Fate/Last sin -25

 警報音が鳴りやまない。
 御伽野蕾徒は、その甲高い音を聴いていた。耳をつんざくような音。聞いたこともないくらい、たくさんの音が重なって、何が何だか分からない。周りでは先生や大人のひとたちが何かを大きい声で喋っている。朦朧とする脳では、聞き慣れた言語の意味さえ覚束ない。
 ―――熱い。
 閉じている瞼の奥が煮えたぎるように熱かった。こんな感覚は初めてだ。目を開けて、先生の顔を見たいのに、体が動かない。胸のあたりがひどく痛い気がする。怖かった。このままここでじっとしていたら、何かとても良くないことが起こる気がするのに、指の一本も動かない。怖くて怖くて仕方なくて、先生、早く気づいて、と必死に呼ぶのに、先生は大きい声で誰かと喋っているから気づかないのだ。
 その時、耳元で誰かがささやいた。
「こわいの?」
 ―――だれ!
 蕾徒は勢いよく目を開けた。あ、開いた、と思った時には、辺りの景色が一変していることに気づく。ベッドのまわりには何もない。先生もいない、大人のひともいない、あれだけうるさかった警報音も鳴っていない。耳が痛くなるような静けさの中、どこまでも広がる白い空間の中で、ああ、と蕾徒は気づいた。夢を、見ているのだ。
「くすくす。くすくす。こわいんだって」
「ぼくたちもこわかったねえ」
「もうすぐわたしたちと、おなじになるよ」
 白い世界に響く小さな声に反駁しようと口を開く。けれど喉は震えず、からからに乾いた唇が少し切れて血の味がした。
「ぼくたちがだれだときいてるよ」
「わからないの? わからないの?」
「ずっといっしょだったのにねえ」
「ずっとつながっていたのにねえ」
「きみももうすぐ、つかえなくなるよ」
「そしたらねえ、こっちにきて、わたしたちといっしょになろうねえ」
 ―――嫌だ!
 蕾徒は音の出ない声で叫んだ。囁き声の主はそんな蕾徒を嘲笑するように、さざめきのような笑い声を立てる。彼らが何者なのか、少しだけ察しがついていた。だから全力で抗おうと、ベッドの上でもがき、転がり落ちる。冷たくて滑らかな床の上を、立つこともできず、蕾徒は必死に手足を動かした。
「くすくす。ひゃくにじゅうろっかいめ」
「ふふふ。それでも、まただめだった。まただめだった」
「つぎもきっとだめだよ」
「いつまでやるの。いつまで―――」
 その時、部屋全体が地震のように大きく揺れて、囁き声たちが、きゃあと悲鳴を上げた。立ち上がろうとしていた蕾徒もバランスを崩し、床に倒れ込む。
「きた。きた。きた」
「おわっちゃう。おわっちゃう」
 歓声にも似た小さな声たちは、口々にまくしたてる。蕾徒は転がり込んだ床に、歯ぎしりと共に爪を立てた。
 ―――終わらせるものか。
「終わらせるものか……ぼくはまだ終わらない……絶対に……!」
 だってあの時、あの人と約束したんだ。弱くて、臆病で、のんきで、無知だけれど、あの朝の事は忘れないと誓ったんだ。恐れない。諦めない。ぼくがその約束を覚えている限り、きっと彼は力を貸してくれる。だからきみたちと同じにはならない。失敗作と同じ道は辿らない。なぜなら僕には、僕には彼がいるからだ!
 蕾徒はどこまでも広がる白い世界に、声の限り、その名前を叫んだ。
「ランサー!」


