宗教間の相違? その4
この作品は『宗教上の理由』シリーズの続編です。何それ? という方が多数でしょうが、作者が細々と書き連ねてきた一連のラノベもどき群です。作品一覧からどうぞ。
今回の物語は、その続編というか、同じ世界設定で描かれています。勿論シリーズの最初から読んでいただければ作者としてはこの上ない喜びですが、途中からでも楽しめるように書くことを心がけていますので、お初の方も気負わずお読みいただければ幸いです。
作品世界について
物語の主人公、嬬恋真耶は一族の仕来りに従い、両親と離れ山奥にある天狼神社で育った。彼女は「神使」としての使命を仰せつかって産まれてきたのである。神使とは通常、神道においてそれぞれの神社が神様の使いとして崇める動物を指すのだが、この天狼神社は日本で唯一、人間の少女が神使を務める習わしとなっている。
しかし思春期を迎えるとともに、神使としての職務から解かれた真耶。少女としての美しさを持つ真耶だったが、実は仕来りのために「女子」として育てられた「男子」だったのだ! これをきっかけに男子として生きていこうと決心した真耶だったが、女子生活に馴染みすぎていたため中学ではいったん断念。都内の両親の家に戻り、高校生活を続けながらも男子になる努力を続けたが、大学生になった今でもなお、どこからどう見ても女子にしか見えない外見と言動を保ち続けている。
真耶の「女子大生」ライフと、ときに高校時代の思い出を交えながら物語は進む。
1
「にしてもこれ、超カワじゃん。マジカワだよマジカワ。真耶ちゃんが着てるものは何でもカワイく見えるけど、これはもうダントツカワイイよ」
真耶が前日着ていたスキーウェアは、ズボン部分の裾内側にスキーが引っかかった時に出来る布のほつれを防ぐエッジガードが無いので、スノボ用として真耶は使っている。だがそれのデザインがとにかくカワイイ! 全身にピンクの迷彩かと思ってよく見れば、薄いピンクや濃いピンクの色とりどりなハート柄。これをカワイイと言わずに何がそうなのか。
「お願い、着てみたい! つか明日これ着てスキー場行きたい! 真耶ちゃんもう一着持ってるんだし、ね、いいでしょ?」
昨日から真耶と行動を共にしている、今をときめく超人気女優にして真耶の芸能界唯一の親友、白瀬ゆず。北海道でドラマのロケを一本終え、また別のドラマの撮影に入るはずがトラブルでクランクイン出来ず足止めを食っていた。そこに真耶から、雪国ぶらりスキースノボ旅に出発するとのSNS。そこでダメもとで、良かったら来ない? とゆずが誘ってみたら、行く行く! と前のめりでレスを返す真耶。そんなわけで、二人は今、札幌のホテルにいるのだった。
「でもそれ、昨日あたし汚しちゃったウェアだよ? そんなの着せるなんてなんか悪いよ」
真耶とゆずが合流したのは前日の夜のこと。真耶が札幌に到着したとき、ゆずはまだ仕事中。だからその間に雪まつりを満喫していた真耶なのだが、郊外の会場には真耶が苦手とする高いところから落ちて行くようなスノーアトラクションが沢山。ところが子どもに好かれやすいというか遊ばれやすいというか、そんな星のもとに生まれた真耶は、さんざんそれらに乗せられた挙げ句雪に埋められてしまい、その結果我慢出来ずに、スキーウェアの中で「して」しまったのだった。
「えーでも、昨日ちゃんと洗ってたでしょ? それにもうちゃんと乾いてるし。北海道の暖房ってパワーがスゴイねー」
ウェアの内側をクンクンしながら、全然におわないよとジェスチャーするゆず。それでもやっぱり、おもらししたあとのスキーウェアを着させるのは悪いなと思う真耶。そしてもう一つ、そのウェアでない方がいい理由はもう一つ。
「それ、ワンピースでしょ? 初心者には使いづらいの、温度調節とか」
ウェアの選び方はスキーヤーとボーダーの数だけあると言ってもいい位千差万別で、正解など無いといった方が正解なのだが、真耶の場合は「可愛さ」と「雪の入りにくさ」をメインの基準に選んでいる。標高千数百メートルの木花村でスキーとスノボを覚えた真耶は、さらっさらのパウダースノーのメリットとデメリットをよく知っている。滑る感覚の心地よさは最高だが、最近主流となっている腰上の布が少なめのツーピースウェアで転んだりしたら、容赦なく粉雪たちがウェアの中に乱入してくる。
だから真耶は好んでワンピースのウェアを着るのだが、これも別のデメリットがある。まず温度調節が難しいこと。特に気温が上がった時など、いったんウェアの上をはだけてから一枚脱ぐのが面倒だったりする。もっとも、この時期の北海道でその心配はあまり無いわけだが、逆に寒いときに一枚中に着込むのも逆の行程をたどるのだから同じことである。
そして、ワンピースで一番困るのはトイレである。最近のスキー場では個室の面積を広くとってウェアをまるまる脱げるところも増えているが、やっぱりツーピースに比べて大変なのは否めない。もっとも最近はワンピース型ウェアのお尻にファスナーをつけて着たまま用が足せるものも出てきているが、真耶のウェアはそうなっていない。もっとも真耶自身、スキー場ではトイレに行かずに着たまましちゃっても構わないという考えだからこれでいいわけである。
一方のゆずであるが、当然お仕事目的で来たのでウェアは持っていない上に、この日急遽ローカル番組のゲストに呼ばれてしまった。ただ夕方の生放送なので、午前中は空いている。そこでゆずと真耶は街に出てスキーグッズを買うことにした。
手袋とかゴーグルとかの小物類や、寒さに強いのと同時に汗もすぐ乾く下着などはゲットした。そして初心者には絶対必要と真耶が力説したのがヘルメット。これはウェアと同じくらい妥協しちゃダメ、という真耶の強い主張によってしっかりしたものがゆずの手に渡った。お尻や背中などに付けるプロテクターもフル装備。
ところが、ウェアがなかなか決まらない。
「うーん、ここにも無いなあ」
とつぶやいては店を後にする繰り返し。ゆずが新しいウェアを買うのにためらいがあるのは、真耶が着ていたピンクのハートが散りばめられたワンピースに未練があるから。ただそれはどこの店でも見つけられなかった。
真耶は真耶で、懸念があった。北海道のパウダースノーに合うと真耶が思っているウェアが、肝心の北海道で見つからないのだ。結局二人は、ツインテールの女の子のイラストがラッピングされた市電に乗ってホテルに戻った。もうそろそろ、テレビ局に行く準備をしなければならない。
「うーん、このデザイン最高なんだけどなあ。経験者の真耶ちゃんが言うんじゃ、あきらめた方がいいよねえ…」
ゆずがしょげてるように見えたので、真耶は困惑してしまった。どうしよう、ゆずちゃんがお仕事終えるまでになんか考えなきゃ、と思っていた矢先のこと。ゆずが、
「ところで、真耶ちゃんの持ってるもう一着はどんなの?」
2
「きゃー! こっちも超カワイイ!」
赤いタータンチェックのツーピース。特徴的なのは、ツーピースだけどズボンではなくカバーオールとの合わせであること。ベストとズボンを組み合わせたような服をカバーオールと言うのだが、これとジャケットを合わせたウェアは子供用ではよくあるが、大人用では珍しい。
「あ、これ気に入ってくれた? うちの村ってスコットランドから移り住んだ人もいるからタータンって人気なの。あ、ジャケの下がズボンじゃないのは初めて見た? でもスキーウェアとかスノボウェアって今日街で見たのでも、だいたいパンツの上が腰のところまであるでしょ? 特にスキーウェアなんかだとサロペットみたくなってて、サスペンダーで肩から吊って腰とかお腹まで布が来るようにしてるの多いじゃない」
「なんで?」
「ほら、腰が冷えると寒いでしょ? それに転んだ時に雪がウェアの中に入りにくいし、ってことだと思う。特にうちの村寒いから、カバーオールもあるし、サロペットの布も出来るだけ高いところまであるのが人気なの。サラサラの雪ってすぐ服の中入ってくるから」
