
「うん、お母ちゃんと兄弟で森の中にやってきて、木に登ろうとして一生懸命だったな、猪が木に登れるわけはないのにな、他の兄弟四匹はそんなことしようともしなかった。みんな雄のくせに、お母ちゃんにくっついて離れようとしなかった」
「紅一点の花ちゃんはお転婆だったんだ」
「大きくなった花ちゃんには会わなかったが、きっと元気な猪で、里に下りて行って撃たれちまったんだよ」
「そうだな、生きていりゃ、たくさん子供を産んで育てたろうに」
「運命だな」
「今度の冬も、あの家に冬眠しに行くかい」
「そうだな」
「ヤマネも連れて行ってやろうよ、土産物屋で冬眠したらしいが、よく寝られなかったようだ」
「そうだな、あの、小池って言ったかな、あのロッジにつれていってやろう」
それで話し声は聞こえなくなった。
また音の蜃気楼だろうか、あの幻の茸たちが話をしているのだろうか。なんだか懐かしい声である。
その冬、珍しく孫たちと一緒にロッジに泊まった暮れのことである。居間で息子の家族とテレビを見ているときであった。梁から丸いものがポトンと落ちてきた。
「なーあに」
孫が床に落ちたものを手に取った。
手の中には丸まったヤマネが収まっていた。
「ヤマネが冬眠していたんだ、梁の上にもどしてやろう」
息子が椅子を持ってきて孫から受け取っとった。
そこで、私が「俺がやるよ」と息子からヤマネをひったくった。
「大丈夫かい、腰を痛めるなよ」
息子が不思議そうな顔をした。
私はヤマネをもつと椅子に乗った。梁の隅にヤマネをのせると、梁の上を見た。
茶色い茸たちがゴロゴロと横になっていた。
私は黙って椅子を降りた。
孫が見上げてにこにこしていた。
私もニコニコして、ソファに座り孫を膝の上に抱いた。
茸の冬眠