  *

 目を見開く。今度こそ現実の世界を見ていた。真っ暗な部屋の中、うるさい警報音が鳴り響いている。蕾徒は跳ね上がるように起き上がり、闇に目を凝らした。
 おかしい、と直感する。
 静かだった。いや、何重もの警報音が響く部屋が静かなわけはないが、蕾徒はそう感じたのだ。闇に目が慣れ、何が起きているのか徐々に把握し始めた蕾徒は、息を呑んだ。
「―――みんな!」
 巨大な地震が襲った後のように、部屋の中は雑然としていた。機器は壊れ、白衣の大人たちは倒れたモニターやシェルフの間に挟まるように横たわり、ぴくりとも動かない。その大人の群れの中に見慣れた肩の線があるのを見て、蕾徒は裸足のまま物の散乱する床に飛び降りる。だが彼女に駆け寄ろうとして、部屋の中に佇むひとつの気配に気づいた。
「だれ!」
 振り返った蕾徒の視線の先に、一つの影が立っていた。
 黒い髪に、黒い染みのついたコートを着て、真っ白な顔で蕾徒を見ている。闇の中にいたその女性は、魔術師だった。
「名前、貴方には名乗ったでしょう?」
「あ……」
 その声には聞き覚えがあった。忘れるはずもない。―――ラコタを、友達を殺しかけたあの女の人―――空閑、灯という魔術師だ。蕾徒はあの夜を思い出した。それと同時に、心臓がざわりと波打つような錯覚を覚える。
「みんなに……先生になにをしたの」
「さあ。何も?」
 蕾徒は数歩後ろに下がった。それに合わせて、彼女も数歩前に出る。
「うそだ。さっきまでみんな生きていた!」
「別に死んだわけじゃありませんよ」
「じゃあなんで動かないの! ぼくが眠っている間に、みんなに何をした!」
「ちょっと―――」
 言葉を遮るように、灯は黒い手袋をした右手を蕾徒の方に突き出した。
「私も、余裕がないので。黙ってください」
 そう言って、灯がブーツの脚で大きく一歩踏み込む。床がビリビリと微かに揺れるような、大きな跳躍だった。五本の指を真っ直ぐに伸ばした右手が、まるでナイフのように蕾徒の胸元へ突き刺さろうとする。コートの袖と手袋の隙間から覗いた肌の上を、青い回路の文様が走っていくのさえ、蕾徒にはありありと見えた。
 咄嗟に目を閉じ、身をよじる。間に合ったとは思えなかった。だが、横倒しになったシェルフの上に尻餅をつき、しばらく体を強張らせていても、何も起こらない。
「……?」
 蕾徒はおそるおそる目を開けた。その瞬間、ぱたた、と生温い液体が頬に降りかかった。
「―――ランサー……?」
 蕾徒の前に、見慣れた、けれど傷だらけの背中があった。間違えるはずもない。その蕾徒の小さな掠れ声に応えるように、彼は首をわずかに蕾徒の方へ傾ける。
 その広い背から、黒い手袋の手が突き出ていた。血で濡れそぼった手袋から、鮮血が滴り落ちる。―――ランサーが、自分を庇ったのだ。
それを理解した瞬間、蕾徒の心臓が激しく打った。
「……どう……して……」
 苦しい息のあいだから漏れた問いに、ランサーは微かに笑った。
「お前が呼んだのだろう」
 ずるり、と黒い手がランサーの身体から引き抜かれた。蕾徒の前に仁王立ちするランサーの向こう側で、灯の疲れた声がする。
「まだ生きていたんですか。本当に、図太いサーヴァントですね」
 ランサーは灯の方を向いたまま、蕾徒を振り返らずに言う。
「ああ、だが、これで本当に終わりだ」
 槍を握る手が、心臓に穴の開いた背が、床を踏みしめる足が、小さな粒子になって、目の前で散るようにほどけ始める。蕾徒は目を見開いた。
「ランサー、体が」
「……悪いな、マスター。もう限界のようだ」
 ランサーは苦笑交じりに、昨日の天気の話でもするかのように語る。
「俺は、どうにも、この運命の下で生きなければならないらしい。いつも、護るべきものより先に行ってしまう。だから、―――だから、お前は逃げろ」
「嫌だ、ランサー、待って、どうして!」
 徐々に薄れ、黄金色の霧となって消えていく彼の身体を繋ぎとめようと手を伸ばす。ランサーは最後まで振り返らず、その最後の瞬間、呟くように零した。
「ああ、本当に―――自分が嫌になるよ」
 蕾徒の手が空を掴んだ。


  *

 血に濡れた手袋を外し、投げ捨てる。今にも崩れそうな膝を何とか前に進めて、呆然と座り込む蕾徒の眼前に立った。
「もう、いいでしょう」
 その心臓から、そこにあるはずの〈器〉を抉り出すだけでいい。壊すのは慣れていた。十年前も同じことを何度も何度もやったのだ。今更間違えようもない。なのに―――
「あ」
 虚ろに彷徨っていた蕾徒の視線が、ふと灯のそれと交わった。その瞬間、ざわりと空気が揺れる。
「あ、あ……」
 蕾徒は頭を抱え、身をよじりながら呻く。その白い指先から、皮膚の上を走るように赤い文様が絡み合いながら駆けていくのを見た瞬間、灯は咄嗟に数歩飛び退いた。
「うわあああああああああああああああ!」
 断末魔のような絶叫と共に、床が発破をかけられたように弾け飛ぶ。その穴から、意思を持った触手のように濃緑の蔓が突き出した。ソレはさながら、御伽話に出てくるもののように、絡まり合いながらみるみるうちに巨木の梢ほどの大きさに成長する。天井を突き破り、壁を破壊し、手当たり次第に暴れ散らしながら、灯へと迫る。
「つ……」
 灯はふらつく足で、何とか最初の一撃を避けた。だが背後で風を切る音がし、咄嗟に出した左腕が間違いだった。
 擦りむくような摩擦熱を左の肘のあたりに感じたと思ったら、持ち上げた左腕には既に肘から先が無かった。灯は一瞬で奪われた左腕に呆然と目を見開く。不思議と痛みは無かった。あまりに唐突で、痛覚の方を感じる余裕が無いのだ。
 巨大な植物の蔓は灯を狙っているというよりも、まるで機嫌の悪い赤子がのたうち回って暴れるかのような無秩序さで御伽野家の工房を破壊していった。灯は数百本にまでその数を増やした植物に足をとられて倒れ、激しく揺れる部屋から崩落する瓦礫の破片を浴びながらも、その中心にいる蕾徒に右腕を伸ばす。
「貴方さえ、貴方さえ手に入れれば、私は―――!」
 もう魔術を使う余力は残っていない。仕留められるのはこの手だけだ。だがその手が蕾徒の胸元に届こうとした瞬間、ものすごい力が灯の右脚をとらえ、後ろに引きずり倒す。蔓を掴もうとした右腕は空しく宙を掴み、灯の身体は巨人に弄ばれるように空中へ吊り上がった。灯は激しく回る視界の中で、伸ばした右手の甲に宿る赤光を見る。
 その言葉はほぼ無意識に口から出た。
「セイバー、宝具を!」
 先ほどまでバーサーカーの令呪があった位置、その下の手首のあたりに刻まれた三画の令呪のうちの一画が、灯の声に応えるように閃光を放つ。崩れていく工房の中で、もはや何の余裕も残っていなかった。
 だが、最後の望みは、眼下に現れたセイバー自身によって否定された。
「契約外だ、空閑灯」
 その言葉を聞いて、灯は初めて、はっきりと焦燥の情を顔に浮かべた。冷静そのものであるセイバーの灰色の瞳を見下ろし、何かを思い出したかのように唇を震わせる。
 ―――そうだ。
 セイバーは言葉を続ける。
「自分自身で決めた等価交換だろう。私はバーサーカーに、キャスター一騎分の借りがあった。だから私がお前を助けるのも、お前がサーヴァント一騎を倒すまで。……そしてそれは先ほど、達成されたようだが」
 灯は自分の右手を見下ろした。ほんの少し前、ランサーの心臓を穿った手だ。セイバーの言う事は正しい。つまり――
「俺はもう、お前のサーヴァントではない。だから令呪も効かない。そんな飾りはさっさと犬にでもくれてしまえ」
 そう言い捨てて、セイバーは実体をかき消した。彼が立っていた場所から、一本の蔓がせり上がってくるのが目に入る。それが自分の頭蓋を貫かんと、真っ直ぐに突き上がってくるのを見て、灯は目を閉じた。
「なあんだ」
 溜息のように言葉が漏れる。
「こんなものですか、聖杯戦争とは」

  *


「それは君が言うべき台詞ではない」


  *

 ふわり、と突然に体が軽くなった。
直後、頭に激しい衝撃が襲い掛かった。右脚が解放され、地面に落下したのだ。灯は顔をしかめ、数度まぶたを震わせてから、そっと目を開ける。酷く頭を打ったせいで、視界に黒いモヤのようなものがちらついた。それから鮮烈な光が目を焼いたので思わず身を固くしたが、それが外から差し込む朝陽だと気づいて、灯は傷だらけの身体から力を抜いた。
「――成るほど。律儀なのは私だけじゃないようで、嬉しいですね」
「……」
 灯が声をかけた先には、あちこちに掠り傷や擦り傷を作った、白衣の女が立っていた。その細い腕で、力を失ってぐったりとしている蕾徒の体を抱えている。
白衣の女は嫌悪を隠しもせずに言った。
「手が滑った。蕾徒がお前を殺してから薬を打つべきだった」
「……まあ、そうでしょうねえ。この傷じゃ、どのみち死にますけど」
 失った左腕が、いまさら痛みを主張し始めている。打った頭がズキズキと悲鳴を上げ、吐き気が込み上げる。加えて、灯の体内にはもはや魔力も生命力もほとんど残ってはいなかった。洗いざらい持って行かれた、と灯は胸中で呟く。これがいまわの際というやつか、とも。
 床に仰向けに倒れたまま、灯は首だけを曲げて、白衣の女をじっと見つめる。彼女は壊れやすい人形を扱うかのように蕾徒の体を抱え直して、瓦礫の中を歩いて去っていこうとするところだった。
「―――確かに、〈器〉なら、後生大事にもしたくなりますよねえ」
 つい口に出た虚ろな呟きは、白衣の女の耳に届いたようだった。彼女は振り返り、訝しげな視線を灯に向ける。
「器?」
「知らないんですか。聖杯の器。願望器が降霊する場所であり、魔力の溜まり場ですよ」
「ああ、上層部が口にしているのを耳に挟んだことはあるが……」
 女は朝陽の逆光の中で、眉をひそめた。
「まさか、蕾徒がそれだと思っているのか」
「―――違うんですか?」
 灯の問いに、女は答えた。
「違うだろう。御伽野家の狙いは、この蕾徒そのものに聖杯を使うことにある。蕾徒が器となってしまったら、御伽野家が聖杯を手にする意味が無くなる。本末転倒じゃないか」

 その答えに、灯はしばらくのあいだ息をするのも忘れて黙っていた。白衣の女は、それ以上語るべきことはないとでも言うように灯に背を向け、瓦礫の中を歩いて去っていく。
 女と蕾徒の姿が朝陽の中に消えたあと、ようやく灯は息を吐いた。
「……ふ、ふふ」
 口の端が歪む。―――ああ、今なら、あの狂戦士の末路に少しだけ同情できそうだ、とさえ思った。
 無駄だった。
 死力を尽くして、千載一遇の好機だと思って、何もかもをかなぐり捨ててここまで来た。家族とかわした、たった一つの約束の為だけに。
それでも、そもそもが間違えていたのだ。
こんなに滑稽で可笑しい話が、他にあるだろうか。白んでいく空を、廃墟同然となった御伽野家の工房の中から眺めながら、灯はひとしきり声を殺して笑った。
「ごめんなさい……父上……ごめんなさい……母上……私……とても馬鹿な娘でした」
 笑うたびに、脳震盪を起こした頭がぐらぐらと痛んだ。笑っているのに、とても泣きたいような気持だった。その目から涙などが流れることは、ついぞ無かったけれど。
 そうして、灯は目を瞑った。


  *

 ―――暗い。
「ああ、こんなところにいたのか」
 ―――どこかから、聞いたことのない声がする。
「酷い有様だ。間に合って良かった」
 ―――間に合うって、何に。
「さあ。目を開けて」
 ―――貴方は、誰?
「ここで終わりだなんて嫌だろう」
 ―――嫌だけれど。嫌だけども、もう、手遅れだ。どうしようもない。失敗したから。放っておいてほしい。このまま、このまま―――
「大丈夫だ。まだ終わりではない。どうとでもなる。結局は、成功する」

「そうでなければ、天才ではない」

  *

 二度と開かないと思っていた目が、開かれた。
 空閑灯はゆっくりと瞼を上げる。体の下にはさっきまでと同じように冷たくて固いコンクリートの地面があって、自分はそこに仰向けに倒れている。瞼を開いて目に入ったのは、穴が開いて基礎が剥き出しになった天井と白い壁だ。冷たい空気が肌の上を流れている。灯はそこでやっと、大きく息を吸い込んだ。まるで初めて呼吸するかのように、ぎこちない呼吸だったけれど、肺の中が冷えた空気で満たされて、灯はようやく我に返った。
「……あなたは」
 黒い瞳が見つめた先で、一人の男が薄く微笑んだ。
「アルパだ。風見聖堂教会を任されている神父で、この聖杯戦争の監督役でもある」
「監督役……」
 壊れた機械の筐体の上に座っている男は、白く細い髪を後頭部で一つにまとめ、同じように白い外套を羽織った簡素な格好をしている。倒れた灯を見下ろす目は、冷たい紫色だった。―――外国人かしら、と灯は首を傾げる。
「何の……用?」
「説明するよりも、その左腕を見た方が早い」
 灯は怪訝そうに目を細めながらも、左腕を持ち上げる。どうせさっき失くしたのに、と憂いたその顔は、次の瞬間には硬直した。
 白い左手が、灯の視界に映った。
微かに震える指は、きちんと五本揃っている。だが灯は無くしたはずの腕が完璧に再生している事よりも、その皮膚の上に浮かぶ異変に言葉を失っていた。
「……これは」
 瓦礫の隙間から漏れる光を弾いて、それは一色を反射している。
 血のごとき、赤。刻まれているのは三画の幾何学模様。
 監督役―――アルパ神父は、乾いた声で淡々と語る。
「令呪だ。これで聖杯戦争を続けなさい」
 灯は見開かれた目を監督役に向けた。唇を開くのに、随分と逡巡した。
「――――サーヴァントは」
 やっとの思いで口から出た言葉は、それだった。だが神父はその細い指先で自分の胸を指し示し、あっさりと答える。
「ここに」
 神父は、紫水晶の目を細めた。
 灯は、ただ絶句してその顔を見ている。
「……冗談を」
「冗談に見えるのか?」
 アルパはいたって真剣な面持ちを崩さずに、灯に問う。
 灯は慎重に床に手をつき、ゆっくりと身を起こす。そして気づいた。信じがたいことに―――ありとあらゆる傷が、体から消えている。心臓だけが、早鐘のように打っていた。そこに神父の声が重なる。
「少し事情が特殊なんだ。今は語れないが、過去に受肉したサーヴァントだと思ってくれればいい。真実かどうかは、私のこの治癒魔術の腕に委ねてもらえると助かる」
「……」
 無言の問いに、アルパは頬杖をついて答える。
「十年前……十一年前か。あの聖杯戦争で、色々とね」
「前回の……」
 あれだけ重かった体が、あれだけ痛かった頭が、こうも簡単に癒えるのかと思うほど完全に回復していた。灯は両の手を見て、再びアルパに視線を戻す。
 あれほどの傷を、この短時間で完全に治せるだけの魔術なら、確かにサーヴァントの技であってもおかしくはない。十一年前の聖杯戦争の時に聖杯を勝ち取り、受肉という願いを叶えたサーヴァントが、更なる目的のために再び聖杯戦争に潜り込む―――
 有り得ない話だが、それ以上に、自分に降りかかったこの奇跡に縋りたい、という感情を捨てきれなかった。
 そして、灯がそう考えた瞬間から、アルパへ向ける視線は既に、品定めをするためのそれへと変わっている。アルパは気にもせず、その視線を受け止めた。
「条件は」
 灯の一言に、簡潔な答えが返される。
「聖杯を」
 予想通りと言えば、その通りだ。
 座り込んだまま、灯はしばらく考えた。
 やがて、弾き出された一つの答えを口にする。
「……良いでしょう。これもまた、私に定められた、運命、というものだと言うのなら」
 灯はほんの少し苦しげな表情でそう言った。だがその表情もきっぱりと捨て、逸る鼓動を押さえるように、一息で問う。
「本当に私のサーヴァントだと言うのなら、今ここで真名を明かしなさい」
 アルパはやはり薄く笑って、唇を開いた。
 その言葉は、気高い英雄の名乗り口上とは思えないほど、簡潔だった。
「クラスはキャスター。アポロンとコロニスの忌み子にして、医術の者。我が真名はアスクレピオス」

「さあ。聖杯を掴んでおくれ、マスター」

Fate/Last sin -25

Fate/Last sin -25

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
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