英語の名残で、真耶はタータンチェックの「チェック」の部分を言わない。木花村の方言というか、外国語と日本語がごっちゃになっているのは村の言葉の特徴である。それはそうと、真耶がスマホで出したスキーウェアメーカーのカタログ画像を見ると、なるほどかなり高い位置まで布があり、それをサスペンダーで吊っている。
「…なんか、アタシがドラマで着てたデニムのつなぎみたい」
「そうそう。農作業でも土がシャツの中に入らないようにつなぎ着るでしょ? それをヒントにうちの村の会社がデザインしたんだよ」
真耶の父、あるいは更に上の世代がこぞって雪山を目指していたころは、スキー用品も登山用品もヨーロッパ製がその値段の高さにも関わらず鉄板の人気で、その理由はなんといっても品質への信頼感。だが外国のものを取り入れて自分たちに合ったものに作り替える能力にたけた日本人は、この国の風土に合ったスキー用品や登山用品を作り出していく。特にスキーウェアでは、まさに「しばれる」寒さに見合ったウェアを作り続ける北海道のメーカー。ベタ雪で転んでも平気なように撥水加工をしっかりとした北陸のメーカー。そんな具合にそれぞれの地域にあったウェアを作るメーカーがいくつも現れた。
木花村にも、その気候や風土に見合ったウェアを作るメーカーがある。木花村はもともと天狼神社を中心とした十数軒の集落に過ぎなかったのだが、近代以降、日本独特の蒸し暑さから逃れようとした外国人たちに避暑地として見いだされ、なかには別荘を建て、ついには定住をし、日本人として生きていく人々も多かった。
彼らは、日本文化に溶け込みつつも彼らの文化を守る部分では守った。服飾の世界でもそれはみられた。実は木花村はファッションの村でもあるのだ。
「へー、じゃあ真耶ちゃんの育った村には、洋服屋さんっていうか、服のブランドあるんだ?」
「うん、ブランド結構あるよ。ほら、外国の人達がこの村に住み始めて何年もすると、自分の国から持ってきた服が古くなって着られなくなったりするでしょ? でも日本のいなかではなかったみたい、好みの服が。それにここ冬は超寒いし。だったら自分たちで作っちゃえってことで、なかには出身の国から仕立て屋さんを雇って呼び寄せた人もいたみたい。その人のもとに日本人が弟子入りしたりして、村オリジナルの服が増えていったの」
だからクリスマスやハロウィンなどの仮装用の服も、しっかりした生地と縫製で作られたもので、何年も使える。スキーウェアも、独特の商品が未だに作り続けられている。タータンのウェアはワンピースタイプもあって真耶はそっちも愛用している。サロペットやカバーオールのウェアが農業にも便利なのはさきに述べた通り。村名物の雪中野菜というのがあり、雪の中に埋もれ続けたキャベツや白菜・ネギは、糖度を増す上に柔らかさもバツグン。それを掘り出すときに腰まで埋まっても大丈夫なサロペットやカバーオールは便利なのだ。
もっとも、木花村のブランドは知る人ぞ知る存在ではある。なぜマイナーなのかと言えば、
「あんまり他で宣伝したりしないの、うちの村の服。冬の服は北海道と気候が似てるからこっち来るにはピッタリなんだけど、無理にいっぱい作ろうとすると忙しくなるから。仕事と遊びを両立させるのが村の伝統だし。それでも村に来た人たちの口コミで地味に売れてるみたい。実際着て試してもらってから買ってほしいってのもあるみたい」
ちなみに真耶着用のハート柄のウェアは逆に北海道製。ワンピースだけど保温性は抜群。ともかく真耶はピンクのハート柄、ゆずは赤いタータンのウェア、という割り振りが決まった。ゆずのウェアはスキー用なのだが、あたしのスキーウェアでならスノボは可能、というのが真耶の説。大体スノボウェアはゆったりした作りになっているものだが、真耶はスキーでもお尻パットを付けるし、それに、
「…身体にピッタリのウェアだと、バレちゃうから、男の子だって」
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奢り奢られの関係を友達同士でしたくない、というのが二人の一致したポリシー。だってどう考えても、ただの大学生嬬恋真耶より、超有名女優白瀬ゆずの方が高収入なわけで、真耶ばかりが借りを作ることになるのは彼女のプライドにも障るわけだ。だから今回、ゆずも真耶に合わせて十九歳だとリフトが無料になるスキー場に行くことにした。
今夜も、ダブルベッドに二人寝転んで翌日の予定を立てる二人。
「ゆずちゃんは、スキーやったことあるの?」
「無いも同然って感じかな、静岡産まれだもん。子どもの頃町内のスキー教室で三日くらい行ったことあるけど、ボーゲンが何とか出来るくらいで終わっちゃったから、今出来るかどうかわかんない」
さすがゆずちゃんナイスな答え、と真耶は思った。雪国出身者が一番頭を抱えるのは、数日のスキー体験で出来たつもりになってしまう人。
「俺さー、産まれてからずっと東京住みだけどスポーツ得意だし、小学校ん時のスキー教室でもすぐ滑れるようになったんだぜ。そうだな、あの時のクラスん中じゃ俺が一番上手かったな」
とか自慢顔で言っている奴ほど危険、というのが雪国の学校でスキーを習った者の一致した意見。
なぜか。雪の無いところからやってきた子どもたちのスキー教室は、とにかく数日で何とか滑れるようにすることを目標とするのだが、日にちが足りないがゆえに肝心なところを飛ばしてしまう場合が多い。これは、スキー場のスクールでも見られる傾向ではある。
一方、学校でスキーを教える場合「上手な滑り方」よりも「上手な転び方」を重視するのが基本。だから安全に怪我をしないような転び方を身につけていない都会のにわかスキーヤーがゲレンデをすっ飛ばす光景は、雪国の学校出身者には恐怖以外の何物でもない。ゆずのように、自分の実力を自覚してそれを告げてくれる方が安心である。
「そっかー、じゃあスノボのほうがいいかな。スキーよりも早く見映えするようになると思うよ」
真耶も物心つく頃にはスキーを履いていた。というか、木花村の住人はもれなく、子どもが歩けるようになった年の冬にはスキーを履かせる。一方、苗のように外の市町村から転校してきた子どもは、まずスキー板で平地を歩くことから始める。校庭はそのために絶好のフィールド。休み時間や放課後に友達とキャッキャ遊びながら雪の上を歩くことでスキーに慣れていく。ストックの使い方なんて後回し。もちろん最初は転んだりもするけど、雪の上だから尻餅をついたほうが痛くないってことに自分で気づく。つまり「安全なスキーの転び方」が自然と身に着く。そして慣れてきたらいよいよ坂を下り始める、と言っても村全体がゆるやかな緩斜面になっている木花村では、校門を出ればそこはもうちょっとしたゲレンデ。まして真耶が卒業した木花東小学校大神平分校は、学校のすぐ隣が村営スキー場の初級者コース。自然と身体がスキーを覚えていくのは当たり前。だから小学校には全生徒がスキーとスノボをボトルキープのごとく置いており、まさに冬の村技と言ってもいい。ちなみに国技に対応して村技というのがあるとすれば、木花村では冬はスキー、夏はクリケット、雪こそないが外が肌寒い春と秋はフェンシング、といった具合だ。
ともかく、スキーで安全を確保しつつ綺麗な滑りを見せるには相当な練習が必要ということ。せっかくならきれいに板がそろった滑りをできるようになってほしいという真耶の思いはあるが、それにはかなりの日にちを要するし、撮影を控えたゆずに怪我などさせられない。何しろ昔の役者さんはスキーが御法度だったのだという。これは真耶の母が先輩俳優から聞いた話だ。
というわけで、スノボをやろうということで意見が一致した二人。ゆずもスノボの方が面白そうと言ってくれたし、スノボの方が、実は安全な転び方の会得も含めて、サマになる滑りが出来るようになるのが早いと真耶は思っている。ただし真耶がそう思う理由は、いざゲレンデに出てからのお楽しみ。
