冷たい、人の、こころ

周たまき

冷たい、人の、こころ

人から「あなたはこういう人」「あなた、こういうところがある」と言われたことは、相手が何気なく、悪気無く言った言葉でも、心の奥に根付いてなかなか忘れられないことがある。子供のころ、自我をめきめきと育てているころに言われると否定的なことなんか特に頭にめり込んで離れなくなる。

冷たい人間だね、と言われたことがある。
また、人の心がない、と言われたこともある。

冷たいと言われたのは二度。人の心がないと言われたのは一度。
冷たい人間だね、と一度目に言ったのは、母だった。
ただ、これをどうして言われたのか、今どうしても思い出せない。私は何か言ったのだ。それに対して返されたのだ。そして私はあまりにショックを受けて、それも母に言われたものだから、それからずっと、自分は「冷たい人間なんだ」と思っている。
「お前は本当に冷たい人間だね」
 本当にと付いたことを思い出した。中学校の時だ。夏、西日が強いリビングで。兄弟にまつわることだったのだ。私は長女で、弟が二人いるのだけど、二人のうちどちらかが、何か言った。それに対して私が返した。それを聞いて母が一言。
 当時の私は、頑張っていいお姉ちゃんを演じていた。
頑張っていた。
三人というのは割り切れない人数だ。奇数。兄弟がいる人間には奇数の恐ろしさがわかるだろう。お菓子を分けるとき。お母さんと手をつなぐとき。
親戚がサイダーを五本くれた。五本。兄弟は三人だと知っていながら五本。両親はいらないと言う。常にそういう場面に出くわすと、兄弟は三人でじゃんけんをする。私が勝つと、弟のどちらかが泣きわめく。僕も二本がいい。僕も二本がいい!
それで私が一本譲ったのだ。私、やっぱりいらないからあげる。
それを何度か繰り返し、最後はお菓子で一つ、ないし二つ、余ると、私はじゃんけんの権利を放棄するようになった。私はいい。あんたたちで分けなと言って。すると弟たちは目を輝かせる。さすがお姉ちゃんだと言われる。寧ろ、たった一度、サイダーの時に譲ってから、私がじゃんけんを放棄する前に、お菓子をめぐるじゃんけんが発生すると、弟たちは期待に満ちた目でこちらを見た。お姉ちゃん、またいらないって言わないかなぁと。なんだか「いらない」と言わないと悪いような気がしてきて、最後は放棄。それでも大好きなチョコレートのじゃんけんのときは「私も」と加わろうとする。すると弟たちは「なぜ?」という目でこっちを見るのだ。
私は小学校の時にはもう、追加の欲を捨てていた。
母と手をつなぎたかった。でも、母の両手は弟たちのものだった。私はお姉ちゃんだから。我慢しないと弟が泣く。うるさい。
母が私を「お姉ちゃん」扱いしたことはない。だが、子供というのは、空気をきちんと読める。年上が年下にしたらいい行動というものを知っている。頭だってきちんと働く。どうすれば面倒くさいことを避けられるか、考えるのだ。どうすれば、周りが嫌な思いをしなくて済むか、考えたりするのだ。
勉強だってきちんと教えてやった。私が宿題をしていてわからない問題があると、母に尋ねに行く。母は自分が勉強わからないものだから、そんなことは学校の先生に聞くか、自分で調べなさいと言う。だが、弟には私がいる。わからないことは私に聞く。そして私はわかるから教える。本を読むとき、漢字がわからなくて母のところへ行ったら、漢字辞典を渡された。これで調べながら読みなさい。私は一字一字、わからないたびに辞書を引いて読んだ。えらく時間をかけながら読んだ。
弟たちはわからないと私に聞く。私が答えて、どんどん読み進める。何をするのも早くて、大人から「すごい、すごい」と褒められているのを隣でみていた。
そんな日々のどこかで、弟のどちらかが、何か不満を言ったのだ。それに対して私は何か、なんだっただろうか。否定的な発言をした。そして母の一言があった。
本当は心の中で、「私も追加のお菓子がほしい」と思っていたことが、「私もお母さんと手をつなぎたい」と思っていたことが、「私も誰かに聞いてすぐに答えてもらってすいすい本を読みたい」と思っていたことが、見抜かれていたのだろうか。嘘ついてお姉ちゃんをやっていたことがばれたから、冷たいと言われたのだろうか。それとも、そのたった一言、否定的な意見が、人的に非道な言葉だったのだろうか。私はどんだけ非道い言葉を吐いたのか。
 成長し、色んな人から「みち子は優しいよね」と言われるけど、私は自分が優しいと思わない。きっと何かしら冷たい人間だと思っている。
 
