【三章】meria

三章

私はこんな化物が当主になるなど絶対に認めないぞ!!
こいつ以外の男を産めと言ったのに、この役立たずが!!

エクセルは閉じていた目をうっすら開けて周りの様子を見ると皆、自分と同じように座ったまま寝息を立てていた。
おそらく港街で自分の発した言葉の影響から見た夢で嫌な事を思い出してしまった。自身の発言に後悔しながらもう一度目を閉じる。
その隣では似たような景色が流れていく窓の外をじっと見ているセットが今にも眠ってしまいそうになっている。このままでは本当に眠てしまう。そう思ったセットは外から視線を外し背伸びをして眠気を追い払う。
周りを見れば自分以外の者全員が眠気に負け寝息を立てているという光景。
あれだけ偉そうに「護衛しろ、護衛」と言っていたエクセルまでもが眠ってしまっているこの状況に苛ついたのか、セットはエクセルを足でを小突く。

「たく、いい加減にしろよこのジジイ」
「…う……れ……ない……ごめ、んなさい」

その言葉にセットは驚きエクセルの顔を覗き込む。
間違いなく眠っている。

「寝言か」

一瞬、実は起きていて先ほどの小突きに対しねちねちと言われるのではと思ったセットだったが、未だ目を閉じて肩を揺らすエクセルを見て、安心する。
椅子に座りなおし、顔を上げると背筋に悪寒が走った。

目が合ったのだ。エクセルの額にあるソレと。

目を逸らす事もできず、じっとセットはその眼を見つめる。
蛇に睨まれた蛙のように身動き一つ取れず、一筋の汗が首筋を流れる。ずいぶんと長く感じられた時間だったが、急に馬車が大きく揺れた為エクセルの体が壁に向かって倒れ、鈍い音がしたと同時にあの張り詰めた空気が消えていった。
馬車の振動によって壁に思いっきり頭を強打したエクセルが頭を抑え唸りながら顔を上げる。
あれだけ強打したとは思えない寝惚け眼のエクセルを見てセットの全身の力が抜け落ちた。

「ひっでぇ顔」
「……ほっといてくれたまえ」

未だ眠たそうな、むっすりとした酷い顔で呟くエクセルを見れば寝起きが悪いことは一目瞭然。
質の悪そうな寝起き不良症状と判断したセットは触らぬ神に祟りなしとそれ以上何も言うことなく、また外に視線を向けた。

「なぁ、セット」
「ほっとけつったのアンタだろ」
「私、何か言っていなかったか」

セットは何故かその問いにすぐ答えることが出来なかった。
吃りながらも「別に」とだけ言って、外の景色を見ようと視線を窓へ戻す。
景色はいつの間にか見覚えのあるものへと変わっていた。

「アイナ嬢、エステル嬢。起きたまえ、もうすぐ到着だ」

その眠そうな言葉で、これまた眠そうな顔が一人、二人と顔を上げる。
だが、エクセルとは違い起こされた二人は外をに広がる景色を見るやいなや目を輝かせて黄色い声を上げた。

「すごい!きれー」
「わたしも初めて見たー!」

二人の目に映ったのは、まるで湖に浮かんでいるかの様に建つ、この国の王城とその湖を囲むように広がる城下街だ。
今まで見たことのない世界の風景。あそこへ向かっているのだとわかると愛菜は言葉に出来ない感動を味わいながら風景にかじりついている。
そんな愛菜の表情を側で見ていたエクセルは眠たそうな表情のまま口端を少し上げて身支度の仕上げにたるんだ白手袋の端を引っ張った。

「君も起きたまえ」
「痛って…」

先ほどの揺れで椅子から落ちて床に転がっていたクラエスの頭を身支度をしていたエクセルが靴の爪先で叩き、クラエスの口から間抜けな声が漏れた。
椅子に座り直しながら痛む頭を擦る。恨めしやと蹴った彼を睨みつけるが当のエクセルの意識はクラエスの隣で外の景色に夢中な二人の少女達に向けられていてこちらは全く眼中に無い。その時の表情はうっすらであったが満たされた様な薄気味悪い笑顔だったため、見ていられなくなり視線を反らした。
しかしそんな楽しげな様子もすぐに様変わりし、検問を抜けて城下街に入った途端、馬車内の空気が張り詰めたものに変わる。エクセルは遅れの言い訳をどうするかなど考えているのが独り言から察するが、その側に居るセットや外で運転している御者からも緊張した重たい空気を感じる。
大人たちの緊張感に向かいに座る愛菜達三人も肩を険しい表情で固まっている。愛菜は今気づいたが、鎧を着た数人の男達が馬車の中を覗き込んでいる。
エクセルの姿を確認すると良しと頷き、門を開けるよう号令をかける様子が見えた。