4
翌朝、パッチリ早朝に目覚めた二人。ゆずはさっそくマネージャーに今日もオフであることを確認すると、真耶とかわるがわるお出かけの準備を始める。女子のそれはもちろんお化粧やら髪いじりやらが優先事項。口にヘアゴムをくわえながらそれほど長くもないボブヘアーを整える真耶の姿はすっかり板についている。
さて、北海道で十九歳リフト無料対象のスキー場は六つある。というわけで、
「じゃーん」
ゆずが、テレビ局でよく使われる「フリップ」を取り出すと、そこにはその六つのスキー場とそれぞれについてのコメントが付いている。
「一 札幌近郊 当別」
「二 明治大正ロマン 小樽」
「三 あのドラマの聖地 富良野」
「四 こちらは映画の聖地 夕張」
「五 昔炭鉱今温泉 歌志内」
「六 贅沢リゾート トマム」
そしてゆずの手に輝くのは、サイコロ。真耶には何が何だかよくわからないが、ゆずの解説によれば、
「この前まで北海道ロケしてたドラマはさ、北海道の役者の先輩がいっぱい出てて、その人たちに教えてもらったの。北海道では旅で行く先に迷ったら、サイコロを振るもんだって。その人たちと一緒に、地下鉄でもう少し行ったところに平岸って所あるでしょ? そこにあるテレビ局の番組にプロモで行ったら、これくれたの。次の予定決まってないで北海道残るんなら暇だろ? これ使って旅行でもして来な、って」
「ゆずちゃんが足止めされてること知ってて、それくれたんだ。いい人だね」
「うん、このフリップはその人と一緒に劇団やってたけど別の番組で有名になった人が使ってたんだって。それをわざわざくれたんだよ? 北海道の人は基本いい人多いよ、おかげでロケもスムーズに行ったし。それはそうとね、せっかくもらったからにはこれを使って行く場所決めようと思って。目的地が六つってピッタリでしょ? ゆうべも目的地決まらなかったから運に任せようよ」
「さ、サイコロ振るよ! るんるん~」
突然ゆずがサイコロを持って踊りだす。真耶はびっくりしたけれど、こうやってできるだけ派手にやるのが流儀なのだと、ゆずは教わったらしい。何やら歌をうたいながら踊った末、ゆずは天井めがけてサイコロを投げ上げる。そして床に落ちたサイコロが出した目を見てゆずが叫ぶ。
「一! 札幌近郊 当別!」
当別町は札幌市内からそう遠くない距離にあり、JRの最寄り駅を降りるとそこは典型的な大都市郊外の風景。実際札幌に通勤する住民も多いらしく、そんな身近なところにスキー場があるというのが、ゆずには驚きでもある。
この駅前からシャトルバスが出ているという話だったが、今日はお休みとのこと。平日では仕方ないということでタクシーを拾ったらあっという間に到着。駐車場には地元ナンバーの車がほとんどで、地域とスキー場が密着しているのだと感じさせる。
「ここは、地元の人にも愛されてるスキー場なんだって。コースも広くて斜面もゆるやかだし、初めてスノボする人にはいいかもしんないね」
スマホを見ながら解説する真耶の目が変わった、ようにゆずは感じた。真耶が生まれ育った天狼神社は狼を祀る神社だと聞いてはいたが、まさに雪山でもたくましく生きる狼の目。それはプロの俳優がキャメラの前に立ったときに見せる目と似ている、ゆずはそう直感した。
「さ、ボード借りに行こっ。さすがに板は買う前にレンタルで試した方がいいよ。自分が本当にスノボが好きかどうかわかってから買っても遅くないから」
でも、語り口はあくまでいつものほんわかした真耶だった。
早速ゆず用のボードと靴を借りて、後者を履いたらボードの持ち方を真耶に教わって、さあゲレンデへ、とその時、
「ちょーっと待った!」
立ち上がろうとするゆずの袖を引っ張る真耶。
「ダメダメ、準備終わってないよ」
「え? スノボシューズも履いたし、ヘルメットも被ったし」
「いやいや、これこれ。完全装備にしてからロッジの外に出る、これ女子のキホン!」
と言って、昨日買った外から見ると虹色に輝いて目が見えないゴーグルと鼻にフィットした形でしっかりした作りのフェイスマスクをゆずに装着する真耶。あっという間に国民的に可愛いと認められた顔が隠されてしまった。
「…って、これ外でも良くない? なんか口のあたりがもごもごするし…」
「ノンノン。外は風で飛んだり、寒さで手袋が取れなくて手先が動かせずにつけられないときもあるし。だいいち、まずいでしょ? 少しでも焼けたら、雪に。特に俳優さんは」
「いや、いくらなんでもそこまで心配しなくても。今日太陽出てないし」
「ナメちゃダメだよ、雪国の紫外線を。しっかり焼けるから曇り空でも。それに」
真耶がゆずの耳に近づいて小声でささやいた。
「白瀬ゆずがスキー場にいる、ってバレたら大騒ぎでしょ? ゆっくり楽しめないのはソンソン。だから必須だよ、ゴーグルとマスクは」
「はい、それではまず最初にする練習は何かなー?」
「はーい、転ぶ練習!」
顔も体も完璧に隠した二人は、すっかり先生と生徒になりきって、リフトから離れた場所で転ぶ練習を始めた。スノーボードの転倒で怖いのは、後ろと前の両方に転ぶ危険性があり、更にはそのどっちに転ぶかで何が危険なのかも変わってくること。まず後ろに転ぶとき。スキーではこれが基本であり、尻もちをつくように教えられるのが一般的だが、スノボでは尻より先に後頭部をぶつけてしまう人も多い。だから転ぶと思ったら反射的に身体を丸めて、頭をガードする。
お次は前に転ぶ場合。スキーだとあまり無いことだが、身体から見て横方向に滑るスノボではままある事。この際やっていけないのは、ヒザから転んだり、つい手を出してしまう事。転倒の衝撃はかなりのものなので、たちまち骨折してしまう。正解は怖いと思わずに、体から雪に突っ込むこと。その時ボード、すなわち足を上に上げると安全に転ぶ事が出来る。
幸い、ゆずはそのどっちもすぐマスター出来た。これが真耶の言う、スキーよりスノボの方が早く習得できると思う理由の一つ。スノーボードならお尻に衝撃吸収パッドを入れるので痛さを回避でき、転ぶことに抵抗が無くなる。雪の上なら転んでもそう痛くないことさえ分かれば、前にも転べる。そしてスノーボードのプロテクターは両腕両ひざ、さらにボディプロテクターという上半身を衝撃から守るものもある。もちろん真耶も完全装備だし、ゆずにも着させている。
ゆずの成長は順調で、片足をボードから外して平地滑走することも出来たし、少し傾斜のある場所で山側と谷側のどっちを背にしても止まって立ち続けることが出来た。なかなか良い具合だと思っていた真耶だが、突然ゆずが、
「…疲れた…」
と言い出した。ゆずが弱音を吐くのを初めて聞いた真耶は驚いた。何しろ白瀬ゆずと言えば十代の頃から数々の映画やドラマに出演してきた百戦錬磨の若き名優。忍耐力は筋金入りだと真耶は思っていたし実際撮影の様子などを聞くとその通りなのだが、初めてのスノーボード体験で、集中的に基礎練習をしたのだから疲れて当然。ドラマとスノボでは勝手が違う。普段使わない筋肉をフル回転させたばかりか、子どものころからモデルの仕事をしてきたおかげで、何かするには全力で集中することが身についている。
「あ、ごめん。いきなり飛ばしすぎちゃった。休もっか、ちょっと」
真耶が慌ててそう言うが、
「あ、ありがとう。でもいいよ、まだ頑張れる…けど、無理するの禁止なんだよね」
ゆずが、鼻から下に密着した立体フェイスマスクの下で舌をぺろりと出しててへっと苦笑いした。無理をすればそれだけ怪我のリスクも高まるし、何より真耶は根性とかそういうのが嫌いだ。楽しみながらやらなきゃスポーツは、というのが木花村の伝統。だからこそ村では様々なスポーツの競技人口が高く、それぞれのペースで楽しんでいる。ついでに言うとそのおかげもあってか村の健康寿命は県内でも上位だし一人当たり医療費は逆に少ない。
