君の声は僕の声 第六章 12 ─解せない杏樹─
解せない杏樹
「鏡の裏側に模様を付けて表面を磨くんだ。そうすると鏡には微妙な凹凸ができる。その凹凸に光が反射して、絵が浮き出る仕組みだ」
「………………ふうん」
秀蓮の説明に、少年たちは完全に納得はしていないような中途半端な返事をした。
呼鷹も鏡に灯りを当てる。すると、模様がさらにくっきりと浮かんだ。
「蛇だ……」
壁には、入り口の扉や棺の蓋に刻まれた模様と同じ、二匹の蛇が現われた。
櫂は蛇の浮き出た壁を手で探った。特に何もない。押しても何も起こらない。動かない。他の少年たちも壁を探り始めた。
透馬の白い手が魔境で浮かんだ模様によって影る。透馬はその場所の石を掴んでみた。石はその反動で少しずれた。そのままそっと抜き取った。
「入り口の扉と同じだ」
抜き取った石を見つめながら透馬がつぶやいた。
「だけど、ここには手本になる模様がないな」
呼鷹がそう言って透馬の抜き取った石の辺りに懐中電灯を当てると、模様が薄れ、慌てて鏡に光を戻した。
「入口と同じに動かせばいいんじゃないか?」
櫂が別の石を抜き取り「確か……こう。──あれ?」と首を捻る。
「違うよ。こっちだったよ」
別の場所から石を抜き取った麻柊がはめ込もうとして「あれ?」と首を傾げた。石が穴よりも大きくて壁にカチカチ当たる。
「ああ、駄目だよ。ちゃんと模様を見ながら抜かないと……」流芳が止める。
「おいおい、めちゃくちゃにするなよ。ゆっくりやれ。ゆっくり」呼鷹が慌てて止めに入る。光がそれ、模様が薄れた。
「おい、おっさん! ちゃんと当ててくれよ」
壁に光を当てていた聡がふと杏樹に目をやる。杏樹は少年たちから少し離れた場所で、黙って壁を見つめていた。
聡は懐中電灯を瑛仁に戻し、杏樹に声をかけた。
「玲。──玲、君ならわかるだろう?」
ぼんやりとしている杏樹の表情は玲ではなかった。
「玲を起こして」
聡は純の両腕を掴み、耳もとで小さく訴えた。
「…………」
純の目がうつろになる。玲が目を開けた。いきなり呼び出されたことに、いつにも増して不機嫌そうな玲は、聡を一瞥すると少年たちを押しのけて壁の前に立った。
少年たちには『玲』であることはわからないが、それでも「近寄るな」オーラを発している杏樹であることは察知した。みんな杏樹のために場所を開ける。そして期待の目で杏樹を見つめた。
杏樹は壁の前に立ってしばらく考え込んだ。
「駄目だ、覚えていない」と、表情を変えずに玲は言った。隣で聡がすかさず返す。
「陽大は? 陽大なら覚えてるんじゃない?」
玲はしばらく黙ったまま聡を見つめていた。そしてうつむくと、小さく口を動かし始めた。瞳が左右に動く。
少年たちは杏樹の不可解な行動に顔をしかめながらじっと見つめていた。
聡も杏樹も気づいていない。秀蓮が心配そうにその様子をうかがった。瑛仁も何も言わずに静かに見つめている。
やがて杏樹の細い手が動き出した。
時おり杏樹の口が微かに動く、瞳を左右に動かしながら。
それはまるで、隣に見えない誰かがいて、会話しているように見えた。
杏樹は迷うことなく石を抜き出してははめ込んでいく。少年たちは驚きや期待を越えて、奇妙なものでも見るように杏樹を見ていた。
石をはめ終え杏樹が振り返る。誰も何も言わない。凍り付いたような沈黙の中、遠くで重いものが動くような音がした。
時の止まったような地下空間に振動が響いた。
杏樹が指を差す。
みんな音を聞いたが、杏樹から目を離せずにいた。聡と瑛仁がゆっくりと杏樹の指さした方に顔を向ける。階段とは反対の方向。つまり最初に来た道を戻ることになる。みんな杏樹の指さした先が気になったが、誰も動こうとはしなかった。