「あの……閣下、まずいことになっています」

城に向かう湖の上の橋を渡りきろうとした時、外にいる御者から呼ばれたエクセルがのぞき窓から外の様子を伺った。外を見た後、顔色がすぐれない表情で眉間に深い皺を作って大きなため息を付いて頭を抱えた。

「どうしてあの男が居るのだ」

その言葉と同時に馬車が止まり、外から騒がしい足音が聞こえると思えばいきなり馬車の戸が外から勢いよく開かれ愛菜達は悲鳴を上げる。
車内に入ってきたのはセットと同じ鎧で全身固めた中年の男で、大きく威圧的な角と、三つ編みに結われた長い翡翠のような長髪が特徴的だった。豪奢な鎧姿や気品ある顔立ちから高貴な身分だという事が伺える男だったが今は怒りで歪んだ恐ろしい顔でエクセルを睨んでいる。その後、自身の喉を潰すかのように狂った声をセットに向けて喚き散らしはじめた。

「これはどういう事だ!説明しろセット!!」

今にも殴り掛かりそうになった彼を止めるためエクセルが間に入り事態を説明する。だが、エクセルと今怒っている男は仲が悪い。というより一方的にエクセルが嫌われている事をセットは知っている。彼が入ったことが余計に事態を悪化させることを理解しているためセットは思わず声を上げる。
案の定、男はより一層怒りが高まり、金切り声を上げてセットの顔を殴った。
乾いた音と怯えた愛菜たちの悲鳴が響いている中、殴られた当人は冷静で、平手で良かったと思ったほどの制裁がなくホッとしているくらいだった。

「エルメルト卿」
「はい、シャルル将軍」
「私はセットに聞いているのだ。出来損ないは黙っていろ」

セットを殴った後、今までの癇癪が嘘のように落ち着きを取り戻し、その言葉を残して馬車から降りていった。だがその後すぐに、早く馬車から降りるようまた怒鳴りだし、セットはバツが悪そうに手で謝る仕草を愛菜たちに向けながらそそくさと馬車を降りていった。
彼の背中を無言で送った後、不安そうに馬車内に視線を戻すと、両肩が上がるくらい拳を握りしめて馬車の戸をエクセルが睨んでいた。今にも人を殺してしまいそうな憎悪と殺気しか感じられない眼をしていて、愛菜は彼を見ていられなくなった。

「おい!馬車に居る者を早く降ろせ!」

外から馬車から降りるよう催促する声が聞こえ、そこでやっとエクセルが目を覚ました。
現実に引き戻された彼はこれからまた一悶着あることを馬車の外から聞こえる声で察し、また頭を抱えて大きなため息を付いた。
渋々とはまさに。眉間に皺を寄せ集めた顔で馬車を降りるエクセルに続いて愛菜達も降りてから指示があったわけでもないのに全員綺麗に整列する。
おそらく降りた先に居たこれまた眉間に皺を寄せた男の影響なのだろうと愛菜は思い大きく顔を上に見上げる。なにぶん、男はとても大きかった。

「遅い到着だな、エクセル」
「申し訳ございません、殿下。少々面倒に巻き込まれまして」

エクセルは彼の顔を見るやいなや膝を地面について深々と頭を下げる。その様子にも驚いて愛菜達三人は呆然と彼らのやり取りを見ていたが、急に男がこちらを見て近づいてきた。殿下呼ばれたその男は愛菜の前に立つと険しい顔でじろじろと彼女を見下ろしてくる。
先程のシャルルとかいう男と少し顔つきが似ていて「厳格」という言葉が似合う中年男性であった。
愛菜は戸惑った顔を見せながら、彼の頭から足先まで視線を上下させる。愛菜から見れば異様なほど背が高く、全体的にガタイが良い。だが、それでも中年特有の少々大きな腹は隠しきれていない。目元にほくろがあり、厳つい体型に似合わず妙に生々しい印象的な顔だった。