「でも、真耶ちゃんは滑りたいんでしょ? ていうか、真耶ちゃんが滑るとこアタシ見てみたい。アタシちょっと休憩するから、真耶ちゃんの滑り見せてよ」
「ありがと」
「え?」
「あたしがまだ滑り足りないの分かってるんでしょ?」
「天然のくせにそういうとこはカンが効くんだから不思議な子だよねえ、ホントに、真耶ちゃんって」
リクエストという名の、アタシのことは気にせずもっと楽しんで来なよという粋な計らいに応え、真耶は颯爽とリフトに向かう。ゆずはボードをいったん外すとロッジに引き上げる。疲れているのは嘘ではないし、真耶の滑りが見たいのも本当だ。何しろ第一級の運動音痴であり、ボウリングに行けばガーターの連続はもちろんのこと、そもそも一番軽いボールを腕を振り切って投げることすらおぼつかない。卓球をすればラリーなどひとつも続かないどころか、床に転がったボールを追いかけても追いかけても取れずに、揚げ句隣の台で誕生日祝いの末泥酔して騒いでいたパリピ集団に突っ込んで、全員と彼ら彼女らの持っていた酒やケーキを全部空中に吹っ飛ばし、全員をびしょぬれのケーキまみれにしてしまった。真耶曰く、
「だってボール追いかけてたら前見えないに決まってるじゃん!」
その一言が、店にとっても他の客にとっても騒ぎすぎでうざがられていたパリピ集団から怒る気を奪い、しょんぼりして帰っていったのは怪我の功名なのだが(ちなみに真耶は一滴のビールも浴びていないのだから悪運は強いらしい)、とにかく彼女がスポーツエンタテインメントの大型チェーンに何一つ楽しみを見いだせないくらいの運動音痴であることは、ゆずも一緒に遊びに行ったとき分かっていた。
しかし着ぐるみを着た瞬間にものすごいキレのある演技を見せる真耶も、ゆずは知っている。まるで本当に神様が乗り移ったかのように。その身代わりの秘密が見たかったのもある。そしてほどなく真耶からSNSのメッセージが入る。
「出てきて。一人乗りリフトの乗り場あたり」
とのこと。ゆずがそっちへ向かうと、
「見っけ。見ててねそっから」
というメッセージが続けて入る。連なるリフトを目線でたどったその先、全身ピンクづくめの少女は遠目でもすぐわかる。ゆずが両腕でマルを作って合図すると、ゲレンデ頂上の真耶が親指と小指を立てて応じる、つもりがミトンの手袋では小指が立たないことにあとから気づいたので、慌てて手を頭上で振って合図した。真耶が天然なのはいつものことなのでアタフタした仕草が見えてもいつものことと心配しなかったゆずだったが、その真耶が立っている地が上級者ゲレンデであるところまで、天然のなせるワザだったらどうしようと、ふと思った。確かに真耶ちゃん雪国育ちだし、教えるのは上手だったけど、それと実際滑るのって別だし…よく考えたら、真耶ちゃんがどれくらいの腕前かってこと聞いてなかった…大丈夫かなあ…着ぐるみ着た時みたいに化けるのかなあ…。
化けた。大化けした。
急斜面を華麗に滑り降りるピンク色の妖精を、ゆずは見た。時に雪煙を上げて宙を舞ったりもするが、それは優雅で美しくあたかも天女の舞がごとく。そして斜面を滑り降りる姿はまるで雪原と一体になっているかのよう。
「…きれい…」
ようやく言葉をつむぎ出した直後、ゆずの前にぱあっと雪が舞い上がると、そこから真耶の姿が浮かび上がった。近過ぎず遠過ぎず、ジャストの距離にピッタリ止まる。それだけでもかなりの達人だと悟ることが出来た。
「真耶ちゃん、すごい…あとごめん、運動苦手っていってたから、正直…」
「あーいいよいいよ、いつものことだから。あたし運動は苦手だけど、楽しくやれるぶんには嫌いってわけじゃないし、スキーとスノボはちっちゃい時からやってるから、自然に覚えちゃったの」
駆けっこは常にビリ、逆上がりも出来なければとび箱も飛べない。おまけに高所恐怖症だから脚立やハシゴですら足がすくむし、遊園地のアトラクションなんてもってのほか。そんな真耶が、雪上にスキーやスノーボードを履いて降り立った途端に、どんな急斜面でも華麗な滑りを見せる。これまで多くの友人たちがそれに驚いてきたし、改めて真耶に対して、本当に滑れるの? と少しでも疑ったことを打ち明けるのだが、真耶はそりゃそうだよ、と気にしてる風も無い。そして、
「ありがとう、滑らせてくれて」
と。
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「最初の難関が、リフトだったりするんだよねえ。乗るときはともかく、降りる時が難しいの。特にスノボはリフトって大変だから。危ないと思ったら転んじゃっていいからね? 係りの人がリフト止めてくれるから」
なんて物騒なことを言う真耶だが、それはゆずの運動神経がもうリフトの乗り降りに対応できたことを見抜いての冗談。一方、
「こういう時、ロープトウの方が向いてると思うんだけどなあ、スノボには」
という真耶の独り言は、ゆずには聞こえなかったし、聞こえても意味が分からなかっただろう。とにかく、スノボではリフトの使用が第一の難関であることは確実に言える。
勿論、ゆずは楽々クリアした。まっすぐ滑り降りるスキルは勝手に身体が覚えてしまったようだ。
「それでは、本格的に滑る練習を始めましょー!」
真耶とゆずは初心者ゲレンデに降り立った。
「ゆずちゃん、スキーはやったことあるんでしょ? その時、体重の移動で曲がるって教わったと思うんだ? あ、ちょうど見本がいた、悪い方の」
豪快に斜面を滑り始めた、見るからにいわゆるパリピと思われる三人組。一見すれば颯爽と雪の上を滑走しているように見えるが、ターンの時、強引に身体をぶん回している。
「力技で曲がるものじゃないの、スノボは。今あたしたち山側を背にしてるから、かかとの方に重心かけてるでしょ? ちょっとだけ、前足の方の重心をつま先に移してみて?」
前足とは自分が進みたい方の足を言い、必ず顔はそちらを向くのが大原則。そちらの足の重心を移動させると、ゆずのボードがするするとゆっくり動き始めた。
「そうそう! そしたら少し重心を戻して。ほら、斜めに滑れるでしょ? その調子でゲレンデの向こうっ側まで行ったら、またかかとに重心戻してみて?」
見事にゆずのボードが止まった。
「うわーすごい。やっぱゆずちゃん、スノボのセンスあるねー。役者さんってそうだよね、体力とか運動能力とか必要だもんね。母さんがよく言ってた」
真耶の母がかつて世間の映画通をうならせた名俳優丸岡ソフィアであることを、ゆずは真耶と友達になった後に知った。真耶の自宅に招待されたことも何度もあるが、その気さくな雰囲気に在りし日の面影は無く、どこにでもいる優しいお母さんだった。でも今思えば、それだけの大俳優が何のオーラも発しないわけがないことは、自身が色んな作品に出て数々の名優と接することで分かった。もしかしたら丸岡ソフィアは「どこにでもいる平凡なお母さん」を演じているのかもしれない、だとしたらものすごい演技だ、と思った。まあその件についてはのちに、本当にいち母親に徹しているらしいことが分かってきたのだが(それだって大変なことだ、一度でも名声を得た人間がその雰囲気をおくびにも出そうという欲求が無いのだから)、ともかくこの親子、褒め上手である。ゆずがお宅訪問した時も作品をべた褒めされて、次回作ではよりやる気になり、現場でも一段と上手くなったと評判になった。昔海軍の偉い人が、褒めてやらないと人は育たないと言ったとかいう話があるが、まさにそれ。真耶の母が言う「あそこが良かった」は全て的を射ていたのだ。そんな母を持つ真耶だから、ものの教え方も褒めて育てるパターンなのは当然のこと。
「そしたら今度、あっち側に戻ってみようよ、そうそう、こんどは反対の足を浮かせて。うわ、うまーい。それにやっぱり、ゆずちゃんが滑るとキレイだなあ」
ゆずが照れてしまうくらい、真耶は徹底的に褒める。だから自然とカリキュラムは先へ先へと進んでいく。
