君の声は僕の声  第六章 13 ─眠り─

君の声は僕の声  第六章 13 ─眠り─

眠り


 眠っている杏樹には瑛仁が付き添い、他の者たちは遺跡の森へと入っていった。
 静かなのは陵墓の森と変わらないが、人工物が自然に溶け込む風景は何か訴えかけるような静けさを感じる。崩れた遺跡を覆う草や苔。

 捨てられた都。
 忘れられた遺跡たち。

 ひとつの文明が母なる大地に抱え込まれ、ひっそりと息をしながら長い眠りについている。
 そんな静けさがある。

 その静けさを破るように、呼鷹は感激に声を上げた。いや、吠えた。目には涙が浮かんでいる。
 友人の筆跡を真似、子供相手に大人げない嘘をついてまで来たかった場所だ。無理はない。
 少年たちからすればただの石ころにしか見えないものまで手に取っては眺め、使い込まれた手帳にメモを書き込んでいた。 

「これは……?」

 聡が、土に半分埋もれていた白っぽい石を拾い上げた。土を払って指でこすると、綺麗に磨かれたような石が現れた。光の具合で青くも緑色にも見える。

「これは……翡翠だな」

 呼鷹が噛りつくように石を見つめた。

「本当!?」
「ああ。──何か、装飾品として使われていた物だろう」

 呼鷹がうなずくと、他の少年たちはいっせいに地面に視線を落とした。

 麻柊が「あった!」と石を呼鷹に差し出す。

「これは──」

 呼鷹の深刻な顔に、麻柊は期待に胸を躍らせた。

「ただの石だね」

 肩をすぼめる呼鷹に口をとがらせ、「ちぇっ」と、麻柊は石を放り投げ、また土を掘り始めた。

「なんか宝探しみたいだね」

 嬉しそうに言った流芳に櫂が顔をしかめた。

「おい、俺たちの目的は発掘でも宝探しでもないぞ。今日のところはいいけど、忘れんなよ」
「はいっ」

 少年たちは嬉しそうに声を揃えた。

「おっさんもな!」

 砂場で遊ぶ子供のように夢中になっている呼鷹の背中に向かって櫂は怒鳴った。

 少年たちは杏樹のことも忘れて遺跡探検と宝探しに夢中になった。
 気づけば太陽は傾きかけている。自分たちよりも夢中になっている呼鷹を置いて、少年たちは杏樹のいる場所に戻った。

 杏樹はまだ眠っている。
 瑛仁はテントを張る準備をしていた。



「透馬の言った通りだったな」

 テントを引っ張りながら麻柊が言った。

「うん。でもびっくりしたよ。透馬の言うようにほんと、幽霊とでも話してるかと思った」

 麻柊の反対側からテントを引っ張りながら浮かない顔で流芳が返事をした。透馬と櫂の杭を打つ手も止まっている。

「聡の奴、やっぱり杏樹と何かあったんだな。あいつ変だったもん。寮でさ、櫂が秀蓮を部屋に誘った時なんか必死に止めてたもんな」

 麻柊が思い出しながら気の毒そうな顔をした。

「…………」

 櫂と透馬は顔を見合わせた。

「でもどういうことなんだろう……。混乱してるからって、なんでひとりで喋ったり、急に機嫌が悪くなるんだろう?」

 流芳の問いに、誰も応えられなかった。

「聡は何を知ってるのかな……あっ」

 ぼんやりとしていた流芳の手からテントが離れ、反対側で引っ張っていた麻柊の頭がテントで覆われた。

「…………」
「あ、ごめん」

 流芳が首を引っこめた。

「それで秀蓮は杏樹を連れて行ったのか……」

 麻柊が舌打ちしながらテントを引き剥がすのを黙って見つめながら、櫂がつぶやいた。
「あの杏樹の家」とアリサワが言っていたのも納得できた。寮の少年たちは家族と上手くいっているとはいえない。お互いに遠慮していたり、親に見捨てられたと感じている者も多い。実際に家族から疎まれ、寮に追いやられるようにやって来る者もいる。アリサワはそんな家族を数多く見てきたはずだ。それを「あの家にか?」と訪ねたのだ。

 櫂は大きなため息をついた。



「瑛仁に話したの?」

 テントの中、膝を抱えて杏樹の寝顔を見つめていた聡が秀蓮に訊ねた。

「いや、話してないよ。瑛仁が気づいたんだ。さすが名医だな」秀蓮が静かに笑い「今朝、瑛仁からこれをもらった」

 そう言って荷物の中から布に包まれた野草を取り出した。

「それは?」
「ユキノシタ草」
「ユキノシタ草?」
「うん。神経を落ち着かせる作用があるんだ。──これを杏樹に飲ませてやるようにって」
「それを飲めば杏樹は治るの?」