二度目は高校のとき。
 私がいた中学校は、何が何でも地元の高校へ生徒を送りこまなければいけなかったようだ。何か賄賂でも受け取っているのか、どんな癒着があるのだと思うぐらい、地元の、名前さえ書けば合格できるような、RPGツクールでいうところの「さいしょのまち」レベルの、馬鹿と不良しかいないような高校に行かせることに必死だった。
 だが、私は中学校でいじめられていたものだから、絶対に行きたくなかった。言われた通りにしたら、いじめっこたちとさらに三年間一緒にいなければいけないのだ。しかも私は塾に行って、少しだけ勉強ができた。名前を書けるだけじゃない。問題を半分以上は解けるのだ。それで私は教師に「隣の市の高校へ行きます」と伝えた。どえらい剣幕で怒られた。考え直せと言いに、担任と副校長がわざわざ家庭訪問にまで来た。地元高校のうわさを知っている親は、さすがにこのときは私の味方になってくれ、本人の希望を尊重しますと言って私を救ってくれた。教師からの扱いが一瞬で冷たいものになったが、すでに秋、あと数ヶ月我慢すればいいだけ。私がいじめられていることを見て見ぬ振りしている時点で教師というものに何の期待も無かったから、冷たくされても特に堪えなかった。
 なんとか地獄から抜け出すために隣の市の高校へ進学したが、いじめによってコミュ障と化していた私はなかなか友達ができなかった。自分から話しかけるということを数年していなかったから、言葉のかけ方がわからない。言葉のキャッチボールというものに慣れていないから、返事の仕方がわからない。表情の作り方もわからない。
 だが、なんとか数人のグループの一員となることができた。そのグループの皆で休み時間を過ごし、昼ごはんを食べ、一緒に帰る。夢にまで見た友達がいる学校生活。それは夢に見たほど楽しくはなかった。
 他の子たちの会話についていけない。私は洋楽が好きだったが、彼女たちは今をときめくJポップ派。ギターとハーモニカを持って大声で歌うデュエットの話ばかりしていた。他の子たちは皆地元民だったから、どこどこの店のオムレツがおいしいだの、あそこにクレープの店ができたとか話した。私にはそれがどこやらさっぱりわからず、いつもニコニコしながらうんうん頷いていた。
 夏目前のとある休憩時間。
 次が体育の授業だったため、私は授業が終わると同時に体育シューズと体操服を手にグループの子たちの元へ向かった。何をするのもグループ行動が基本だったから。皆で更衣室へ向かうが、ちんたらちんたら歩くからイラついた。体育の教師がどえらい厳しく、時間に一秒でも遅れようものなら点呼の際に立たされ説教される。そんな辱めを受けるわけにはいかない。ちんたらちんたら、やっとこさ更衣室へ着くと、私はすぐさま着替えた。脱いだ制服を手早くたたみ、体育シューズを履き、時計を見るともう三分しかない。十分休憩なんて短すぎる。
 だが、ここでグループのボス的存在の小デブブタ子が、なんと三分前になっても着替えようとしていなかった。
 他のグループの女子とぎゃいぎゃい喋っているのだ。私とほかの数名はすっかり着替えて準備万端。あと二分前になって、やっと「時間がない!」と叫んでブタ子が着替え始めた。ごめんなぁ、待たせてごめんなぁ、すぐ着替えるからぁ、ごめんなぁと言って。
しかしもう一分前。私は待っていられなくて、「先に行くね」と言って点呼の場へ向かおうとした。するとグループの一人が「え、ひどくない?」と私をとがめた。
「友達やねんで?友達なら待とうや」
友達ってそんなもんなのか。グループ行動に慣れていない私は、しぶしぶその言葉を聞き入れ、仕方なしにもさもさ着替えるブタを待ち、もちろん遅刻して点呼の場へ。私たちは立たされ説教をくらった。
 説教の後、ブタは私たちに謝ったが、ほかの子が「気にしなくていいんやでぇ」とへらへらしているとき、私をとがめた一人が私を再び責めてきた。
「ああいうときに待てないなんて、友達やのにどうかと思う。冷たいよなぁ」
と。
 冷たいかどうかはわからなかったが、母のときと違ってショックは受けず、ただ腹が立った。友達待たせてくっちゃべるブタがなぜ責められないのかもわからない。グループとは。友達とは。ちんたら歩くことといい、話が合わないことといい、一緒にいても苦痛だったので、夏に入る前に私はそのグループから離脱した。いらん、と思った。これが友達というものなら、欲しくない。冷たい人間に友達はいらぬ。そうは思っても一人は寂しいから、何度も友達作りに挑み、失敗し、高校生はほぼ一人で過ごした。