「聞こえただろう? 行かないのか?」
杏樹が素っ気なく言った。
「あ、ああ、そうだな」
呼鷹がまるで夢から覚めたように顔をあげる。
「みんな行こう」
呼鷹は無理に笑って歩きだした。麻柊が流芳を目で誘い、透馬も杏樹を気にしながらも歩き出した。
「おい、どうなってんだ。──杏樹のことで何を隠してる」
櫂が秀蓮の肩越しで声を落とした。
「とにかく……今は行こう」
「…………」
櫂はそれ以上言わずに秀蓮と歩き出した。聡と杏樹も後に続く。その後ろから瑛仁が少年たちの足もとを照らしながらついて行った。
音のした場所までくると、別の通路への入り口が開かれていた。通路から吹き込む風が少年たちの髪を揺らした。
先ほどの女の声の正体だ。
暗闇の道が続いている。その先にほんのりと光が差していた。
階段を登りきった少年たちの口から溜息が漏れた。
静かな森の中に、崩れた遺跡の広がる風景を前にして誰も声を発することもできずに立ち尽くした。
辺りにはスケッチに描かれていたような崩れた建造物が、森の中にぽつりぽつりと点在している。原型を留めている建物はごくわずか。その建物も物置程度の大きさで、人が暮らしていた家ではないと思われる。 そのほとんどが崩れ落ち、草木に包み込まれている。
二千年前に人々が暮らしていた場所だ。
生き残った人々が山を越え、辿り着いた場所。彼らがここまで来なかったら、今の載秦国はない。
「来たな」
櫂が感慨深げに言った。
「玲、君のおかげだ。ありがとう」
聡が杏樹の耳もとに小さくささやき、手を差し出した。
「れい?」
聡の前に立っていた透馬が不快そうな顔で振り返った。
「杏樹、君は幽霊と話しでもできるのか? それとも生贄の霊にでも憑りつかれているのか?」
櫂や麻柊たちも杏樹を振り返る。杏樹の答えを待つようにじっと見つめた。
「何のことだ?」
杏樹が不機嫌そうに聞き返す。
「違うよ、お礼だよ。お礼を言っただけたよ」
すかさず杏樹と透馬の間に入ろうとした聡を、透馬は右手で遮った。
「杏樹。君が何かを隠していることは、寮のみんなが知っていることだよ。だが、誰もあえてそれを聞こうとはしない。寮にいるやつらはみんな人に言えない秘密や悩みを抱えているからな。──だが、君は少し違う」
杏樹は何も言わずに、冷ややかな目で透馬を見つめ返している。
「違ったりなんかしないよ!」
聡が杏樹を両手で庇うように透馬の前に出た。透馬が何か言おうとしたとき、瑛仁がそっと聡の肩に手を置き、杏樹から離した。そしてそのまま右手を杏樹の目の前に差し出し、流れるように輪を描いた。パチンと指をならすと、杏樹はまぶたを閉じて、瑛仁の腕の中に倒れ込んだ。
少年たちは一瞬の出来事に目をぱちくりしている。
瑛仁は杏樹を抱きかかえると、木陰に運び、そっと寝かせた。
「君たちが秘密や悩みを抱えていることはよくわかっている」瑛仁が立ち上がりながら透馬たちに向かって静かに話し始めた。「だが、杏樹は……おそらくここにいる誰よりも深い傷を負っているはずだ」
聡は顔を伏せた。透馬は麻柊と視線をからめた。
「そう簡単には話せないはずだ。──杏樹自身、深く混乱しているのだから……とても深く」
透馬は目を細めた。そして瑛仁から眠っている杏樹へ視線を移した。
「君たちが杏樹の行動に振りまわされているのは想像がつくよ。腹が立つこともあるだろう。だが、もう少し、杏樹を暖かく見守ってやってくれないか。わたしも協力する。杏樹が自分の口から話せるようになるまで待ってやってくれ」
透馬の後ろで麻柊と流芳はうつむいた。呼鷹も腕を組んだまま黙っていた。
「──わかった」
気持ちを抑えるようにして透馬がうなずいた。
君の声は僕の声 第六章 12 ─解せない杏樹─