「彼女がそうか?」
「いえ、違います!!!」

言葉短い問いかけにエクセルは瞬時に返答し、愛菜の頭を下げるように無理やり手で押す。ぐいぐい押されエクセルの力が緩んだのは膝が地面につく状態になったときだった。
凄い強引なお辞儀を強要され、半ば混乱しているとそれに対し気に入らないとクラエスが声を上げる。

「無理矢理連れて来ておいて頭下げろって言われてもなぁ。大体、さっきから誰なんだよこのおっさん達はよぉ」
「ちょっとクラエス!いきなり喧嘩腰は失礼だよ」
「名乗りもしないでえらそにしてる奴等の方が失礼だろ」

たしなめようとするエステルの言葉に鼻を鳴らして反論するクラエス。
彼が言ってることもわからないでもないと思うと同時に、目の前に居るこの大男が多分説明抜きにそれをしないといけないヤバイ存在であることもなんとなく理解している。何せ自分の頭を未だに押し続けているエクセルの行動は明らかに正気を失っているし、顔色がどんどん悪くなって小刻みに震えているから。
それにはじめにエクセルは大男のことを「殿下」と呼んでいた。愛菜の記憶が正しければ殿下といえば王族に使われる言葉のはず。

「エクセルさん、大丈夫なんですか」
「大丈夫なわけ無いだろう」

ですよね。と乾いた笑いを漏らしながら、もはや見守るしかできなくなってしまった状況。
自分の目の前から離れた大男はエステルとクラエスの前に立ってまた見下げている。

「すみません。彼は私の事が心配になっているだけなので悪気はないんです」
「貴女は?」
「私はカミル村村長の娘のエステル=カミルです」
「では貴女が陛下が選ばれた花嫁候補の!これはこれは、大変失礼いたしました。私はアリ=レイ・ホシエルと申します。この度は陛下の急な申し出にも関わらずお越しいただき感謝の極みです。叔父の私からではありますが、御礼申し上げます」

エステルの事を知るやいなや、大男の態度は軟化。クラエスも含め、お互い深々と頭を下げて名乗り出す。
カミル村の二人が驚いた一番の理由はアリが陛下の叔父であると発言したことだ。エステルの暮らしていたカミル村は城下からはかなり離れた地域にある村で、王家の人間を目にする機会も無かった。いわゆる田舎育ちのエステル達にとって目の前に国王の親族が居るこの瞬間は天と地がひっくり返ったかのような出来事だった。

「無理を言ってお越しいただいておきながら申し訳ない事ですが、肝心の陛下は政が溜まっておりまして…」

アリの鋭い視線がちらりとエクセルに向けられる。
お前のせいだぞと言わんばかりのその視線に、エクセルは知らないふりとアリから視線をワザとらしく逸らして見せた。

「明日にはエステル様とお会いできるよう急ぎ調節しますゆえ、今日は用意した部屋で長旅の疲れを癒してください」
「わぁ、ありがとうございます!殿下」

にっこり優しそうな笑顔を見せられ、自然とエステルも笑顔で返す。
アリが両手を叩くと使用人の女達が数人やってきてエステルを囲む。女達は口々に歓迎の言葉や案内する部屋についてなどをエステルに向けて喋りだす。左右から様々な声をかけられたエステルは混乱しながらその女達に引っ張られ、半場強引に客室へ案内されていく。
使用人の女達から存在していないかのように避けられているクラエスは強引なもてなしをする彼女達を止めようとエステルの腕に手を伸ばすが、その瞬間逆にアリの手で手首を掴まれる。
エステルは使用人の女達にもみくちゃにされながら、クラエスの名前を叫びながら城内へ姿を消してしまった。

「エクセル。なんだコレは」

頭を抑えられながらも愛菜が上目で見た先には先程の笑顔が嘘のように豹変した顔の大男が冷たい威圧感を放ってエクセルの返答を待っていた。どうするのかと視線を流すと隣からきゅうっと音が聞こえてきた。おそらくストレスで胃が鳴いているのだろう。

「順番にお話いたしますと、そちらの彼はエステル様の護衛です。見知らぬ男三人に囲まれては少々不安とのことで気の知れた彼を連れていきたいと」
「お前は……田舎の小娘のわがままに、よくもおめおめと」
「なっ、てめぇ!エステルが居なくなったから本性出しやがったな!!」

エクセルの言い訳にため息混じりに呟いた言葉にカッと反応したクラエスが彼に対して殴りかかろうとした。だがすぐに割って入ったエクセルに振り上げた拳を受け止められ行き場のない怒りで荒い息をふしゅふしゅと吐き出しながらエクセルを押しながら進み、なおも殴りかかろうとしている。
慌てて愛菜も彼を止めに入るが完全に頭に血が登っており、うるさい邪魔するなと愛菜にまで怒鳴りつけだす始末。

「クラエス君!このお方はな、陛下の叔父で、この国の摂政だぞ。何をしているのか解っているのか!?」
「うるせええ!!偉いからなんだっていうんだよぉぉ」
「君を連れてきたエステル嬢の面子の問題にもなる。頼むから大人しくしてくれ」
「ぐっ……」

エクセルの言葉に返す言葉がなくなり、彼を押し返そうとする力も徐々に緩んでいく。顔は俯いたまま「すんません」とだけ声を出した。
それは謝っているのか!?というその場に居た人間の疑問はひとまず置いて、話はアリの諦めに満ちた大きなため息で収束する。

「わかったわかった。とはいえ想定外の客の準備はできていないからな」
「あ、ありがとうございます!殿下。ほら、クラエス君も殿下の温情に感謝の言葉を!」
「あ、アリガトウございます」

流石に先程の将軍よりは話は通じると安堵してエクセルとクラエスは先程の修羅場からにっこにこの笑顔で仲良く次の言葉を待っていたがそうは綺麗に話は終わらなかった。

「地下牢が開いてるから今日はとりあえずそこで寝ておけ」
「ふっざけんなよ!!!このくそオヤジ!!!!」

ために溜め込んだ唾を吐き出すように叫んだクラエスは当初の予定通りアリの怒りを買ってしまい、問答無用で衛兵にずるずると引きずられ城の地下牢へ連れて行かれてしまった。静かに怒りで顔を引きつらせているアリが言った牢屋に入れる理由は「不敬罪」である。
愛菜の不安げに「どうするんですか、あれ」という呟きに、エクセルは「どうもならん」と諦めの言葉を返して深い深い溜め息を付くしかない。その後すぐにある意味、牢屋のほうが安全と言う変なフォローをして愛菜を余計に不安にさせてしまい苦笑してしまった。

「次はそれだな、エクセル」

それ、と言われて自分の事を指していることに気が付き、愛菜は少しムッと顔を曇らせる。本当に少し聞いているだけなのに、この男の言動は妙に癇に障るもので、クラエスが怒った理由が何となく理解できた。
目を合わせないようにしていたが、そうもいかなくなる。エクセルに背中を軽く叩かれ渋々もう一度、アリの顔を見上げる。

「何だ、ソレは」
「カミル村での村長の暴走に巻き込まれていた為、保護いたしました少女です」

もう一度背中を軽く叩かれる。話の流れから名前を言えば良いのかと判断した愛菜はぺこりと深めのお辞儀をした後、丁寧に自分の名前を名乗った。その後、恐る恐るアリの顔を伺うが、相変わらずの仏頂面に変化はない。

「カミル村……?港の闇市の間違いじゃないのか」

アリが真顔で言ったその言葉に彼の側に立っていたお仕着せ姿の女が我慢できずに吹き出した。発言したアリ本人も含めて何事と彼女に視線が集中したため、女は慌てて咳き込んだ芝居を見せた後、失礼いたしましたと涼しげに頭を下げた。
その不思議な状況に首を傾げるのは愛菜一人だけで、笑われたエクセルは口をへの字にしてその女を睨んでいるし、彼女の主人と思われるアリは緊張感が消え失せて呆れ顔だ。