 聡の質問に秀蓮は伏し目がちに首を振った。

「飲めば治る──というものではないな。でも、これで少しでも杏樹の症状は落ち着くかもしれない。聡、この薬草を見つけたら摘んでおいてくれるか?」

 聡は唇を固く結んでうなずいた。

 杏樹は何の不安もなさそうな顔で眠っている。
 寝ているときの杏樹はいったい誰なのだろう。
 杏樹が小さな頃には、母親が歌を歌って聞かせていたと『結』が言っていた。母親の歌を聞きながら、杏樹は安心して眠っていたのだろうか……。

 杏樹の顔にかかった髪を、聡はそっと払った。

 夕食の時間、なにも知らない陽大はいつものように笑いながらお喋りをしている。そんな陽大に、少年たちは笑顔を見せながらも時おり顔を曇らせた。

 こんな楽しそうに話す杏樹を、『深く傷ついている』とは誰も信じないだろう。聡はみんなの表情を見ながら不安になった。自分は目の前で変化する杏樹を見ても、からかわれているとしか思えなかったのだ。みんなが信じなくても、それは仕方がないことだと思う。杏樹の人格が分裂していることも知らないし、そもそも人格が分裂するということを、聡自身まだ理解できてはいなかった。

 瑛仁と呼鷹は、陽大の話に質問や考えを述べた。秀蓮もいつもと変わらない態度で話をしている。そのうちに櫂が会話に入ってきた。話が盛り上がってくると、懐疑的だった透馬や麻柊、流芳も、陽大の物まね入りの話に笑い出した。聡もいつしか杏樹への心配を忘れ、会話に入っていた。

 陽大は並外れて人を惹き込むのが上手い。



 翌日、いよいよ本格的に遺跡へと足を踏み入れた。

 呼鷹は相変わらず何かを見つけてはいちいち声を上げ、立ち止まっている。夕べも呼鷹は食事の後片付けを瑛仁に頼み、真っ暗闇の中、ひとり遺跡の中へと入って行った。みんなが寝静まった頃にもまだ帰って来なかったらしい。そんな調子だからすぐに立ち止まっては手帳に書き込んでいた。

「先に行きましょう」

 瑛仁が呆れたように笑い、聡の背中を押した。
 森の中の崩れた石の建造物を通り過ぎると、森が深くなった。
 長い間ひとが踏み入っていない森。けもの道もない。鳥の鳴き声すら届かない。だが、覆われた緑の中に、遺跡の残骸がぽつりぽつりと姿を見せていた。

「あの埋もれた石を辿って行けば、何かあるんだな」

 櫂が秀蓮に向かってにやりと笑う。

「ああ」

 秀蓮が森の奥を見つめたまま応えた。少年たちはその視線を辿るようにして目を凝らす。

 その時、

「北に二百三十尋、西に三百五十尋。そこに遺跡の中心、神殿跡があるはずだ」

 杏樹が涼しい顔で言った。

 少年たちは互いの表情をそっと探り合うよう見つめ合った。こんな時の杏樹は恐ろしく機転が利くがとっつきにくい。さっきまでのお喋りな杏樹とは違う。少年たちは黙ったまま頷いた。

「ふん、行ってやろうじゃねえか」

 櫂の一言が気まずい空気を払い、少年たちの心を引き締めた。
 少年たちの目に力がこもった。──その時

「うおおおおおい」

 間の抜けた大きな声が森に響いた。
 呼鷹だ。
 瑛仁が軽いため息をついて苦笑いした。櫂の口もとが歪む。

「待ってくれええええええ」

 呼鷹が走ってきた。少年たちは足を止めて呼鷹を待った。けれど、呼鷹は途中で息が切れたのか、片手を木に添え、肩を大きく揺らしながら呼吸をしている。

「早くしてくれよ。おっさん!」

 櫂がなげやりに怒鳴ると「頑張れえ」と両手を口に当てて流芳が叫び、大きく手を振った。


 歩いても歩いても森は深くなる一方で、出発する頃には見られた遺跡の残骸も緑に覆いつくされているのか姿が見えない。本当にここにかつての神殿があるのか怪しい雰囲気だった。だが、杏樹は自信たっぷりの顔で、羅針盤を持った呼鷹に、ときおり空を見上げながら何やら指図していた。

 杏樹は度々目を伏せながら、隣の【誰かさん】と話をしている。呼鷹はそれを怪訝に思いながらも、杏樹が顔を上げると思わずにっこりしてうなずいていた。

 陽大は手にした懐中時計を見ながら時々を空を見上げていた。陽大が時計と太陽の位置を確認していることに気づいた聡が空を見上げた。

 足もとを見ていなかった聡がつまずきそうになり、隣を歩いていた秀蓮が手を伸ばしたその時

「あっ」

 聡が小さな悲鳴を上げた。

「あ、あれ!」

 聡が秀蓮に支えられながら指さした。秀蓮がつられて見る。みんなも真っすぐに伸ばされた聡の腕を辿り、その先を見つめた。

君の声は僕の声  第六章 13 ─眠り─

君の声は僕の声  第六章 13 ─眠り─

捨てられた都。 忘れられた遺跡たち。 ひとつの文明が母なる大地に抱え込まれ、ひっそりと息をしながら長い眠りについている ──そんな静けさがある

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-03-28

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted