パート・オブ・アンビション

 ステージの上はいつだって照りかえっていた。身を焼くほどの閃光に猛々しくロック・ザ・ストリームが吠えれば、燃え滾る会場内は誰もが彼を応援し、女子供らは熱視線を浴びせる。ロックは自分の咆哮が彼らの鼓膜を揺らすのが好きだった。まるでその瞬間のためだけに生きているような、そんなことさえ思う。事実、彼の鍛錬を繰り返す日々には遊びがない。だから、ステージで目の前の敵を倒した後の雄たけびはロックにとって至高だった。何年たとうと忘れることができないほどに。人間はアドレナリンの分泌量を覚える生き物だ。前回の興奮よりも至福を感じるためには興奮ホルモンを増やす以外にはない。

 あの日々と同じ、それかそれ以上の照り返しの中、ロックは居眠りをしていた。彼が寝ているおんぼろの車の窓を全開にしても尚、暑さは外に逃げない。年月を経て少しだけ禿げかかった頭皮は蒸れて水蒸気を発生させている。
 「おい、チャンプ!いい加減に起きろよ」
 トム・ワイズマンはロックの頭にタオルを投げかける。すっと頬を流れる汗を拭くためだ。ロックは汗をひと拭きするとトムにタオルを投げ返した。
 「誰がタオルを投げろといった」
 トムは怪訝な顔をする。
 「なんだ、まだ格闘試合にご執心なのか?」
 
 砂漠の真ん中に位置しているガソリンスタンドには店員すらいない。
 「もうすぐ街に着くから準備しとけよ、チャンプ」
 トムは無作法にノズルを引いた。ドクドクと空になったタンクの中にガソリンが注入されていく。
 「俺のことを未だにチャンプって呼ぶのもお前ぐらいなもんだ」
 ロックはバックミラーに映る自分を眺める。左眉毛の上に治らない切り傷がある。この傷が付いた試合からずいぶん経つ。傷跡を除けば昔の面影などどこにもない。そこにいるのは疲れた顔をした小汚い男だけだ。
 「俺にとっちゃお前は永遠にチャンプだよ、ガキの頃からな」
 ガチン、とノズルは停止した。
 「夜には着くぞ」

 トムがアクセルを踏むと同時におんぼろの車はかなり声をあげる。
 「くそっ」
 何度試してもエンジンは付きそうにない。
 「こんなボロすぐに捨てりゃよかった!」
 「俺はお前がスポーツカーで迎えに来ると思ってたよ」
 「そりゃその方がよかったかもしれないが、こんな長旅で俺のめちゃ可愛いスポーツカーを消費するのはごめんだ」
 トムは何度も鍵を回す。
 「少なくともそう思ってた、こんなことになる前はな」
 トムはエンジンランプとにらめっこを始めた。見るに見かねたロックは車に腕を振り落とした。すると、車は黒い排気ガスを吐いて震える。
 「ついた!お前の拳には魔法かなにかが宿ってるのか!?俺がどれだけ試しても駄目だったのに!」
 「そりゃよかった。これで夜までには間に合うか?」
 「当たり前だ。飛ばすぜ!」
 時間差でエアバックがトムに炸裂する。
 「むぐぅ。助けてくれ、チャンプ」
 
 *

 黒服の男たちが屋敷に出入りしている。ある者は昼食を配っている。いち、に、さん、と機械的に運ばれていくトーストとオムレツは湯気が立ち込めて美味そうだ。だが、シーザー・ナイトレイはそれを断った。
 「ありがとう。私は食べてきたから、いらないわ」
 シーザーは昼食を横に流すと、目の前を見据える。目の前にいるトーストにかぶりついている男を見る。
 「今日はお前が話があるからといって時間をとったんだ。それが、主語もない会話をする為だとしたらとんだ時間の無駄だな」
 男は名をナッツ・フランシオといった。ナッツは豪快にオムレツを口に運ぶ。
 「貴方、まだ食べてるじゃない。そんなに急いでする話じゃないわ」
 「食べているうちに会話が終わらないか期待してる」
 「つれないのね」
 シーザーの鞄の中で携帯電話が鳴る。シーザーは席を離れて電話を取った。

 遅くなる?ええ、わかったわ。それでは今夜。

 電話を切るとシーザーはスーツの襟を正してナッツの正面に座りなおした。
 「あら、まだ食べ終わってなかったの?あんなに時間を挙げたのに」
 ナッツの前に追加の皿が運ばれる。
 「本当に腹は減ってないのか?旨いぞ」
 「いらないわ」
 「なら、話を始めてくれ。時間がもったいない」

 「私たちの共通の問題について、話があるの」
 「共通の話題なんてあったか、俺たち」
 ナッツはトーストを千切る。グレイ・ベイカーはシーザーの後ろで静かに耳を澄ませていた。
 「ええ。私たちの顧客の話よ」
 ベイダル・ファミリーの幹部であるシーザーとナッツが揃っていながら会合はなかなか進まない。グレイは腕時計に視線を落とす。時刻は午後3時を回ろうとしている。
 「私たちの頭領が亡くなって以来、上納金を渋る輩が出てきたわ」
 シーザーは髪をかき上げる。
 「私たちは軽視されている、とても」
 ナッツはトーストにナイフを立てる。
 「そりゃぁ気分の悪い話だ」

 ベイダル・ファミリーは長い間この歓楽街を仕切ってきた。ファミリーの後ろ盾がないと店を出せないといわれるほど、ファミリーは街にとって重大な存在だった。それが今回、上納金を渋る連中が出始めたのだ。すべての原因はファミリーの頭領が他界したことにある。街の隅々まで幅を利かせていた頭領は街に愛されていた。組織としてではなく、一人のマフィアとして彼は慕われていたのだ。

 「俺たちの後ろ盾がいらなくなったって思っているのか?その阿呆どもは」
 ナッツの質問にシーザーは首を振る。
 「私たち以外の誰かが街に顔を出してる。大方、新しい後ろ盾を申し出てるんでしょう」
 「見つけたらぶち殺してやる。そういう話だな」
 「ええ」
 シーザーの合図とともにグレイはボロボロの男を会場に連れてくる。疲労困憊で息も絶え絶えな男は恐る恐るあたりを伺う。
 「誰だ?」
 ナッツはフォークで男を指さすとシーザーに質問した。
 「私たちの元顧客」
 「悪かった!上納金は今までの倍払う!だから許してくれ!!」
 泣き叫ぶ男を無視してシーザーはため息をついた。
 「こういう輩があと4、5人いるわ」

 「頭領が生きていた時はこんなことをする必要なんてなかったのに」
 シーザーはまじまじと横たわる男を眺める。汚れた床を黒服が片付けていく。
 「何人だって知らない奴にはわからせてやればいい」
 「そうやって街に悪名を轟かせるのね。批判を買って無理をすれば警察が動く」

 「昔みたいにあっちから後ろ盾を乞う輩が増えるのが理想よ」
 ナッツは食べ終えた皿をわきにどけるとシーザーを睨んだ。
 「ならどうする?」
 「ベイダル・ファミリーの力を見せつけることができればいい」
 「派手な抗争を起こそうっていうのか?」
 「必要であれば」
 沈黙。グレイは再び時計を見やる。時刻はそれほど変わっていない。
 「このファミリーはお前のおもちゃじゃない」
 「頭領がいなくなった今、このファミリーは新しい局面に差し掛かっている」
 「エドワードが正式な後継者だ」
 エドワード・ヘンリーの名前が出たとたん、シーザーは眉間にしわを寄せる。頭領の死の直前、彼に隠し子がいることが判明した。それがエドワードだ。
 「あの子は若すぎる」
 シーザーは強く反対した。しかし、それをナッツはいなす。
 「俺たちが育てていくんだ、新たな頭領として」

 ベンジャミン・リーはロナルド・ベリックの頭を何度も揺さぶった。遠くの方でエドワード・ヘンリーとギャングメンバーが笑っている。公園は若いギャングのたまり場になっていた。
 「どうしても受け取らないのか?」
 エドワードは嗤いながらロナルドの近くに歩いてくる。ロナルドはエドワードに泣きついた。
 「エドワード!お願いだからベンジャミンを止めて!」
 ベンジャミンは思い切りロナルドを投げ飛ばす。
 「どうして?」
 「本当にやめてくれ!お願いだから!!」
 「何度も同じことを言わせるなよ、ロナルド。なんで、俺からのプレゼントを受け取らないんだ?」
 ほら、とエドワードは錠剤の束をロナルドの鞄に詰める。
 「もらえないよ」
 「これを使えば嫌なことからも抜け出せる」
 エドワードは錠剤を一つ取り出した。
 「なんならここで試してみろよ」

 ベンジャミンはうずくまったロナルドの脇腹を蹴り上げた。
 「もう十分だろ、エド。こいつ、吐きやがった」
 エドワードはベンジャミンを無視してロナルドに話しかける。
 「どうしても使わないのか?」
 嘔吐物まみれの口を開けてロナルドはエドワードを見上げた。
 「…どうして僕なんだ」
 「お前が俺たちの仲間になりたいって言ったんだろ?嫌になったんだよな、平凡なこの世界が。刺激が欲しかったんだろ?」
 「だからって、薬は使えない。怖いんだ」
 
 「とにかく、その薬はお前のものだ。使い方は自由だよ」
 エドワードは鞄をつつく。
 「もっと欲しくなったら、今度は売ってやる」
 「僕の家にお金なんてない!」
 「だから作ればいいだろ?モノは俺の家からくすねりゃいくらでも出てくる。悪い話じゃないだろ?お前はその薬を自分で使ってもいいし、小遣いの足しにしてもいい」 

 ベンジャミンは苛立たし気にエドワードを見た。
 「もういいだろ、エド?こんな腰抜け相手にしない方がいいぜ。なんだったら俺が代わりに薬を捌いてやるからよ」
 「いや、俺はこいつが気に入ったんだ、ベン」
 ロナルドは涙ながらにエドワードを睨んだ。
 「僕は薬の売買なんて絶対しない」
 「とりあえず持って帰れ。どうするかはそのあと考えたらいい」
 エドワードはバイクに跨るとロナルドの目の前から消えた。
 
 「あんまりエドワードを怒らせんなよ」
 ベンジャミンはロナルドを小突く。
 「この街はいずれアイツのものになる。平和に暮らしたいならちゃんと言うことを聞け」

  トムは自室の鏡の前で入念に歯を磨いていた。時刻は零時を回るところだ。ロックは狭い部屋で自分の荷物を解いていく。窓を開けるとそれほど明るくない歓楽街が顔を出す。元気がない、とは違う。どこかで何かが蠢いている、まるで嵐の前の静けさを思い起こさせる景色が広がっている。
 「早くしろ、チャンプ!もう遅れそうなんだ!」
 トムは別室に向かって叫ぶ。
 「今からどこに行くっていうんだ。明日でいいだろ。もう遅れてるさ」
 「大体、さっきまでずっと寝てたじゃないか。どうやってもう一度寝るつもりなんだよ」
 「アツすぎて熟睡はできなかったんだ」
 トムは歯ブラシを投げ捨ててロックのいる部屋をノックする。
 「チャンプ、お前はまだ本当の『アツい』ってのが何か知らない。これからリアルな世界っていうのを見せてやろうってんじゃないか。早く支度をすませろよ」
 部屋の内側でロックは怪訝な顔をする。
 「トム、俺はロマンチックなイベントにはまだ準備ができてない。一週間は待ってくれ」
 「駄目だね。チャンスっていうのは待ってくれないもんだ。俺らを待っているのは街のバカみたいな女どもじゃないぜ。もっとイカれてるもんだ」
 「どういう意味だ」
 「おい、もう十分だろ。これより後は車の中で話させてくれ。時間がないんだよ」
 「このままお前の車に乗ったらどうなるんだ?」
 「いい夢が見れる。誓って嘘じゃない」
 いい夢が見れるとは、いい女に出会えるとイコールじゃないのか、と疑念を感じるロック。
 「あんまり怖がるな、チャンプ。最初はキツいかもしれねぇが入っちまったら後はズブズブだからよ」
 「別に怖がってないんだが、この部屋は鍵付けられないのか」
 「なぜだ?」
 「いや、これからお前とここに住むんだったら尻の防御を固めたい」
 トムは少し考えて、赤面した。
 「おい!俺はしっかり女が好きだぞ!!」
 「でもお前さっき女はバカみたいって」
 「違う!いまから会いに行くのは尻の軽いアバズレじゃないって言ったんだ!」

パート・オブ・アンビション

パート・オブ・アンビション

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-03-28

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