「もういい!詳しい話はお前の仕事が片付いてからだ」
「ありがとうございます!」
「終わるまでその娘の世話はラウナに任せる。良いな」
「え……ラウナに、ですか……」

命令を受けて前に出てきた先程のお仕着せ姿の女を一瞥して、明らかにエクセルが動揺の色を見せた。

「何か問題か?」
「い、いえ。むしろ適任かと」

彼の判断を全面的に肯定する発言とは裏腹に、渋い表情で口を真横一直線にして噤む。エクセルはこれ以上反論は無いという意思表示でアリに向けて敬礼した後、愛菜から手を離し、自分の背で組んで見せる。
不安そうにエクセルを見るが、彼はもう発言ができないと愛菜にも視線を向けず、まっすぐ前を向いたまま直立不動で助けを差し伸べる様子はない。
困惑してる間に愛菜の目の前が暗くなり、緊張した面持ちで彼女を見上げた。いわゆるメイド服姿で上品な笑顔が印象的な大人の女性だった。一見黒く見えるセミロングのまっすぐな髪は時折紅の混ざった色に光りながら揺れている。

「アイナちゃんって呼んでもいいかしら」
「え!?あ、はい!」
「私は殿下のお側でお世話をさせて頂いているラウナ=ウルスラよ。アイナちゃん、私はこのおじさん達みたいに気を使わなくていいから、ラウナって呼んでね」
「は、はい!ラウナ、さんですね。お願いします」

メイド服のため全体的な姿は地味だが、彼女の凛とした強さを感じる整った顔立ちを良く引き立てている。愛菜も綺麗な人だなぁと素直に見惚れる美人である。摂政の世話係というだけあって嫌味を感じさせない丁寧な言葉で愛菜に歩み寄っていく。
いい感じにお互いの自己紹介が終わったところでエクセルが割って入り、愛菜の腕を引っ張ってラウナから引き剥がす。彼が愛菜に対し耳打ちして話を始めるため、もの凄い疑惑の目線がアリから送られている。
そんな事はお構いなしに、エクセルは何やら焦った様子で必死に彼女を信用してはいけないと訴える。

「いいかねアイナ嬢、彼女には余計なことは喋っては駄目だよ」
「余計な事って、一体どんな事ですか」
「どんなって……」

そう言いかけた彼とラウナの目がかち合う。彼女がにっこり妖艶な微笑みを浮かべて近づいて来た為、血相変えて愛菜から離れたエクセルは情けない背中を見せて城に向かって走り出した。この後どうすれば良いのかと焦った愛菜がエクセルを呼ぶが、後でちゃんと迎えに来るからと言い訳だけして置いて行かれた。
途方に暮れてエクセルを呼び止めようと宙でぷらぷらしている手を引っ込める事もできず、ちらりと隣りにいるメイド姿の女を見上げる。初対面の愛菜から見ても、明らかにエクセルはラウナを避けていた。だが、腰に両手を当てて仁王立ちで失礼しちゃうとぼやいてはいるが慣れた様子で、先程の鎧を着た男との対立比べてエクセルと関係が悪いという印象は感じられない。

「行くぞ」
「はい殿下。行きましょうアイナちゃん」

ぶっきらぼうに呼ぶ主人に満面の笑顔で返事をし、ラウナは手をつないでアイナを隣に歩かせる。

「どこに行くんですか?」
「まずは閣下がアイナちゃんをお城に居ても良いように許可を貰ってくるのを、殿下の部屋で待つの」
「そ、それって良いんですか」
「特別よ~。だってあのエクセル閣下が女の子を連れて帰ってきちゃうんだもん。びっくりしましたよね、殿下」
「……」

口を手を抑えてゆっくり上品な笑い声を出しながら一歩前行く主人に話を振るが、視線は一瞬向けたが無視されてしまった。その感じ悪い態度に愛菜は拒否感を顕にした表情を隠すことなく浮かべると隣のラウナが面白がって今度はケタケタと楽しそうに笑った。

