小太刀桜 上
春眠暁を覚えず。
俺は寝るぞ。夢の方が素敵な世界だ。
熊だってきっとまだ寝ている。
今日は休みだが予定がない。
つい先日、彼女にフラれたからだ。
理由は「私達、周波数が合わないよね」だそうだ。ラジオかよ。
という事で起きる理由がない。
本来の予定では今日は桜を見に行く予定だった。彼女、いや元カノとだ。
俺が猛烈に桜が見たいからというのが理由だったが、その辺りもフラれた原因なのだろう。
「映画か買い物にしておくんだった…。」
けど一人で桜を見るのも悪くない。
そう、悪くない。
俺は熊よりも早起きする事を決めた。
朝はパンより白米派の俺だが、あいにく「とうふ」とパッケージに書かれた普通の豆腐しかない。
色しか共通点はないが、何となく白米の代わりになる気がする。
冷蔵庫にししゃもがあったので、それも焼いて食べる事にした。
ししゃもって魚の名前なのか?
ホッケもか?
生きてる内からなんて美味しそうな名前なんだ…。
などと間抜けな事を考えている内に少し遅めの朝食が終わり、適当に身支度を整える。
桜の下で食べるチョコはさぞかし美味かろうと思い立ち、家中でチョコを探したが見つからなかった。
カカオ農園で働く少年達の事を考えたら、チョコなんて喉を通らないよ…。
負け犬の遠吠えをしつつ家を出た。
見たい桜は少し遠くの山の中腹にある。
ふもとの川沿いにある「やな」で鮎の塩焼きを食べてから山を登り、桜を見るのが恒例だ。
突き抜けるような晴天。
きっと今年も綺麗な桜が見れる。
バスを乗り継ぎやなにつくと、
馴染みの顔に会った。
「よ!元気かお前〜。」
と近付くと黒くて丸い身体を精一杯伸ばした後、面倒臭そうに遠ざかっていった。
野良猫だと思うが、このやなの主だ。
鮎を焼いてる横でいつも無愛想に居座っている。ふてぶてしいが、何となく憎めないヤツだ。
小さい頃にお土産用の木刀を持って追い回して以来、俺を蛇蝎の如く嫌ってるご様だ。
たまには喉を鳴らして歓迎してくれても良いのに。まぁ悪いのは俺だけど。
少し川を見てからやなを後にして山を登る。生け贄でも捧げそうな大きな十字の看板が見えたらすぐそこだ。
やはり今年もここは壮観だ。
地面に突き刺さった小太刀を思わせる、鋭い美しさの桜がそこにはあった。
俺の思考がたこつぼに閉じこもってしまったかのように内側にしか向かない時も、ここに来ると全てリセットしてくれる。
やっぱりチョコを持って来るんだったな。風が気持ちいい。
帰ったら謝ろう。
俺が自分の事を優先し過ぎたから
「周波数が合わない」
とか言われちゃったんだろう。
俺もいい加減大人にならないとな。
ついでに猫にも謝って帰ろう。
あいつには許して貰えなくてもいいや。
やっぱり来て良かった。
また来るよ。よろしくな。
小太刀桜 上