君の声は僕の声 第六章 14 ─月夜の神殿─
月夜の神殿
最初はわからなかった。
聡の指さした先には、辺りの樹木よりもひときわ背の高い大木が茂っているように思えた。だが、距離から察すると、樹木にしては大きすぎる。
「神殿だ」
誰かが言った。
巨大な大木に見えたそれは、徐々に小高い山のように見えてきた。そして、深い森が開けると、荒れた石畳と草に覆われた平地が広がり、その先に神殿と思われる塊がそびえていた。至る所から草や木が生い茂り、ツタが絡まっていて全容はわからない。形の綺麗に整った岩山と言われればそうとも見える。だが、正面と思われる中央には階段らしきものが見えた。そのまわりには、書物に描かれていた、人や動物の掘られた巨石が転がっている。もとは柱か石像だったのだろうか、規則正しく土台のようなものが残されていた。
緑に覆われた巨大な石の建造物を前に、時間と距離という概念を超え、驚きの声すら置き忘れてきたかのように、誰もが口を大きく開けたまま見上げていた。
「これだ」
聡がつぶやいた。
神殿の周りは崩れた石だらけだったので、少年たちは少し離れた場所にテントを張り、火を起こした。
呼鷹は神殿に行ったきり帰って来ない。もう日は暮れて真っ暗だった。
「大丈夫かな」
聡は神殿を振り返った。
巨大な神殿を見上げると、自分たちのテントがとても小さく見える。
「放っておこう」
瑛仁が聡の肩に手をやり、火のそばに座らせた。
星明りに神殿がぼんやりと暗闇に浮かんで見える。
久しぶりに見る広大な星空。
当時の人々も降るような星空の下、こんなふうに火を焚きながら神殿を見上げていたのだろうか……。
聡は神殿の頂上で大きく息を吐いた。
石畳の広場は、聡が今まで見たこともないほど広大だ。
その広場が隅々までよく見える。その先には遺跡の残骸が埋もれた森が広がり、陵墓の小高い山を見渡すことができた。
高い場所から見下ろすのは、それだけで気分がいい。眼下に広がるもの全てが、まるで自分の物のように感じる。これほどの広場にどれ程の人々が集まったのだろう。今では森となっている場所に、人々が暮らしていたのだろうか。そして遺跡の残骸が、当時の姿で残っていたら、どれほど壮観だったことだろう。
聡は、森から吹きつける風を正面に受けながら、目を閉じた。
広大な都を見下ろしながら、この広場に集まった民の前に立った帝はどんな人物だったのだろう。
そしてひとつの想いが頭をよぎる。
なぜ棺は空だったのか……。
本当にあの棺の周りを囲んでいた少年たちが、帝の遺体を隠したのだろうか……。
──なぜ?
なぜ少年の骨なのか。彼らは普通の少年なのか、それとも自分たちと同じ、大人になれない少年だったのだろうか……。
もしもそうなら、秀蓮の言うように、二千年前『小人』と呼ばれた者が存在していたことになる。僕たちのような……。
「何にもねぇな」
階段を上がってきた櫂が、聡の横に立ち、肩をすくめた。
足もとを見下ろすと、神殿に寄生するように生えている樹木の根に苦心しながら、足場の悪い階段を呼鷹が登ってくる。立ち止まっては木の根にもぐるように覗き込んでいた。
「おっさんにとっては貴重な遺産でも、俺たちにとってはただの石の塊だ」
顔を上げてメモをとる呼鷹を見つめたまま、櫂は口をゆがめた。
神殿の頂上には、天井と四方を壁に囲まれた小さな部屋のようなものがある。だが、その部屋には何もない。四方に、窓と呼ぶには小さすぎる四角く開けられた穴と、階段のある南側に入り口があるだけ、他には何もなかった。
神殿の周りも、神殿の頂上も、ただの石だった。
模様のようなものは彫られていても、文字と思われるものは何も彫られてはいない。神殿はただの建造物に過ぎなかった。
神殿の周りや、広場を探してみても、転がっているのは動物や人をかたどって掘られた石ばかりだった。
※ ※ ※
聡は上半身を起こすと額の汗を拭った。
寝苦しくてなかなか眠れない。眠りにつく前は、羽織るものが欲しいくらいに涼しかったのが嘘のようだ。全身には嫌な汗をかいていた。隣で秀蓮と杏樹は静かに眠っている。
聡は水を飲もうとそっとテントを出た。
屈み込む聡の足もとに、くっきりと影ができている。見上げると、雲のない空に、月が煌々と輝いていた。広場には、月明かりが神殿や遺跡の影を落としている。
時の止まったような静けさ。
太陽の光ある昼間には感じられなかったものを聡は感じていた。
静まり返っているだけではない。月明かりの幻想的な光景だけではない。清麗な空気が広場一帯に満ちている。イシカを感じたときに似ているが、それとも違う。
ここがかつての聖地だからなのか。ここで暮らした人々の大地に染み付いた想いが、人々を見守っていた神々の眼差しが、月の光に彷徨っているような……。
聡は闇に浮かぶ神殿を見上げた。
他のテントに目をやる。静かだ。眠れないのは自分だけらしい……。聡はそっと隣のテントを横切ろうとして、思わず悲鳴を上げそうになった。
君の声は僕の声 第六章 14 ─月夜の神殿─