「アイナちゃん面白いわね~。私アイナちゃんとお友達になりたいわ」
「ええ!?良いんですか」
「うふふ、お近づきの印にイイコト教えてあ・げ・る」
「?」

耳を貸してと指を振ってきたため、愛菜は首を傾げつつ、彼女の側に耳を近づける。声色は優しいままでラウナから意味深な言葉を囁かれた。

「閣下の言う事は素直に受け取っちゃ駄目よ」

本人には内緒ねと口の前に人差し指を立てて目配せさせる。
その言葉に驚いた愛菜はどういう意味だと口を開こうとしたが、目的地に付いてしまってラウナはアリに呼ばれて彼の部屋の鍵を開けるため側を一時離れてれしまった。
エクセルとラウナお互いから同じような言葉を言われた愛菜は何とも言えない気分に襲われる。
気になり出したらもう止まらず、怪しく思えば思うほど怪しいと思考を巡らせていく。先程のやり取りの中も急にエクセルを笑ったり、やけに遠慮がない距離感を彼女から感じる。彼の上司の世話役なのだから元から顔見知りな事もわかるが、それにしては先程の意味深な言葉は妙に引掛る。
廊下で一人モヤモヤしていると急に野太い声で上から「おい」と呼ばれ、そこで我に返った。

「何をしている。早く入れ」
「は、はい!おじゃまします」

もうこれは叱られているんじゃないかというくらい睨まれながら部屋に入るよう促され、ビン!と不自然に背筋を伸ばして部屋に恐る恐る入る。
部屋の中央にある大きな机に山積みの書類が目立つ。きょろきょろと見渡すが、それ以外は壁一面の本棚と応接用のテーブルとソファのみという無駄なものがない実にシンプルな部屋だった。
どうして良いのかわからず挙動不審になっている愛菜とは対象的に、きびきび動くラウナはあっという間にテーブルにお茶と菓子を用意し終え、愛菜とアリに座ってお茶を飲むよう促し、にこにこと笑って茶器にお茶を注いでいる。
状況に理解が追いついていないと戸惑いながら座った愛菜の前にお茶の注がれたカップが置かれる。とてもいい匂いのする紅茶でカップを持った瞬間、頭が少しくらくらするくらいだ。

「はい、これはお砂糖ね」
「わぁ綺麗」

雫型の透明なドロップのようなものが詰まった瓶を差し出され、そんな砂糖を初めて見た愛菜は飲んでいたカップから口を離して瓶の中身に見惚れる。
その最中、一個二個三個と次々と砂糖を取り出しお茶にじゃぶじゃぶ放り込んだアリの驚きの行動に、あんぐり口を開けたまま彼を見続ける。流石に入れ過ぎだと思ったのは間違いなかったようで、ラウナが悲鳴に近い声で彼を叱咤する。

「殿下!いい加減に控えてください!」
「今日くらい良いだろ」
「昨日も食べたじゃないですか!!」

そう言って一層悲鳴を上げたのは、彼が今度は目の前にあったケーキに黄金色のシロップをこれでもかと回しかけだしたからだ。アリは皿を手にするとケーキをフォークを使って真っ二つにすると、その片方を豪快に一口で頬張った。
ゆっくり噛みしめたあと、少し顔をほころばせた瞬間を愛菜は目撃してはっとする。彼は愛菜の様子を気にすることなく、またケーキを豪快に頬張る。

「甘いもの好きなんですか?」

かなり豪快に、それでいて幸せそうにケーキを平らげたので、ついぽつりと質問をしてしまう愛菜。案の定というかめちゃくちゃ睨まれたので咄嗟に謝ってしまう。
変わらない仏頂面で、小さな声で良い歳した男が菓子だの甘味だの言ってる事が奇妙なのは認めると言い、別に謝る事ではないと皿を置いてお茶を飲んだ。
愛菜の隣りに座ったラウナが、またそんな卑屈な事を言ってと困った様子でため息を付く。どうやらこのやり取りは二人の間ではお約束の流れのようで、アリは自分の甘味好きを相当気にしているようだ。

「あのっ!私の国では男の人でも手軽に買えるお菓子が沢山売っているので、全然変じゃないですよ」
「……そうか」

ケーキを食べたときの表情が気になって、思わず励ます言葉を言った愛菜だったが、言葉を掛けられた当の本人は仏頂面で涼しい一言を返しただけで終わってしまう。
釈然としないと愛菜は眉間にシワを寄せて不満げにお茶を飲んでそのモヤモヤした気持ちを誤魔化した。

「どんなお菓子があったか聞いてもいいかしら?殿下のお茶菓子の参考にするから」
「そうですね。お菓子って言ったらチョコレートとかクッキーとか甘くは無いですけどポテトチップスとか――って国も違うしわからないですよねハハハ」
「そうねぇ聞いたことないわね。例えばその、チョコレート?ってどんなお菓子かしら」
「ええっと……黒くて硬いんですけど、口に入れるとゆっくり溶けて、甘くてちょっと苦い、お菓子ですかね」

国が違うどころか自分が違う世界から来ましたとも言えず、話を合わせるため必死に考える愛菜。気を抜いていつもの調子で話してしまったものだから、チョコレートをチョコレートと言わずに説明する難しさに首を捻りまくる。これでいいんだろうかと思いながらラウナの顔を見ると、彼女も愛菜同様に大きく首を傾げてチョコレートを想像しようとしてくれている。

「おい」

黙ってお茶を飲んでいたアリが急にラウナを呼びつける。

「はい、殿下。どうなさいましたか」
「向こうの棚に仕舞ってある帝国の菓子があっただろう。ひとつ持ってこい」
「ですがそんなに召し上がっては殿下のお身体が」
「俺じゃない。そいつに食わせてやれ」

そう言って愛菜を一瞥する。ラウナは困惑した様子で棚から箱を取り出し、その中に入っていた一つを愛菜の前にある皿にのせた。
丸くて黒いものが一粒。皿の上に置かれ、まさかと愛菜は驚いてアリの顔を見る。何も知らんと言いたげにアリは目を合わせてくれないため、愛菜はそのひと粒を手にとってゆっくり口に含んだ。

「これ!チョコレート!!」

やっぱりと驚いたあと、嬉しそうにはしゃぐ愛菜を見てラウナは信じられないものを見る目で自分の主人を見下ろす。
客から貰った菓子で、帝国の物は珍しいし数も少ないからとラウナは手を付けることがなかった菓子だったから味も知らなかったのだろう。対してアリはそれを食べたことがあり、先程の拙い味の説明から近い菓子を瞬時に思い出した。しかし確証が持てなかった為、食べさせてみたが正解だったようだ。

「アイナちゃん、帝国の生まれなの?」
「帝国?」

きょとんとした表情で聞き返された為、難しい表情を見せるラウナ。そんな彼女を見て、まずい状況になったのではないかと愛菜も不安そうに下を向いてそれ以上何も言わないようにした。

「美味かったか」
「は、はい。ここに来てまさかチョコが食べれるなんて思ってませんでした」
「っふ、そうか」

急に低い声で声を掛けられた為、顔を上げると仏頂面だった顔が少しましになったアリがこちらをじっと見つめてきた。国の偉い人の問いかけを無視するのはまずいし失礼だと思い、慌てて答えると予想外に笑ってくれた為、不意をつかれ赤面する。
急に彼の言葉から優しさを感じ、懐かしささえ感じてしまうチョコレートに似た菓子の味にも感動して、愛菜の目がじわじわと濡れていく。
忘れようとしていた不安がどっと押し寄せてから涙が止まらなくなった。

「家に帰りたい……」

俯いて膝にぽろぽろと涙を落として泣き出した愛菜を見て、アリとラウナが顔を見合わせた。
二人が眉をひそめて深刻そうに「まさかエクセルは誘拐でもしてきたのか」という会話を始めた為、慌てて愛菜は否定する。涙は一瞬で止まってしまう。

「お迎え来ますかねぇ」
「承認が貰えればこっちに来るだろうし、どうせ承認だろう。必要な書類作って先に終わらせておこう」
「ふぅん……随分甘いですね」

先程の菓子の件といい、いつもより上機嫌に見える主人に対し疑いの視線を送ってくる自身の侍女に対し、アリはため息を付いて正面にいる愛菜を顎で指す。

「お前はコレが国家転覆を図るスパイか何かに思うのか?」

真面目な話、物騒な質問だ。が、言ってる当人の顔は呆れ顔で、話題に挙げられている愛菜は自分が馬鹿にされていることに勘付きお茶を飲みながら平常心を保とうとする。
この男の言葉は言われた相手がどう思うかは考えていない思ったことや必要なことを言っているだけで他意はない。一々傷つくのはなんだか無駄だということがなんとなくわかってきた。