「今みたいに、谷側だけ見ながら降りてくんじゃ飽きるでしょ? 今度は、端っこまで行ったら進行方向の足のつま先にもっと力を入れてみて?」
するとあら不思議、というかスノボ経験者には当たり前の事だが、ボードがターンを始める。
「そうそう、上手上手。今度は身体が山側向いてるからつま先に重心かけたまま進んで、端っこまで行ったら、前足のかかとに重心移してみて?」
ぐるりと綺麗な曲線を描いてボードが曲がる。ゆずはもう分かってきたようだ。進行方向の足で重心を前後に移動させる、そうすればターンは簡単だということ。それさえわかればどんどん楽しくなってくる。
「ゆずちゃん、早いよ上達、すごいよ」
と言っている真耶もまた、ゆずのペースに合わせてさっきから自在にボードを操り並走しているのだからかなりの腕前。教え方も上手ければ自分も上手い、勉強でも運動でも仕事でも、そんな両方兼ね備えた人はなかなかいないものだが、その二物(いや、雪上以外ではからっきしだから一物と半くらいか?)を与えられた真耶はやっぱり神の子なのかもしれない。
昼食をはさんで、気が付けば中級者コースもクリアしていたゆず。あっという間にクローズの時刻を迎えてしまった。
「さあ、ホテル帰ろうか」
と真耶が切り出すが、ゆずはにやりと笑い、
「うん、なんて言うと思う?」
と言って、今朝使ったサイコロの目で行き先を決めるボードを取り出した。真耶も、
「あーやっぱそーなんだー。まーそんなこともあろうかと思って、着替えとか化粧品も持ってきてるけどね」
と、案外勘が良い。
そんなわけで、次なるスキー場を決めるサイコロ第二投は真耶に託され、その結果、
「富良野」
早速真耶が時刻表で列車の経路と時間を調べ、ゆずはスマホで富良野方面で今夜泊まれる宿を探す。幸いどちらも上手く行き、また富良野に行くには札幌駅まで行ったらすぐ富良野行きの長距離バスに乗るのがよく、札幌のホテルから翌朝出発すると到着が昼近くなることも分かった。泊まりの準備は無駄ではなかった。
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予約した富良野のペンションは駅から離れているので、送迎付きだった。部屋はダブルとツインの選択肢があったが、前者の方が安かったのでためらいなくそちらを選ぶゆず。
問題はお風呂なのだが、幸いこのペンションは狭いお風呂が一つしかないかわりに空いていれば個人またはグループで占有できるというシステム。そしてもちろん、何のためらいなく一緒に入浴する二人。もはや、ゆずの中で真耶は完全に同性扱いなのだ。
宿は質素ながら小ぎれいで、夕食も贅沢ではないけれど家庭的な手間暇のかかった料理で、美味! 遅い到着なのにわざわざ準備してくれていたことに感謝。
そしてなんとビックリ、ここのスキー場、二十歳でもリフト無料のキャンペーン中。つまり、真耶のみならずゆずもタダ! ゆずばかりにお金を払わせて、なんとなーく悪いなーっていう気持ちを抱いていた真耶もこれなら安心。もう明日は是が非でも朝一番に行くんだ! と意気込んだ。
はいいが。
「さ、寒い…」
近年稀に見る程の強い寒波が北海道を襲い、富良野の気温は気象台の公式発表では零下約二十五度ということだが、ペンションの玄関先に掲げられている温度計は赤い部分が完全に一番下の丸いガラスのところに収まっていて、
「マイナス三十度じゃん!」
と、ゆずがガタガタ震えながら叫んだ。ふだん冷静な真耶も、
「うーん、さすがに三十マイナスは経験したことないかなー」
と。この記録的寒さの日に、よりによって冷え込みが一段と厳しい内陸のスキー場に割り当てられたサイの目を出した真耶は運がいいのか悪いのか、ダメ人間なのかそうでないのか。
しかし、こんな二人にとって空前の寒さにもかかわらず、朝もはよからゴハンもまだな二人が外にいるのは、実はペンションの女性オーナーさんの「おもてなし」だったりする。
「とにかく富良野の冬は厳しいからねー、まして今日は過去最大級に迫る寒波だっていうんだから、体験しない手は無いわよ。いい思い出話になるわよ? ちょっと出てみないかい?」
極寒体験を売りにしている宿は北海道では少なくない。このペンションもそうで、こういうときのためにしっかり準備されている防寒服を貸して貰った二人。これはダウンワンピースというもので、上下一体だから雪も寒さもシャットダウン。特に腰のあたりが冷えると寒く感じる(だから真耶も腰の布が高くまであるウェアを選ぶ)。これは大阪の登山用品メーカーの作で、なんと極地にも対応した優れもの。その代わり分厚い生地でもこもこなのだが、動きやすいし、それはそれで二人が着ると可愛い。
ゆずは黄色と黒の切り替えタイプで、極地探検用。真耶は白一色で、これは有名な動物写真家の方が極寒地での撮影に適した服をとアドバイスして作られた。なるほど、最初スキーウェアで出たときよりはるかにあったかい。
寒い風景は身体には厳しいが目と心には優しい。霧氷に、ダイヤモンドダスト。これらは特別寒くないとお目にかかれないレアものだ。
しばらく辺りを散歩していると、
「ねえ、寝転んでみない?」
真耶が、にやりとしながら提案する。
「…え? こんな寒いのに、わざわざ雪の中に…」
「だまされたと思ってやってみようよ。あ、携帯とか、おさいふはこれに入れてね?」
ジップタイプの防水袋に、ゆずと真耶の濡れて困るものを入れると、どこからともなく真耶がロープを取り出した。両端にはカラビナ。カラビナとは本来登山用具だが、その形状が職人仕事をする人間が道具を下げるのに便利なことからそういう用途で作られたものもある。だからゆずはテレビのスタッフがズボンのベルトからカラビナを提げて道具を付けているのをよく見るが、それとは違う本格的な登山用と一目でわかる頑丈なつくり。それを真耶は駐車場の端にある杭に付けて、
「これなら丈夫だし、引っ張ってもへいきだよね」
そしてロープをゆずの身体に一巻き、さらに自分の身体に一巻きして結ぶ。そして、数メートルではあるが、ロープが許すギリギリのところまで後退すると、
「せーので走って! いくよーっ!」
いつになくアクティブな真耶の合図でゆずも走る。そして斜面をならすために盛り土をした駐車場の外は森。そこに二人は勢いよくダイブ! 雪しぶきが高々と舞い、霧のように消えた後には、全身雪の中の二人。
「村伝統の遊びなんだけど、ときどきむしょうにやりたくなるの。だからいつもロープ持ってるんだけど、ここ見てピンと来たアタシの予感大当たり。絶好の吹きだまりだよ。もしかしたらあの杭の打ち方とか、ひょっとしてこれ用の場所なのかもしれないここ」
真耶はかろうじて雪のなかで呼吸ができるようにしてから言った。サラサラの粉雪に埋もれて遊ぶのは、木花村の子どもたちの冬の大きな楽しみ。その代わり危険も伴うので命綱も必須。家の近所で遭難する恐れがある、そんな過酷な冬が木花村にも富良野にもある。
「…でも、こんな寒いときにわざわざ雪の中に…あれ、そんなに寒くない」
「でしょ? ほら水って零度で凍るじゃない? でもけさの空気はマイナス三十度だし、あと雪の中にいるとほら、風が当たらないし。こうやってしっかり防寒してれば、雪の中の方があったかいよ」
真耶の解説に、ゆずがうなづく。
「それにね」
真耶が顔をほんわかさせながら言う。
「気持ちいいでしょ? サラサラの雪に全身くるまれて、まるで雲の中にでもいるみたい」
「ホントだね。すっごく気持ちいい。あー、なんか仕事とかの疲れがどんどんとれてく」
雪に身を任せ、リラックスする二人。しばらくしてゆずが
「…なんか、全身の力が抜けてっちゃう…あ、これやば…でも、あったかい、気持ちいい…」
「で、雪の中で埋まったままおしっこ出ちゃったの? うんわかるわかる、本州の子どもが旅行とかスキー教室とかでこっち来るとやっぱりここで同じことやるんだけど、いるよ、おしっこ出ちゃう子。幼稚園の年長さんか、小学校の低学年でもあるかなあ。ゆずさん、ロケとかでお疲れだったのが一気にリラックスしたんじゃない? 恥ずかしいことじゃないよ、たまに大人でも出ちゃう人いるから」
借り物のダウンワンピースを汚してしまった罪悪感は、オーナーさんの優しい言葉でとろけてしまった。だっておしっこで濡れるのは汚れたとは考えていないし、それに、
「下色々厚着してるから大丈夫だと思うけど、冷たくない? おしっこがひざの方まで行くと冷えちゃうから」
ゆずはかぶりを振る。じっさい、ダウンワンピースまで濡れたかどうか分からないくらいに厚着していたし、すでにお尻パッドをつけていたので、お尻の辺りでおしっこはとどまったまま暖かみを残している。
「だったら、今朝の朝食はここでしない? 雪に埋もれてほっかほかのパンとコーヒーってのもサイコーだから」
二つ返事でお願いする二人。それと同時に、真耶のおむつも膨らみと暖かさを持ち始めた。
史上稀に見る強力寒波の到来にもかかわらず、スキー場は平常どおり営業しているあたりが北海道のたくましさ。汚れた衣類を取り替えた真耶とゆずは、借りた防寒着のままスキー場へやってきた。なにしろ尋常ではない寒さなので、木花村のスキーウェアですら太刀打ち出来ない、というかそういう事にしているだけで、実は二人ともこのふわもこダウンワンピースが気に入ってしまったのだった。ちなみに午後からは取っ替えっこして、ゆずが白い方を着る事になっている。
ただ、白い雪に白いウェアはやっぱり映える。斜面を滑走する真耶に見とれて、ついつい転んでしまうゆずだったりもする。もちろん安全な転び方をマスターしているので問題ないし、
「転ばないと上達しないから。転ぶくらいアクティブでなくっちゃ、うわっ!」
弘法も筆の誤り、バランスを崩した真耶がそのまま転倒。だが転び方すら華麗で危なげを全く感じさせない。
「アイドンマイ。行こ行こ」
I don't mindが語源と言われる木花村独特の方言で自分を元気づけると、真耶は再び滑り出す。頼もしいな、とゆずは思った。申し訳無いが、初めてのことだ。
それにしてもこのスキー場、広い広い。あっという間に中級者コースも滑れるようになったゆずは真耶と共に次々とそれらのコースをクリアしていくのだが、お昼をしてから食休みもそこそこに滑り出してもまだまだ足りない。とうとうゆずが、
「疲れたー! 休むー!」
といって、ゲレンデの端っこに寝転んだ。何だかんだで新しいスポーツを始めたときには得てしてこういうもので、余計な力が入ったりこれまで使ってこなかった筋肉を使ったりしたツケが今日に回ってきているのだ。対して真耶は、運動神経はズタボロだが雪の上での身体の使い方が分かっている上に、過酷な神事などによって持久力というか忍耐力というか痩せ我慢力だけは人並み以上にある。まだまだ滑れるだけのHPはたっぷり残っていたが、
「そうだねー、疲れるんだよね最初はー。ごめんね? また今日も気づいてあげられなくて」
と言って、ゆずの横にゴロンと寝転んだ。
「気にしないで? アタシも無理してた。疲れてない演技してたのかも、無意識に」
「わー、さすがは俳優さんだねー」
昔の木花村では女優に対して「男優」という言葉を普通に使っていたが(勿論外国語の影響)、日本語の男優という言葉は変に限定された使い方をされるので、男女問わず俳優と呼ぶのが一般的になっている。
わずかな沈黙。
「寒いね」
「ちゃんと埋まらないと、寒いね」
「…」
「真耶ちゃん、ホントはまだ滑りたいんでしょ?」
というわけで本心を見抜かれていた真耶は、ゆっくりお茶と決め込んだゆずと別行動で滑りまくったのだが、結局全コースコンプは出来なかった。しかし富良野という地域全体で見ると観光ピークは夏らしく、ペンションの部屋には余裕がある。もう一泊したいと言ったらオーナーさんも二つ返事で、なんなら一週間くらいいるかい? 安くするよ、とまで言われた。確かに一週間あっても飽きないくらい広大でバラエティーに富んだゲレンデだ。でもそうなるとボードをいちいちレンタルするのは面倒だし割高なのでは? ということでオーナーさんが中古もある安いボード屋さんに車を出してくれた。
三点セットで二万円とか、札幌でブランド物の板をさんざん見てきたあとでは不安になるが、中古買いや安物買いでいちばん怖い、コンディションや使い勝手については真耶とオーナーさんの目利きが頼りになる。おかげで状態も良く、ついでに可愛い板とブーツと留め具の三点セットがレンタル四日分でお釣りがくるくらいの価格で手に入った。
翌朝は輪をかけて冷え込んだが、二人は懲りずに例の雪溜まりに飛び込み、ぬくぬくしながらのブレックファースト。そして準備をしてスキー場へ向かう。ゆずは初めてのマイスノボでの滑りだが、雪原に降り立った瞬間分かった。自分の足にぴったりフィットする靴。そして取り回しが明らかに今までより楽な板。それでいてデザインは白を基調に雪の結晶がちりばめられた模様のフェミニンなもの。これら一式二万円でお釣りがくるくらいで手に入ったのは掘り出し物だ。しかも板のコンディションは真耶とペンションのオーナーさんがしっかり目利きしている。店主さんも一番いいやつ見つかっちゃったなあ、とぼやいてたっけ。ともかく、二人は滑りを開始した。
だが、二日目の夕方になってもなお全コースをクリアできない。上級者コースは真耶だけが挑み、中級者コースを回ってきたゆずと下で合流した場合でも二人で二コースコンプという計算でやってもなお足りない。なにしろ三キロ四キロとノンストップで滑れるコースがいくつもあるのだから仕方ない。真耶はそれでも余力があるが、ゆずはさすがにしんどいようだ。そこで、
「そうだ、せっかく自分の板買ったなら、あそこ行こう。大きいゲレンデは疲れただろうし、のんびり滑れるところがあるよ」
真耶が提案した。
7
翌日。ゆっくり起きてちょっと遅めの朝食。大寒波も少し手を緩めてきたので、晴れ間も見えてきた。
二人はペンションの車で駅まで送ってもらう。今日も泊まる予定なので身軽な二人。ゆずはそのかわりボードが荷物に加わっているのだが、マイボードを手に入れた嬉しさに比べたら全然気にならない。
エンジンのうなりを響かせながら雪煙を上げるディーゼル車が、童話に出てくるような丸っこい丘や小山の連なる絶景の中を疾走する。それに歓声を上げている間に今日の目的地、美瑛に着いた。
「おおー、やっぱ寒いねー」
盆地の富良野は朝が冷える。対して標高の高い美瑛は、陽が差してもなお空気が冷たい。
「でもさ、こっち来てからずっと思ってたけど東京の方が寒く感じることない? 雪の上だと寒いは寒いけど、吹雪とか大雪とか強風とかの日は別としても、覚悟してたほど寒くないんだよね」
ゆずが言う。雪国の冬を知らない人はまさかと思うだろうが、これはボケでも冗談でもない。だから真耶がマジレスしたのは間違いではない。
「んー、もちろん着るものが違うってのもあるけど、同じ温度で同じ天気で同じ服装だったら雪の積もったところの方が暖かく感じるはずだって、理科の先生が言ってたよ。身体の表面には常に水分があって、雪が積もってるところは湿度が高いぶん、肌から蒸発する水分の量が減るんだって。水分が蒸発するときには熱を奪うから、東京みたいな空気の乾燥したところでは肌の水分が空気にどんどん奪われて、一緒に身体の熱を持っていかれるんだって」
「あーなるほど。だから東京で外歩いてると肌がパサパサになるんだ」
「そうそう。冬の乾燥はほんっと困るよねー、お肌がピリピリするもん。保湿クリーム塗ってもまだ足りないくらい。夏は夏で紫外線がイヤだけど、って冬のスキー場もそれは同じだね。今日もしっかり全身包み込みで行かなきゃ」
と、気が付けば女子トークになっている二人。いつもと変わらぬ光景。
さあリフト乗ろう、と意気込んでいったゆずだったが、見慣れぬものが動いているのを見て、あれっ、となった。ゴーグルに隠れて見えないはずのゆずの目が点になっているのを見て、どうしたの? と真耶が尋ねる。
「え、いや、あのリフト、椅子が無いって思ったっけ」
この「…たっけ」または「したっけ」というゆずの台詞の語尾は、彼女の出身地である静岡のものである。「したっけ」と北海道で言えば「じゃあね」の意味だが、静岡の人はこれを英語でいうところのBecauseのような意味と品詞で使い、かつそこに言い訳または説明的なニュアンスも含まれる。つまりゆずの言葉を訳すと、
「あのリフト、椅子が無いなあって思ったからおやって思っちゃった、ごめんごめん」
となる。この用法は多くの静岡県民が無意識に使うのだが、かくもニュアンスの説明がややこしいのでメディアも地方ネタとして取り上げることはあまり無い。なんにせよ、静岡に行く機会があったら地元の人々の会話に聞き耳を立てて見てもいいかもしれない。
「お前、三十分も遅刻って、何してるら」
「いや、今日寝ぐせひどくて直すの時間かかったっけ」
てなやり取りをするカップルでもいるかもしれない。
という話はともかく、その「椅子のないリフト」の正体は。
「ああ、あたし見せたかったのあれを。ゆずちゃんに。ロープトウって言ってね、違うんだ乗り方がリフトと。他の人が乗るときを見ててちょっと」
慌てて生まれ育った静岡弁が出てしまったゆずにつられて、真耶も主語のすぐ後ろに動詞がくる木花弁で答える。土曜日なので、子どももいっぱいいるスキー場では、彼女ら彼らは次々とスキーやスノボでロープトウ乗り場に向かうと、ロープの脇に立つ。
椅子がないのにどうやって乗るの? とゆずが思っていると、ロープに棒というかバーがぶら下がっていて、それをすっと背中に当てると、バーに押された子どもたちはするする雪面を滑りながら斜面を登っていく。
「うわー、おもしろーい」
ゆずが感心しながら見ている。
「さ、ゆずちゃん先ね」
「え、うそうそ、怖いよ」
「乗るときは最初はサポートがあった方が楽なの」
乗り場に向かうまでの片足滑走は余裕でできるようになったゆず。ボードをロープに平行にして準備完了。一方真耶はその脇に位置している。すると、
「ほらつかんでゆずちゃんロープ!」
いつになく早口で真耶が叫ぶとゆずは反射的にロープを両手で握る。同時に真耶は機敏にバーを手に取ると、ゆずの腰にジャストフィットさせた。
「え、え、わ、わわわっ!」
「大丈夫! そのまんま押されてけばいいから! 終点になったら自然に下りになってて滑って降りられるはずだから!」
あっという間のことだった。ゆずに続いて真耶もロープトウで登り始めた。
「ねえゆずちゃん、こっちの方が楽だと思わない? ボードだと」
真耶がゆずに向かって叫ぶ。
「そうだねー。最初は何が何だかで慌てたけど、これ楽だねー。リフトは一度ボードが浮いちゃうから降りるときバランス取り直すのが難しいけど、これはずっと滑ってるわけだから降りるときもこのままの動作で行けちゃうもんねー」
真耶の持論は、スノーボーダーが増えた今こそロープトウを新設するスキー場が増えていいだろうということ。昔はあちこちのスキー場にこのロープトウがあったのだが、次々とリフトやゴンドラに変わっていった。もっともゴンドラやロープウェイならボードは持って乗るのだから技術も何も無いのだが、やっぱり圧倒的にリフトがゲレンデの移動手段としては多い現状なので、初心者ボーダーにはまずこのリフトが鬼門となる。
だからボーダーの増加とともにロープトウの復活があってもいいと真耶は思っているのだが、今ではここ美瑛のように北海道などの公営スキー場ぐらいにしか残っていない。もっとも木花村では現役なので、真耶はそこへの思い入れもある。
だがロープトウのデメリットはバーを背中に当てるという動作が難しいこと。だから今回は真耶がゆずの背中にバーを当ててあげた。昔はこれが出来ずにスキーに挫折する人もいたようだが、スノボならバーの扱いに注意すればリフトより簡単だ、真耶曰く。ちなみにロープトウのバーを上手にさばくための必勝法は、最初からロープを両手でぐっと握って拳の中を空洞にして滑らせ、バーが来たら左拳を握ったままでバーの根元にしっかりぶつけてからグッと握って、滑り出した瞬間に右手でバーを背中に当てるという方法。ただこれは手袋が傷みやすいのが難点ではある。
ともかく、ゆずは難なくロープトウをクリア、早速真耶と一緒に滑り始める。が、
「あれ、もう終わり?」
そう、ロープトウのあるスキー場はこじんまりしたゲレンデがほとんど。広大なフィールドを経験してしまったゆずにとっては物足りないものかもしれない。
でも、ここはあくまで町営の施設。贅沢は言えない。そして文句が言えないもう一つの理由であり最大のセールスポイントと言えば、
「あれ、そう言えばリフト代っていうかロープトウ代…」
「ないない。フリーだよフリー」
大抵のロープトウを使っているスキー場が、無料で使えるということ。要は町民の健康維持のためにあるのだから、町の体育館と同じ目的と考えていい。
木花村営スキー場も勿論無料だ。ただ村の山林のほぼ全てが村有林ということもあって、調子に乗ってどんどんゲレンデを伸ばして行った結果とんでもない長さになってしまったのだが。村民は「ちっぽけなスキー場」というものの、それは周りにどでかいスキー場が沢山あるからのことで、ロープトウで何キロも、となればそれはそれで大変ではある。
「わー、あっという間だ。でもなんか楽しーい」
まあ町営で無料だからとてつもなく長大なゲレンデというわけにはいかないが、それでもそこは北海道、初心者がゆったり滑れるような広々としたゲレンデが広がっている。あまりの大きさに圧倒されていた昨日までとは打って変わって、のんびり楽しく過ごす。何度か滑ると町に戻ってお茶したりして。スキー場と市街地が近いのでこんなこともできる。というかただで滑らせてもらってるんだから、少しはお金使わないとね。
例によって、あっという間にクローズの時刻が近づいている。客数もかなり減った。そろそろ帰りどきかなって思っていたところに、
「あ…」
真耶の目線の先には、ひとりのスノーボーダーが。ゆずにもすぐ分かった、かなりの腕前であると。緩斜面の中でもアクロバティックな滑りが出来るところを巧みに見つけて、華麗なアクションを立て続けに見せる。その滑りは、精密にしてパワーを感じさせ、これは見とれずにはいられない、真耶ちゃんもそうなんだろうな、と思いながら眺めていると、ぼそっと真耶が、
「苗ちゃん…」
8
「なんで分かったの? ウチって。ウェアもボードも小物も全部新しくして、顔も隠してるのに?」
「わかるよ。滑り方見れば」
「あーそっか、ウチも真耶の滑りはすぐ分かるもんなー」
パワフルかつ華麗な滑りを見せたボーダーが大親友の苗だと分かった途端、真耶が両手を上げて振って合図した、こっちにいるよー、と。もっとも苗の方も滑りながら真耶の存在に気づいてはいたが。真耶のウェアは見慣れているし、立ち振る舞いが女子っぽいところでもすぐ分かる。
「いやー、真耶がフェリーで北海道渡るって書いてたじゃん。それでよく考えたらバイクもフェリー乗れるんだよね。ほいで真耶が富良野いるのは朝の定時連絡で知ってたからそっち行ってみたら今日は美瑛だっていうじゃん。それでピンと来てさ、来て見ればやっぱここだったよ」
そういえば、幼馴染で同じ事をしている四人が毎朝やってる定時連絡と言う名の自分が今日はどこにいるかをSNSで連絡しあう安否確認。苗だけ「青森の近くー」という微妙な言い回しをしていた。なるほど、北海道と青森は隣同士なので嘘ではないが、ドッキリとしては大成功だ。そして真耶は見事に口あんぐりで驚いたわけだ。
「で、こちらが、白瀬ゆずさん? お初にお目にかかります。真耶の友人で、御代田苗と申します。急に現れて失礼致しました。どうか御容赦下さい。もちろんここに白瀬さんがいるということも口外しません」
