自死のウソ。

兄が死んだ。といっても70年も生きたのだし、平均寿命150年からいっても、病気もせず割と生きた方だと私は思う。だって私は事なかれ主義だから。
 「数年まえからこの日本では人工が爆発的に増えてしまいましてね、それに医療費だってかさむから、自殺を肯定する法の成立を要請する声は多かったのですよ」
 「なるほど、ではやはり“自殺を望むものの協会”に兄は入っていたと、たしかに私はそれには聞き覚えも見え覚えもあります、生前の兄からはっきりと、しっかりと、聞いておりました、ですが、あなたがたは兄の死が……その、薬物の、胃の病気の薬の大量摂取による一時的な、心神喪失によってもたらされたものだとは考えてはいないのですか?やはり」
 私の質問にたいして、相手は鉄のおりたたみテーブルの向うで機械のようなリズムでたんたんとはきはきと回答をした。
 「契約書にはそうした問題は我々は責任を負いかねますと、きちんとかいてあります、わたしたちがとがめられるものではありません。そもそもこれが、社会に求められた制度なのですから、我々協会は、社会の代弁者にすぎません」
 「はあ……」
 どうやら私に反感を買ったとおもったのか、相手は少し動揺をみせた、それもこんま数秒私と目を合わせるのをやめただけの事だった。窓の一つしかないまるで本物の宗教の懺悔室か、あるいは警察の取調室かというような所に私はいた。私の背中にひんやりとしたコンクリートの壁をつたって、重いステンレス製の扉がそなえつけられていた、ぴしりとまえがみをわけて整えた綺麗な眼鏡姿の女性がスーツ姿で対応している、背筋の角度や挨拶の角度まで、まるでアンドロイドかのようにきっちりとしている、そうだ、いつからかこんな人間が増えた、けれど私はそんな事に疑問を抱かない、なぜなら、事なかれ主義だから。結局、兄の死は、兄の望んだものとして扱われた、事なかれ主義な私だが、まさか兄の死因について、こんな風に世間から扱われる事になるとは思わなかった。たしかに自殺制度は必要だと世論が後押しした面もあるのだが、違和感を持たざるをえなかった、それも幼稚な違和感だった。
 協会をでると、すぐにひろくて横幅の広い、大通りに面した小さな噴水と、なだらかな勾配の階段がみえる、中央には植木があり、観葉植物が丁寧にうえられていて雑草一つさえ見つける事はかなわない、まるで私は、なすすべもない巨大な敵を相手にしている気がしてどこかで絶望感を感じていた。なくなって初めて気が付く、この年で、兄の、近親者の偉大さをしる。と、突然、肩をたたかれた。別のスーツ姿の男性で、思わず協会関係者かとおもって返事をしてしまった。
 「あなた、もしかして、近親者を不慮の事故や自殺か何かで失ってはいませんか?」
 「はい?なぜそれを」
 「ほらね、そういう人がいるから、私たち人間の蘇生を考える協会が、このように、人間の電子データを保存しているではありませんか、協会の会員の人工人格データならあります、彼は魂をもっていませんが、生前の彼とそっくりに動き、そっくりに成長するし、そっくりに働きます、それで問題ありませんよね?ええ、あなたの名前もしっていますよ、あなたはお兄様と一緒に登録されていますから、もしお兄様に会いたくなければ、ぜひご相談ください」
 私は一瞬心がひどく動揺したのを感じた。50年の暮らしの中、老いない肌と心と頭を持っていたが、初めてただ若く美しく生きるからだと長くいきる矛盾と、そのことに苦しさを感じた。

自死のウソ。

自死のウソ。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-04-03

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