「書類も私がこの場で書く。インクと紙」

ラウナが持ってきた装飾の施された立派な用紙と、傾きで様々な色に見える不思議な瓶詰めのインクを持って来るとアリは手慣れた速度で用紙につらつら文章を書き込んでいく。かなり長い文字を書いた後、最後に線をすっと入れ、愛菜に渡す。線の上に名前を書けとだけ言って。
話の流れから何か約束事を書いた誓約書であることは分かるが、全くこの世界の文字がわからず、書類をしばらく睨んだすえラウナに助けを求める。

「要は愛菜ちゃんが悪いことしたらそれ相応の処分があるよって書いてあるのよ」
「処分ってどんな処分ですか?」
「うーん罪の内容にもよるけど、一番重いのは死罪かしら」
「私死んじゃうんですか?」
「大丈夫よ愛菜ちゃんが悪いことしたらだから。普通に閣下の側にいるだけだったらなんの問題もないのよ」

死罪の言葉を聞いて怯えた愛菜を見て慌ててフォローする。

「書きたくないならそれでも構わないが、この城には居られない。よく考えることだな」

ここを出ていく事になれば今まで出会った人達とも会えなくなるし、お金もないし、どうやって暮らしていくのか検討もつかない。愛菜はじっと誓約書を見つめながらそんなことを考えていたが、そんな不安など小さな問題だとばかりに大きな不安で塗りつぶされる。
また迎えに来る。
あの顔に鱗がある男の言葉を思い出した愛菜は自身が一人になることは避けなければいけないと理解する。一人になれば彼にまた捕まり、あの理不尽な暴力を振るわれるだろう。
愛菜は何かを堪えるような表情を見せたあと、インクを付け紙上に移動する。

「あっ」

普段使い慣れない筆に戸惑ったのか誓約書にインクが落ちて思わず声を上げた。
その瞬間、愛菜の手から筆が消えたと思えば筆は勢いよく天井へ向けて跳ね上がり天井にぶつかった後、アリの目の前に突き刺さる。その衝撃でインクの瓶も倒れて中身が誓約書をすべて塗りつぶすように降りかかった。
愛菜は筆を持っていた状態のまま硬直し、何が起こったのかわからず混乱して私じゃないと弁解する。見れば目の前に座っているアリの顔がみるみる恐ろしく険しいものに変わっていき、じっとこちらを見ている。

「その手を出せ」
「ち、違います!私こんな事しようとしてしたんじゃないんです!!急に筆が……」
「わかっている!いいからその右手を貸せ!」

そう言って立ち上がったアリに手を捕まれ、急な激痛を感じ悲鳴を上げる。

「殿下!やめてください!」
「馬鹿者!これは俺じゃない」
「こ、小指が……痛い」

勘違いしたラウナに止められ気が緩んだスキを付いて手をはね退けた愛菜はうずくまって痛む指をギュッと押さえる。港街で見たときより黒いにじみが広がっていることに気づいたが今は痛みでそれどころではない。涙をにじませながら痛みが収まるのを待つように深呼吸をして耐える。

「わかった。書類は書かなくていい」

その言葉を聞いてから少し痛みが和らいだ。何が起きたのか理解できず、未だにパニックを起こしている愛菜に向かって、何度も落ち着くように声をかけ続ける。

「いいかよく聞け」

まっすぐ目を見てアリはゆっくり今の状況を説明する。

「お前は今の行動が不適切として、エクセルから呪いの罰則症状が出ている」
「の……呪い?」
「そうだ。俺はお前とあいつとの問題に干渉するつもりはない。影響がでた原因の書類も今はひとまずいい。だから心を落ち着けろ。そうすれば意味は落ち着く!」

そう言われてほっとするように表情を緩めた愛菜の右手の力を抜く。

【三章】meria

【三章】meria

【三章】 角の生えた人間の暮らす異世界に飛ばされた少女は…

  • 小説
  • 短編
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  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2019-04-01

CC BY-NC-ND
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