真耶のとなりに同行者がいるのを見て、ぬかりなく丁寧な挨拶をする苗。でもフルで顔を覆っているのに何故正体がバレたのか? 真耶持ち前の子どもに好かれるフェロモンは今日も健在で、一緒に滑ってると地元の子どもが並走してきたりするのだが、一緒にいるゆずのもとにも子どもはちょっかいを出してくる。
「まさかアタシ、正体バレてた?」
と不安に思いつつ、
「こ、こちらこそ。白瀬ゆずと申します。真耶さんとは仲良くさせていただいております。御代田さん、折角お会い出来たのですし、これからもよろしくお願い致します」
と、丁寧な挨拶を返す。すると、
「あ、やっぱりゆずさんだったんですね。真耶と一緒にいるってことと、体型とか身体の動きでそうかなとは思ってましたが」
なんと、苗のカマかけだった。しかし苗はものすごく野生の勘が効くので、真耶の友人関係に白瀬ゆずがいるという予備知識さえあればすぐ点と点が繋がって答えが出るわけだ。
それに対して、ゆずは怒るどころか感心していた。苗についての噂は真耶からいろいろ聞いていた。で、これだけ勘が良く、駆け引きも上手な友人は、ド天然の真耶と良いコンビだと思った。
お邪魔虫になるのもアレだから、と言って苗はレーシング用を無理やり北国仕様に仕立てたバイクで去ろうとしたが、
「御代田さん、じゃなかった、苗ちゃん、ってアタシも呼んでいいかな。せっかくだから、良かったらアタシ達と一緒に明日も滑らない?」
真耶の顔がぱああっと明るくなったのが分かった。これまたカンペキに顔を隠しているのに、雰囲気で分かった。
「はい、いいですよー、誘ってくれて嬉しいです。でも大丈夫ですか? お仕事お忙しいでしょうけど」
ゆずが一連の話をかくかくしかじか。いつまでオフが続くか分からないことと、あとペンションは今日も空室ありなので一緒に泊まろうという話をした。初対面だけど、真耶の友達なら絶対いい子だ。ちょっとガサツに見えるけど、実はとても礼儀正しい子だというのも初対面の際の言葉遣いで分かった。だからこの際三人で遊ぼう、ゆずはそう思った。
ペンションは客が一人増えたので大歓迎。同業者の娘として、宿屋のあるじが喜ぶのは感慨深いなーと苗。そして翌日から富良野でスキー場の攻略が再開。苗の運動神経はずば抜けている上に真耶とのコンビネーションも見事。コースもあっさりコンプリートできた。でも何度滑っても飽きない程バラエティーに富んだゲレンデだったので、なんだかんだでペンションのオーナーさんの言うがままに、一週間滞在してしまった。
「閑散期に長期のお客様は有り難いからね。安くしてでも泊めたいわけよ。厨房だって毎日使わないと調子悪くなったりするし」
ペンションの娘である苗がキッチリ的を射た解説をした。何しろ半額近い値段で済んでしまったのだ。真耶などは特に申し訳ないくらいに思っているようだが、そうじゃないよ、という苗のナイスフォロー。
そして、次なる目的地を選ぶサイコロは苗が振る。ウチがお手本見せちゃるとぼかりに、おんもで恥も外聞も無く派手に踊りまくり歌いまくり、天高くサイコロを振り上げる。どうやらそのローカル番組を知っているようだ。
「深夜バスの目がないだけラクチンラクチン」
と、番組を観ている人しかわからないことを一人ごちたりして。
で、天から降ってきたサイコロが示した目は小樽。トマム、夕張、歌志内なら札幌の宿への帰りがけに寄れるので、それらをすっ飛ばして札幌直帰するのは効率の悪い移動になるのだが、
「これがサイコロ旅の醍醐味! いっそ函館から稚内までウチラの目指すスキー場あればいいのに!」
とドヤ顔の苗。もっとも一旦札幌のホテルに戻れるのだから、着替えなど持ち物を整え直すには一番便利な目とも言える。
富良野からは長距離バスで札幌へ。ゆっくりの出発で一日おいて小樽には行くことにした。そしてゆずは念願のハート柄のワンピースに袖を通すことが叶った。真耶は雪国暮らしの免許皆伝だからだよ、と言う。確かにゆずはボードと共に北海道ならではの服の取り回しに慣れてきたし、がんばったご褒美でもある。この服で札幌市内を闊歩するのが楽しみだなーとゆず。
それにしてもバイクで追走する苗のたくましいことよ。北海道の凍結路面をものともしない。たださすがに一人だけ極寒の地を自走させるのは気まずいし第一皆一緒でないと楽しくない。だからバイクはホテルに置いて明日からは公共交通で移動する。
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相変わらず撮影開始の気配は無い。明後日以降、残り三つのスキー場をも制覇できる勢いだ。そんなわけで、借り上げっぱなしのホテルの部屋に苗もお世話になることになったのだが…。
「苗ちゃん…いくら何でもダブルに三人はきついよ…他にも部屋空いてるみたいだし、そこ使お?」
「何言ってんの。そしたらゆずちゃん一人になっちゃうじゃん。それに昔はよくやったっしょ、三人で寝るの」
「それは花耶ちゃんとかいたし、あとあたしたちも中学生とかだった時でしょ? 今はさすがに成長期過ぎてるからきついよ」
「相変わらずガリガリのちびすけで成長してないくせにナマ言うなや」
と、真耶の無い胸をツンツンする。やめてよセクハラだよー、と真耶。それを聞いてか聞かずか、
「だいいち、ゆずちゃんもまんざらでは無さそうだべ?」
と、ゆずの方を見ると、
「うん、三人一緒の方がいいな、アタシも。さーて、苗ちゃんと真耶ちゃん、どっちと一緒に寝ようかなー」
そんな答え。いつの間にか、すっかりタメ口で会話し合う間柄になった苗とゆず。すっかりノリノリである。そして、
「けってーい! 二人の間に入っちゃえー! なんたってアタシは猫だから狭いところだーいすき、にゃん」
と、インスタントラーメンのCMで演じた黒猫を彷彿とさせる仕草で真耶と苗の間に潜りこむゆず。ただひたすらアワアワしてる真耶と、よっしゃとばかりにハグする苗が対照的。
とにかく、ドタバタが続きそうである。雪が解けるまでは。
宗教間の相違? その4
この後、三人は小樽・歌志内・夕張といった具合に攻略していき、夕張では鉄道廃線の寂しさにも触れつつちゃっかり女子鉄ごっこしたり、で、最後の目にトマムを出したはいいが、ここがスキーばかりか夜も氷のテーマパークがあったりでとても一日では済まないけどホテルがメチャ高、有効七日間で特急にも乗れるフリーパスがほぼ通年で出ているのでそれを使って札幌から通った方が安くね? ってことで(だってそのフリーパスより一人一泊の料金が高いんだもん)朝一の特急でトマムに向かって最終の特急で札幌に帰るってことを一週間続けるというスノボバカ一代振りを三人でみせてくれるのですが、そこまで書いてると発表時にはシーズンが終わってしまうし、たいがい今まで書いてきたことの繰り返しなので、おはなしはここまでとします。
作者は昨年、齢四十半ばにして初めてスノーボードにトライしたのですが、山を背にしてターンするところまでは行ったんですけど、山側を向いて滑ることができない。立ってられないんですよ。やっぱり半日レッスンじゃ無理があるなーと思いつつ、もう少し時間があれば行けるかもなー、っていう希望はありました。
理屈で理解するとその通りになるんですよねー。エッジのカーブを重心移動で雪に触れさせることで曲げる、それが分かればその繰り返しで何とかなりますから。真耶が作中でスノボの方が上達が早いと言ったのはそういうことです。作者は山側に重心を置いて止まる練習を自分でしさえすれば緩斜面なら何とかなるような気がします。というか今後やるかどうかわかりませんがw
ロープトウ、作者の子どもの頃はまだありましたね。北軽井沢の鬼押し出し(町営の方)の駐車場の上がスキー場になってて、やっぱりそこロープトウでしたね。今はもうスキー場自体無くなってしまいましたが。数年前行ったときは草っ原になってまして、古戦場みたいなはかなさを感じました。