黒い卵

千葉しげる

湯治場で黒い卵を見つけた男の話

昔、 ある男が湯治に出かけた。 そして、 その土地の土産物屋で、 珍しいものを見つけた。 それは、 黒いゆで卵であった。 なんでも、 その土地の温泉にしばらくつけておくと黒いゆで卵ができるという。
だが、 その男が最も気に入ったのは、 一個食べれば7年長生きするという売り文句であった。 男はそこで、はた、と、 気づき、 自分の住んでいる町に持ち帰り、 売ればたいそうを売れるであろうと思った。
しかし、 実際食べてみないことにはことが始まらない、 男は、 一個買って、 殻を破り一口食べてみると、 何ら普通のゆで卵と変わらない。 いささか拍子抜けした男であったが、 きっと、 このゆで卵を食べて、 長生きした人がいくらかいたのだろうなあと思った。 そのことに尾ひれがついて、 7年長生きという売り文句がついたのだろうということは想像に難くない。
とはいうものの、 自分の町まで運ぶには、 峠をいくつも越えねばならぬので、 そこが厄介だった。
冬場でも、 自分の町まで馬に引かせた荷車で行けば、 片道で3日はかかってしまうだろうから、 卵は腐ってしまう恐れがあった。 無論、 夏場は言うに及ばずであった。
そこで、 男は地元の洞穴に氷室を造り、 冬場に氷をため、 それを砕いてその中にゆで卵を入れて運ぶ計画を立てた。
そうと決めたらすぐ、 男は村に残り、 農作業やら、 温泉での下働きをしながら、 1年間金を貯めた。 また、 地元の衆に利益の一部を村に還元することを約束して、 協力してもらうこととした。 だが、 洞穴と氷室と氷作りの段取りに2年はかかってしまい、 すでに3年の月日は流れた。
もともと、 男は金儲けばかりを考えていたわけではなく、 一個食べれば7年長生きするというこの黒い卵が、 民衆に役立つことが思い入れにあったため、 その点を分かっていた地元の衆の協力は得やすかった。
もっとも、 男は他の地方の色々な温泉に卵を浸してみたが、 黒くなるのはこの温泉だけだったため、 ここで作業するしかなかった。 そういう理由から、 この地で商売をする男が、 たくさんの黒い卵を買ってくれることを、 地元の衆もありがたく感じていた。
全ての段取りが整うと、 雪の溶け出した春から運搬は始まった。 荷車に乗せる箱の中に氷と混ぜた黒い卵を入れ、 その上からおがくずをかけ、 さらにその上にゴザをかぶせた。 それを馬に引かせて何度もある峠を越え、 なんとか3日かかって男の住む町までたどり着いた。
最初は店などなく、 荷車に乗せた箱から取り出した物を売っていた。 黒い卵は、 噂が広まって町に到着するたびに飛ぶように売れた。
金儲けだけが目的ではなかったが、 あまりの売れ行きに、 半年で小さな店が持てるようになってしまった。 男も、 一個食べれば7年長生きするという売り文句と、 この黒い色が、 なんとなくお客にはありがたみがあるのかもしれないと思った。
そんな日々を送ってから、 半年が経とうかとした頃、 仕入れた卵が売り切れた昼過ぎ一人の老婆が卵を一つ欲しいとやってきた。 老婆の話を聞けば、 ここのところ亭主の具合が悪く、 噂に聞いた黒い卵に期待してやってきたとのことであった。
男は、 老婆の身なりから、 生活はかなり苦しいと見て、 哀れに思いどうしても売り切れたからもうないとは言えなかった。
そこで男は、 老婆を店先にある逆さにした大きな漬物樽の上に腰掛けさせ、 少し待つようにと言うと、 店にあった白い卵を茹で始めた。 茹で終わると、 今度はその白いゆで卵に濃くすった墨を塗り始めた。
男は、 仕入れている黒い卵を疑うわけではないが、 仕入れ先の住民が誰しも100歳を超えているわけではないので、 おそらく7年長生きしたものはかつてはいたかもしれないが、 暗示の効果も大きいのではないかと思っていた。 そこで、 偽物ではあったが、 黒く塗った卵を老婆に渡してみようと考えたのである。
出来上がると、 老婆にいくつか注意を与えた。 まず、 濡れた手で触らぬこと。 そして、 濡れたところに置かぬこと。 さらに、 剥いた殻はすぐに捨てること。 これらは、 白い卵に墨を塗ったことを悟られぬためであった。 そして男は、 これらを守らなければ黒い卵の効果は得られぬ、などと付け加えた。
男はあまりものだからといって、 老婆に卵をただで与えた。 老婆は何度も何度も頭を下げて礼を言うと、 喜んで帰っていった。 男は心の中で、 老婆の亭主の回復を祈った。
翌日の朝、 また仕入れの旅の支度をしていると、 昨日の老婆がやってきた。 男に言われた約束事を守り、 亭主に卵を食べさせたところ、 みるみる元気を取り戻したとのことであった。
男は、 その話を聞いて一安心した。と、ともに、 やはり暗示というものは効果があるのだなあと思った。 ただ、 この次は本当の黒い卵を 老婆に2、3個 ただでやらねばならないとも考えていた。
偽の黒い卵で急場は凌げたが、 やはり嘘は嘘であり、 ほんの少し後悔の念の残る男であった。
何度目かの礼を言い終わり、 立ち去る老婆を見送りながら、 男は、婆さん、 今度は本物をやるからな。と、 心の中で呟いていた。

黒い卵

黒い卵

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
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