 「人の心がない」と言われた最後のエピソードは、今も私の心をもやもやさせている。
 小学校、中学校といじめられ、高校で自らぼっちを選んだ私は、大学に入って心を少しだけ病んだ。迷走しながら日々過ごしていた中で、それでも迷走した甲斐があり、やっとこさまともに友達を作ることに成功した私は、楽しい友達との付き合いというものに喜びを見出していた。
 カラオケに行く友達、酒を飲む友達、ゼミでプレゼンテーションの勉強をする友達、サークルの友達、バイト先の友達、隣に住む友達、色々作ってそのどれとも楽しくやっていた。
 心を病んでいた私は、友達とは楽しく過ごせても、就職活動を思うように進めることができないでいた。なんとかいくつかの面接に挑んだものの、七月を前に全敗を喫した。
 嗚呼、ほかの友達は皆内定をもらっている。就職活動をしていない友達は大学院へ進むために勉学に勤しんでいる。私はやりたいことも定まらず、無理やり自己分析を行って無理やり面接に挑み、適当なことを言って全て落ちた。
 自身の愚かさと情けなさに絶望しつつ、ゼミの教授から「秋に本気だせ」とアドバイスを受けて、夏はとりあえず期末試験に全力を注ぐことにした。
 そうして無理くり、病気なものだから色々無理くり頑張っていたときに、友達が殺されるという事件が起きた。通り魔に殺されたというのだ。
 この話はまた別のところで別の人間になりすましてフィクション化するとして、私を含めるその子の友達は皆悲しみ、憤り、そして自分を責めていた。犯人はすぐ捕まり、皆犯人に死刑を望んだ。
 だが、私はこれに賛同しなかった。ある友人は「もちろん死刑になってほしいよね」と言ってきた。私は言葉を濁した。
 ある友人が電話で犯人に対する恨みつらみを涙を流して毎日私に訴えたきた。私はうんうんとうなずきながら、それでも最後にいう「死刑になってほしい」という訴えにはうなずくことができなかった。
 その事件より一年ぐらい前、私がゼミに入ったばかりのころだったか、何の流れでその話をしたか忘れたが、授業で教授が死刑について意見を求めてきたことがあった。その時私は反対だと言った。教授はうなずき、そして言った。「反対だと言ったが、もし家族が殺されたら、もし友達が殺されたら。その時同じように反対だと言えるだろうか」
 一年後、友達が殺されて、それでも私は反対だと思った。
 ある日、やはりどの友達だかが、犯人は死んでほしいというような発言をして、同意を求めてきた。いつも通り言葉を濁せばいいのに、「そうは思わない」と反対してしまった。すると相手は随分驚き、その後に「ひどい」と言われた。殺された子と私は、周囲から見て一番の仲良しだったようだ。一番かどうかは知らないが、確かに私とその友達は仲が良かった。その私が、いいやと言うなんて。仲がよかったのにひどい、信じられないと言われた。
 仲のいい友達が殺されたのに、犯人は生きていていもいいなんて、お前には人の心がないのか。なんて冷たい人間なんだ。ああ、ここでも冷たい人間だと言われているから、私は冷たい人間だと言われたのは三度だ。
 私はそこで、なぜ自分が反対かということを言う気にはならなかった。だって、相手は感情の赴くまま、ただ犯人に死んでほしいだけなのだ。
 ただ、言えるものなら。もしあの時、死刑反対云々関係なく気持ちを伝えて良かったのなら、私は言いたかった。君たちの声のほうが怖いと。死んでほしい、死ねばいいと訴えるその声と、その表情。憎しみに塗れた声ほど恐ろしいものはない。憎しみに塗れた表情ほど醜いものはない。友達を殺した犯人と何が違うのだ。きっとその犯人は君たちと同じ顔で、同じ声で友達を殺したのだ。憎しみと怒りにかられたそのままで。だが言ってはいけない。彼も彼女も被害者で、責めてはいけないことぐらい、心がなくてもわかっている。だが、大好きな友達が怖くなるのは悲しかった。
 わざわざ憎しみを伝えに電話なんかしてきてほしくなかった。だが、気持ちは痛いほどわかるし、私だって憎しみがないわけじゃない。だからうんうんと聞いていた。
 人の心がないと言われたのにはショックでも憤りでもなく、困惑した。悲しかったのに。私は、私の悲しさを他の友達と共有できなかった。人の心とは何だろうという思いがいまだにぐるぐるしている。残酷な言葉というものが、心には必須条件としてあるのだろうか。
 結局犯人は死刑にはならず、罪に見合っているだろう年月を服役することになっている。
 私は就職活動に最後まで失敗し続け、貧弱だった心を、さらに友達を失った悲しみによって大きく病み、数年間実家で廃人のように過ごすこととなる。
 冷たい人間、人の心のない人間。
 優しい、良いひと、も何度も言われてきた。でも、私はそのプラス意見をずっと受け入れていない。一部優しいかもしれないが、だいぶ冷たい。一部良い人間かもしれないが、ほぼ心のない人間。逆に考えることができないのは、病んだからか。ショックも憤りも困惑もこりごりしているからか。
 病んでしまったから、さらに消えてしまっただろうか。心というもの。長年飲んだ薬が幾分か、人の心というものも補充してくれればいいのに。
 さっきまで晴れていたのに、雷が鳴った。雨が降り出した。春の嵐。
 嫌いな夏が近づいてくる。

冷たい、人の、こころ

冷たい、人の、こころ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-03-31

Copyrighted
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