稽古場のハルコさん

堀川士朗

やわらか青春、ちょっとホラー。

 「稽古場のハルコさん」
       堀川士朗

 僕がまだ小劇場演劇をやってた頃だからもう二十年以上前の話なんだけど、思い出フラッシュバックの中で二十歳以上若くて痩せぎすの僕は古い鉄製階段を今、降りている。
 かなり老朽化しているのでギイギイ音が鳴る。地下の稽古場のドアの鍵を開けて入る。

 ドアを開けると外光と闇が混ざって入り口付近は薄暗い。気圧の関係なのか凄まじい湿度の風がぶわりと顔を打つ。
 一瞬目が開かなくなる。小脇に抱えた制作セットの分厚いプラスチックケースを落としてそれを拾うと、目の前に女の子が立っていた。濡れた服を着た全身ずぶ濡れの若い女の子。

 「え。何だよ」

 鳩がポイズンマッシュルームを本気で食らった時の顔をしてしまった。その子はうちの劇団に所属するどの女優よりもきれいな顔立ちをしていた。僕が密かに狙っているボーイッシュな看板女優のタチバナさんよりもきれいだった。
 小柄な彼女は口をパクパクさせ何か言いたがっていたけれど、それが何かは分からなかった。テレビをミュート(消音)したみたいな感じだった。だから、僕は勝手にアテレコして「よろしくね」と言ってる風に解釈した。

 稽古場の電気をつけた。明るくなった途端に消えてしまうかと思ったが、彼女はキョトンとした感じのままそこにいた。
 ただし少しフォルムが薄くなった。完全に消えてしまわない様に気をつかうけどでも具体的にどうしたらいいか分かんないので頬が引きつったかなり不本意な笑みを僕は浮かべるばかりだった。
 僕は制作セットを置こうと思って、イントレでひな壇に組んである平台の客席の所まで行った。ひたひたと音がして振り向く。
 僕の後ろを付いてきた。彼女が歩くと裸足の足の形に床板が濡れていた。
 長いウェーブがかかった髪の毛も濡れていてポタポタ水滴が落ちた。
 でも不潔な印象を与えないのは、彼女が持っている上品さから来るものなんだろうなあ。

 地下の為、湿気がもの凄い事溜まる稽古場の換気扇を二台とも回す。
 これをやっておかないと非道い頭痛がして、役者はセリフをとちり、プロンプターもセリフを教えるタイミングを逸し、演出家マスモトイサミが言葉の灰皿を投げ、場の雰囲気が非常にいたたまれなくなる。
 マスモトは怖い。

 「そんな安全牌な演技すんだったら俺の屍を越えてみろぁっ!」

 とか平気で言うから意味が分からない。
 理由なきあごひげを生やしたこの男は卓越した演劇センスを武器にナカダイタツヤレベルで眼ぢからを発揮し、駄目出しのカラシニコフを撃ちまくり、心臓の弱い役者は時々失神。だから換気扇を回すのは重要な仕事なんだ。
 湿気の理由は他にもあって、ここのハコの上は五階建てのマンションになっているんだけど、どうやら少しずつ少しずつ生活排水が漏れ出して床板の下に溜まってきているみたいなんだ。
 古い傷だらけの平台を並べて置いただけな床板を通して匂いが伝わってくるからきっとそうなんだ。
 ヘドロが。ああヘドロが。

 第十八回公演「ほら、これで足りるだろ?」の本番初日から逆算して三週間前の今日。他の劇団に比べるとかなり遅いんだけど、お客さんにチラシを郵送するDM作業というものがあって、団員の中で考えたら下っ端に近い僕は、連日稽古が始まる二時間も前に来て大量のチラシと挨拶文と切手と封筒を相手にたったひとり格闘しなければならなかった。僕は役者兼制作助手だからな。押しつけられたんだけどさ。
 猫の手も借りたい。
 幽霊を見る。
 目が合う。
 状況的には幽霊の手も借りたい。

 「あのー。悪いんだけど手伝ってくれない?」

 えええちょっと待って下さいよみたいな彼女は少し嫌そうな表情を浮かべたけど、幽霊的に他になんもする事もないのでコクリとうなずいた。

 作業用の長テーブルとパイプ椅子二脚を出す。僕と彼女の分。流れに関して軽く打ち合わせをし、僕がチラシと挨拶文を三つ折りにして彼女が封筒にその出来上がったものを入れて切手を貼る段取りにした。その説明のいちいちに彼女はコクリとうなずいて、小さめのカワウソみたいで何かかわいかった。
 作業スタート。黙々。黙々。僕が話しかけない限り沈黙は続く。順調に数をこなしていく。僕は制作助手ゆえの場数の多さで手慣れたもんだし、彼女の濡れた指は切手を貼るのに好都合だった。当たり前の話で封筒も濡れちゃうけどそんなのは不可抗力であって乾けば何の問題もない。カピカピの封筒も味があるしね。
次第に息も合ってきた。至福の流れ作業。
 何とはなしに見つめ合って微笑んだ。なごむ。本当にかわいいな。幽霊でなければいいのにね。
 いや幽霊だからいいのかな。キョトンといる感じ。この感じ。
パイプ椅子をちょっとずらして彼女にさりげなく近づいて作業した。
 稽古場の、いつも演出家マスモトが座る側の壁は一面鏡張りなのだけれど、そこに彼女の姿は映らなかった。ニコニコした僕だけがいた。僕はかっこつけて、あえてかっこいいストロークでチラシと挨拶文を追った。無駄に鋭角的にシュパッて感じで。
 こういう、女子に対してするアピールの性癖というか衝動は、小学生の頃から変わらない。

 一時間ほどで今日の分のDM作業は終了した。非常に楽しい一時間だった。
 僕は台所に行って水道水を出して電気ポットでお湯を沸かす。長テーブルの上に完成した封筒の山がそびえ立っていて誇らしく、また嬉しい。
 全て彼女のおかげだ。だからお礼の気持ちを込めてコーヒーをいれてあげる事にした。インスタントですけど。飲めるかな。大丈夫か。
 彼女はフウフウと注意深く息で冷ましてから飲んだ。しかしそれでも熱かったのか口をパクパクして僕を見て怒った。極度の猫舌なのだろう。そんな情緒も何だかちょうどよくて、性交はさておきマジメに付き合いたいタイプの女性だなと思った。
 湖池屋スコーンを広げたけどそれには手をつけなかった。

 僕は彼女の名前を知りたいと率直に思った。だから、コックリさんをした。
 「コックリさんコックリさん、この子の名前は何てゆうの?」
 重なった、濡れた彼女の人差し指がこそばゆかった。ゆるゆるゆる。十円玉は動いて、

 「ハ・ル・コ」

 と指し示された。ハルコ?古風だよねとても。しかもそういえば彼女が着ている服も何だか七十年代っぽいグランジっぽい。この稽古場は実はそこそこ歴史が深い。
 またコックリさん。

「ハルコさんはいつからここにいるのですか?」
 ゆるゆるゆる。

 「オ・ボ・エ・テ・マ・セ・ン」

 ハルコさんは少しうつむいた。小劇場演劇で実に頻繁にやりがちな間が生まれた。
 ふと、まるで何かと呼応するかの様に照明がふわふわとフェードアウトした。え。ここの常設照明はカットインカットアウトしか出来ないはずだぞ。ちょっと怖くなった。
 でもそれを彼女に伝えるのは止した。その事により急に、今まで全然大丈夫だったのに恐怖の対象物としてハルコさんを認識してしまうのが非道く悲しかったからだ。内臓がかゆくなる感覚がした。
 「や。いやいやいや、いやいやいや~」
 わざとらしく打ち消しの言葉を吐いたら照明は元に戻った。ハルコさんとまた目が合った。彼女の瞳の奥には、磁場が生じてるのかなもしかしたら。
 僕は雰囲気悪しのこの状況を変えたいと思った。
 「ハルコさん、よかったら踊ってよ」
 音響ブースにあるCDを適当に僕の独断の趣味で見繕ってかけよう。スチャダラパーにしよう。
 この稽古場はアトリエ公演の際は劇場に変わる。上演可能な造りになってる。だから音響・照明ブースがちゃんとあるんだ。大人二人入ったら一杯の第一次世界大戦の生存率ゼロ地獄の塹壕みたいなスペースだけどね。
 真っ当でかわいいヒップホップが、天井に吊り下げられたBOSEのスピーカーから流れる。唄ってるのもMC・BOSE。
 ハルコさんは大いに照れながらおじぎをして、踊り始めた。それは映像でしか目にした事のない伝説のゴーゴーダンスだった。照れは一気に雲散霧消して動きも激しい。
 凄い!舞台全体を縦横無尽に使っている!憑依型ダンサーだ!
 見ているだけじゃ勿体ないので、僕も狭い音響ブースを飛び出して興奮を隠さずにゴーゴーに加わった。
ハルコさんの激しい動きで不思議素材のグランジ衣装がすげえ揺れてきれいだった。鏡には間抜けた動きで一心不乱に踊る、ゴーゴーなんだか既に阿波踊りかすら分からない僕しか映っていなかった。
 踊りながら僕は、ハルコさんの死体はもしかしてこの稽古場のどこかに人柱として埋まってんじゃないかなとか考えた。だとしたらヘドロ香る床下だろうな。

 おどるおどる僕ら。
 ゆれるゆれる僕ら。
 まわるまわる僕ら。

 理性がめでたい空中分解をしそうになって、でもCDはマキシなので曲はすぐに終わって、僕は拍手をした。
 ハルコさんはおじぎをした。ニコニコ笑っている。
でも換気扇が効いたのか何なのか知んないけどハルコさんの輪郭と色調が薄くなっていく。
 
あ。あ。ああそうか。ああ。あ。

 完全に消える前に彼女はちゃんと僕の目をまっすぐ見つめて口を大きくパクパクさせた。

 「また会いましょうね」

 とそれはそう言ってる様な僕の希望的観測だけど確実にそう言っていた。そして。最後の消える瞬間に。微笑んで。くれた。

 もうすぐ他の座員が、年齢が若い順にヘドロ香るこの稽古場に序列を踏まえてやってくる。最後は四十七歳の演出家マスモトだ。マスモトだったらきっとハルコさんが何者であるか知っているだろう。へりくだりのマッサージでも施して聞き出そうかな。
 もう一杯コーヒーを飲んだ。飲んで待つ。

 怨恨。淫蕩。嫉妬。悪業。
 ぐっちゃんぐっちゃんぐっちょんぐっちょんの人間関係ドラマ、躊躇のない怒号と暴力が飛び交う修羅場が展開されたのは千秋楽がハネた後の打ち上げの席の事で、僕たちが上演した芝居「ほら、これで足りるだろ?」よりもはるかにドラマツルギーに長け娯楽に満ちていた。
 あれだよな、こっちの方をお客さんに見せたらいいのにな。その方が受ける。オシボリとかが無駄に何本も空を斬っているリアル。これこそが演劇なんじゃないの?いや知らないけど。
 だけれども僕はそんなのはどうでもよくて、ハルコさんとまたあの稽古場で会えたらいいなとばかり考え、緑茶ハイを機械みたく口に含んでクチュクチュしてまたグラスにベエーッと戻したりして遊んでいた。
 
 死人の顔で。


 おしまい

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